第四話 ギャラリーカフェ∞(無限大) (後編)
「大変失礼いたしました。」
美帆子に無理やり押さえつけられて、啓太は頭を下げた。
「本当に、失礼なこと言ってごめんなさい。」
美帆子も頭を下げる。
「あ、でも……らしくないって言われるのいつものことだし……」困ったように彼女は言った。
「そんなことないわよ。それに、学生って聞いてたでしょ!」
「わたしチビだから三年生にみえませんよね。」
否定も肯定もできず、啓太はもごもごと言葉にならない言葉を呟く。
一階のカフェスペースで、啓太と美帆子、それに早瀬と例の女子高生の四人は昭和の復刻デザインのソファに向かい合わせに座っていた。
まさか早瀬の「写真部の彼女」が女子高生だと思わず、あからさまに驚いた啓太を早瀬の背後にいた美帆子が見咎めてひっぱってきたのである。
「そんなに年齢を気にされると思わなかったな。」と早瀬。
「関係ないわよ!だって早瀬さんが都さん大事にしてるのは、話聞いててわかるもの。」美帆子が少女に微笑む。
「早瀬さんと知り合ったきっかけも、彼女さんの話だったし。」
「そうなの?」
都と呼ばれた少女が早瀬を見上げる。
「まぁ、そうか……」
「どちらかというと一般向けの紅茶の講座だったのよね。で、早瀬さんに声かけてきたお姉さま方がいて……」
「ああいう講座を受講してお茶でもどうですか、はないと思うが。」
「社交辞令にしても、ちょっとセンスないよね。」思い出して美帆子もくすっと笑う。
「見ててしつこいなぁと思ってたら、早瀬さんの一言。『彼女と約束があるから』って。」
「そりゃ正論だ。」思わず啓太は呟く。
「ところが相手がしつこくて、お時間あるときに連絡しますからメールアドレス教えてくださいって言ったら『携帯持ってないので』ってバッサリ。潔くて気持ちよくて、思わず声立てて笑っちゃったのよね。」
「お前、ね。人のこと言えねぇだろ。」
「ちゃんと謝ったわよぉ。それがファーストコンタクト。話してみたらフリューゲルの三代目だって言うじゃない?」
「うちは純粋に喫茶店だからカフェについて色々教えてもらってる。」
「こっちこそ、突貫手伝ってもらって何とかオープンにこぎつけました。」
そっか、と都が呟く。
「なんかリュートらしい。」
「事実を言っただけだ。ほとんど店にいるのに携帯電話なんて必要ないだろう。」
「知ってる。でもそれが、らしい。」
「そうか?」
「うん、すごく。」
その言葉のやり取りそして仕草は、確かに親密な者同志のそれだった。
でもやっぱり違和感が残る。
「彼女さんは……彼氏が年上で、お姉さま方にモテるって心配じゃないの?」
「啓太!」美帆子が怖い顔をする。
「いや、だって……この状況考えたらそうだろ。それとも、もう結婚まで考えてるとか?」
「ないこともない。」
早瀬の言葉に都が赤くなって俯く。けれど否定するつもりはないようだ。
美帆子が啓太をつついた。
「都さん、困ってるでしょ。そーいうデリカシーのない質問、いい加減にしなさいよ!」
「あ、いやだって早瀬さんはともかく都さん、だっけ?受験とか進路とかあるわけでしょ?親だって反対するんじゃ……」
「わたし両親がいないので。」
「えっ?」
「彼女の母親は彼女が中学生の時に亡くなってるんだ。だから今は血のつながらない保護者と暮らしてる。それに先を急ぐつもりもないし、彼女の進学を邪魔するつもりもない。」
「すまんっ!」
思いもよらない早瀬の説明に啓太は反射的に頭を下げた。
「悪かった。その、余計なこと聞いて。」
まったく、と美帆子が呆れる。
ううん、と都は首を振った。
「今はもう、母のこと話すの大丈夫だから。」そう言いながらそっと恋人を見上げる。
と、気まずいタイミングを見計らったように春香がトレイを運んできた。気付いた美帆子が立ち上がって受け取る。そうして都と早瀬の前にパステルカラーのマグカップを置いた。
「お詫びと手伝ってくれたお礼も兼ねて、今日はあたしのおごり。」
「そんなお詫びなんて……」
「早瀬さんには随分デートの時間割いてもらったもん。これくらいさせて。」
都は早瀬を振り返る。
彼は頷くとカップを手に取った。
「遠慮なくいただいておこう。」
その言葉に、都もようやく笑顔になる。
「これラテアート?クローバーの絵が描いてあるの崩すのもったいない。」
「そう言ってもらえるの嬉しいな。」
