プロローグ
「花なんて咲いてないよ。」
「桜は春の花だからね。」
「今は?」
「夏の少し前。」
むー、と男の子は考える仕草をする。
「もう二ヵ月ほど前だったら、間に合ったかもしれないな。」
「それ、来るのが遅かったってこと?」
その真剣な表情に祖父は苦笑する。
すとんと腰を落とし、子供と目線を合わせて首を振った。
「遅くなんかないよ。葉桜も綺麗だろう。」
そう言って小さな肩を抱き寄せ、公園の片隅で枝葉を伸ばす老木を見上げた。
けれど男の子は首をかしげ、
「だって葉っぱだよ!」
「桜はね、花が散ってから一斉に葉が芽吹くんだ。」
「花と一緒じゃないの?」
ああ、と頷く。
「これから明るい季節になりますよって、知らせてるんだろうね。だから花が散った後も『葉桜』って名前があるんだ。」
「でも、やっぱり花が見たかったな。」
「だったらお父さんに言って、今度は春に来なきゃならないな。」
「そしたらまた連れて来てくれる?」
もちろん、と優しい笑みが答える。
「本当?約束、忘れない?」
そうだな、と思案する。
「忘れないようにおまじない、するか。」
そっと小指を差し出す。
けれどその意味がわからず、男の子はきょとんとする。
仕方なく手を取ると、自分の小指と小さな小指を絡ませる。
「約束はこうするんだよ。指きりげんまん……」
その口上を、男の子が追いかける。
そしてもう一度。
「うそついたらはりせんぼんのーます。」
きっと意味は理解していないだろう。けれど諳んじてみせる笑顔はどこか誇らしげだ。
「約束だよ。」
「ああ、竜杜とおじいちゃんの約束だ。」
その言葉に満足して頷くと、男の子はもう一度、そびえる桜の木を見上げた。