アメジスト
祭りの後にはテストがやってくる。
バレンタインは祭りではないが、似たようなものだ。ともかくテストがやってくる。じきに三月、もうすぐ期末試験である。
(今年度最後の試験か……)
『この子』は頭がいい。おかげでこの一年、勉強が全く苦にならなかった。中学時代とは雲泥の差だ。
(……二年生に、なれる)
今の成績なら問題ないだろう。私は進級できる。
(本当なら、『高校生』にすらなれなかったはずなのに……)
それを思うと、ちょっと感慨深い。
「エルム、エルム」
(ん?)
夜。机に向かっていると、クマが忽然と現れた。
つやつや光る漆黒の髪、妖しく底知れない闇の瞳。捕食モードだ。
「日付、変わったぞ」
「……もうそんな時間?」
言われて目を上げれば、確かに時計の針は0時を指していた。
「でも、それがどうかした?」
「行くぞ」
「え」
奴はいきなり、私の手を取った。と同時に、黒い気配がぶわっと広がる。翼だ。
「何、飛ぶの? どこに――」
次の瞬間、上昇する感覚が全身を走った。
(っ!?)
視界が切り替わる。自室が消え、夜空が見えた。いつの間にか、私とクマはマンションの真上に浮かんでいる。
「港へ行ってみるか。ほら、あのてっぺん」
と、奴は遠くに佇む高層ビルを指差した。この辺りで一番高い建物だ。
「……。いいけど」
急に散歩でもしたくなったのだろうか。気まぐれな奴だ。
まだ眠くないし、クマのおかげか『篠沢恵瑠夢』のおかげか、寒くもない。私はクマに手を引かれ、真夜中の空を飛んだ。
ほどなく、高層ビルのてっぺんへ到着する。街は明るく、美しい夜景を見下ろせた。
「……ここ、関係者以外立ち入り禁止だよね?」
「今更気にするなよ、そんなこと」
「今更?」
「もっとまずそうな場所だって行っただろ。エッフェル塔のてっぺんとか凱旋門のてっぺんとか」
「……。行ったね。GWに」
確かに、よく考えたらここよりまずそうな場所だ。ヘタしたら国際問題である。
といっても、バレる心配はないが。
私は街を見渡した。
「あんた、高いところが好きだよね。普段は地下にいるから?」
「オレは地底人じゃない」
「地獄って地の底にあるんじゃないの?」
「お前の発想は単純だな。じゃあ聞くが、雲の上に天国があったか? 何度も一緒に空飛んだだろうが」
「なかったなあ、そういえば」
ガガーリンの名言通り。上空に神様はいなかった。
「お前は綺麗なものが好きだよな。自分が綺麗じゃないから」
「悪かったね。その通りだけど」
人間はないものねだりの生き物である。
「――ほら、見ろよ。今日は豪華客船が停まってるぞ」
クマは港を指差した。
「おぉっ、ほんとだ。大きいね」
名前は分からないが、白くて美しい船だった。課外授業の時、ボトルシップ展であんなのを見た気がする。
「あとでタイタニックごっこしに行くか」
「沈めないでよ!?」
「くくく……」
油断ならない。
「……で、今日はどうしたの? 0時に飛びたい気分だったわけ?」
「ん? ああ。お前にこの夜景を見せてやろうと思ってな」
「……。ふうん」
妙にまともだ。こいつにしては。
「あんたのことだから、『じゃあ、ちょっと消してみるか』とか言って大停電でも起こす気かと思ったよ」
「おっ? 面白そうじゃねえか。やってみるか」
クマは街に向かって手をかざした。
「いや、やめて! 絶対やめて!」
「くくく……いきなり世界が真っ暗になったら、お前らビックリするだろうな」
「ビックリどころじゃ済まないよ!?」
大混乱である。
「冗談だ」
「冗談!?」
だから、あんたがそういうことを言うとシャレにならないってば、クマ。
「今日は、お前の嫌がることはしない」
「今日は!?」
やっぱり油断ならない。
「――さあ。これ、やる」
「え」
指をひらりと返すと、奴の手に何かが現れた。それは、銀色の――。
「……ブレスレット?」
「腕時計だ」
「あ、ほんとだ」
