雪の結晶
夜更かししてしまったが、眠くはなかった。『篠沢恵瑠夢』はどんなに不摂生な生活をしても、美貌も体調も崩さない。
朝。クマに貰ったアメジストの腕時計をつけ、私は学校へ向かった。
(これ、本物かな……)
ブレスレットみたいな見た目だが、シンプルで品のいいデザインだ。偽物とは思えない。
(あいつ……どこからこれを調達してきたんだろう……)
フェラーリといいクルーザーといい――謎である。盗んだのでなければ良いが。
(まあ、盗んだとしても……)
悪魔の犯罪なんて、人間には裁けない。
盗んだ物だって、契約が終われば元通り。
(……盗んだんじゃなかったとしたら、クマの手元に戻るのかな)
それとも、『私』とともに消えるのか?
よく分からない。謎である。
――やがて、学校に到着した。自分の下駄箱へ向かう。
(……。ん?)
手を伸ばし――途中でピタッと止め、引っ込めた。
(……)
下駄箱をじっと見る。
特におかしなところはない。フタもきちんと閉まっている。が――何となく、違和感を覚えた。
(……そういえば、前にもこんなことがあったな)
ふと思い出し、私は周囲を見回した。
「リューくん? いるの?」
「――あれ、バレちゃった〜」
呼びかけると、下駄箱の向こうから呑気な声が返ってくる。少しして、黒茶色の髪の少年がひょっこり現れた。
「おはよっ。エルちゃん、勘いいねー」
「おはよう。やっぱり何か仕掛けてあるの?」
私は改めて自分の下駄箱を見た。
特に異状はない。
「うん。変だなー、どうして分かっちゃったんだろ」
リューくんも私の下駄箱を見て、首を傾げた。
(どうしてって、それは……)
――慣れてるから。
(……)
とはいえ、リューくんなら悪意はない。
「完璧に『普段の下駄箱』になってると思ったんだけどなー。エルちゃん、どこで気がついた?」
「……パッと見て、何となく」
「何となくかー。うーん」
彼は下駄箱を見つめたまま考え込んだ。
(ミリちゃんは警戒心ゼロだからなあ)
もし彼女なら、一瞬のためらいもなく下駄箱のフタを開けるだろう。リューくんがカモフラージュに苦心する必要はない。
――慣れてるはずなのに。
相手への信頼が油断を生むのだろうか。リューくんなら、ミリちゃんが本気で嫌がることはしない。ただ般若に変身させるだけである。
「で、どうしたの? 私に作品仕掛けるなんて珍しいね。今日は私と追いかけっこしたい気分だったの? 廊下は走っちゃ駄目だよ。眼鏡が飛ぶよ」
「眼鏡!? 何のこと?」
リューくんはきょとんとした。門叶くんやナノちゃんを吹っ飛ばした件は覚えていないらしい。
「ていうか、違うよ!? いいからエルちゃん、開けてみて〜」
彼は無邪気に、にこっと笑った。
「……」
私は下駄箱を見る。
特に変わったところはない。いつも通りだ。
「――開けたら血まみれのドクロが頭突きしてくる?」
「えええっ!? アレは俺の作品じゃないよ! 思い出させないでくれる!?」
リューくんはサッと青ざめ、怯えたような表情を浮かべた。
――そういえばこの人、お化けとか怖い話とかは苦手だったな。
「ごめんごめん。じゃ、開けるね」
私は下駄箱のフタへ手を伸ばし、ちょっと身構えつつ、開けた。
――ポンッ!
「あっ!?」
白いものが飛び出した。
(おぉっ!?)
それは、小さな雪の結晶の群れだった。紙製だが少しラメが入っているらしく、角度によってチカッと光る。いつぞやの『白紫陽花』と同じく、『飛び出す絵本』の要領で下駄箱の内部に仕掛けられていた。
「え――っ、凄い! 何これ、綺麗!」
なんと、細かな雪の結晶は一つ一つが違う形をしており、全体はふわりと広がるように繋がっていた。遠目に見ればレース細工のようだ。
「へへっ、気に入ってくれた〜?」
「うん!」
雪の結晶の向こうには、私の上履きが見える。
(……ん?)
