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エルム、エルム  作者: 十枝内 清波
一年生
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ヴェリーヌ

 漆塗りの立派な重箱のフタを開けると、中には黒い巻物が二本、ドーンと詰まっていた。

「……」

 フタを手に持ったまま、由和さんはピタッと動きを止めた。

「何ですか、それ。秘伝の書?」

「いや。太巻のようだが、なぜ丸ごと……」

「あっ、恵方巻じゃないですか、ひょっとして」

「ふむ。そういえば今日は節分だったね」

 それにしても太い。ひと目見ただけでは食べ物だと分からなかった。

 現在、昼休み。私は理事長室に来ている。由和さんと向かい合う形でソファーに座り、ローテーブルへお弁当を広げていた。

 ちなみに私のほうは、鮭おにぎりと五目おにぎり、チキン南蛮、海苔とチーズを巻き込んだ玉子焼き、ツナコーンサラダなど。

「下の段はどうなってます?」

「ふむ……」

 由和さんはフタをテーブルに置き、上の段を取った。すると――。

 今度は黄色い巻物が二本、ドーンと詰まっていた。

「……」

「……」

 少しの間、沈黙が降りた。

「……あ、薄焼き卵ですね、これ」

「ということは、これも太巻か」

 由和さんは巻物の端を少し持ち上げ、断面を確認した。

「ケチャップライス、ミートボール、アスパラガス、海老フライ、マッシュポテト……」

「個性的ですね」

 何もわざわざ太巻に仕立てなくたっていいでしょうに、そのメニューなら。

「今日も沙弥花さんが作ったんですか?」

「ああ。うちのシェフは私に『普通の食事をしろ』とうるさくてね」

 いや、それは沙弥花さんのほうが正しいと思いますよ、理事長様。

「君、よければ食べなさい」

「よくないですよ。ちゃんと由和さんが食べないと」

「……」

 彼は静かに私を見た。

「今日は『アン・フルール』のヴェリーヌ・ショコラ・フレーズを買ってある。太巻を引き受けてくれるなら分けてあげよう」

「また買収ですか!?」

 もしや、沙弥花さんが重箱を持たせなかったら本日の昼食もスウィーツのみの予定だったのか? 体に悪いですってば、理事長様。

「いらないのかね」

「……。半分手伝うぐらいなら」

「そう言ってくれると思ったよ」

 由和さんは黄色い太巻を一本取り上げ、ひと口かじった。

「吉方位を向かなくていいんですか」

「気になるのなら、君はそちらを向きなさい」

「……。いえ、別に」

(ん?)

 『食べ終わるまでは無言』というルールもなかったか、確か? しかし今、彼はあっさり喋った。

(いいのかな)

 私は黒い太巻を一本取った。断面を確認してみると、こちらの中身はさほど奇抜ではない。カニ、アボカド、マヨネーズ、キュウリ、白ゴマ――カリフォルニアロールのようだ。量は多いが。

「ところで、君の今日のデザートは何かね」

「ピュイダムールです」

(あ)

 私も食べ終わる前に喋ってしまった。

 ピュイダムールとは、カスタードタルトの一種である。サクサクのタルトの底にラズベリージャムを絞り、その上へとろとろのカスタードクリームをみっしり詰めたお菓子だ。表面はカリカリにキャラメリゼされている。――まだカリッとしているはずだ。朝作ったばかりだし。

 意味は『愛の泉』――一八四三年にパリで上演されたオペレッタ『ピュイダムール』にちなんでいるとか。何だかこっ恥ずかしい名前だ。

「残りの太巻を全部食べたら分けてあげますよ」

「……」

 由和さんは重箱に目を落とした。黒と黄がまだ丸ごと一本ずつ、ドーンと残っている。

「うちのシェフのようなことを言うね」

「おうちでもそんな調子なんですか、由和さん!」

 目に浮かぶ。沙弥花さんはきっと、「ちゃんとゴハン残さないで食べたらケーキも食べていいよぉ」とか言ってるに違いない。

「ふむ。仕方あるまい」

 諦めたような表情を浮かべ、由和さんはもそもそと太巻を食べ進めた。


 結局私が手伝ったのは太巻一本のみだったが、由和さんは約束通り、ヴェリーヌ・ショコラ・フレーズを分けてくれた。

 ヴェリーヌとは、グラスの中にムースやゼリーなどを数種類重ねたスウィーツである。透明なガラス越しに見える美しい層が魅力で、さまざまな色や味を一度に楽しめる。

 今日の層はイチゴのコンフィチュール、チョコババロア、ホワイトチョコムース、生のイチゴなど。ババロアとムースの層には赤いハートが並んでいる。これはアガー・フレーズ――イチゴのゼリーみたいなもの――のようだ。てっぺんの生のイチゴの部分には、極小のハートチョコが星屑のように散りばめられていた。

「わー。可愛いですね」

「ふむ。バレンタイン期間の限定商品だからね」

 この人は『幻』や『限定』に弱い。

「バレンタインですか……。沙弥花さんからチョコ貰ったりします?」

「彼女は、父のためにチョコレートフォンデュを用意すると言っていたよ。私にもしぶしぶ分けてくれるそうだ」

「……」

 ということは当日、この人と沙弥花さんと目つきの悪いオジサマがフォンデュ鍋を囲むわけか?

「君はバラまく相手が多そうだね」

「バラま……!? ま、まあ、友達とクラスメイトに配ろうかなあとは思ってますけど」

 まだ決めていないが、今のところブラウニーかチョコクッキーを作る予定である。

「そうかね。妙な輩に絡まれたら届け出なさい。処分してあげよう」

「処分!?」

 何をする気ですか、理事長様!

(……多分、あの人を想定してるんだろうな……)

 大ごとにならなければいいが。

「――紫関先輩、チョコ欲しがりますかね?」

 私は呟いた。

 彼はモデルさんだ。体型には気を遣ってるはずだし、食べ物を貰って喜ぶかどうかは微妙である。たとえ喜んだとしても、実際には食べないかもしれない。

「君のチョコレートなら欲しがるだろう」

 由和さんは答えた。

「そうですか……うーん……」

 どうしよう。あげたほうがいいのか? 当日、先輩が学校に来るかどうかすら分からないが。

「……」

 迷っていると、二つめのヴェリーヌを手に取りつつ、由和さんが私を見た。

「コンビニの二十円チョコでもあげたらどうかね」

「ええ――っ!?」

 出来るわけないでしょうよ、そんな恐ろしい真似!

「い、いや、いくら何でもそれはちょっと」

「そうかね? 君がくれるものなら、彼は何でも喜ぶと思うが」

「限度ってものがありますよ!」

 静かな声でそそのかさないでほしい。

(……あげるとしたら、みんなと同じやつだろうな……)

 私は無難な道を選ぶことにした。



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