第七話
「波多野も来たか。」
おう、と波多野は軽く手を挙げた。
「杏子さんは二年生のアドバイザーで部室に残るって。」
言いながら、都はちょうど一年前、今の二年生と同じように自分たちも撮影会の企画を立てていたことを思い出す。
「そんじゃま、行きますか!」
先頭に立つ亜衣について、ぞろぞろと体育館に足を踏み入れる。
昨年竣工したばかりの体育館に入ると、まだ新しい建物の匂いがした。
いつもは賑やかな運動部の姿は今日はなく、ステージの周りに体操着と制服の混ざった一団が円陣を組んで座っている。
その輪の中心で何やら説明している制服姿の男子生徒が、新川に気付いて顔を上げた。近くにいたジャージ姿の別の男子に二言三言話しかけ、彼が頷いて了承すると円陣を飛び出してこちらに歩いてきた。
「わりーな、来てもらって。」
「それより抜けていいのか?」
「ちょうどこれから読み合わせだから。」相手は言って後ろを振り返る。
見ると円陣が崩れ、皆ステージに上がって右往左往している。
新川が背後に控えていた都と亜衣を振り返った。
「お前のリクエストした精鋭。箕田さんと木島さん。それにアシスタント役の波多野。」
「箕田さんは知ってる。」
「うん。一年のとき同じクラスだった。西くんが演劇部っていうのは知ってたけど部長さんしてたんだぁ。」
「三年まで残った奴が少なくってさ。と……」
都は慌てて頭を下げた。
「えと……E組の木島……」
「あーっ!」
相手が突如大声を出す。
「恋愛フラグ!」
「え?えっ?」
何を言われたかわからず、ただただ声の大きさに都は目を白黒させる。
「ふ、ふらぐ?」
「こないだ、始業式の日に廊下でぶつかったよね。」
そう言われて、ようやく都も思い出す。
「予鈴のとき……」
そうそう、と相手が頷く。
確かに慌ててぶつかったことは覚えているが、相手の顔まで覚えていない。けれど相手はしっかり都のことを覚えていたらしい。
「あんま見かけない顔だなと思ったんだよ。Eじゃ廊下も違うから接点ないんだよなー。」
そこまで言って都のぽかんとした表情に気付く。
「あ、おれA組の西和臣。よろしく、木島さん。」
「あの……ふらぐ……って?」
「ん?伏線よ。お約束的な。朝、出会い頭にぶつかるって言ったら、次は恋愛ってのがお約束。」
「ええと……」
意味がわからない。
はぁ、と新川が大きな溜息をひとつ。
「ゲームとかマンガでの話。」
「え?マンガ?」
「西よ。木島さん、すんごく普通の人なんだから気ぃ遣えよ。」
「そう言うけど新川、新学期の廊下だぜ。これはどう考えても運命っしょ。」
「いや、だから人の話……」
聞けよ!と言う前に西の手が都の手を取ってぐっと握り締めた。
その瞬間。
「木島が固まった。」波多野が呟く。
「すまん。波多野。」がっくりと新川がうなだれる。
「部長のせいじゃないだろ。」
「っていうか、助けなくていいの?」と、亜衣。
けれど西の耳にはそんな会話は届いていないらしい。
「あ、あの……」
うん?と西がにっこり微笑む。
「手……」
「て?」
「だっ……だから……」都が泣きそうになった次の瞬間。
ばこん!と派手な音がした。
とっさに西の手が離れた隙に、都は亜衣の背後に逃げ込んだ。亜衣がよしよしと頭をなででくれる。
西は、というと後頭部を押さえながら声を絞り出す。
「ってぇ……誰だかしらねーけど……」振り返りながら、
「バカになったらどうしてくれんだ!」
くい、と彼の目の前に突き出されたのは丸めた台本。
まるで竹刀を構えるようなその姿に、都は思わず「えっ?」と声を上げる。
「それ以上バカになるような頭でもないでしょ!」キッパリと彼女は言った。
「だったらなんでいいとこ邪魔すんだよ!」
「あんたが一人で盛り上がってるだけ!女子の手を気安く握るんじゃないと、常日頃から言ってるでしょ!」
「そうだっけ?」
「もう一発くらいたい?」
「わぁっ、聞いてます!聞いてます!」
慌てて西は横に飛びのく。
まったく、と呟きながら彼女は都に近づいた。
「ごめんね。うちの部長変態で。」そう言ってそっと眼鏡を押し上げる。
「篠原さん……演劇部だったの?」
「明里ちゃんは台本担当だよ。演出もしてるんだっけ?」
亜衣の説明に篠原明里は頷いた。
隙のない制服の着こなしは教室にいるときと同じ。手には丸めた台本とファイルを抱えている。
「亜衣ちゃん詳しい……」
「だって一年のときから西くんとセットで夫婦漫才って言われてたんだもん。」
「見張ってないと何言い出すかわかんないだけよ。とにかくこいつ、ヲタクだから気にしないで。」
「ヲタク……ってゲームとかマンガとか、アニメとか……?」
「コスプレとか、同人誌とか。まぁ演劇部に関しちゃまともなことやってるんだけどね。」
「そりゃー副部長の明里さんが優秀だから。」
「だったらなんですぐに言わないのよ!写真部の打ち合わせ、私も同席するって言ったでしょ。」
「これからメール入れるつもりだったんだい!」
「だったらフラグ撤回!先に連絡入れなさい!」
「だって木島さん可愛いじゃないか。」
「えっ!」
「だから、ちゃんと彼氏がいるの!」
「えっ!」と西が大声を上げる。
「マジで?」
「マジで。」
明里の言葉に写真部の一堂もこっくりと頷く。
