2話
次回からは時間をかけていこうかと思います
「父上」
夕食が終わった後、俺は父の書斎に来ていた。
「何だエフィム。ここの本も全部読んでしまっただろう?」
「いえ、領地での噂についての件です」
俺はズバリと本題から入った。
俺の言葉を聴いて父が顔をしかめる。
「長老集から何か吹き込まれでもしたのか?」
長老集というのは領地での決まりごとなどを決める際に集まる人々のことをさす。
トォバ領が属するサイヤーン神聖王国は合議制の国家だ。勿論それは地方の領事持ち貴族にも当てはまり、どの領地にもこういった存在が居る。
「いえ、ラディンから聞きました」
俺は嘘が嫌いだ。だから何事も正直に話すようにしている。
「ウルバー商会の小倅か……何もお前が心配するようなことではないぞ」
そういう父の鼻はヒクヒクと動いていた。カルマート母さんから聞いたが、あれは嘘をついているときの証拠なのだそうだ。
なんとも分かりやすい。
「父上、鼻が動いておりますよ」
俺の指摘に父は渋面を作った。全くカルマートめと何やらぶつくさ言っている。
「俺がディンゴ兄さんに代わって領地を継ぐだなんて馬鹿げています。長老集と図ってディンゴ兄さんの足場を固めてやってください」
俺はそういって頭を下げた。
暫くして、父の大きなため息が聞こえた。
「エフィム、他でもない長老集からその噂は出ておるのだ。長子相続がしきたりとはいえ、他に優秀な者がいればその限りではない。噂を押しとどめることは出来んのだ」
衝撃的な事実だった。長老集から噂が出ていると言うことは領地の総意として俺が領地を継ぐべきだと言われているような物だ。
「ディンゴに領主としての才がないわけではない。あれはあれでよくやっている。ただなエフィム、月の光と太陽とでは誰もが太陽の方をまばゆく感じるものなのだ」
この場合、月はディンゴ兄さんで太陽は俺なのだろう。
どうすべきか、長老集を納得させるだけのカードが俺にはなかった。
「父上、父上はどうなのですか」
俺は父の真意を探ろうとした。長老集の言いなりになるのか、それともディンゴ兄さんの後援に回ってくれるのか。
「私としてはディンゴに領主となってもらいたい。奴には領主としての才がある。こういうのは気が引けるが、エフィム、お前には領主などよりよっぽど大きなことをなす才がある。才は才のあるべき場所へ。エフィム、これを」
父が大きな机から数枚の冊子を取り出した。
「これは――」
そこに描かれていたのは、王立の騎士教育学校、冒険者養成所、王立アカデミーへの入学願書だった。
「どれでもいい、自分の才がどこにあるのかを考えた上で決めなさい」
気が付けば目の前に父が立っていた。
同じキングオークでもまだ父のほうが頭一つ分大きい。
その瞳には哀愁の色が漂っていた。
「こうする事でしかお前たち兄弟を守れぬ不甲斐ない父を許してくれ」
父の偽らざる本心だろう。なぜか直感的にそう感じた。
「いえ、父上のご配慮に感謝します」
俺は渡された願書三枚を持つと父の書斎を後にした。
次に向かったのはディンゴ兄さんの部屋だ。
本の虫と言われるぐらいだからディンゴ兄さんの部屋は本だらけだ。
うず高く積まれた本の塔を踏破して兄さんを見つける。
何か作業をしているらしくこちらには気付いていない。
「兄さん、ディンゴ兄さん」
俺が声をかけてやっと顔を上げる。
「おお、エフィムじゃないか。どうしたんだこんな時間に」
ディンゴ兄さんは作業を中断して微笑みかけてくる。
「兄さん、領地内の噂についてなんだけど」
俺が話題を切り出すと兄さんの笑顔が曇る。
「もうお前のところまで聞こえるぐらい大きくなってしまったか」
ディンゴ兄さんは力なく笑った。
