鍋の具たちをつかまえろ!
一晩中降り続いた雪が、町をこんもりと白く覆った。郵便受けの上に積もった雪は、丸く高く、大きな卵のような形になった。ひな子はめったに履かないブーツを出してきて、近所のスーパーへ向かった。
「こんなの初めてだわ。雪国に来たみたい」
一歩一歩、足を踏み出しては引き抜き、半分も来ないうちにくたくたになってしまった。雪は徐々に深くなり、ついに膝の高さを越えた。
「ああ疲れた。やっぱり帰ろうかしら」
引き返そうとした時、足下に花のようなものが顔を出しているのに気づいた。
「これって白菜に見えるけど」
掘り出してみると、本当に白菜だった。ちょうど鍋の材料を買おうと思っていたところだ。ひな子は白菜を抱え、転ばないように気をつけて家へ帰った。
ドアの前に、幼なじみののえるが立っていた。ダウンコートの下から赤いスカートを覗かせ、癖のある髪を毛糸の帽子で押さえつけている。ひな子を見ると、嬉しそうに顔を上げた。
「ひな! 見て見て!」
のえるは持っていた木かごを傾け、ひな子に見せた。分厚く立派なしいたけが、かごいっぱいに入っている。ところどころに溶けかけの雪が光っていた。
「来る途中で見つけたんだ。キノコって雪からも生えるんだね」
「おいしそう! ちょうどいいわ、お鍋にしようと思ってたの」
ひな子はのえるを家に入れ、戸棚から土鍋を出してきた。白菜を洗ってちぎり、しいたけを切って敷き詰める。
「これだけじゃ寂しいよ。他に何かないの?」
ひな子は冷蔵庫を開けたが、バターと卵、ジャムくらいしか入っていない。ここのところ天気が悪くて、買い物へ行っていなかったのだ。
「もっと集めなきゃだめね」
こたつで足を温め、ひな子とのえるはまた外へ出た。すると、玄関の前にネギが立っていた。太くて立派な下仁田ネギだ。
取ろうとすると、ネギは跳ねて逃げた。まだ踏んでいないまっさらな雪の上を、ホッピングのように弾んでいく。
「私にまかせて!」
のえるはコートの袖をまくり、ネギに飛びついた。が、もう少しのところで届かず、雪の中に転んだ。ネギが跳ねていった先には、真っ白な植え込みがある。逃げ込まれてしまう、と思った時、茂みがもじゃもじゃと動き出した。
それは植え込みではなく、もやしと葛切りだった。
歯ごたえのありそうなもやしの束と、つややかな葛切りの束が、絡み合いながら動いている。どうも意見が合わないらしく、苛立ったように行きつ戻りつしている。
「もやしの言う通り! 鍋には鶏肉が入ってないとね!」
突然のえるが言い出した。ひな子は面食らったが、もやしの束が嬉しそうに踊り出したのを見て、なんとなく状況がわかってきた。
「葛切りの意見ももっともだわ。鍋といったらエビとホタテよ」
今度は葛切りが激しく波打ち始める。蛇のように伸び上がり、もやしを威嚇する。もやしも負けじと頭を突き出す。
そこへ、ネギが追いついてきた。
「行け、もやし!」
「頑張れ、葛切り!」
揉み合いの真ん中に飛び込んだネギは、根元を締めつけられ、身動きがとれなくなった。その隙にのえるが近づき、ネギをつかみ上げた。
「こら、あんたたち、大人しくしなさい」
もやしと葛切りは言うことを聞かず、のえるの頬や腕に飛びつき、尺取り虫のように這い回った。みるみるうちに、のえるは白い茂みの一部になってしまった。
「ひな、見てないで助けてよ」
「えっ。遊んでるのかと思った」
「そんなわけないでしょ!」
のえるの体からもやしと葛切りをはがし、袋に入れていく。紙に貼ったシールをはがす時のように、ちぎらずに取るのがなかなか難しかった。のえるはネギを抱きしめたまま、辛抱強く立っていた。
「やっと終わったわ。さあ、お鍋にしましょう」
ちょっと待って、とのえるが言った。
「まだ鶏肉をつかまえてないよ」
「鶏肉?」
パックに入った鶏もも肉が歩いてくるのを想像して、ひな子は笑った。いくら何でもそんなことは起こらないだろうと思っていると、視界の隅で何かが動いた。
郵便受けの上で、丸く積もった雪が飛び跳ねている。溶けもせず、崩れもせず、柔らかく弾んでいるうちに、薄くひびが入り始めた。