「写真撮ってもいいですか?」
「いーわよ。ブログでもなんでも載せちゃって。あ、ついでに店の名前も書いてね。」
「ブログはやってないから……」言いながら都はコンパクトカメラを取り出し、小首をかしげてアングルを定める。
その一瞬、彼女の表情がすっと変わる。
その姿に啓太ははっと身体を起こした。
「啓太?どしたの?」
「あ、いや……」慌ててグラスの水をぐいっと飲み干す。
デジャヴ。
その言葉が正しいのかどうかわからない。
けれど彼女がカメラを構えた瞬間、啓太は不思議な感覚をおぼえた。
「こんな感じかなー」都は液晶画面を美帆子に見せる。
「うんうん、いい感じ。やっぱり写真部って素人さんと違うわよねぇ。」
「お前が写真オンチなだけだろう。」
「だから啓太がいるんでしょ。」
「おれはカフェ専門じゃねーぞ。」
「知ってるわよ。観光写真でしょ。」
「風景写真、だ。」
都が顔を上げる。
「三芳さん、風景写真の写真家さんなんですか?」
「一応……っと名刺上に置いてきちまった。ん?」
微妙な表情の都に啓太は首をかしげる。
「すみません。その、母もそうだったから……」
「お母さん、って亡くなった?」
はい、と頷く。
「プロの写真家だったんだ。それで都さんも写真を?」
「なんとなく……小さい頃から慣れ親しんでたから……」
うん?と啓太は眉を寄せる。
『みやこ』という名がどこかで引っかかる。
「そーいや都さんの上の名前、聞いてなかったよな。」
「えと……きじま、です。」
「どういう字書くの?」
「ちょっと啓太!」美帆子が止めるが、構わず都が差し出した生徒手帳を受け取る。
学生証に記された文字を見ながら、記憶の底にある名前を引っ張り出す。
「ひょっとしてなんだけど、身内に木島朝子って写真家……」
「三年前に亡くなった母ですけど……」都がきょとんとする。
「ああ、やっぱり、」と言いかけた啓太は、
「ええーっ!」と立ち上がった。
その勢いと声の大きさに驚いて、思わず都は早瀬にしがみつく。
「母、ってことは…じゃあ、木島先生のお嬢さん!」
二人は顔を見合わせる。
「木島……」
「先生?」
マンションのエントランスホールで、啓太は教えられた部屋番号を押した。チャイム音の後にややあって『はーい』という女性の声。
「先日お電話した三芳です。」
『あー、はいはい。今開けるから上がってきて。』
その声に従って中に入ると、エレベーターに乗り込む。もう一度、ネクタイの結び目に指を触れてからボタンを押した。
都に会ったその日の夕刻、啓太は教えられた事務所の番号にすぐさま電話した。名前を告げると「朝子の教え子ね。」とあっさりした答え。どうやら都がすでに事態を説明していたらしい。
そうして約束を取り付けたのが先週のこと。そして今日、木島都の保護者である小暮冴の都合のよい日を見計らって自宅に出向いてきたのである。
エレベーターを降り廊下を進むと「小暮」と「木島」、二つの名前が並んでいるドアを見つけた。
インターフォンを押すと、足音に続いて勢いよく扉が開く。
現われたのはジーンズ姿の女性だった。若く見えるが自分より年上だと、雰囲気でわかる。
通されたリビングで名刺と手土産を渡し、自己紹介をして頭を下げた。
「お忙しいところ、すみませんでした。」
「いーわよ。今日は打ち合わせもないし、事務所も近いもの。」にっこりと眼鏡の奥の瞳が微笑む。
「本当はもっと早く来ようと思っていたんですが……」
「三芳さんだって忙しい盛りでしょ。それにフリーランスじゃ予定もつかないわよね。」
「すみません。」
「小さくて申し訳ないけど、お仏壇はそこ。」
三芳は会釈するとリビングの隅にある仏壇に向かい合った。
冴が言うとおり小さい。けれどデザインがモダンなのはインテリア設計を生業としている彼女のこだわりだろうか。
位牌と共に並んでいる写真の中にあるのは、カメラを構えた在りし日の恩師の姿。その写真に啓太はすっと目を細める。
かしこまって正座すると、目を閉じて手を合わせた。
気が済むまでそうしてから、冴にも一礼する。
「よかったらどうぞ。」
そう勧められてダイニングテーブルに用意された緑茶にほっと一息つくと、啓太は改めて礼を述べた。
「先生が亡くなったことは聞いてました。いつかちゃんとご挨拶したいと思ってて……」
