王位を継げない王子
王家にも厳格な一夫一妻制を強いるこの国では、王妃にかかる重圧は計り知れない。
はやく御子を
できれば男児を
今までほとんど縁のなかった隣国から嫁いできた王妃は慣れない環境の上心休まる暇もなく、ただただ子を産むことを求められた。
王妃はなかなか子宝に恵まれなかったが、それでも嫁いでから三年してやっと子を授かった。
大きく膨らむお腹に、きっと元気な男の子ですよと皆が言い、安心したのもつかの間。
生まれたのは言われていた通り元気な男児。
しかしその子は王位を継ぐことの許されない、読人だった。
また、子を授かるまであの重圧に耐えねばならないのかと思うと、気が滅入った。
しかも、読人を産んでしまうなんて!
王妃は産んだ子に愛情を注ぐことはなく。
まわりも、王位を継ぐことのない愛されない王子への興味を失った。
イツキが、物心ついたとき。
彼が知っている感情は普通の人間以下だった。
王子として最低限の教養や技能は学ばされたし、そういう扱いを受けたが、本当にただそれだけだった。
間違えても直されないし、何をしても叱られない。
城にいる者たちが自分へ向けるもの、それは『無関心』。
あの頃はすべてが凪いでいた。
何にも心を動かさないでいたら、自然とリーディングは抑えられるようになっていた。
城にいても息がしづらいだけだったから、よく街に降りていたけれど、かといって何が楽しいわけでもなかった。
それでも、静かな部屋にいるより街の喧騒のほうがまだ安らいだ。
そんな風に育った俺に喜怒哀楽を教えてくれたのはミチルと師のナナキだった。
武門のティアード家のナナキは、それはもう暑苦しい人間だった。
初対面に「なんだ、そのしけたツラは!」と言い放ち、ミチルいわく熱血漫画のような日々が始まった。
騎士団にトップレベルで入れるんじゃないかと思うほどの訓練はつらかったが、その中で自分はこんなにも負けず嫌いだったのかと気付き、そのうち己にも喜怒哀楽があることを自覚した。
そして訓練の日々で、花と薬を司るフローディア家の娘ミチルはまさに癒し。
同じ読人に生まれて、こうも違って育つことがあるのか不思議なくらいミチルと俺は真逆だったが、そんな彼女は凪いだ心に吹く一陣の風のよう。
心を読まなくとも伝わってくる、今まで自分に向けられたことのない感情に最初は戸惑い避けてしまったが。
彼女はしょっちゅう倒れたり勝手についてきたり一人で街に降りたりと目が離せなく、いつの間にか自分が追いかける側になっていた。
何て言ったら喜ぶだろう
何に怒っているのだろう
何で悲しそうなのだろう
何をしたら楽しんでくれるだろう
彼女のおかげで、俺はやっと人を思いやることを知った。
ある晴れた日。今日は訓練は休みだが、ミチルが遊びにくることになっている。
彼女がくる時刻までまだ少しあるが落ち着かず、中庭で素振りでもしようとして向かった。
しかしそこには先客がいた。
「ミチルと…リョウヤ?」
二人に交流があることは知っていた。
王家の力を磐石なものにしようと、二人を婚約させるという話しになっていることも。
二人には気付かれないよう距離をとり、様子を伺う。
「リョウヤさま、これ、差し上げますっ!」
ミチルが満面の笑みでリョウヤに渡したのは、いつか彼女が教えてくれたフローディア家でのみ育てられている貴重な花。愛する者に贈る花。
ひと抱え分贈る意味は、「あなたと家族になりたい」
「…あら、そこで何をしているの」
ハッと後ろを振り向けば、そこには数えるほどしか会ったことのない母親がいた。
「盗み見?浅ましいわね。リョウヤの邪魔をしないでちょうだい、あの子こそが愛される次の王よ」
あなたとちがってね。
母親の言葉を最後まで聞くことなく、俺は走り出していた。
そう、俺はいらない王子。
きっとミチルにも、面白味のない何も持っていない愛されてもいない、無い無い尽くしの俺より、リョウヤのほうが良い。
部屋には戻らず街のいつもの場所へと向かったが、会いたい相手はそこにはおらず、その日は現れなかった。
翌日は滞在していると聞いていた場所を訪ねるも、そこももぬけの殻で。
ーああ、アイツも離れていくのか。
イツキの心はまた凪いでいった。
「ミチル、この花は?」
「この花は、大好きな人に贈る花なんですよ。ぜひ、リョウヤさまからイツキさまに渡してあげてください!」
「僕から、兄さんに…?」
リョウヤはイツキと関わることがほとんどなかった。
けれど、いつも背筋をピンと伸ばし前を見据える、父に似た面差しの兄は格好よくて、たまに会えれば不器用に、されど優しく頭を撫でてくれる兄が幼い頃から大好きだった。
以前、剣を振る姿が見たくて訓練を覗いていたらミチルに見つかり、事情を話したら「同志!」と懐かれ、それ以来親しくなった。
王家の庭でも図鑑でも見たことのないその美しい花は、とても貴重なのだと思う。
それをひと抱え分というのは、彼女の一存で摘み取れるものではなかったに違いない。
家の人に頼み込んで持ってきてくれたのだろう。
兄さんが彼女に想いを寄せているのは、遠くから見ていてもあからさまでよくわかる。
きっと、こんな風に惜しげなくまわりに優しくできる彼女をいとおしく思うのだろう。
二人でイツキの部屋へ行ったが、なぜか彼はいなかった。
いそうなところを探しても見つけることはできず、歩き回ったせいで具合が悪くなってしまったミチルは帰っていった。
せめて花束だけでもと、リョウヤはイツキの部屋の前で待ち続けたが、日が沈んでも彼が帰ってくることはなかった。
イツキに手渡されることなく花が枯れたころ。
ミチルとリョウヤの婚約が決まった。