第九話
「ふぅん」と何気なく言ってから、言葉の意味を理解した都は思わず「ええっ!」と声を上げた。
「だって……卒業って……来年の三月……」
「知ってる。」
「まさか仕事クビになったとか……?」
「まさか。」竜杜は苦笑する。
「人手不足の部署だからそれはできないが、無理を通して出向という形にしてもらった。」
「出向?どこからどこに?」
「現場から研修に。」
「研修って何の?」
「門番。」
今ひとつ意味がわからず、はぁと変な返事をしてしまう。
そんな都に竜杜は説明する。
今すぐにではないが、もし父親になにかあれば門番を引き継ぐのは自分しかいない。だが自分は向こうで育ったから、こちらのことを完全に理解しているとも言えない。それは都と出会う前後、こちらで暮らしてみて痛感した。仮にも籍がある以上、日本人・早瀬竜杜として生活できるようにしておくに越したことはない、と。
「そんなことを上申したんだ。それが認められた。」
「でももしリュートが門番を引き継いだら、ラグレスの家はどうなっちゃうの?」
「だから先の話だと言ったろう。あの父親が来年再来年でどうにかなると思うか?」
都は首を左右に振る。
「少なくとも十年二十年は元気そうだし、その頃にはラグレスの家も跡継ぎがいるだろう。」
「跡継ぎ……」
口に出して言ってから、それが意味するところに気づいて都は「ひぁ」と変な声を出してしまった。
ラグレスの跡継ぎということは、すなわちリュートの息子あるいは娘ということになる。それはこのまま間違いがなければ、都の子供ということ。
「そ、それは……」今まで意識していなかったことに気付いて慌てる。
そんな都の様子に竜杜は笑った。
「落ち着け。先の話だと言っただろう。何も今すぐ結婚しろとも言ってないし。」
「そ、そうだけど……あ、でも……そうしたら、空、飛べなくなっちゃう。」
「しばらくの間だ。仕方ない。」それより、と視線を空に向ける。
「母を一人にするほうが気がかりだったんだが……」
「が?」
「いつもの調子でキッパリ言われた。あなたの母はそこまで老いてませんって。」
都は目をぱちくりさせる。
「凄く……らしいかも。」
「ああ。もう一つ言うと、都と会ってからえらく張り切ってる。」
「張り切るって?」
「都のために部屋の模様替えをするとか。」
「そ、それは嬉しいけど……いいのかな?」
「母が愉しんでることだ。それとケィンも。都のために甘い物作りを試行錯誤してる。」
都は腕まくりをして調理場に立つ、ラグレス家の赤毛の料理人の姿を思い浮かべる。
「それは控えめにして欲しいなぁ。ケィンのお菓子は美味しいけど、毎日食べきれないほど作ってくれるんだもん。あ、イーサは?」
「いつもどおりだ。そういえば都が置いていった道具は彼女が預かってる。」
「帰り荷物が多くて、後でしまうつもりが忘れちゃって。多分そうかなって期待してたんだけど……よかった。」
「それとダールが、次に来た時は妹を連れてくるそうだ。」
「ダールさんの妹さん?」
「都より一つ年下になるのか。あと、薬師の一家が街に戻ってきた。」
都は自分のことを友達だと言ってくれた少年を思い出す。
それに都が出会い、知り合った「向こう」の世界の人々のことも。
ほとんど無意識に都は呟く。
「みんなに会いたいな……」
「皆も都に会いたがってる。」
「リュートは……やっぱりリュート・ラグレスなんだよね。」
「うん?」
「空の同胞と飛んでるときのリュートって、本当に空ばっかり見てるよね。」
向こうの世界からの帰り際、門の入り口まで送ってもらったときを思い出す。
「でもそういうリュート、いいと思う。」
「急にどうした?」
「えと、その……リュートが早瀬竜杜としてフリューゲルにいてくれるのは凄く嬉しくて、でもやっぱり空も飛んで欲しいっていう気持ちもあって、それを両立させるには、わたしはどうすればいいんだろう、って色々考えてるんだけど……なんかまだ上手くまとまらなくて。わたし、まとめるの苦手で……」
「そんなことないだろう。」
「ごめん……」
「俺に謝るな。」
「だって飛べなくなるの、わたしのせい……」
「理由の一つではある。だがそれも含めて都のそばにいると、俺自身が決めたんだ。むしろ都に余計な気を遣わせてる原因は俺にある。」
