バレンタイン(神君アウグストゥス業績録)
「はい、エルちゃん。バレンタインチョコだよ〜」
「わー、ありがとう」
昼休み。ミリちゃんがお菓子をくれた。ハートの形をしたチョコマカロンだ。
「はい、私のはこれだよ」
「おぉっ、美味しそう! これ、どこの?」
ブラウニーを渡すと、リューくんと全く同じ反応が返ってきた。
(ほんとに姉弟みたいだな……)
ふとした瞬間が妙に似ている。血は繋がっていないが。
「私が作ったやつだよ」
「自分で!? えー、凄い!」
私も全く同じ言葉を返してみると、更にリューくんと同じ反応が返ってきた。
「ありがとう、エルちゃん」
しかし、浮かぶ笑みはリューくんよりも華やかだ。さすがミス冷泉院。
「ミリちゃん、リューくんにはチョコあげた?」
「これからあげるとこだよ。エルちゃんは今日もお弁当?」
「うん」
私はランチトートと紙袋二つを持ち歩いていた。すでにクラスメイト全員に配り終えたため、ブラウニーはほとんど捌けている。ただ、箱のプレゼントはまだ残っていた。
「そっか。じゃ、またね」
「うん。リューくんによろしくね」
ミリちゃんは食堂を目指して去っていった。
私も体の向きを変え、出発する。さて、本日の昼食場所は――。
「……ぽすといどてむぷす、あうくとりたておむにぶす……」
(ん!?)
廊下を曲がった瞬間、知り合いの姿を発見した。
「……ぷらえすてぃてぃぽてすたてぃす、あうてむにひろ……」
(……)
門叶くんだ。
今日も何やら読んでいる。その視線は定まらず、本のページと空中とをふらふらとさまよっていた。
「……あむぷりうすはぶい、くうぁむけてり……」
(……)
今日は何語だ?
「……くうぃみひ、くうぉくうぇ……やあ、篠沢さん」
「……あ、うん」
交信しながらふらふらと歩き続け、私のそばへ差しかかると、彼はピタッと立ち止まった。いきなり正気に戻っている。
「これか。ローマ市街の碑文集だ」
と、例によって聞いてもいないのに教えてくれた。
「ローマ……ってことは、イタリア語?」
「ラテン語だ」
外れた。
「……面白い?」
「読み方はほとんどローマ字と同じだからね。分かりやすいよ」
「……。そう」
内容は二の次らしい。まるっきりどうでもいいわけでもないのだろうが。
「ラテン語かあ……なんか格調高いね。なに言ってるのか全然分かんなかったけど」
「『これ以後、余は権威において万人に』……」
「いや、訳してくれなくていいよ!?」
「この碑文はユリウス・カエサルの後継者となったオクタウィアヌス――すなわちアウグストゥス帝の遺書によって指示された自らの業績録を、霊廟に隣り合うアラ・パチス(平和の祭壇)を収めた建物の土台壁面に再現した――」
「解説もしてくれなくていいよ! ――えっ、ユリウス・カエサル? って、ジュリアス・シーザー? 刺し殺された時に『ブルータス、お前もか』って言った人?」
「……。まあな」
門叶くんは本を閉じた。そして、私の荷物をちらっと見る。
「君もこれから昼食か? 今日は一段と大量だな」
「ええっ!? これは違うよ!」
誤解である。紙袋の一つを持ち上げ、私は説明した。
「今日、バレンタインでしょ? だからチョコを――」
「貰ったのか」
「あげたんだよ!」
「貰えなかったのか?」
「……いや、貰ったけどさ」
クラスメイト全員にチョコを配ったのは私だけではない。他にもお菓子作りが得意な人はいる。今、バラまき用の紙袋にはブラウニーの代わりに、ラッピングされた小さなチョコクッキーなども数点入っていた。
「そうだろうな。うちのクラスでも女子が互いにお菓子を交換していたよ」
「門叶くんは貰えた?」
「いつの間にか机の上に置いてあった」
「……『いつの間にか』?」
それはどうかな?
「一応聞くけど……教室でもそれ読んでた?」
「ああ」
私が碑文集を指差すと、彼は短く肯定した。
「なら、ちゃんと声をかけて渡されたのに門叶くんが読書に集中してて気づかなくて、相手の人が仕方なく机の上にお供えしていった可能性はない?」
「お供え? 僕は神仏でも修行僧でもないぞ」
「……」
似たようなものだと思うが。
常人には理解できない、何やら格調高い文言を唱える唇。
常人とは異なる、どこか遠い次元を見つめる眼差し。
彼の言動は何かを超越している。
「……で、声をかけられたのに気づかなかった可能性は?」
「極めて高い」
「自覚はあるんだ?」
「今日に限った話じゃないけれどね。いつものことだ」
「でも、気にしないんだ……」
「別に構わないだろう。どうせ義理だ」
「……」
義理じゃなかったらどうする気だ。
(確かこの人、誕生日に結構プレゼント貰ってたよね……)
オリーブ尽くしではあったが。それはつまり、門叶くんを気にかける人がわりといることを意味している。
美形で、頭脳明晰で、大物政治家の息子。言動とコミュニケーション能力さえ無視すれば、この人はいい物件(?)だ。お近づきになりたいという女子だって存在するのではなかろうか。
「ということはひょっとして、誰がくれたのか分からないってこと? ホワイトデーにお返しする時、困らない?」
「困らないよ。特に何もしないからね。相手も僕にそういった気遣いを期待してはいないだろう」
「……」
さすが社交嫌い。人付き合いというものを全く気にしていない。
(まあ、この人らしいけど……)
少なくとも、門叶くんは女の子にチョコを貰って浮かれるタイプではない。
「君はどうだ? 三倍返しを期待してチョコを配り歩いているのか?」
「そんなわけないでしょ!」
私はただ、せっかくだから今まで無縁だったイベントに参加してみようと思っただけである。日頃の感謝を込めてチョコを贈る――お中元やお歳暮のようなものだ。
「そうだろうな。君はあまり欲深そうには見えない」
「……はあ」
真顔でそう言われて、私はきょとんとした。
――もしや今、「無欲だ」と褒められた? それとも「要領が悪い」と批評された?
どちらとも取れる。
「――それを持ち歩いているということは、まだ配り終えていないらしいね」
彼は再び、紙袋へ目をやった。
「健闘を祈るよ。では、僕はこれで」
「あー、ちょっと待って」
行こうとした門叶くんを、私は咄嗟に引き止めた。
「せっかくだし、私にもお供えさせて?」
「僕は神仏でも修行僧でもないと言ったはずだが」
「でも、なんかご利益ありそうだから」
「どういう意味だ」
私は紙袋からブラウニーを一つ取った。
「はい、どうぞ」
「……ブラウニーか」
差し出すと、門叶くんはそれを受け取り、しげしげと観察した。
「僕の弟は、これにバターを塗って食べるよ」
「バター!?」
何か足さなきゃ気が済まないのか、久貴くんは?
「と、門叶くんは? まさか、オリーブオイルかけて食べるの!?」
「いや、僕はそのままいただくよ。――ありがとう」
門叶くんは本を広げ、体の向きを変えた。
「……いんまぎすとらとぅ、こんれがえ、ふうぇるうんと……」
(……)
一瞬にして交信へ戻ると、彼はふらふらと食堂方向へ去っていった。
(とりあえず、拝んでおこうかな……)
ふとそう思ったが――思っただけで実行はしなかった。
(さて、行くか)
私も再び、本日の昼食場所を目指して歩き出した。




