第八話
翌日、都は授業が終わるや否や通学とは反対方向のバスに飛び乗った。
賑やかな駅前で降りる。
最近は駅の反対側に行くことが多いので、人通りの多いこちら側を歩くのは久しぶりだ。一本裏の通りに足を踏み入れると、程なく目の前に現れたのは気持ちよく枝葉を伸ばしたシンボルツリーのある広場。その奥に隠れるように建つコンクリート打ち放しの建物に向かう。
扉を押し開けると包まれる静寂。
いつもはこの空間に足を踏み入れるだけで落ち着くのに今日は憂鬱で仕方ないのは、昨日の練習撮影で思うようなものが撮れなかったから。
改めてみれば、今まで技法も何も気にしたことがないのだと気付く。
「羨ましいっちゃ羨ましいけどな。」
昼休みにその話を波多野にしたとき、彼はそう言った。
「でも波多野くんだって、おじいさんに小学生の頃から仕込まれたんでしょ。」
「といっても所詮アマチュアだし、さすがに物撮りは毎回苦労してるぜ。」
「物撮り?」
「店のホームページ。」
あ、と都は思い当たる。
「親父は全然だから、一応オレが写真担当してるけど……特にガラスって難しいんだよなー。」
「波多野くんがそんなんじゃ、わたしなんて勉強不足もいいとこかぁ。」
「でも木島の場合、感覚的なもんは身についてるわけだし、実際写真だって専門分野があるわけだろ?舞台写真なんて、相当特化してる分野だと思うぜ。」
それ以前に分野なんて考えていなかった、とはさすがに言えなかった。そうして思いつめた末に向かった先が図書館だったのだ。
はぁー、と深い溜息をついて書棚へ向かう。
「舞台の撮影方法なんてないか。せめてポートレートの撮影方法……」
背表紙を目で追いかける。きょろきょろ辺りを見回すが、近くに踏み台が見当たらない。取りに行くのも面倒なので「とどくかな?」と思い切り背伸びをする。
背後に人の通り過ぎる気配。
と思いきや、後ろから伸びた手が、あっさりと目的の本を引っ張り出して都に差し出した。
「えと……あ、ありがとう……」ございます、と言おうとして動きが止まった。
相手が小首をかしげる。
「これじゃなかったか?」
「なんで……」
「取ろうとしてたから。」
「じゃなくて……」
「じゃあ、なんだ?」
「寝不足が祟ったとか……夢とか……」
あのな、と呟いて相手はそっと背をかがめた。
耳打ちするほどの素早さで都の耳元に軽く唇を触れる。
その柔らかな感触と息遣いに、一瞬遅れて都は状況を理解した。
「な……なんでこんなとこでっ!」
思わず大声を出して、口を押さえた。
通路を挟んで隣の書棚にいた初老の男性が、眼鏡をずらして眉をひそめる。
「すみませんっ!」
慌てて頭を下げて、勢いよく振り返る。
「りゅーとぉ……」声をひそめて上目遣いに相手を見上げた。
「都が信用しないから。」
「だってこっちに来るの来週って……」
「用が済んだから急いで戻ってきた。フェスを経由してコギンには伝えておいたが……」
朝、家を出る時に見かけた銀竜を思い出す。朝ごはんをいっぱい食べた後、リビングに置いてもらったクッションの上で伸び伸びと転がっていた……はず。
「なんで時差が出るかなぁ……あの子。」
くすり、と竜杜は笑みをもらす。
「資料、探しにきたんだろう。」
「えと……そうなんだけど……」
「俺は外にいるから。」ゆっくりおいで、と言ってその場を離れた。
混乱気味の頭のまま本を選んで手続きすると、急いで建物の外に出た。見慣れた広い背中をベンチに見つけて、隣にすとんと腰を下ろす。
すかさず目の前に缶入りのカフェオレが差し出された。
受け取りながら相手を見上げる。
「あ、ありがとう。っていうか、お帰りなさい。」
「ただいま。」
漆黒色の瞳が頷く。
それは一月前に別れたときと同じ笑顔。
けれどどこか印象が違うのは……
「髪、また短くなった?」
別れたときは首筋を覆うほどの長さがあったはず。けれど今は、以前バッサリ切ったときのように短い。