「そんなことない!」思わず大きな声で言って、慌てて口を押さえる。
「だって……待ってもらってるのはわたしなんだし……そういう前提のお付き合いだし……それにわたし空の同胞のいる世界、嫌いじゃないし……まだ、字は読めないけど読めるようになりたいって思うし……って、笑うことないでしょ!」
「だから叩くな!それに笑ったんじゃない。都の気持ちが嬉しかったんで、つい。」
もーっ、と都は唇を尖らせる。
「真剣に考えてるのに。」
「あんまり焦って無理するな。それにこちらで暮らすといっても、時々は向こうに戻らなきゃならない。それをどう言い訳しようかと実は悩んでた。」
「言い訳なんてしなくても……わたしだってアルやネフェルとまた会う約束してるし。」
「ネフェルといえば……」竜杜が何かを思い出す。
「そうか、会えると思わなかったから家に置いてきたな。」
「ほえ?」
「ネフェルから手紙を預かってきた。」
「ネフェル?会ったの?」ぱっと都の表情が輝いた。
知り合ったのも別れたのもほんの一月前なのに、もうずっと古くからの友達のような気がする。
「直前にオーロフの家に行ってきた。生活にも慣れて、今は覚えることが多くて忙しいと言っていた。」それでも愉しそうだったと言うと、都はホッとした笑顔を見せる。
「あ、でもわたしまだ文章読めない……」
「それはネフェルも承知してる。だから返事はいつでもいいと言ってた。それからネフェルの祖父が、彼女を正式に養女に迎えると決めた。」
「ええと……」
「ネフェルはオーロフを名乗ることができる。」
「それは、いいこと?」
竜杜は頷く。
「オーロフにはもう一人養子がいて、老オーロフの娘の息子……つまりネフェルの従兄に当たる」
そのジェイス・キールとネフェル、二人の血縁者を迎えたことでオーロフという英雄の家系はとりあえず面目をを保つことが出来たのだと説明する。それにネフェルに後ろ盾ができたことに、関係者一堂ほっとしていたことも付け加えた。
そんな風に互いの知人の消息を伝え合っているうちに、いつしか風が冷たくなってきたことに気付く。
けれど別れるのが名残惜しいのは竜杜も同じと見えた。「自宅まで送って行く」という申し出を、都は喜んで受け入れた。
二人で並んで歩きだす。
繁華街を抜け住宅街に差しかかったところで、都は目に留まった緑の枝を無意識に見上げた。
「そういえば、今年はお花見できなかったんだよね。こっちに帰ってきたら、もう散りかけてて。」ちょっと残念、と呟く。
「これ、桜の木か。葉桜?」
「あ、うん。もしかして桜の花、見たことない、とか?」
「見たのは去年で二度目だ。」
「二度目?」
「祖父が亡くなったのが桜の時期だったから。けどそれ以来、この時期に早瀬の家にいることもなかったからな。」
あ、と気付く。
「さっき言ってたお墓参りって……お祖父さん、の?」
竜杜は頷く。
「そっか。そういえば……去年の今頃はまだ、名前知ったか知らないかくらいだったよね。」
「そういや、そうだったな。」
そっと、都は竜杜を見上げる。
あの時は正体不明で警戒していた人と、こうして並んで歩いている。それだけでも不思議なのに、その人が都にとって大切な存在になりつつある。
たった一年なのにと思う反面、それだけの時間が経過したことに改めてびっくりする。そしてこれからどうなるのだろうという、期待と不安。
「来年は……どうしてるんだろう。」
呟いた言葉に竜杜が「そうだな」と答える。
「とりあえず、桜、見に行くか。」
「お花見?」
「嫌か?」
ううん、と首を振る。
「だったら夜桜、見たいな。」
そういう都の前に、竜杜は右手を差し出す。
ほえ?と見上げる。
「約束。」
あ、と呟いて差し出された小指に自分の小指を絡めた。
「指きりなんて久しぶり。」
「俺もだ。」
けれどそれすらなんだか嬉しい。
「……うそついたら針千本のーます!」
「あ、あの……リュート……」
「うん?」
「そ、その……ついでにここで手をつなぐのはちょっと……」
「経験すれば慣れるんだろう?」
「でも外だし、制服のまんまで目立つし……」
「じゃあ……」
「いっ、いい!何にもしなくていいっ!」
「せめてカバンを持とうか……と思ったんだが?」




