セーラー服とオートマチック
二度目の発砲音がすると同時に、虹は襟首を掴まれコンクリートの通路に引き倒された。彦一は自らも姿勢を低く保ち、スーツケースを引き寄せて盾にした。
「な、何事なんですか?!」
虹は起き上がろうとしたが、ちゅいん、という音と共にスーツケースの角が削られ、慌てて頭を下げた。
「いや~、巻き込んですまないね虹くん」
女子高生に突然発砲されるという異常事態にも関わらず、彦一は大して動揺した様子もなくのんびりと謝った。盾に隠れたまま、拳銃を握ったしずくに呼び掛ける。
「しずくちゃんしずくちゃーん、虹ちゃんまで巻き込むのは良くないと思うんだけどー?」
「当然、一般人は巻き込めない。だから、虹さんは解放してもらわないと困る」
「うん、だよね。だからそっちが退いてくれないことには解放はできないなー」
先程は庇ってくれたのかと思ったが、どうやら人質として確保するための行動だったらしい。気が付けば上着の裾を踏まれて逃亡を阻止されていた。
「どうかと思う……」
虹を巻き込むことの出来ないしずくは引き金から指を離して呟いた。
拳銃を突きつける行為もどうかと思うが、しずくの意見には同意である。二人の間にある事情は解らないが、もはやしずくと彦一はたしてどちらが悪人なのか解らない。あえてどちらかと言うのであれば、どちらもだが。
スーツケースと人質、二重の盾があるとはいえ状況的には丸腰の彦一の圧倒的不利である。早速、すたすたと近付いてきたしずくに車輪を転がされ、一枚目の盾を撤去されてしまった。
「離れて」
しかし彦一は言葉を聞き入れず、虹をしずくの前に突き出してその後ろに身を隠した。
「ちょっと風間さん?!」
「虹くん、隣人同士助け合っていくべきだとは思わないかい?」
「思いますけどこの状況では『はい』とは言えません!」
「虹さん、邪魔。どいて」
「退きたいけど後ろの人がそうさせてくれないんです! というか銃下ろして!」
盾が一枚となった今、彦一が簡単に虹を手放すはずもない。
この上なく緊急で異常な事態だが、虹はしずくの姿を見て更に大変な自体に気付いてしまった。
虹と彦一の二人は姿勢を低くしている。よって当然ながら、すぐ目の前に立ちはだかるしずくの姿を下から見上げる形になっている。
そして二人を見下ろすしずくは学校の制服姿である。そのスカートの丈は、若い娘らしく膝上の短い丈であり――――
「ちょ、しずくちゃん! あんまり近付いたら見え……っ!」
「!」
虹の言葉に反応して、しずくはスカートを手で押さえ一歩下がった。
スカートを押さえたまま無言のしずく。睨むような眼をしているが、普段から上目遣い気味なので怒っているのか恥ずかしがっているだけなのか判断しづらい。
しばらく微動だにしなかったが、しずくは言葉を発することのないまま身を翻し、自室である203号室のドアの向こうへと姿を消した。
「虹くん、君ってヤツは……」
助かったのだろうかと考えながら呆然とドアを見つめていると、背後から呆れたような声が掛かった。
「あ、いや、これはその……っ」
銃を突き付けられた状況でスカートの丈を気にするなど、確かに呆れられても仕方がないような気もした。しかし気付いてしまった以上、見えそうなものを黙っているというのも紳士的ではない。ちなみにあくまで『見えそう』であって見えてはいない。かろうじて。ギリギリで。
「虹くん、君は状況を解っていなかったのか」
「ま、まぁ、お陰で助かったのですから……」
良しと判断してもらいたいところだが、彦一は残念そうに首を横に振った。
「黙っていれば気付かれなかったのに!」
この男、やはりどうかと思う。
そんな馬鹿らしいやり取りをしていると、203号室のドアが勢いよく開かれた。
再び姿を現したしずくは二人の前に立ちはだかり、あろうことか自らスカートを捲り上げた。
「な……ッ!?」
