女子にあるまじき。
ここは椿町。地図に載っていない町。町並みは和洋新古入り混じる混沌とした味の広がる街並み。広い土地を使っていいなら洋式宮殿と日本の城・屋敷が入り混じって建っているような、なんとも違和感がある風景である。まぁ、ここではこれが普通なのだが。
そんなこの町で唯一異彩を放つ建物がある。名門・椿学園。この町には珍しいシンプルな造りだ。数々の異人を世に送り出してきたが、その名が人間社会に知られることはない。この町は狭間の町、人でないもの、人にあるまじき力を持つ者が暮らす町だからだ。
そんな学園のとある窓際。机に肘をつき、その手で頭を支えるも落ちること数回。少女が一人、微睡みへ意識を手放そうとしていた。
うららかな心地良い日差し、ほんの少し開けた窓から吹き込むそよ風。
外から微かに聞こえる喧騒と教卓で今後成績に関わるであろう大事な話をしている教師の心地のいい声。
馴染んだ木製の机と椅子に座っていると、“さぁ、夢の国へ”と眠りの精達が誘ってくるようだ。
それに逆らう事もせず、彼女は意識を沈めようと……した。
その最中、教室内に響いた音のせいで旅立つことは出来なかったのだが。
「…おい、今の誰だ。屁こいたの」
教卓に立っていた担任、江濱涼介が静かに問う。眼鏡を光に反射させるのが得意な彼は今も素敵に透明なレンズを白く輝かせている。
ピタリ、と止まった思考と素知らぬ顔で伏せようとしていた体。
その狭まった視界の端で隣の席の友人、松江雄也がここぞとばかりにシャキッと手を挙げてそれはもうはっきりと答えた。
「先生。郁です、本締郁」
「雄也このやろう!先生もなんで!」
「お前が知らん顔して寝こけようとしているからだろ」
「お前が屁こいたのに知らん顔してるからだろ」
涼しい顔をしている二人とは正反対に郁は顔を真っ赤に染め、どうしようもなく恥ずかしいのだろう、椅子から立ち上がり机に両手の拳を打ち付けている。羞恥から力が暴走を始め、風が彼女にまとわりつく。机にも二、三新しい傷が作られた。
彼女は風を操る。しかしながら、使わないか暴走するかのどちらかで制御の特訓中であり、あまりにも暴走頻度が高いため、ついたあだ名が破壊神。
「本締…壊したら弁償だからな。そろそろ親御さんも泣く額だぞ」
「今回は江濱先生のせいでしょ!」
「いや、お前の屁のせいだろ」
郁は江濱を指差した。それはもう残像が見えるほど力いっぱい指差した。それと同時に、突風と共に破壊音が響く。
「……おい本締、今は実技の訓練じゃないぞ」
江濱の頭部すれすれ。避けなかったのは見切っていたからか、避けるまでもなかったか……。流石はヒトから頭一個飛び出ている異能者ばかりを集めた、この椿学園の教師の一人である。眼鏡の一件も有名だがそれに加え学内一真顔が怖い事でも知られている。
横一文字に人の肘くらいまでは収まりそうな深い溝を刻んだ黒板を見ることなく、教科書のページをめくった行動から、さして気にもせず授業を続行しようとしているらしいが、入学したての頃は事故でもこんなことしようものなら怒号で説教されていたものである。真顔の怖さも相まって、怒らせるとマジ恐怖。しかし、何も言われないというのも何かあるのではないかと精神的にくるものがある。
「せ、先生…ごめんなさい…」
郁が青ざめた声音で謝罪するが、江濱はあっけらかんとしていて
「おう、次に屁ぇこく時はばれないようになぁー」
なんて緊張感の欠片もなく、今の一瞬で忘れかけていた事を掘り返すもんだから、再び頭に血が上り江濱に向かって机を投げようとする郁を雄也とその周辺の生徒が必死になって止める羽目になるのであった。