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モノ×カラ  作者: ナルハシ
一話
2/15

ホスト風イケメン爽やか仕立て

「だいぶ片付きましたね」

 空になったダンボール箱を畳みながら、黒絵は部屋を見渡しそう言った。

 壁に掛けたばかりの時計を見ると、時計の針は午後三時前を指していた。荷解きの作業は夕方まで掛かると虹は考えていたが、黒絵の手伝いのお陰で思っていたよりも早く終わりそうだった。残るは未開封の小さなダンボールが一つというところだ。


 204号室の壁に貼られたガムテープについての疑念はまだ晴れていない。しかし引越し業者によって冷蔵庫や洗濯機といった大型家電が運び込まれた時点でやっぱり部屋を替えてくれとは言い難くなってしまった。

 しかも黒絵には業者が引き払ってからの作業を手伝ってもらった上、昼食の面倒まで見てもらった。正午になり丁度胃が空腹を訴え始めた頃に、タイミングよくおにぎりを差し入れてくれたのだ。おにぎりの中の具材の種類も豊富で、特に自家製だという梅干は絶品だった。


 ここまで親切にされてしまっては益々言い出すことができず、半ば諦めの境地で今に至る。

 

「あ、ゴミ袋いっぱいになっちゃいました。もう一枚持ってきますね」

 満杯になったゴミ袋の口を縛ると、黒絵は自室から新しいゴミ袋を取りに一旦部屋を出て行った。春とはいえ動き回っていると肌が汗ばんでくる。虹は長袖を腕まくりして、ベランダの窓は開け放していた。玄関のドアが開くと、瞬間的に風が通り抜けて涼しさを感じる。

 虹は片付けの手を休めることなく、残ったダンボールを開封した。大きさの割に重量のある箱の中には本が詰まっていた。その一番上に、数枚の書類を挟んだクリアファイルが載せてある。虹はファイルから一枚書類を引き抜き、文面に目を滑らせた。

 それは大学の入学式についての案内だった。式場の地図や日時が記載されている。

「大学……」

 先程から気になっている『何か』を思い出しそうになり、もう一度頭から書類の文面を見直す。

「お待たせしましたー」

「あ」

 部屋の中を吹き抜けた強い風が、虹の手から書類を浚っていった。

「どうかしました?」

 ゴミ袋を手に戻ってきた黒絵が見たのは、虹が不自然に手を伸ばしたままベランダの方を見て固まっている姿だった。

「大学の書類が外に飛んで行きました」

「え!? 大変、私取ってきます!」

 書類が飛んでいったのは自分が玄関のドアを開けたせいだと気付いた黒絵は、慌てて駆け出した。


 ベランダに向かって。


「ちょ、管理人さん! ストップストップ!!」

 まさか二階のベランダから外に飛び出すつもりなのかと、虹は慌てて黒絵の腕を引いて止めた。

「え? あ……! すみません、つい慌ちゃって……」

 腕を引かれた黒絵は一瞬不思議そうな顔をしたが、自分自身の奇行に気付いて顔を赤くした。

 ベランダから外を覗き込むと、書類は駐車場の真ん中にぽつんと落ちていた。幸い遠くへは飛んで行かなかったようである。

「僕が取ってきますから、管理人さんは書類が飛んでいかないように上から見張っていてください」

 そう頼むと虹は靴の踵を踏んで履き、小走りで階下へと向かった。


(それにしても)


 そそっかしい所のある管理人だとは思っていたが『つい』でベランダから飛び降りようとするほどだとは思っていなかった。

 入居の手伝いの手際の良さを見て『実はしっかりした人だ』と評価を改めたばかりであったが『やっぱり相当にそそっかしい』と虹はさらに黒絵への評価を改め直した。


 ほどなくして虹はアパートの裏手の駐車場へと辿り着いた。駐車場とは言っても車は1台しか停まっておらず、ちょっとした空き地のようになっている。辺りを見渡してみるが、ベランダから見えた位置には書類は落ちていない。