ひな子とのえるがそばに行くと、雪がぱかっと二つに割れた。中から出てきたのは、丸くて大きな白い体に、短いくちばしと足が生えた鳥だった。ひな子のほうを見て、透明な目をきらきらさせている。
「えーと、あなたは誰?」
こんなに大きな鳥は、見たことも触ったこともない。ひな子が戸惑っていると、甲高い声が聞こえてきた。
「ワタシハ鶏肉デス。ドウゾ、食ベテクダサイ」
「ええっ!」
横を見ると、のえるが鼻をつまんで喋っていた。やめてよ、とひな子は言った。
「こんな変な鳥、食べられるわけないじゃない」
すると鳥は羽を広げ、鳴き声を上げた。金属たわしでフライパンをこすった時のような、鋭い声だ。
危ない、とのえるが言い、ひな子を突き飛ばした。鳥は今までひな子がいた場所に向かって体当たりをし、くちばしから前のめりに倒れた。丸い体を雪にめり込ませ、くぐもった声でうなっている。
「ひなが失礼なこと言うから怒ったんだよ」
「えっ……ご、ごめんなさい」
おそるおそる近づき、覗き込んでみる。今にも雪から顔を上げ、くちばしを突き出して襲ってくるかと思ったが、鳥は動かない。
まるで、ただの丸い塊になってしまったようだ。
「もしもし、鳥さん。起きてますか」
ひな子は鳥の背中をそっと触った。驚くほど冷たく、固い。爪でつつくと、こつこつと音がする。
「これ、つくねだわ」
「えっ?」
「冷凍の鶏つくねよ。レンコンが入ってておいしいの」
ひな子は雪をかき分け、つくねを掘り出した。さっきまで生きて動いていただけあって、色つやがいい。そして、何といっても大きい。普通のつくね二十個分くらいはありそうだ。
「もも肉が良かったのになあ」
のえるが肩を落として言った。
「つくねだっていい味が出るわ。ねえ、食べてくでしょ」
土鍋に敷いた白菜としいたけの上に、ネギを散りばめ、もやしと葛切りをどっさり乗せる。鶏つくねはレンジで解凍し、包丁で一口大に切った。刃を入れるたびに肉がきしみ、鳴き声のように聞こえた。
「中身がぎっしり詰まってるのね」
「そうだといいけど。野菜でかさ増ししてあるのは嫌だからね」
鍋に水を注ぎ、白だしを入れて火にかけた。二人はもう一度外へ出て、雪かきをしながら煮えるのを待った。
のえるは雪かきが得意で、小さなスコップであっという間に玄関前を綺麗にしてしまった。ひな子は脇に寄せた雪を整えながら、ふと耳をすませた。誰かの歌う声が聞こえる。
「CDかしら。かわいい声」
「ひな、雪は固めちゃだめだよ。溶けなくなっちゃうからね」
のえるは雪をスコップで崩そうとしたが、既に固まってしまっていた。いい具合に固まり、木綿豆腐になっている。
「危ない危ない。壊しちゃうところだった」
二人は豆腐をすくい上げ、部屋へ持って帰った。鍋のふたを開けると、ほわっと湯気が上がる。ふつふつと泡が浮かぶ中に、豆腐を投げ入れた。
何かが聞こえてくる。弾ける泡から、熱い湯気から、立ち上ってくるのは歌声だ。ひな子は目を閉じた。
おおなべ こなべ
つくねは 空に
もやしは 星に
まとめて 飛んでいけ
ぷわぷわ 飛んでいけ
伴奏も聞こえた。軽やかなピアノはもやしと葛切りの連弾、透き通るようなバイオリンの音色は白菜、楽しげなパーカッションはしいたけ、鈴を鳴らしているのはつくねと豆腐。少女のような歌声は雪だ。具材に染み込んだ雪が、湯気になって歌っている。
冬が来るたびに鍋が恋しくなるのは、大好きな歌のフレーズを何度もなぞりたくなるのと同じだ。鍋はきっと歌のすみかなんだ、とひな子は思った。
こたつのそばには大きな窓があり、雪でいっぱいの庭が見える。二人は鍋を運び、向かい合って座った。
「あーあ。やっぱりもも肉が良かったなあ」
のえるはそう言いながら、つくねを次々と口に運んでいる。ひな子は笑い、葛切りをつるりと食べた。山盛りに見えるけれど、あっという間になくなってしまうのだろう。そしてまた、次が恋しくなるのだろう。
明日には消えているかもしれない雪を眺め、二人はゆっくりと、少しだけ競い合い、真っ白な豆腐に箸を伸ばした。