18話
結局、迷宮の異変は大海嘯の前兆だった。
最階層に潜った腕っこきの冒険者が迷宮の主を倒してことなきを得たが、後一歩遅ければ王国に甚大な被害をもたらしていたかもしれない。
そういう意味では、決して無意味な討伐ではなかったのだろう。
俺はそう考えながら煙草に火をつけた。
マッチの香りの次に舌を焼くピリリとした感覚が俺を襲う。
しかし、当に慣れたものだ。今では心地よさすら感じる。
すっかり煙草中毒になっている俺だった。
この煙草一本吸っている間だけ、俺は俺でいられる。
そんな感情を抱かせてくれる大事なひと時だ。
「あ、エフィム君だ! おはよー」
そんなエフィムの前に現れたのはエリクだった。
時刻は六時三十分。随分と早い朝食だった。
「どうしたエリク。今日はやけに早いな」
エフィムは素直に疑問をぶつけることにした。
「えへん! 偶には早起きすることもあるんだよ!」
胸を張ってそういうエリク。
エフィムは何と返していいか分からず、とりあえず紫煙を胸いっぱいに吸い込むことにした。
「また、随分と美味しそうに煙草を吸うね」
そんな二人の下に、聞き慣れた声が聞こえてきた。
「カバンさん」
「やあ二人とも、いい朝だね」
カバンは手にトレイを持ちながら近づいてきた。どうやらこれから朝食らしい。
「料理の準備はもういいんんですか?」
エフィムの問いにカバンは莞爾と笑った。
「ああ、今日はもう上がりなんだ。偶には休日もないとね」
席良いかいと尋ねてくるカバンに、エフィムはどうぞと言って席を勧めた。
「ふー、しかし、君達も大変だったみたいだね」
カバンは朝食を食べながら言った。
大変だったと言うのは昨日の討伐のことだろう。
「ええ、魔物やモンスターが凄い数でしたよ」
「うんうん、僕の魔法が無ければ危なかったかもねえ」
さも褒めて欲しそうにエリクが言う。
エフィムはしょうがない奴だと思いつつ、エリクの頭を撫でることにした。
「ああ、エリクの魔法が無ければ危なかったなあ。特にジャイアントアントとの戦いではな」
エフィムは昨日の戦いを思い出していた。
外皮が鉄のように硬いジャイアントアントとの戦いである。
あの戦いはグライフが参戦できない分、エリクの魔法に頼ることが大きかった。
そういう意味では、殊勲者といっていいだろう。
「もう、子ども扱いしないでよ~」
頭を撫でられるのはいやなのか、エリクは若干頬を染めながらエフィムの手から逃れた。
恥ずかしがりやさんめ。
エフィムはそんなエリクをニヤニヤしながら眺めていた。
「ハハハハハ、仲がいいね」
カバンはそんな二人を眺めながら笑った。
朝食の時間はそうして過ぎていった。
さて、時間は過ぎ去り講義の時間である。
この日も緊急招集による講義開始だった。
「何だろうね、また緊急招集での講義なんて」
疑問を口にしたのはエリクだ。
それにグライフが答える。
「さあな、やっぱり人死にが出ましたとかそんなんじゃねえか?」
何時もどおりドライな口調だった。
「グライフはいつもそれだね。偶には明るいことでも考えようよ」
苦笑いで応じるのはラインだ。
このパーティを組んで早三年が経とうとしている。
こんなやり取りも日常と化していた。
「まあ、嬉しくない案件なのは確かじゃないか?」
エフィムが自分の意見を言う。
今回で二回目だが、緊急招集での講義呼び出しはろくなものではない気がする。
まさか大海嘯についてなにかあったのだろうか?
それとも、グライフがいうように人死にが出たのか?
エフィムの内心はちぢに乱れていたが、そんなものお構いなしにリリーはやってくる。
「おらーガキども、席に付け~」
やる気が感じられない声でリリーが教室に入ってくる。
エフィムの周りにいた三人も席に着く。
「あ~、今日は普通の講義だ。思えばモンスターと魔物の区別をやっていなかったからなあ」
ガクリと教室中の生徒が肩透かしを食らったようになった。
エフィムもその一人だ。
なんだよ、普通の講義かよ!
