密談
俺の将来。
将来といっても近い将来だ。高校三年生、あと一年もすれば高校を卒業して、進学か就職を選ばなければならない、ニートやフリーターになるつもりはないからだ。
将来?
夢…?
俺にはそれが――――――わからない。
「お母さん『敬愛』ってどういう意味?」
小五くらいのときだっけ…母に聞いたことがある。母は質問に答えられず、首をかしげていた。小学校の正門近く、円形の小さな庭園の真ん中に石碑があって、石碑に『敬愛』と書いてあったのだ。
石碑の文字は墨でかかれたような力強い筆文字で、ある日その文字のことが猛烈に気になった俺は―――その文字を指でなぞってみた。
敬愛とは―――どういう意味なのだろう。
「敬愛ってどういう意味?」
首をひねっている母のかわりに、食卓についた父が答えた。
「辞書をひいて調べなさい」
今、俺は図書館で調べ物をしている。
なう。
そんな言葉が頭をよぎった。
ツイートするならば、図書館で調べ物をしている――――――なう、なのだ。
図書館の先生に教えてもらった本棚に行き、気になった本を手にとってページをめくってみる。ひとしきりそんな動作を繰り返したあと、仕事の種類別にシリーズで発行されている本が、置いてある棚を見る。
数が多いので、整列している本を目でなぞるようにタイトルを確認する。
警察官の仕事…弁護士の仕事…ネイリスト?
ネイリスト――――はちょっと違うだろ…。
レーシングドライバー!?
そりゃ無理だ!!!
守はいろんな職業の中から、安心・安定と評判の高い公務員の本を選び手に取ろうと、手を伸ばした。
「…宮城」
誰かに呼ばれて振り向くと、同じクラスの牧めぐるが立っていた。守の高校は選択する授業でクラスが決まるから、進級してもクラスのメンツはあまり変わらない。
「ちょっと…こっち!」
こっち、こっちと手招きをされて、人がいない書棚の方に誘導される。背の高い書棚に囲まれた、薄暗い通路の間で、牧めぐると守は対峙する。
同じクラスだが、牧めぐると向かい合って話すのは、初めてだった。
「まあ、座れよ」
「…う、うん」
図書館の床は毛の短い、絨毯が敷かれているため、靴は入口でぬいで下駄箱に入れる。そのため床に座って本を読むことも出来た。
牧くんが俺を見つめている。
ほとんど初対面と変わりない――――守は恥ずかしくなって牧の目から視線をはずす。
「話なんだけどさ…」
牧は守の様子はお構いなしに、低いトーンの声で話しだす。いつも明るくて、クラスではふざけていることが多い牧でも、静かに話すこともあるんだなと…守は素直に思った。
「あのさ……宮城の夢ってなんだ?」
「夢?!」
やぶから棒にタイムリーな話題をふられてしまった守は、牧の問いにドキッとする。
「うん、目標とかでもいいけど…」
「俺………俺は…実は今、考え中なんだ、よくわからないんだよ…うーん、自分のやりたいことが…」
守はしどろもどろになって答えながら、三年生にもなって進路も決めていない自分を恥ずかしい…と思った。
「最近、家で飼っているラブラドール・レトリバーが15歳の誕生日を迎えた」
牧の話は唐突だった。
「…えー!! す、すごいよ……それ…」
「そう思う?」
牧はニヤニヤしている。
「うん、すごいことだと思うよ。テレビで見たことがあるけど…ラブラドール・レトリバーの寿命って確か――10歳~13歳くらいなんだ!」
守が興奮気味に説明すると、牧は豪快に笑った。そんな牧を見て守も自然に笑顔になる。
「犬さあ…だいぶ雑に…育てたよ」
「はあ?」
「だからさあ、大切に育てたっていうより…もともと強い犬だったんだ」
「名前…なんていうの?」
「リキっていうんだ…長州力から名前をとって、リキってつけたんだ。写真見る?」
牧は守に携帯の待ち受け画面を見せる、犬のリキを上方から写した写真で、顔が大きく身体は小さく写っている。
「牧………………………これ…ラブラドール・レトリバーじゃないよ、ラブラドール・レトリバーの雑種だね」
「ん?」
「うん、だって耳が垂れてないよ…」
守は自分の携帯を取り出して、インターネットの検索でラブラドール・レトリバーの写真を探し出して、牧に見せる。
「ね!」
「全然気が付かなかった…」
牧は渋い顔をする。
「でも15歳は雑種でも長生きなほうだよ、おめでとう」
「おう! ありがとう!」
「じゃあ、俺はこれで…」
守は話を切り上げて、さっと立ち上がる。
「待て!」
「…何?」
「まあ、ちょっと座れよ」
牧は守のジャケットの裾をひっぱって止め、ふたたび床に座らせる。
「いつも一緒にいる、女の子いるじゃん!」
咲のことだ…。最近、学校でも一緒にいることが多くなった。放課後、学校の敷地内の目立たないところにあるベンチで話をしたり、おやつを食べたりもするのだ。