「こっちも自宅と事務所引っ越しで落ち着かなかったから。それにあのときは急だったから連絡する範囲も限られたもの。朝子が講師をしてた専門学校には連絡したけど、さすがに卒業生まではね。」
はぁ、と恐縮する。
「でもまぁ、竜杜くんが絡んでこういう話につながるとは、世間ってわからないものよねぇ。というか、よく気がついたわね。」
「それはその……すごく、似てたんです。」
「似てた?」
「都さんがカメラを構えたとき。」
冴が眉を寄せる。
「都ちゃん、朝子に似てないのがコンプレックスなんだけど……」
「容姿じゃなくて……その自分、先生の作品好きで、だから先生がファインダー覗いてるときの緊張感がすげー伝わってくる瞬間が好きで……その緊張感っていうか空気感がすごく似てたんです。」
「本人無意識だと思うけど。」
「だと思います。本当に一瞬だったから。」
「でも……そうね……」冴は後ろを振り返る。
「竜杜くんも、あの写真見て雰囲気が似てるって言ったそうよ。あたしは朝子を学生時代から知ってるから、逆に近すぎてわからないけど。なににせよ、こうして来てくれてきっとあいつも喜んでるわ。」
「あの……」と啓太は身を乗り出す。
「ぶしつけで申し訳ないんですが……」
「ぶしつけ、ね。」
「そんな変なことじゃありません。その……先生の写真は今どこに?」
「写真?」言ってから冴は「ああ、」と了解する。
「プリントも記録媒体もひっくるめて、全部貸し倉庫に放り込んであるわ。」
「整理とか……」
「全然。」冴は首を左右に振る。そして言った。
「見る?」
「ぜひ!」
勢い込んでそのまま連れて行かれたのは、駅の高架下を利用した貸し倉庫だった。
冴の開いたスチールの扉の先には、ダンボールがぎっしりと詰まれている。
「機材は防湿庫ごと事務所に置いてある。でもそれも手付かずよ。」
「三年間?」
「ええ。あたしは専門家じゃないし……正直言うとあたしも都ちゃんもこの三年間、そんなものと向き合える状況じゃなかった。」
「彼女、写真部ですよね?」
「だって中学三年で唯一の肉親亡くしたのよ。高校だって本気出したところじゃなかったし。こうして今元気にしてるのが奇跡だわよ。」
「でも……」啓太はあのときの会話を思い出す。
「今はもう、母のこと話すの大丈夫って言ってました。」
「話すのが平気になっただけでしょ。」
「そうなんすか?」
「だって都ちゃん、朝子の葬儀で泣かなかったのよ。」
「え?」
「むしろ泣けなかったんでしょうね。代わりに過呼吸の発作起こして救急車呼んだくらい。」
きゅっと啓太は掌を握り締める。
「あたしも都ちゃんと同じ片親で比較的早く亡くしたけど……それでも二十歳はとっくに超えてたわね。だから十四の子が一人になった不安、受け止め切れなかったのよ。」
「そんなこと……」呟くが次の台詞が出ない。
もし自分が都の立場だったら、そして冴の立場だったらと考えるが一向に思いつかないのが情けない。
「竜杜くんと付き合い始めて、ようやく甘えること思い出したんじゃないかしら。」
「年齢差、心配じゃないですか?」
「敵を見切ったからね。」
「敵……ですか。」
「いい加減な付き合いするようだったら、もう一発殴るだけよ。」
「もう一発って……」啓太はぎょっとする。
「まさか早瀬さんのこと殴ったんですか!」
そおよ、とこともなげに言う。
「正確には平手打ちだけど。」
「それでも別れるって言わなかったんですか?」
「気が済んだか?って言われたわ。」
啓太はおぼろげながら理解した。
細かいことは知らないが、少なくとも自分が高校生の頃とはまったく違う境遇の中で都は竜杜が時間を重ねてきたことを。そうしてゆるぎない関係を築いてきたのだとしたら彼の言うとおり年齢差など取るに足らないことなのだろう。
「それで、どうするの?」
「どう、って?」不意に言われて戸惑う。
「仏壇の写真、あれ撮ったの三芳さんでしょ。」
「おれ、言いましたっけ?」
「言ってないけど。」
「えっ?」
「あの写真、一番朝子らしいショットだから選んだけど、思い起こせば見つけたとき封筒に入ってたのよね。差出人の名前全然覚えてないけど、三って漢数字が入ってたのだけは覚えてる。だからそうかな、って。」
はぁ、と三芳は肩を落とす。
「おれも思い出しました。木島先生が自分の親友は回転が早くて助かるって言ってたの。今、すっげー実感。」
「あら、あいつそんなこと言ってたの?」