「虹さん、建物側です! そっちの方に飛んで行きました」

 黒絵が二階のベランダから上半身を乗り出し、位置を指し示す。危ないから身を乗り出さないでくれと注意し掛けたが、視界の端で白い紙がかさかさと移動していくのが見えて、ひとまずそちらの確保を優先させた。

 建物の壁に引っ掛かって動きを止めた隙に、すかさず書類を拾い上げた。

「よし、捕まえ――……うっ」

 書類を掴んで身体を起こした虹は、その瞬間動きを止めた。

 書類を拾い上げた場所は、一階の部屋のベランダの目の前だった。そして丁度身体を起こしたその目線の高さには、女性物の下着がぶら下がっていたのだった。

 何をした訳でも何をしようとした訳でもないのだが、やましい気分に襲われて虹は慌てて目を逸らした――が、勢いよくカーテンの開く音に驚いて思わず視線を戻してしまった。

 そして、中の住人と目が合った。


「ん? どちらさん?」


 窓を開けベランダへと出てきた人物の姿を見て、虹は目を丸くした。てっきり女性の部屋だと思っていたが、下着の持ち主の恋人だろうか、中から出てきたのは男性だったのだ。

 しかし虹が驚いた理由はそれだけではない。理由はその男性の容姿にあった。

 上下揃いのグレーのスウェット生地のジャージ。肩に掛かる脱色した薄い色合いの金の髪はヘアゴムで適当に纏められている。いかにも寝起きといった具合のだらしのない格好であるが、それを差し引いても――否『それを含めても』と言うべきなのかもしれない。


(イケメンだ……)


 歳は二十代前半だと思われるが、彼がもし俳優であればイケメンが集う学園モノのテレビドラマに生徒役として出演していたとしても遜色はないだろう。

「誰?」

 イケメンは自室のベランダの前で立ち尽くす見知らぬ青年に胡散臭げな視線を送った。不審者を見る目付きである。ここで変に身分を誤魔化したり逃げ出したりしてしまえば立派な不審者の出来上がりであるが、その気はまったくない虹は素直に身分を明かした。

「ええと、堺と言います。今日、このアパートに引っ越してきたばかりで……」

「ああ、はいはい! 黒絵ちゃんが言ってたね、新しい人が来るって」

 自己紹介の途中であったが、思い当たる所があったのかイケメンの表情が一気に軟化した。

「どーも、オレは遠野光里(とおのみつさと)って言います。見ての通り、ここの部屋(102号室)の住人。……悪いね、こんな所での挨拶になっちゃって」

 ベランダ越しに挨拶の言葉を返すと、光里は人懐っこい笑顔を向けた。初対面の人間相手としては少し砕けた口調であったが、軽いと言うよりは爽やかだという印象を受けた。


「虹さーん、書類ありましたー?」


 斜め上方から声が降ってきた。建物に近付き過ぎて視界から消えた虹の姿を見ようと、黒絵はまたもベランダから上半身を乗り出していた。危険なのでやめて欲しいと今度こそ注意しようとしたが、虹よりも光里の方が口を開くのが早かった。

「おはよー」

「あ、おはようございます光里さん」

 陽が高いどころかあと二・三時間もすれば陽が沈み始めるという時間帯であったが、二人は当たり前のように本来朝にするべき挨拶の言葉を交わした。光里はベランダの柵に頬杖をつくようにして上階の黒絵の姿を見上げている。

