風間家の事情
「あら、賑やかだと思ったら……おかえりー、彦ちゃん」
ビニール袋を片手にコンビニから帰って来た光里は、アパートの二階通路に数日振りに見る住人の姿を見つけて声を掛けた。
「ただいまー、光里くん久しぶりだねー」
「呑気に挨拶してないでくださいよ風間さん。遠野さんもこの状況を『賑やか』で片付けないでください」
状況は二度目のふりだしに戻っていた。つまりしずくは彦一に銃口を向け、彦一は虹の陰に隠れ、虹は肉の壁という状況である。
「しずくちゃん、そのくらいにしておきなさいな。そろそろ黒絵ちゃんも帰ってくる頃だろうから、見られたら叱られちゃうわよ?」
これだけの大騒ぎをしているにも関わらず一向に姿を見せないと思えば、黒絵は外出中であったようだ。犯罪すれすれ――むしろ完全にアウト――なしずくの行動を放置しているのかと虹は思ったが、さすがに現場を押さえた場合は黒絵もそれなりの対応をするらしい。
「光里さんがそう言うなら……」
渋々という具合ではあるが、黒絵の名前を出されてようやくしずくは銃を収めた。管理人パワー絶大である。
「あ、そうだわ。彦ちゃんが帰って来て久しぶりに皆揃ったんだから、ちょっと遅くなっちゃったけど虹ちゃんの歓迎会やらない? オレ今日は仕事休みだし」
彦ちゃんの出張お疲れ様会も兼ねて、と光里が提案した。
「いいね~。賛成」
賛同する彦一の言葉に、しずくもこくりと頷いた。先程まで生死を賭けた物騒なやり取りをしていたというのに、仲が良いのか悪いのかよく分らない関係である。
「そうと決まれば黒絵ちゃんに相談して――――」
「ただいま~」
「あら、丁度よく帰って来たわね」
噂をしていると、両手に買い物袋を提げた黒絵が戻ってきた。
「みなさんこんな所で何してるんですか?」
住人の半数以上が集まって世間話をしている光景に、黒絵は少し不思議そうな顔をする。
「気にしないで、いつものことよ」
「ああ~……二人とも、ほどほどにしてくださいね」
二階の通路にいるしずくと彦一の姿を見とめ、黒絵は状況を理解した。薄々感付いてはいたが、先程までの異常な事態はモノクロ荘の住人にとっては日常茶飯事的な出来事であるようだ。
「今、虹ちゃんの歓迎会をしないかって話していたんだけど、どうかしら黒絵ちゃん?」
「そうなんですか? 実は私もそれを考えていて、いっぱいお買い物してきたんです。彦一さんも今日帰って来るって聞いていましたから」
妙に大荷物で帰って来たと思いきや、歓迎会のために料理の材料を買い込んできたところだったらしい。
「さっすが黒絵ちゃん、用意がいいわー。それじゃ、今日はパパさん達にも声掛けて皆で晩ごはん食べましょうか」
そのような理由で光里の取り仕切りにより、虹の歓迎会兼、彦一の出張お疲れ様会が行われることになった。
*
「それでどうして僕の部屋なのでしょうか?」
「まぁいいじゃないか」
陽も暮れ始めた頃、主賓の二人は夕食の用意が整うまで会場となる204号室で待機していた。
黒絵と光里の二人は調理器具の充実している一階の管理人室で準備を進めている。料理を運び込む手間を考えれば管理人室を会場にすればいいようなものだが、引っ越したばかりでまだ荷物が少ないという理由で虹の部屋が会場として使われることになった。ワンルームに大人数が集まるのだから、確かに少しでも部屋が片付いている方が都合はいい。
「そういえばさっきは訊きそびれてしまいましたけど、しずくちゃんとのアレは一体何だったんですか?」
モノクロ荘の住人には日常の出来事として片付けられてしまったが、入居して間もない虹には事情の説明が必要だった。
「いや~、実はちょっと命を狙われていてね~」
狙われている本人はさらりと言ったが『ちょっと』で済むような内容だとは思えない。
「確かに『殺す』とか言ってましたけど……しずくちゃんは一体何者なんですか?」
前々から変わった女の子だという認識は持っていたが、拳銃を持ち出し他人の命を狙うような女子高生を『変わった』の一言で済ませるのはさすがにもう無理があった。
「しずくちゃんは暗殺者だよ」
これもまたさらりと非現実的な職業名が飛び出した。しかしそれならば彼女が彦一の命を狙うのも納得である。納得してよいものかどうかはさておいて、理由だけは納得だ。虹は無理矢理自分を納得させた。
「ですが、暗殺者に命を狙われるなんて只事じゃないですよね……?」
