第六話
「勝手にやってるぞ。」
書棚から引き抜いた本を膝に広げたまま、オーディエ・ダールは軽く杯を持ち上げた。その傍らに白い小さな竜が舞い降りる。
「よぉ、フェス。元気そうだな。」
頭をなでられたフェスは、気持ちよさそうに目を細める。
リュートは手にしていた革の手袋と風除けの眼鏡を空いている椅子の上に置いた。
物心着く前からの長い付き合いの中で、彼の奇襲癖は彼も家人も慣れていた。最近はむしろ不在がちの自分に代わり、彼の妹共々母親の話し相手をしてくれることに感謝しているほどである。
が、ふとダールがくゆらした琥珀色の液体が放つ香りに、リュートは「あっ!」と声を上げた。
「お前、俺の部屋から物色してきたな!」
お?とダールが顔を上げる。にやりと笑い、
「よくわかったな。」と、長椅子の足元から瓶を引っ張り出す。
リュートは溜息をついた。
「匂いで判る。」
煙ともクレオソートとも称される強いスモーキーな香りを持った酒など、少なくともこの辺りには存在しない。麦を発芽させるために泥炭で燻し、更に熟成過程で海風を浴びるウィスキーは味もドライで個性的だ。
実家の台所にある酒瓶の中から見つけたのが最初だった。買ったはずの当の父親がバーボンしか呑まないため勝手に呑み始めたのだが、そうしてみるとシングルモルトの中でもこのアイラモルトと分類される酒は、蒸留所ごとにスモーキーさが異なるのが魅力的ですっかり気に入ってしまったのだ。そのため一本、二本を寝酒用にこちらに持ってきておいたのである。
「個性的だが旨いな。何しろ字が全く読めないから不安だったんだが……」
ダールは青い瞳を細め、瓶に貼られた英語とゲール語に首をひねる。
「鼻が利くのは相変わらず、か。」
リュートは瓶を受け取ると棚から杯を出し自分の分を注ぐ。酒と同じ分量の水を差し軽く手元をくゆらせ、香りが開くのを楽しんでから口に含む。
「オーロフの家に行ってきたのか?」ダールが聞いた。
「ああ、そっちは長老の見舞い帰りか。」
「そんなところだ。ネフェルはどうしてた?」
「オーロフの家には馴染んだようだ。」
「ジェイス・キールも穏やかな奴だから、もめることはないだろう。ただ、まぁ、周りは黙っちゃないだろうな。」
「周り?」
「オーロフの名前をここ何度か耳にしたそうだ。」
「アニエ、か?」
「おれが絡んでるからと、アニエにこっそり耳打ちする連中がいるらしい。」
「別にこっそりする必要もないだろうに。」
「ああ。ネフェルの件はガッセンディーアに戻って真っ先に話した。ミヤコのこともな。そのうち会いたいと言っている。」
「それは……どうかな。」
「そいつはお前が気にするこたねぇ。アニエが決めることだ。」
「つくづく思うが・・・」リュートは呆れ気味に言った。
「よく彼女の両親が婚約を了承したな。」
ダールの婚約者、アニエ・フィマージの母は「英雄の家系」の出である。祖父は「一族」を取りまとめる長老職にあり、彼女の兄達も皆、評議会あるいは役人として優秀かつ堅実な働きをしている。そして古い家柄らしく封建的なのも、話には聞いている。本来なら親の決めた相手と結婚するのが「当たり前」なのだが、よりによって「彼女自身」が選んだ相手はオーディエ・ダールだった。
いかつい大柄の彼と、ほっそりしたアニエ嬢が並んでいる姿を見て「美女と野獣」と揶揄する人も少なくない。とはいえ父親譲りのそこそこな顔立ちに、母親そっくりの明るい青い瞳のダールは決して女性受けが悪いわけではない。
「そりゃ礼儀作法くらいおれだって心得てる。」
「人の部屋で酒を漁る奴が、か?」リュートは懐疑的な目でダールを見る。
「アニエの母親は案外情緒的なんだ。花束は欠かしたことがない。」
「花屋でなく、うちに寄って行くのはそのせいか。」まったく、と大きく溜息をつく。
「エナの花がいつでも手に入るのは、この家くらいなもんだ。」
「俺が言ってるのはそういう意味じゃない。」
彼の父親は軍人だが、外国人の妻を迎えるほど柔軟な考えを持ち合わせた人物である。そんな親に育てられたダールが、封建的な家の令嬢と婚約できたのが未だに不思議でならない。
「アニエの趣味もわかりかねるが、よく長老が許したと思うよ。」
「簡単な話だ。
アニエは『女らしく』と言われるのが大嫌いなんだ。ところが彼女の父親は大好きと来た。だからアニエは祖父の看病を口実に家を出た。そして長老は可愛い孫娘の言うことは尊重する。父親は己の妻の父……つまり長老には頭が上がらない。」
「確かにわかりやすい。」
「多少のすったもんだはあったが、さほどの苦労はなかったな。アニエの趣味に関しちゃ、彼女に聞かないとわからんが……けどお前だって同じじゃないか。」
「同じ?」
「ミヤコだよ。よくもまぁ、あんなんで了承してもらえたな。」ダールは面白そうに言う。
「否定しないが、お前に言われると面白くない。」
「自信があるのかないのかわからない。引っ込み思案かと思えば、勝手に一人でどこかにいっちまう。その度胸がどこで涌いてくるのか。それに、空を飛ぶってことにあっさり馴染んでた。」