しずくの突然の行動に虹は裏返った声を上げたが、目の前に虹が心配するような光景はなかった。
「これで大丈夫」
捲り上げられたスカートの下には黒いスパッツが着用されていた。
「あ、それなら……」
ほっと息を吐く虹。これならばいくら暴れようと中身が見えることはないので、虹が気を遣う必要も、しずくが恥ずかしい思いをする心配もない。彦一に邪な目で見られることもないだろう、と彼の様子を伺った。
「これはこれでアリ!」
興奮した様子でガッツポーズをしていた。この男、スパッツ萌えの属性をお持ちのようだ。明らかに軽蔑の視線を送る虹としずくだが、彦一に堪えた様子はない。
「ともかく、再開」
そう言ってしずくは銃口を彦一に向けた。
虹は「しずくちゃん逃げて」という心境になっていたが、逃げるべきはこちらの側の話だった。しずくが部屋に戻っているうちに速やかに身を隠すべきだったのだが、もたもたとしているうちに状況が逆戻りしていた。気が付けばまたしても盾にされてしまっている。
「どうするんですかこの状況……」
「まぁ落ち着け、虹くん」
先程と比べれば状況に慣れてきた所為か随分と落ち着いている。しかし思えば彦一は初めから動じている様子がなかった。慣れている、あるいは打開策を持ち合わせているということだろうか。
「部屋の中で暴れることは黒絵ちゃんに禁止されているから、部屋の中に逃げ込めばしずくちゃんはそこまで追って来ないよ」
黒絵ちゃんというのはこのアパートの管理人である白石黒絵のことだ。しずくは妙な部分が律儀で、決められたルールにはきちんと従う節がある――法律は無視しているが。どうせ禁止にするならば部屋の中以外でも暴れるのを禁止にしてもらいたかったところだが、そのルールが現状を打開する策になるのは間違いなさそうだ。
「俺以外の一般人に手を出すようなことはまずないから、ひとまず俺が自分の部屋に逃げ込めばこの場は万事解決」
「でも、どうやってそこまで行くんですか?」
彦一の部屋は階段から向かって一番奥に当たる205号室。つまりそこに逃げ込むには通路を塞ぐしずくの傍を通り抜けなければならないのだ。
「それについても策がある」
「嫌な予感しかしません」
しずくは一般人には手を出さない。この場ではそれに当たるのは虹しかいない訳である。
訝しげな視線を送る虹に、彦一は笑いかけた。すごくいい笑顔。
「秘技、人身御供・肉の壁!」
「やっぱりですか!!」
勢いよく背中を押され、虹は足をもつれさせた。バランスを崩し倒れるその方向には、しずくの姿。
彦一は虹を押し出すと同時に駆け出した。衝突寸前の二人の傍を、低い姿勢ですり抜ける。指の間にはいつの間に取り出していたのか、自室の鍵が挟み込まれている。
狭い通路では左右に避けることはできず、回避の判断が遅れたしずくの身体は小さな悲鳴と共に倒れこむ虹に押し潰された。
「ご、ごめん!!」
コンクリートに手を突いて、慌てて上半身をしずくの身体から離す虹。下敷きにしてしまったしずくと目が合う。逃げるための時間稼ぎに使われるという不可抗力とはいえ、悪いことをしてしまったと少し気まずくなる。
「だ、大丈夫?」
「…………」
「怪我してない?」
「…………」
「お願いだから、何か言ってください……」
頭を打ったということはなさそうだが、無言でじとりと見つめてくる。相変わらず怒っているのか恥ずかしがっているのか判断しづらいが、とりあえずとても気まずい。
(というか、この姿勢って……)
この状況だけを切り取ればまるで虹がしずくを押し倒しているような構図である。
(誰かに見られて誤解される前に、早く退こう……)
そう思って身を起こそうとした虹だが、すでに遅かった。
「うわ何その状態! ラッキースケベ!? なんて羨ましい!」
「そういうのじゃありませんから! というかなんでまだいるんですか逃げるんならさっさと逃げてくださいよ!」
彦一に見られていた。