内心の突込みをよそに講義は進んでいく。
「あ~、迷宮内には二種類の敵がいる。昨日散々相手にしただろうが、魔物とモンスターだ」
リリーはチョークを持って教壇に立つ。
「魔物は魔素で構成されている云々は以前話したな? 覚えてるか?」
三年も前のことを急に言われても困る。
そんな反応が教室を埋め尽くしたがリリーはお構いなしだ。
「まあ、覚えていなくとも構わないが――とにかく魔物ってんのはそんな存在だ。じゃあモンスターはっていう疑問は当然湧いてくるよなぁ?」
リリーは振り返りながらいった。
どうにも教室の雰囲気が気になるらしい。
意地の悪い教官だ。
「結論から言おう。モンスターは魔素の影響は受けているだろうが、魔素によって構成されているわけではない。魔物とは全くの別存在だ。だからここだけの話、討伐系クエストの討伐対象はモンスターが圧倒的に多い。当然だ。何せこいつ等は迷宮がどうのと言うくびきに左右されない。即ち、魔物よりもずっと広範囲に出現する」
リリーはチョークを置いて振り返った。
「モンスターは厄介な存在だ。魔物のように迷宮内や迷宮の傍にだけ出現するわけじゃねえ。早い話がこいつ等は今ここに現れても不思議じゃねえ存在だ。昨日は蟻退治に四苦八苦しただろう? これから先冒険者をやっていくなら覚悟するこったな。そんなのが日常になるってよ」
まあただ、とリリーは前置きをした。
「蟻の外皮何かもそうだが、モンスターはその存在自体がドロップ品みたいなもんだ。採取系クエストなんかじゃお世話になることも多いから、ちゃんと弱点は把握しておくよーに」
丁度ここで鐘が鳴った。講義終了だ。
「よし、それじゃあ講義はここまで! 午後からは自主鍛錬なりクエスト受けるなり好きにしていいぞ」
解散、と言う言葉と共にリリーは教室を出て行った。
とことことエリクたちがエフィムの机の周りにやってくる。
「久しぶりの講義だったね」
「久しぶりすぎて覚えてねーよ」
「約三年ぶりだからね。無理も無いよ」
皆が皆好き勝手に喋る。
毎度のことである。
「どれ、昼食でも食べに行くか」
エフィムの言葉に三人は了解と唱和した。
「午後からはどうしようか?」
昼食時に口を開いたのはエリクだ。
「俺は自主鍛錬かな、一から鍛えなおさないと」
応じたのはラインだった。
そういえば昨日の討伐時にそんなことを言っていたな。
「なら俺が手伝うか」
エフィムはとんかつ弁当を食べながらいった。
ラインの自主鍛錬についていける生徒などそうはいないからな。
「それじゃあ俺も自主鍛錬にすっかな」
そんなことをいうのはグライフだ。
前衛三人が自主鍛錬と決まったところでエリクが不満そうに声を上げた。
「え~、だれか一緒にクエスト受けようよ~」
ぶーぶーとぶーたれているエリクを見てグライフはしょーがねーなーと立ち上がった。
「俺が一緒に受けてやるよ」
「ほんと!? やった!」
「まあなあ、奇数だと練習効率も悪いしな」
悪いなと、俺はグライフに軽く頭を下げた。
「それじゃエフィム、悪いけど付き合ってよ」
「おお、いいぞ」
時は移り、就寝前のことである。
エフィムはこれからについて考えていた。
即ち、瞬く間に訪れるであろう二年後の進路のことである。
紫煙を燻らせながら考える。
冒険者として独り立ちするか、中等部に残るか。
さて、どうしたもんかな。
エリクたちの意見を聴いてからでもいいんだが、それだと流されているようで嫌だしな。
冒険者として独り立ちしてもいいし、中等部に残ってクエストをこなす日々でもいい。
……こうしてみると、少ない選択肢だな。
まあ、暫くは気ままな学生生活でも送ろうかな。
何でも受け付けております