どうしてこんな展開になったのかわからず、都は亜衣の背後で真赤になってうつむいた。
「っかしーなー。そんな風に見えなかったんだけど……」
「だからマトモに会話できるんだけどね。」と亜衣。
「どゆいみ?」
「木島さん男子苦手で、実は少し前までマトモに会話がなかった。」と、新川。
「なかったわけじゃないとは思うが……」うーんと波多野が腕組みする。
「無駄話できるようになったのは、最近だよ。ま、こっちもある意味ヲタなのは自覚してるから、あえて無理強いもしなかったし。」
「そ、それは……」慌てて都は口を開く。
「杏子さんも新川くんも得意分野持ってるのは凄いなってむしろ思ってるくらいで……」
「ちなみに彼氏と別れる予定は?」
すかさず明里が丸めた台本で西の頭を叩いた。
「あるわけないでしょ!」
「だからバカになったら婿にもいけないだろ。」そこまで言って、ぽんと嬉しそうに手を叩く。
「そんときは、明里さんもらってくれるんだよね。」
「なんでそういう方向に行く?」
「明里さんのそういうツンな部分、すっげー好き。」
次の瞬間、小気味よい音に続いて西の叫び声が体育館に響いた。
「そっか、体育館って運動部しか撮ったことなかったけど……」
「ステージって狭いようで広いよね。全体撮ろうとすると暗いし。」
ステージの上で都の隣に並んで立つ亜衣が、背伸びをしながらぐるりと辺りを見回した。
二人の背後では演劇部の部員たちが、立ち位置を巡って議論している。その中には部長の西と副部長の明里の姿もあるが、他の部員と意見を交わす姿は真剣で、先ほどの軟派さはみじんもない。
「フラッシュ……使わないほうがいいよね。」
「木島、誕生日兼クリスマスに一眼レフ買ってもらったんだろ。」ステージの真下にいた波多野が言った。
「うん。でもなんか慣れなくて……」
「フィルム感度関係ないよん。」
「最悪、明度の修正できるし、スペック的に文句ねーと思うぜ。」
「シャッター反応はフィルムのほうが好きなんだけどなぁ。」
「連中もポートフォリオ作るのに期限ないって言うから……」客席エリアに体育座りしていた新川が立ち上がる。
「試しに両方やってみれば?あ、トイカメラはナシな。」
ちぇーっ、と亜衣が唇を尖らせる。
「ってか、ピンホール撮影するほうが一眼レフ使うよりむずかしーぞ。」
「慣れだよ。慣れ。えーっとじゃあ、三脚って持ってきたっけ?」亜衣が辺りを見まわす。
「いんや?試してみるなら取ってくるけど。今日は二年生いるからカメラも出せるぜ。」
「コンパクトカメラあるからいいよ。三脚だけ。」
おっけ、と言って波多野は走り出す。
都もステージから降りた。
と、明里が小走りにそれを追いかける。
「面倒かけてごめんね。」
「ううん。邪魔してるのこっちだし。」
「そうじゃなくて部長のこと。」
「びっくりしたけど大丈夫。えと、篠原さん、さ。」
「明里でいいわよ。その代わり私も名前で呼ぶから。」西を牽制していたのとまるで違う穏やかな笑顔。
「う、うん。」
「ねぇ、今ステージの上から何見てたの?」
「え?」
「色んな方向見てたでしょ。」
「何っていうか……ステージなんてほとんど上がったことないから、やっぱり視線高いと雰囲気違うんだなぁ、と思って。照明がつくと、もっと違うんだよね、きっと。」
「そうね。私は慣れちゃったけど。」
「そっか。」
「やっぱり思ってた通りかも。」
え?と都は首を傾ける。
「この間言ったでしょ。写真の印象。」
「あ、うん。」内心ドキリとする。
「文化祭の展示見たとき、物凄く広さを感じたのよね。」
「あれは……被写体が空だったから。」
「フォトギャラリーのも。」
フォトギャラリーとは写真部が学校から借りている掲示板のことで、ギャラリーに見立てて毎月部員の写真を展示しているのだ。けれどここしばらく都が提供している写真は実験的に撮影したものばかりのはず。
「でも二年の春頃から、結構な枚数出してたでしょ。」
「そう……かな?」
「なんていうか、自分も今まで見ていたはずなのに、ちゃんと見てなかったことに気付かされるのよね。」
「ええと……」
「この人、きっと私達が見えないところが見えてるんだろうな、って思った。あ、悪い意味じゃないわよ。むしろ尊敬。」
はぁ、と都は妙な返事をする。
「そういうつもりは全然ないんだけど……」
「ちょっと半信半疑だったけど、都さん、ステージに立ったら撮影スイッチ入ったから納得。」
「スイッチ?」
「やっぱ自覚ないんだ。」くすりと明里は笑う。
「でもまぁ、和臣が指名したんだから間違いないわ。」
「かずおみ?」
「変態部長。あれでも人を見る目はあるのよね。昔っから。」
「明里さん、西くんと付き合ってる、とか?」
「いわゆる腐れ縁って奴。親同士も知り合いなのよ。」
あの遠慮のなさはそのせいか、と納得する。
「好きにやっていいんじゃない。都さんらしいものができれば、部長も納得すると思うから。」
「それが難しいんだけどね。」
「大丈夫よ。それに私も楽しみ。」
「そ、それはプレッシャーだぁ。」
「大丈夫、って言ってるのに。」頭を抱える都の姿に、明里がくすくす笑う。
「みやちゃーん!三脚来たからテストするよー」
部長さんの件は、三作目最終話に由来します。