「すまないな、俺にもっと才覚があればこんな煩わしい問題につき合わさせなくたって良かったのに」
「そんなことないよ!」
知らず声が大きくなってしまった。ディンゴ兄さんも驚き顔だ。
「俺が出した荒唐無稽な案件を真っ当な案件にしてくれたのは兄さんじゃないか。才覚だって王立アカデミーを次席で卒業したんだ、無いなんて悲しいこと言わないでよ」
そう、ディンゴ兄さんは兄弟の中で唯一王都を知っている。次期領主たるもの学が無ければいけないとの父の発案の下王立アカデミーに入学したのだ。
そこを次席で卒業しているのだから才覚が無いわけがない。そこらのオークよりずっと才能に溢れている人なのだ。
「エフィム、お前……嬉しいことを言ってくれるな。兄としてこんなに誇らしいことは無いぞ」
ディンゴ兄さんはそういって俺の頭を撫でてくれた。キングオークとオークとでは体格に差がある。もう俺の身長はディンゴ兄さんを追い越してしまっていたが、それでも俺の頭を撫でている掌は俺のものよりずいぶんと大きく感じた。
「それでエフィム、それだけで尋ねてきたんじゃないだろう?」
ディンゴ兄さんの視線は俺が持っている三枚の願書に向けられていた。
「うん、実は――」
俺は父とのやり取りをかいつまんで説明した。
ディンゴ兄さんはそれを黙って聞いていた。説明が終わると、またいつもの朗らかな笑みを湛えていた。
「父上も何も考えていないわけじゃなかったわけだ。それでエフィム、エフィムはどうしたい?」
「それなんだけど、唯一王都を体験してる兄さんの意見が聞きたくて……」
「お安い御用だよ」
その日の深夜まで俺はディンゴ兄さんと話を続けることとなった。
あけて翌日。朝食中の出来事だ。
俺は父に一枚の願書を提出した。
「冒険者養成所? 本当にここでいいのか?」
「うん、昨日ディンゴ兄さんと話し合って決めたんだ。冒険者養成所がいい」
才を生かすにはどの場所がいいか。ディンゴ兄さんと一晩話し合って決めた結果、それは校風が自由な冒険者養成所が良いと決まった。
俺も男だ、冒険者と聞かされて心が沸き立つのを抑えられなかった。
めくるめく冒険の主役に自分がなれるのだ。死んだ後にでも前世の爺ちゃんに聞かせてやれば大喜びな物語が待っているに違いない。
いや、あの謹厳な爺ちゃんのことだ、逆に怒られるかも知れない。
同じ食堂に居るホールー姉さんヤバン兄さんなどは呆けた顔つきをしている。
逆にカルマート母さんやラダム母さんはすまし顔だ。
父はどうやら母さん達には相談していたらしい。
「ちょっとちょっと、何よその話。聞いてないわよそんなの」
会話に混ざってきたのはホールー姉さんだ。
ヤバン兄さんは寡黙な人なので朝食をとるのを再開している。
「ホールー姉さん、今巷で噂になっていることは知ってるでしょ? それの解決策だよ」
「だからって領地を出て行くの? まだ成人もしていない貴方が?」
成人は十五歳をさす。確かに体格だけを見れば成人しているようなものだが、精神はどうだろうか。前世と併せれば当に三十は超えている。俺的には何の問題も無い。
「言わせたい奴には言わせておけばいいのよ! あんなくだらない噂話なんて」
「ホールーよ。冒険者養成学校には初等部もある。何も心配することは無い」
窘めているのは父だ。思えばホールー姉さんは人一倍家族思いな所がある。それが今顔を出してしまって居るのだろう。
「父上、それでどうでしょうか、お認めいただけますか?」
俺の問いに父は重々しく頷いた。
ここからは早かった。その日のうちに荷物をまとめ、幾許かの路銀と馬車を借り入れ俺は王都へと旅立った。
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