あの日から、今
「婚約…リョウヤさまと、ですか?」
ミチルは、ナナキに連れられ王の執務室に来ていた。
普通王と会うにはたくさんの手続きが必要だが、側近であり親友でもあるナナキと特殊な立場にあるミチルは免除されている。
それに、すすんで読人に関わろうとする者はあまりいないため、ある程度の勝手は見ないふりをされる。
「そう。私としては別にイツキでもいいんだけどね。そんなことよりほらミチル、座りなさい。おいしい茶葉が手に入ったんだ、煎れてあげよう」
ミチルのために椅子を運んでこさせると、王手ずからお茶を煎れ始める。
すでに見慣れた光景ではあるが、ナナキは突っ込まずにはいられない。
「カズサ…王がそんなことしていいのか」
「このお茶をうまく煎れるのは難しいんだ、話しかけるな」
もう何も言うまい。
カズサが変なのは今に始まったことではない。
「で、だよ。まわりはミチルとリョウヤをくっつけたがっているけど、私はミチルの気持ちを蔑ろにするつもりはないんだよ。
まあ、まわりの声を無視してでもミチルが欲しいんだ、って気概がないやつにはホントはやりたくないんだけど」
カズサはミチルを猫可愛がりしていた。
価値ある能力をもつミチルを狙うものは多く、ミチルは生まれて早々王の庇護下に入った。
ナナキはミチルの師と護衛を兼ねることになったが、「側近としての仕事もしてね」というカズサの要求をこなすためにミチルも執務室に連れてくることになり。
こういう天使みたいな娘が欲しかった!と出会ってからずっとこんな調子である。
ちなみに、ミチルはこっそり街に降りているつもりだろうが、いつもナナキや他の護衛がついている。
「ミチル、チャンスをあげよう。イツキにプロポーズしてきなさい」
「ええっ、普通逆だろ!?」
ミチルの様子を伺うと、頭から湯気が出るんじゃないかというぐらい真っ赤になり、「イツキさまにプロポーズ…」と繰り返しぶつぶつ言っている。
ああ、また倒れないといいんだが。
「私は、イツキにはかわいそうなことをしてしまったと反省している。だから、このくらいのプレゼントはしてやりたいんだよ」
「カズサ。良いこと言ってる風だが、ミチルからのプロポーズをこのくらい呼ばわりするな」
カズサは知らんぷりして、ずずず、と音をたてながらお茶を飲み干す。
行儀悪いなと思うが、このお茶はそうやって飲むものらしい。
「とにかくそういうことだよ。今日は訓練もあるんだろう、その時にでも伝えてみなさい。まあ無いと思うけど、もし断られたらリョウヤと婚約してやって」
ほらミチル、このお茶にあうお菓子もあるよ、と戸棚をごそごそ探り始めたカズサはもうこの件について話すことはないのだろう。
「カズサ、俺たちはそろそろ訓練にいくぞ」
「私も仕事をするよ。ミチル、健闘を祈ってる」
「はいっ!!!」
大好きなイツキさま。
いつも暖かい気持ちでそばにいてくれるイツキさま。
倒れたときいつも一番に駆けつけてくれる王子さま。
イツキさまのお嫁さんになれる…!
そう考えると、ミチルの心の中は花が咲き乱れるかのように幸せでいっぱいだった。
ただひとつ気になったのは、先日遊びに来た際になぜか不在だったこと。
今まで約束を破るなんてことなかったのに、何か急な用事でもあったのか。
今日は訓練に来るのだろうか。
「俺はちょっと用事をすませてくるから、先に行っててくれ」
途中でナナキと別れ、多少不安になりつつも訓練場に行けば、そこにはイツキがいた。
「イツキさま!おはようございます!先日はいかがなさったのですか?」
「…ああ、すまなかった。急に用事ができて」
「やっぱりそうでしたか」
なんだかいつもと様子が違う気がする。
私が緊張してるからそう思うのか。
『イツキにプロポーズしてきなさい』
ああ、想像しただけで倒れちゃいそう。
でもこれも、イツキさまのお嫁さんになるため!
「イツキさま、聞いてほしいことがあるんです!」
あれ、でも受け入れてもらえるのかな。
…読んでしまいたい。
イツキさまが抑えてたら読めないけど。
でも、たぶん頑張れば抑えも剥ぎ取れる。
『いいかミチル。勝手に人の心を覗いてはいけない。楽をしようとしちゃダメだ』
先生、ごめんなさい!
チラッと見るだけだから!
そうして初めて読んだイツキから聞こえてきた心の声は。
『見るな』
『触るな』
『関わってくるな』
『覗かないでくれ』
『もう、顔も見たくない』
到底ミチルの想いを肯定してくれるものではなかった。
「陛下、ミチルさまがお越しになりました」
「通してあげなさい。…ああ、また痩せてしまったね」
陛下は変わらずミチルのための椅子を運んでこさせると、お茶を煎れ始める。
「一年間眠ったままでしたので。陛下、ご挨拶に伺うのが遅くなり申し訳ございません」
ミチルは椅子には座らず、臣下の礼をとる。
最初はたどたどしかったそれは、数年間のうちに堂に入るものになっていた。
たとえ一年の空白があってもそれは変わらず、いや、もしかしたら前以上に様になっているかもしれない。
「気にしなくていいよ。…得るものもあったようだからね」
リョウヤと仮の婚約をしてから、ミチルはいつ霞になってしまうのかと絶えず心配なくらい、憔悴しきっていた。目的に没頭することで生きながらえているかのようだった。
しかし、今のミチルにそんな心配は無用のようだ。
「はい、やっと踏ん切りがつきました。学院に編入しようと思います」
彼女の表情は清々しい。
「私としては辛いけど、王としては喜ばなくてはいけないね。ミチル、よろしく頼んだよ」
「謹んで拝命いたします」
さあ、存分に生きてみようか。