「引越しの手伝い中? 言ってくれればオレも力仕事くらい手伝ったのに」

「大きな荷物は業者さんが運んでくれましたから。それにもうすぐ終わりますし。ね、虹さん」

 虹に会話のパスが渡り、光里の視線もそちらに向いた。

「あ、はい。大丈夫です」

「そう? ……ま、困ったことがあったら遠慮なく声掛けてよ。車持ってるからさ、買い物とか必要なら付き合うよ」

 美形、爽やか、親切と三拍子が揃った。もし虹の性別が女であったなら、ラブストーリーが突然に始まっていたかもしれない。

 今のところ車が必要になるような用事は思い付かなかったがとりあえず礼を言って、虹は自室に戻るべく外付けの階段へと向かった。黒絵と光里の二人はそのまま世間話を始めたようだ。

「光里さん、今日もお仕事ですか?」

「まーねー。今日はちょっと早めに出勤しないといけなくて」

 そんな会話を虹は背中で聴いた。この時間に起き出して夕方から夜に掛けて出勤となると、水商売でもしているのだろうか。

(もしかして、ホスト?)

 イケメン振りを最大源に生かせる職業としては最適である。さぞかし異性にモテるのだろうな、と会話している間もちらちらと視界の端に映っていた下着について虹は思った。


 赤い色は、目に痛い。



「ところで、あのことはもう話したの?」

 角を曲がり虹の姿が見えなくなったのを見計らってから、光里は少しだけ声のボリュームを落として尋ねた。

「ええと…まだです。機会は何度かあったんですけど、言い出せなくて。やっぱりこのことを伝えるのって、何度やっても緊張してしまいます。嫌われたらどうしよう、って……」

「嫌なら無理に伝える必要はないって思うけどね、オレは」

「いえ、それはダメです! 一緒に暮らしてくれる家族に隠し事はしたくありません!」

「そう……ま、黒絵ちゃんがそう言うなら止めないけど。それじゃ、頑張ってね」

 それだけ伝えると、光里は手を振って自室へと戻って行った。

「はい、頑張ります!」

「何をですか?」

「ひぁい!?」

 決意表明に対して背後から声を掛けられ、黒絵はオーバーなリアクションを取った。光里との会話に気を取られている間に、虹が書類を手に部屋に戻って来ていた。

 虹は首を傾げつつ、黙々と残った荷物の片付けを再開させる。黒絵は何か言いたげにしばらくベランダでもじもじとしていたが、やがて心を決めたように口を開いた。

「あ、あの、虹さん! その荷物が片付いたら私の部屋でお茶にしませんか? その、虹さんがこのアパートで暮らすに当たって、話しておきたいことがあるんです」

「はい、分かりました」

 集合住宅においては守るべきルールがあり、管理人から話しておきたい事の一つや二つはあるだろうと虹は頷いた。

 あっさりと了承を得られて、黒絵はほっと胸を撫で下ろす。残った荷物の片付けを手伝うべく、ベランダから部屋の中に戻ろうとして――黒絵は窓の枠に足をぶつけた。

「あっ!」

 ガンッとかなり痛そうな音がした。黒いストッキングを穿いた足の、くるぶし辺りを押さえて黒絵はうずくまる。

「大丈夫ですか?」

「だ、大丈夫! 大丈夫、大丈夫ですから気にしないでください!」

 あまりの痛みに立ち上がることができないのかと、虹は手を貸すべく腰を浮かせたが、黒絵は手助けを断った。妙に慌てた様子だ。

「あ、あの! 残りの片付けはお願いしていいですか? 私、先にお茶の用意していますので!」

「はぁ。まぁ、あとは僕一人でも大丈夫です」

 お願いするも何も、手伝ってもらっていたのは虹の方なので断る理由はない。

「そ、それじゃあ、片付けが終わったら管理人室に来てください。失礼します!」

 そう言って黒絵は、くるぶしを押さえたままの妙な姿勢でひょこひょこと歩き、部屋から出て行った。


「?」


 奇行の目立つ管理人ではあるが、今の慌てようは異様に思えた。もしかして「大丈夫」と言いながらも怪我の具合が酷かったのではないかと心配になり、虹はできるだけ手早く片付けを終わらせて様子を見に行こうと決めた。

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