「…うん」
「あの子、彼女?」
「……と、友達かな…まだ…友達」
守は耳まで赤くなった顔を見られないように、俯いて答える。
「ああ、そう?」
「うん」
「じゃあ…エッチした?」
牧は守から視線を逸らすようにうつむいて、赤い顔をしている。
「なっ、何言ってんの! まだ高校生だよ!」
守は保健体育で習ったことを思い出し、赤ちゃん出来たら困るじゃんと、心の中でつぶやいた。牧は胡坐でからだをふりこのように横に揺らしたりして、落ち着かない様子だ。
「何で? 何で…そんなこと聞くの?」
「………うん」
牧は小さく咳払いをして、姿勢を正す。
「近所にセクシーなお姉さんが住んでいて、毎朝犬を散歩させる俺をアパートのベランダから見ているんだ、目が合うから…そのうち挨拶を交わすような仲になった。そしてその日俺は虫について考えていた」
「……虫?」
「虫はさ…まず人間とかと違って構造が単純で、痛みを感じる神経がないんだよ…だからさ俺は思った、生きているときと死ぬときの境目みたいなものがないんじゃないかと…生きて動いている植物のようなやつらなんじゃないかと考えていたんだ。増えるために生きてるようなやつらだ、だから卵も半端ないくらい産む、繁殖力もすごい。あれが猫ぐらいの大きさだったら地上は虫に占領されて、人間も含め他の動物は住む場所もないくらいだろう。考えたりするような能力はない。だからさ…生まれたっていう気持ちも、死ぬっていう怖さもないんだ―――学校帰り、道路を横断する毛虫を見て俺はそう思った。そんなときだった――――――セクシーなお姉さんに声をかけられたんだ」
「うん」
「セクシーなお姉さんは女子大生だった。声をかけられて振り返ると、お姉さんが立っていた。薄い紫に白い小花柄の清楚な感じのワンピースなのに、襟のVカットの部分がへそぐらいまでありそうなワンピースを着ていたんだ。深いⅤカットの部分からもう半分、乳が見えてんだ…どうして、こんな服で外を歩けるんだい?って思うような服だ。そんな格好で『学校、終わりなんだ、私のアパートそこなんだけど寄ってかない?』て俺を誘うんだ」
守はごくりと生唾を飲み込んだ。
「それで?」
「お姉さんの家で、お茶をごちそうしてもらって…また遊びに来てねって言われたんだ」
「…それだけ?」
「どうしたらいいと思う~?」
「お、俺に聞くなよお~」
二人ははははははと乾いた声で笑った。
ひとしきり笑ったあと守は「じゃあ!」と言って軽快に手を振り、腰を浮かせるが「待て」と言われて自分より15センチは背の高い牧に上から肩をがっちり押さえられる。
「相談はここからだ!」
「虫の話いらなかったよ!」
犬のの話はもっといらなかった事に気が付いて欲しい。
「初エッチのことは、俺に聞かれてもわからないよ!」
「ちがうんだ! いいから聞けよ!」
守はしぶしぶ頷いた。
「初体験に備えて資料を集めたらさ…ほら、これ見ろよ! お前も他人事じゃないぞ!」
牧は十代の性に関する本をとりだし、ページをめくる。
「…えーと、あった、ここ見て!」
守が見やすいように牧は本の方向を逆にすると、それを床に置いて、読んでほしい箇所を指差す。
(十代の性体験率が増えるにしたがい、STD感染も高校生の間で広がりつつある。性病にはHIVや性器ヘルペスのように、感染すると一生、治らないものの他に感染してしまうと治療が困難な病気もあるので、注意が必要である)
「…なるほど」
「ここ読んでみろ!」
「えっと…尖圭コンジローマ?」
守は本を持ち上げ、胡坐をかいた足の上に乗せ、本を読みあげる。
「ピンク色のカリフラワー状のイボができる…治療は外科的治療だけで、表面上のイボをレーザーやメスで取り除くことしか出来ない…根本治療は難しい――だって…」
守は気分が悪くなって…
「すっごい…やだ」
と、つぶやく。
「俺もヤダ…ちんこに気持ち悪いイボイボが、たくさんできるなんて耐えられない」
牧も同じ気持ちだ。
「こんなの見たら怖くて、セックス出来なくなるだろ?」
「でも大人はさ…こういうの軽く乗り越えて、大人になるんだよな」
牧は本のページを、めくった。
●性病の予防方法
1.ノーセックス
2.セックスの相手を限定する
その他、13の方法が挙げられていた。
「―――ノーセックス。つまり、するなってことだ…」
「太りたくなかったら、ご飯食べるなってことだ!」
「ひどい!!」
「で、牧どうするの?」
牧は胡坐で腕を組み、渋い顔で「ぐうっ…」と唸って
「今回は見送ろうと思う…」
と言って、せつない顔をした。
(半分…乳が、見えている)
守は牧の話をふりかえって…牧の考えに同意した。




