第一話
「木島さんって魔性の女?」
「ほえ?」
前置きなしに言われて、木島都は首を傾ける。
その拍子に、暖かい風が頬に触れた。
ランチタイムが終わったばかりのけだるい昼休み。
思考はのんびりカタツムリ。
そんな時間を堪能するように、とりとめないお喋りに興じているところに現れたのが彼女だった。
ブルーを基調としたタータン柄のスカートに紺のブレザーの制服は自分と同じだが、襟元のタイを隙なくきっちり絞めているのが逆に人目を引く。癖のない黒髪は日本人形のように前髪と肩で切り揃えていて、それと細いフレームの眼鏡のせいか絵に書いたような優等生に見せている。
彼女は指先で眼鏡を押し上げると、一瞬考えてからもう一度言った。
「だから、男を手玉に取るタイプ?」
「えーと……」言われた言葉を反芻する。
次の瞬間、思わず都は立ち上がった。
「ええーっ!」
と、
「ぷはっ!」
吹き出す声に続いて、豪快な笑い声が中庭に響き渡る。
「奈々ちゃん、笑っちゃだめだよぉ……」そう言った樋坂いずみも肩を震わせ、ついには笑い出す。
「えっと……」質問の主が小首をかしげた。
「だって……都が……なんで……」
ひーひー息切れしながら清水奈々は腹を押さえて足をばたつかせる。
都はムッとした。
「奈々ちゃん!笑いすぎ!」
「いや、だって……」と言いかけたがまた思い出し、うはははははと笑う。
「いずみさんもひどいよ!」
「ごめんねぇ。」言いながら、いずみも目元に滲んだ涙を指先で拭う。
「そんな変なこと言った?」
質問の主……篠原明里が困惑気味に一堂を見回すと、奈々が「まぁまぁ」とベンチを叩いて座るよう促した。そうして自分は陸上部で鍛えた足を隠すことなく、大胆に組んで座り直す。ショートカットが似合うクラスで一番の長身女子の彼女には、そんな男性的な仕草も似合っている。
けれどさすがに中庭に響く豪快な笑いは人目を引いたらしい。通り過ぎる生徒が、ちらちらと彼女を見ていく。けれどそれを気にする風もない。
「いやぁ、気持ちよく笑ったわ。」言いながら思い出して、またくすっと笑う。
「奈々ちゃん!」
「あー、ごめん、ごめん。」
「もうっ!」と都はベンチの端に座ってそっぽを向いた。
拍子に、顔にかかった細い髪を払いのける。
高校に入ったとき一度短くした髪は、三年生に進級した今は肩を越える長さになった。茶色を帯びたその色と肌の白さから、外国か東北の血が入っているのでは?と聞かれることもあるが、小柄な身長とそれに見合った控えめなプロポーションから推察するに後者ではないかと思う。けれど親戚づきあいもほとんどなく、父親の名も明かさないまま母親が亡くなったので、真相は闇の中。
対して都とは逆に肉感的なのが、奈々と同じ一年生から同じクラスの樋坂いずみ。
ややふくよかな体型に髪留めでまとめた癖のある髪、笑うと深く刻まれるえくぼがおっとりした優しい印象を与える。事実、面倒見のよさとマイペースな雰囲気のおかげで、落ち込んだときに元気をもらったことは数知れず。
今も笑いを抑えながら篠原明里に「あのね、」と説明してくれている。
「何を根拠に言ってるかわかんないけど、みやちゃん、男子が得意じゃないの。」
「波長が合えば大丈夫なんだけど、話すのって部活の時くらいなんよ。」と奈々も付け加える。
「だもんだから、もー、笑っちゃうくらい、その手の話がなかったのさ。」
「最近はちゃんと話してるもん。」唇を尖らせたまま都はブツブツ反論する。
「だからそれは、竜杜さんとお付き合いするようになってからっしょ?」
「りゅうと、さん?」
「みやちゃんの彼氏。」といずみ。
「彼氏……いたの?」思わず言った篠原に、
「びっくりでしょ?」と奈々も手を振る。
「最初聞いたとき、この世の終わりかと思っちゃったもん。」
確かに一年前の自分だったら誰かと付き合うことなど考えもしなかった。成り行きとはいえ、そうなったことに驚いているのは自分自身なのだ。けれどそれを人に言われると、どうにも面白くない。
そんな都に構わず奈々は続ける。
「でもなんつーか、都の場合、相手が竜杜さんだから成立してる感じなんだよね。」
「そうそう。どっちかって言うと保護者?みやちゃんのこと心配でしょうがないって感じ。実際、みやちゃん怪我するの多いもんね。一年の時も体育の授業で顔からスライダーしたしぃ・・・」いずみが記憶を辿る。
「それに竜杜さんと知り合ったのも、階段転げそうになったの助けてもらったんだよね?」
「らしいっちゃ、らしいよね。」
うんうん、と二人して頷きあう。
その言い草がますます面白くなくて、都は黙ったままパックジュースのストローを思い切り吸い込む。
「まぁ、そんなだから、魔性とか絶対ありえない。」
「っていうかー、どうして魔性疑惑が出てきたの?」
「それは志賀先輩が……」
「志賀先輩……?」
思わぬ名前に一同は顔を見合わせる。
ついこの間卒業した志賀は新聞部の元部長で、写真部の都とは何度か一緒に仕事をしている。それどころか実は言い寄られたのだが、その前後にこの世の出来事とは思えない現象に巻き込まれ、彼の記憶も曖昧になってしまったらしい。
もともと都には苦手なタイプだったし、時を同じくして正式に早瀬竜杜と「お付き合い」を始めたのでそれ幸いと知らんぷりを決め込んでいたのだ。
だから文化祭を機に三年生が引退してしまうと顔を合わせることも言葉を交わすこともなかった。
それがどうして?