狙われるだけの理由が彦一にはあるということだ。まだ知り合ったばかりで彦一の人となりは把握し切れていない。現時点で分っている情報から狙われる理由を推測し、虹は閃いた。
「痴漢ですか? 覗きですか?」
「え、そのどっちかじゃなくちゃダメなの? 今日会ったばかりでその印象酷くない?」
現時点での情報ではただの助平なサラリーマンだという印象しか得られなかったが、命を狙われる理由としては否定された。
「いやいやそうじゃなくてね。俺が稼業を継がなかったものだから、身内が怒って刺客を差し向けてきたんだよ」
「身内が……って、風間さんのご家族は何をされているんですか?」
そう尋ねると、彦一は身を屈め内緒話をするように声を潜めた。
「実はウチって…………忍者の家系なんだ」
「はぁ」
「あれっ、反応薄くない!?」
彦一としては重大発表のつもりであったが、虹の反応は淡白なものであった。
「いえ、暗殺者がどうこう言われた後で忍者とか言われましても……そもそもこのアパートには幽霊や性別がよく分らない人なんて変わった人がいる訳ですし、今更何が来ても驚けないというか……」
「俺のインパクトって光里くん以下なの?」
光里のような人種は行く所に行けば大勢いるものだが、光里の存在の衝撃の大きさは虹の中で上位に位置するらしい。
「ま、忍者の家系って言っても余所の暗殺組織に仕事頼むくらいだから、もうだいぶ廃れてるんだけどね。今時流行らないし、稼業だなんだって拘ってるのはジジババの世代くらいだよ」
とはいえ彦一は所謂抜け忍、つまり裏切り者として扱われ存在を抹消されようとしているのだ。
「俺結構期待されてたからね、その分嫌がらせが酷いんだよ」
暗殺依頼を嫌がらせで済ませてしまう辺り、風間家の感覚は一般人である虹には理解できない。しかし期待されていたというのはただの軽口だという訳でもないのかもしれない。思い返せばしずくが不意打ちで放った銃弾に彦一は見事に反応し身を守っていた。身体能力は人並み以上に高いのだろう。
「過激なご家族ですね」
「実を言うと暗殺の依頼自体はもうすでに取り下げられてるんだけどね。依頼をしたジジババ共は、俺が一人残らず――……」
口の端が微かに吊り上がるのを見て、虹は無意識に唾を飲み込んだ。
「老人ホーム送りにしてやった」
「意外と家族想いなんですね」
感想を洩らしてから、おや、と虹は首を傾げる。一旦聞き流してしまったが、今しがた暗殺の依頼はすでに取り下げられていると言っていた。
「家庭内での問題が解決しているのなら、なぜ今もしずくちゃんに狙われているのですか?」
「それが、組織の沽券に関わるとかなんとかで。一度受けた依頼を遂行せずに終わることはできないって勝手に依頼を続行しているみたいなんだよね」
聞けば彦一はモノクロ荘にやって来る以前からしずくに付け狙われており、彦一が引越しをするとそれを追う形でしずくもこのアパートへと越して来たという。
「大変ですね」
「そうなんだよね。けど、可愛い女の子が一生懸命自分を追い掛けてくれているんだって考えると……ちょっと興奮するよね」
小さく拳を握る彦一。
「大変だとは思いますけど、なぜでしょう……話を聞けば聞くほど同情しようという気が薄れていきます」
「ソイツの言うことマジメに聞かねーほうがいいぞ、ロクなこと言わねーんだから」
それまで胡坐をかいて退屈そうにしていた女の子が、呆れたように口を挟んだ。
「ひどいなひどりくん、俺は真面目な話をしているつもりなんだけど」
「だからタチが悪いんだろーが」
「そういえば、今日はあすかちゃんじゃなくてひどりくんなんですね」
この女の子は105号室在住の百瀬家の一人娘、あすか――のもう一つの人格であるひどりだ。あすかと同一人物であるため肉体は女の子だが、ひどり本人は男であると主張している。
父親の等は男手一つで娘を養うため、仕事を掛け持ちして昼も夜も働いている。本日も仕事のため、娘を虹達に預けて欠席である。
「父親がいないのにあすかを一人でこんな所に置いておけるか」
「なるほど」
「納得するの? そしてなんで二人して俺を見るの?」
小さな女の子を脳内ピンク色の人間の傍に置いておくのは不安だな、と虹も納得した。
「すみませーん、虹さーん! 開けてくださーい」
「ちょっと両手が塞がってるのよー」
ドアの向こうから黒絵と光里の声が聴こえた。どうやら夕食の用意が整ったようだ。