「これから暑くなるし、俺が行くのを待ってたみたいだから。」
「待ってた?」
「うちの斜め向かいに床屋があるだろう。」
「あった……かな?」
「あそこの親父さん、しばらく顔出してなかったから切りたくて仕方なかったらしい。」
くすっと都は笑う。
「じゃあ戻ってきたの今朝?」
「開店直前。」
門は喫茶店フリューゲルのある大正時代に建てられた洋館の地下にあるので、営業時間の間はなるべく使わない、というのが早瀬家の暗黙の了解になっている。もちろん都も、そして早瀬家の秘密を知る「共犯者」と呼ばれるごく一部の人たちも知っている事実だ。
「滑り込みだったんだ。あれ、フェスは?その辺にいるとか?」
「今日は留守番させてる。」
そっか、と呟いて掌にあるものを思い出した。缶のプルトップを引いて、甘いカフェオレを堪能する。
「忙しかったのか?」
「部活でちょっとバタバタしてて……でも、どうしてここにいたの?」
「なんとなく都に会えるような気がしたから。」竜杜はブラックの缶コーヒーを傾ける。
「本当に?」
「実はさっきまで栄一郎さんと会ってた。」
フリューゲルの常連で共犯者でもある知り合いの名前に、都は納得する。
「じゃあ、わたしと会ったの偶然?」
「ああ。別れてそのまま雑誌を読んでたら、都が怖い顔で入ってくるのが見えた。」
「こ、怖かった?」
「何かに気を取られてるようだった。」
「それは……その通りなんだけど……」そう言って都は演劇部に撮影依頼されたことを説明する。
「凄いじゃないか。」
「でも苦手な分野だから自信なくて……」
「自信ねぇ。」
「なんかやな言い方。」
「いや、ダールの言葉、思い出した。」
「ダールさん?」
「都のこと、自信があるのかないのかわからないって。引っ込み思案かと思えば、勝手に一人でどこかにいく度胸があるのが不思議だと言っていた。」
「あ、あの時は必死だったから……って、そもそもリュートがいけないんだし……それに写真は……今までちゃんと勉強したことなかったからまずいかなぁ……って思って……」
「でも相手は都の写真を見て、頼んできたんだろう。だったら都のやり方で表現すればばいいんだし。」
「それがわかんなくて。そういうの……今まで意識したことないから。」
「大丈夫だろう。」
「人事だと思ってるでしょ。」
「信頼してるんだよ。都は本番に強いから、いざその場に立てば必要なことが見えるはず、ってね。」
「そんな……」
「俺の言うことが信用できないか?」
「そ、そういうわけじゃ……」
「強いて言えば、敵を知る努力は必要かもしれないな。」
「敵?」
「舞台か、演劇部か、それとも都を選んだ張本人か。予備知識があれば相手を怖いと考えることもないだろう。」
「怖い?」
「俺のときも、最初怖がっていただろう。」
「あ、あれはいきなりだったし……っていうか今関係ないし。」都は唇を尖らせる。
「例えだ。」
でも、と都は木々の間に切り取られた空を見上げる。
「確かに、演劇部なんて今まで一度くらいしか撮ったことなかったし……でもあれは先輩にくっついて行ったんだっけ。」
だとすると一年生の頃の話だ。部の雰囲気も違うような気がする。
「話……聞いてみるのもアリ、か。」呟きながら明里の顔を思い浮かべる。
「ま、やるだけやってみるんだな。」
「あ、うん……」
不思議だった。
こうして少し言ってもらうだけで、さっきまでのプレッシャーが随分軽くなっている。
缶のカフェオレで一息ついてから、都は竜杜を見上げた。
「しばらく、こっちにいるの?」
「いや。事務手続きと、墓参りが済めば早々に戻る。」
え?と缶を持ち上げる手が止まる。
「そんな顔するな。」
わかってる。だけど思いは複雑だ。
そんな都の心中を見透かしたように竜杜は続ける。
「またすぐ戻ってくる。そうしたら、今度はずっとこちらにいる。」
「ずっと?」
「ああ。都が高校卒業するまで。」
前作に引き続き、ようやくの再会?です。