「篠原さん、志賀先輩と知り合いだったん?」
「あの人よく図書室に来てたもの。卒業したうちの委員長と仲良くって……」
「あ、図書委員。」
別名『図書部』とも呼ばれている中身の濃い活動は噂に聞いている。それに二年生から同じクラスなのに彼女が昼休み、教室にいるのをほとんど見たことがないのを思い出す。委員会の仕事で図書室にいたのなら納得である。
「篠原さん、志賀先輩のこと好きだった、とか。」いずみが小首をかしげた。
「なわけないでしょ!言ってたの聞いただけ。」
「言ってたって……?」
「木島さんって見かけによらないよな。大人しそうな顔して……って。」
なにそれ!と憤ったのは奈々だった。
「都に振られたからって……」
ん?と都は振り返る。
「奈々ちゃん。振るも何も、わたし何も言ってないよ。」
「えっ?」
「あ、でも波多野くんが……」
「ああ、木島のこと迎えに行ったときね。」
五時限目と六時限目の間の休み時間。波多野大地は椅子に座ったまま、自分を取り囲む同じクラスの女子四人を見上げた。
中学から高校に進学した時も体格が良かった彼だが、この三年間で背も肩幅もさらに逞しく成長した。短い髪も運動部向きなのになぜか柔道部はたまにしか出ず、兼部している写真部にいることが多い、自称「文科系」。家が商売をしているので人当たりがよく、それに同じ写真部かつ幼馴染という条件も手伝って、都にとっては気安く話しのできる数少ない男子なのだ。
「去年の文化祭の前だっけ?木島の帰りが遅いってんで竜杜さんと迎えに来て、そんときたまたま志賀先輩と一緒になったんだよね。雨降りそうでヤバかったからおれは先輩と一緒に先に帰って……そのとき今の誰だって聞かれたから木島の彼氏って言った。」
勝ち誇ったように奈々が頷く。
「それで志賀先輩が落胆したのは、都の責任じゃないよね?」
「そうだけど、あの先輩が落胆するような人?」
「そりゃー、比べちゃったらねぇ。」
篠原は波多野を振り返った。
「すっげ、いい人だよ。運動神経いいし、木島には優しいし。でもって年上。今二十六、だっけ?」
都は頷く。
「え、じゃあ結婚とか……」
「そっ、それは……」いきなり言われて、都は慌てた。
「話が飛ぶなぁ。」おお!と奈々も目を丸くする。
「でも反対はなさそうだよね。」といずみ。
そういうフォローいらないのに!と思いながら、都は顔が熱くなる。
何よりこういう風に話題の中心に引き出されるのは苦手だ。それが恋愛がらみの話となればなおさら。
いたたまれずうつむいた都の耳に、「はらま」と驚いた篠原の声が聞こえた。
「本当に、そういうの苦手なんだ。」
「だから言ってるじゃん。」
「確かに魔性どころじゃないわね。でもなんで木島さんの彼氏のこと、波多野くんが知ってるの?木島さん、男子苦手って……」
「それは……」
「とりあえず部活が一緒。」都より先に波多野が言う。
「知ってる。」
「もひとつ。木島とは保育園から中学までほとんど一緒なんだよね。でもって竜杜さんの実家、うちから徒歩百メートル。」
「ご近所さん?」
「同じ商店街。ウチは酒屋であっちは老舗の喫茶店。」
「隠しようもないってこと、か。」篠原は感心する。
それに竜杜が実家にいるときは毎朝ランニングコースが波多野と一緒というのも、都は二人から聞いている。
「近所じゃ酒屋の四代目と喫茶店の三代目って呼ばれることが多いけどね。」
「いいポジションにいるよねー。」と、奈々。
「どうも。それよか清水、声でかすぎ。昼休みに下で馬鹿笑いしてたの、三階までしっかり聞こえてたぜ。」
「しょうがないじゃん。篠原さんが面白いこと言うんだもん。」
「こういう状況と思わなかったから。」言いさして、篠原は都を振り返る。
「でも木島さんってやっぱり印象と違ったなぁ。」
え?と都は顔を上げる。
「印象?」
「そ、写真の印象。」
お待たせしました、の4作目でございます。
ようやくまとまったので投稿開始です。ひとまず三日にいっぺんの投稿を目指していますので、またよろしくお願いいたします。