「言ってました。」
「あたしはひとっことも聞いてないわよ。」
「言ったら有頂天になるから、って。」
「のやろ……肝心なことは何一つ言わないんだから。」冴は息をつく。
そんな冴に三芳は頭を下げた。
「この素材、自分に預らせてください。もちろん、プライベートな情報は慎重に扱います。念書書いても構いません。ただどうしても、このままにしたくないんです。自分がこうして写真の道に真っ直ぐ進んだのも木島先生のおかげだと思ってるし……だから……お願いします!」
「いいわよ。」にっこりと冴は微笑む。
「むしろこちらからお願いするべきことなんでしょうけど……それにきっと朝子も喜んでると思うわ。自分の教え子にしちゃ上出来だ、って。」
「確かに……」三芳はダンボールの山に目を向けた。
「木島先生なら言いそうだ。」
「でしょ?」
その情景を思い浮かべて、二人は顔を見合わせ微笑んだ。
がらっと音を立てて大きめの引き戸が開いた。
「わぁ!いらっしゃい!」ちょうどテーブルを片付けていた春香が声を上げる。
「美帆子さん、都さんですー。」
こんにちは、と制服姿の都も応える。その後ろには同じ制服姿の女子が二人。
「今日は写真部の友達連れてきました。」
「おっ!いいねぇ、写真女子!」ちょうど奥の階段を下りてきた啓太が目を細める。
「あとで上に行きますね。」
「おう。貸しカメラも始めたから見てくれや。そうだ美帆子、例の話。」
「そこにいるなら啓太がすればいいでしょ。」カウンター越しに美帆子が返す。
しゃあねぇな、と言いながら、啓太は女子高生が案内されたテーブルの脇にやってきた。
「小暮さんから聞いてると思うけど、木島先生の写真おれが整理することになった。」
「あ、はい。聞いてます……じゃなくて、ありがとうございます。ですよね。」
「それは片がついてからでいいよ。とりあえずそんな状況なんだが、来年の春に上の展示スペースで先生の写真展アット一回目を開こうと思うんだ。」
「そんな急に?」
「小暮さんにも仕事に支障のないペースでやってくれって釘刺されてるから、間に合う範囲になっちゃうんだけどね。専門学校時代の連中にも声かけたら賛同してくれそうだから、遅まきながらの追悼展って感じ。あ、小暮さんにはメールしといた。」
「みやちゃんの母上の写真が見られるのかぁ。ちょっとわくわくかも。」同じ写真部の箕原亜衣が身体を乗り出す。
「それでだ、」
「まだあるんですか?」都が首を傾ける。
「うん。ここのカフェの壁面、今は何にもないけど、それまでに上と同じようにピクチャーレールつけて展示できるようにするつもりなんだ。ま、大きいものは無理だけど数は吊るせそうだから。だからさ、よかったら展示しない?」
「誰が?」
「都さん……もしくはお友達と。」
ひえ?と都は妙な声を上げる。
「そ、そんな展示なんて……」とんでもない、と言いかけた耳元で、林杏子がぼそっと呟く。
「グループ展でもオッケーってことですよね?」
「もちろん。もちろん。」
その言葉に杏子と亜衣が顔を見合わせる。
「てーことは?」
「うちらの代の写真部の卒業制作展てのはどうだ?」杏子がぴっと指を立てて提案する。
「えっ?」と驚く都を尻目に亜衣が「いいねー!」と賛同する。
「あ、亜衣ちゃん?杏子さん?勝手に決めちゃ……」慌てる都に杏子が大丈夫、と手を振る。
「こないだ部長と話してたんだよね。そういうことできたら面白そーだなーって。」
「おおっ!さすが副部長!有終の美ってやつだね。」
「もちろん値段の相談はあるんだけど。」
「金額設定これからだけど、部活の発表会てことなら考えとくよ。」
「やりぃ!じゃあ卒展だから三月で!」
「仮予約ってことでいいんだな?」
はい!と揃うのは杏子と亜衣の声。
「了解。」
はぁ……と都はあっけに取られる。
今の会話だけで五分も費やしていない。
「いやぁ、楽しくなってきたねぇ。」
亜衣の弾んだ声に都はふと、母親の口癖を思い出す。
「なるようになる……か。」
「なんか言った?」
ううん、と都は首を振る。そしてくすりと笑みをもらす。
「そういうのも、いいかもしれない。」
∞マーク、最近のデジカメはどうなんだかわかりませんが、一昔前のカメラの焦点距離にはついておりました。
自分も未だにフィルムカメラ、シャッター反応のよさが好きで使ってます(^^