今気づいたが、その上履きの間に、雪の結晶とは別の白い物体が置いてあった。これはビニール袋でラッピングされている。
「あれ? これも紙?」
「違うよ〜。これはプレゼント〜」
「え」
リューくんはその物体をひょいと取り上げ、私に差し出した。
「はい、あげる。エルちゃん、お誕生日おめでと〜」
「――え」
びっくりした。
「お、覚えててくれたの!?」
実は以前――リューくんの誕生日に、ミリちゃんもまじえた三人でお昼を食べたことがある。その時、「そういえば、エルちゃんの誕生日っていつ〜?」と聞かれていたのだ。
三ヶ月ほども前の話だし、ずっと覚えてはいないだろうと思ったのだが。
「うん、もちろん。大事な日だからねっ」
「……ありがとう……」
まさか、クマ以外の人までお祝いしてくれるとは思わなかった。
私は白い物体を受け取った。
それは、バレッタだった。こちらは本物のレース細工らしい。花のような形をしている。
「わー、これも綺麗だね。何の花?」
「スノーローズだよ〜」
――花じゃなかった。
スノーローズとは、雪が斜面を転がり落ち、薔薇の花のような形になる現象である。このバレッタのデザインはそれを模したものらしい。
「――あ、だから『雪の結晶』なんだ?」
「当たり〜。冬のイメージで統一してみました〜」
リューくんは、自分の鞄から二つ折りの厚紙を取り出した。外側には可愛らしい雪だるまの切り絵が貼ってある。
「じゃ、『結晶』はこっちに移してあげるねっ」
「おぉっ、今日はそこまで用意してくれてたんだね。ありがとう!」
彼は私の下駄箱から『雪の結晶』を外し、何やら折ったり調節したりしながら、雪だるまの厚紙の内側へ貼り直した。
「はい、どうぞ」
「早いね!?」
あっという間に、大きめの『飛び出すカード』みたいなものが完成する。試しに開いてみると、パッと舞い上がるように雪の結晶の群れが広がった。
内側には他に、『Happy Birthday!』の文字の切り絵も貼ってある。これはあらかじめ作ってきてくれたのだろう。
「わー、凄い! バースデーカードだ!」
その種のものを貰ったのは初めてだ。
「リューくん、ほんとにありがとう! 大事にするね! バレッタも使うから!」
「えっ……そ、そう? そんなに喜んでもらえると、俺も嬉しいよ〜」
どうやら、私は彼の予想を上回る喜びっぷりを発揮したらしい。リューくんはちょっと戸惑ったようだが、それでも照れた笑顔を見せてくれた。
――次の瞬間。
「ぎゃあぁあああっ!?」
物凄い悲鳴が響き渡った。
「あ」
何かを思い出した様子で、リューくんは時計を確認した。
「ひょえぇえええっ!?」
(……)
私は深く納得した。
――そうだよね。リューくんだもの。『雪の結晶』だけでほのぼのと終わるはずがないよね。
彼は黒茶色の髪をかき上げた。
「ふっ……俺としたことが、時を忘れてたぜ」
「いや、妙にかっこつけて言わなくても」
ドドドドド!!
E組の下駄箱方面から、地響きのような音がした。ミリちゃんだ。
「リュウゥゥゥッ!!」
……般若モードだ……。
「エルちゃん、またね〜」
「う、うん……またね」
リューくんはパッと駆け出した。ミリちゃんはその姿を視界に捉え、後を追う。
「くぉらぁぁ〜〜っ! 待たんかぁぁ〜〜っ!」
「あっははははは!」
今日は何をされたのか、ミリちゃんの髪には細かい『雪の結晶』がくっつき、時折チカッと光っていた。
(おぉ)
雪女?
「待てぇぇっ!」
「きゃ〜、ミリ姉怖〜い」
ドドドドド!!
二人は嵐のように去っていった。
(……雪女に追われる少年……)
傍からはそう見える。が、実際は雪女のほうが被害者だ。
(……片づけといてあげようかな)
ミリちゃんの下駄箱は凄いことになっているに違いない。でも、引き返してきた時に綺麗な状態に戻っていれば、少しは怒りも和らぐかもしれない。
バレッタと雪だるまカードを鞄にしまい、私はE組の下駄箱へ向かった。