「それは俺も驚いてる。」
「総じて言えば親友の嫁としちゃ悪くない。」
「当たり前だ。」
けど、とダールは真顔に戻る。
「お前このままでいいのか?あの子は聡明だ。それに見かけによらず強い。お前が忙しいと言えば、それ以上駄々をこねることもないだろう。」違うか?とリュートを見上げる。
「遠慮するなとは言ってるんだが……」
「理屈で体が動くなら、訓練なんていらねーだろ。」
「わかってる。」
都と出会って一年。
けれど一緒に過ごす時間が少ないことは自覚している。幸い彼女は物わかりが良すぎるほど良い。それに甘えていることも、契約という枷で二人の関係が保たれていることも充分すぎるほどわかっている。
リュートは大きく息をついた。杯の中身を飲み干し、もう一杯ウィスキーと水を注ぐと手近な椅子に腰掛ける。
そうして切り出した。
「とりあえず上と…・・・隊長には話をした。」
リュートはここしばらく手配に奔走していた内容を説明する。
じっと聞いていたダールは、リュートが話し終えると「そうか」とだけ呟いた。
「わがままな申し出と承知してる。お前やクラウディアや隊に迷惑をかけるのは必須だ。」
ダールは首を横に振る。
「おれは賛成だ。何より、お前とお前の親父さんにしかできない役目だ。」
「そんな崇高なものじゃない。だからといって放っておくわけにも行かない。それに……」
「黒き竜の気を宿した男か……」
リュートは頷く。
「過去の伝承を調べるのは専門家に頼んできた。」
「そういやここんとこ、随分と聖堂の書庫に通ってたもんなぁ。会いたくない奴に会うのも飽きたか。」
「向こうが勝手に毛嫌いしてるだけだ。それに俺は専門家じゃない。どうあがいても調べる範囲は限られる。」
「それで専門家、か。」
「ああ。だからその分、できれば彼女の傍にいたい。」
「本音が出たな。」
「そんな呑気な話じゃない。神の砦のときだって……」
「砦?」
「お前が、司教に襲われそうになった彼女を助けたときだ。」
そのときのことを、都はこう言ったのだ。
「凄く、嫌な感じだったの。黒き竜の……金髪の男の人の感じに似てた。」
それを聞いたのは件の事件から数日後のこと。自分も帰宅が遅れた非はあるが、そんな大事なことをすぐ言わなかったことに、リュートは内心腹が立った。けれど彼女にしてみれば、彼に余計な心配をかけたくない気持ちがあったのだと、察することもできる。
「そりゃ、駄々こねるどころじゃねぇな。」さすがにダールも驚く。
「しかし黒き竜と同じ……お前は感じなかったのか?」
「いやな感じはしたが、はっきり何かを感じ取ったわけじゃない。」
「とするとミヤコは黒き竜の気配に敏感なのか、それとも奴と何か繋がりがあるのか……」
「わかってたらこんなに心配しない。」
「確かにな。おれのほうでも妙な話がないか気にしとくよ。お?」何かに気付いたダールが顔を上げる。
続いてぱたぱたと廊下を走る音がして、少し開いた扉から赤毛の頭がひょっこり覗いた。
「ああ、よかった。オーディエさま、まだいらしたんですね!リュートさまもお帰りなさい!」
「ケィン?今日はアデルの家で手伝いがあったんじゃ。」
リュートやダールより四つ年下のラグレス家の料理人は「はい!」と元気よく返事をした。
「つつがなく完了して、お客様にもお褒めの言葉をいただきました。」
「せっかく街に出たんだからゆっくりしてくりゃいいのに。」と、ダール。
「祖母が少し風邪気味で心配だから、まっすぐ戻ってきたんです。それでオーディエさまがいらしてると伺ったので、リィナさまにお土産持っていってもらおうと思って。昨日、新作のお菓子作ってみたんです。それからエミリアさまがお花も少し持っていってもらいなさい、って。その、アニエさまの分も。」
「そういうことなら、ありがたくいただこう。リィナもアニエも喜ぶ。」
はい、とケィンは頷く。
「すぐにご用意してきますね!」
登場したときと同じように慌しく走り去る。
その後姿を見送りながらダールは苦笑した。
「この家は頑張り屋が集まるな。」
「母の人徳だろう。」
「次にミヤコが来る時はリィナも連れてくる。」
「そうだな……年も近い、か。」
「たく、こちとら親父の任期が延びたおかげで、年頃の妹を持て余してんだぜ。それがお前と来たら……」
「お前の妹と一緒にするな。それに持て余してるのは妹だけじゃないだろう。」
「弟のは単なる反抗期だ。」
「兄貴は大変だな。」
「まぁな」と頷き、その後に「けど……」と付け加える。
「門番ほどじゃねーよ。」
ラグレス家の人々については、3作目にガンガンと出ておりますのでよろしければそちらをご参照ください。ちなみにダールを含めた「向こう」の方々は次の5作目でも登場する予定です。
ついでに……作中のシングルモルトの銘柄がわかった方は、相当お酒好きな方のはず(^^: すんません。ちょっとだけ趣味に走りました