よく見たら、複数のパーツの中に時計の文字盤があった。しかし、ブレスレットみたいなデザインだ。他にも銀やアメジストのパーツが光っている。
「手、出しな。つけてやる」
「……。それ、普通の腕時計?」
「くくく……」
クマは馬鹿にしたような笑みを浮かべた。
「そう警戒するなよ」
「警戒するよ!」
契約中、クマは私をあらゆる危害から守る義務がある。もちろん、クマ自身も私に危害を加えてはならない。
――が、『危害』とまではいかない程度にビックリさせられることは多々ある。
「安心しろ。今回は呪いも魔法もかかってない。つけても、凍ったり燃えたり吹っ飛んだりはしねえよ」
「安心できないよ!?」
むしろ不安を煽られた。
「何!? それ以外の何かが起こるの!?」
「深読みするなよ。ただの腕時計だ」
クマは私の左手を取り、その腕時計を装着した。
「っ!」
私は腕時計を凝視した。
「……」
次に、街を見渡した。
その次は海と船を見た。
そして最後に空を見た。
(……)
「えええっ!? どこが違うのか分からない!」
「間違い探しじゃねえよ! ただの腕時計だって言っただろ!」
――何も起こらなかった。
「どうしたの、クマ! 妙にまともだよ! あんたが真夜中にこんなとこで普通の物をくれるなんて!」
「そこまで驚くか?」
クマはちょっと呆れた顔をしてから、にやりと笑った。
「どうもしねえよ。お祝いだ」
「はっ?」
「――誕生日、おめでとう」
「……えっ……」
(誕生……日……?)
一瞬、私の思考は停止した。
「あ……そうか。今日………」
日付が変わったから――もう、今日だ。
(……)
私は改めて、左手の腕時計を見た。
「じゃあ、これ……バースデープレゼント?」
「ああ。それと、この景色もな」
と、奴は軽く腕を広げ、夜景を示した。
「アメジストは二月の誕生石だ。お前は今、ここにいる。まだ時間はある」
「……。うん」
そういう意味のプレゼントなのか?
「私、まだ、年を取れるんだね……」
本当なら、『十六歳』にはなれなかったはずなのに。ちょっと感慨深い。
顔を上げ、私はクマを見て微笑んだ。
「ありがとう。誕生日に『おめでとう』なんて言ってもらえたの、初めてだよ」
「だろうな」
奴は肩をすくめた。
「お前、自分でも忘れてたろ」
「覚えてたって仕方ないからね……」
私にとって、誕生日とは『いつの間にか過ぎてる日』である。今までお祝いしてくれる人はいなかったし、自分で自分を祝うこともなかった。
でも、今は違う。クマがいる。それに、私にも誕生日を祝ってあげたい知人が増えた。
「そういえば結局、去年はみんなにろくなプレゼントが出来なかったなあ。今年はちゃんと考えなきゃ」
思い返せば十碧くんを除き、去年はその日のデザートを譲ったり一緒にお昼を食べたりするだけだった。今年はもう少しマシにしよう。
「他人のは覚えてるんだな」
クマは呆れたらしかった。
(――ん?)
「そういえば……あんたって、誕生日あるの?」
ふと疑問に思い、尋ねてみた。すると、奴は馬鹿にしたように笑う。
「あるわけないだろ」
「えっ、じゃああんた、『誕生』はしてないの? 最初からいたってこと?」
「『最初』? 少なくとも、お前らが暦の概念を作り出す前にはもういたぜ」
「ええっ!?」
暦というものがいつ成立したのかは知らないが――とりあえず、大昔だろうとは思う。
「あんたって……実はすっごいおじいちゃん?」
「年寄り扱いすんなよ。オレは永遠に若いんだ」
「……」
ほんとに若い人はそんな言い方しない。『若い』という自覚すらないのが本物の『若さ』だ。
「そっか……」
私は呟いた。
「誕生日がないなら、あんたのことは九月の第三月曜日にお祝いしてあげるね」
「年寄りじゃねえって言ってんだろ!」
クマはやや不機嫌になった。ほんとに若い人ならここでムキになったりしない。
(実は自覚あるんだな……)
九月の第三月曜日――。
敬老の日である。




