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エルム、エルム  作者: 十枝内 清波
一年生
82/341

暗記

「うかりける、人を初瀬の、山おろしよ――」

「はげしかれとは祈らぬものを」

「おぉっ、合ってるよ!」

 昼休み。私は空き教室にいた。

「心あてに、折らばや折らむ、初霜の――」

「おきまどはせる白菊の花」

「おぉ〜っ」

 自称フェアリーも一緒にいる。

 私もこの人も、悪天候の日などはこういった場所を適当に探してお昼を食べていた。しばしば、かち合うこともある。

「ひさかたの、光のどけき、春の日に――」

「しづ心なく花の散るらむ」

「おぉっ。正解!」

 二人とも、お弁当はすでに食べ終えた。今、私は一枚のプリントを手にしている。

「十碧くん、百人一首マニア?」

「いや、そこまでは……。ただ、毎年のことだからね」

 多分誰も来ないとは思うが、彼はなぜかフェアリーモードだ。

 用心しているのか、はたまた『休み明けの練習』をしているのか――それは定かではない。

「百首全部覚えてるの? 門叶くんなら覚えてそうだけど」

「全部は無理かな……忘れてるものもあるよ。門叶くんなら上の句の一〜二文字で下の句が分かるレベルだけど」

「そこまで!?」

 さすが、本と勉強の虫。

「君は?」

「百人一首なんかやったことないよ」

 私は手元のプリントに目を落とした。

 我が国でお正月の伝統的な遊びといえば、凧揚げ、羽根つき、カルタなど。それと関係あるのかどうか知らないが、冷泉院では毎年一月下旬、百人一首大会が開催される。このプリントは参考資料だ。百首全ての歌が載っている。

 参加するのは一・二年生全員と、三年生の希望者。三年はもう自由登校なので、特に高等部の参加率は低いらしい。

「古典の先生は、とりあえず『むすめふさほせ』を覚えろって言ってたなあ。あと、『うっかりハゲ』と『天つ乙女』と……」

「『天つ乙女』って……何だか、歴史を感じる覚え方だよね……」

 昔、そんな名前の人が宝塚にいたそうな。その時代のその人のファンなら覚えやすかったろうけど。

「天つ風、雲のかよひ路、吹きとぢよ――」

「乙女のすがたしばしとどめむ」

「おぉ〜っ。今のところ完璧だよ、十碧くん!」

 ちなみに『うっかりハゲ』とは、冒頭の『うかりける……』の歌の覚え方である。『うか』と来たら『はげ』。『天つ』と来たら『乙女』。

「うん……結構覚えてるものだね」

 褒められれば満更でもないらしく、十碧くんはふわりと微笑んだ。

「……」

 私は思わず、彼をじっと見つめた。

「……。何?」

「いや、今日は光らないなあと思って。どうしたの、休みボケ? それとも鏡を忘れちゃった? 珍しいね。命より大切な小道具を」

「勝手に決めつけるなぁっ!」

 次の瞬間、自称フェアリーはキラキラキラーッと発光した。

 いや、正確にいうと彼自身が光っているわけではなく、『光っているように見せかけている』だけなのだが。

「俺が鏡を忘れるわけないだろうがぁっ!」

「いやぁぁ、はげしかれとは祈らぬものを!」

 眩しい。目が焼ける。どうやっているのか、未だに分からない。

「ちっ……人をボケ扱いしやがって」

 十碧くんはキラキラを止め、窓の外を見た。

「この部屋は光源が少ないから演出が難しいんだぞ。無駄なことさせるんじゃねえよ」

「今、十分光ってたよ!?」

 本日の天気は曇りときどき雨である。といってもあまり暗くはないので、この教室の電気はつけていない。

(――ん?)

「えっ、十碧くんって光源がないと光れないの? 自分でペンライト照射したりはしないわけ?」

「いくら俺でもそこまでしねえよ」

「私、照らしてあげようか?」

「余計なことすんな! 不自然だろうが!」

「ええっ? どうせ存在自体が不自然なのに――」

「放っとけぇぇっ!」

 物凄い目で睨まれた。

(否定はしないんだ……)

 この人は意外と己を知っている。

「俺は別にむやみやたらとキラキラしたいわけじゃねえ! 俺の美しさをさりげなく引き立てたいだけだ!」

「ええっ!?」

 さりげないか?

「だいたい、自然な仕草で鏡を使うのも大変なんだぞ! この上ペンライトまで操れるか!」

「……」

 そっちが本音だな?

「そっか……。つまり、鏡とペンライトを同時に操るスキルはまだ習得してないんだね。でも、大丈夫! 十碧くんなら練習すれば一流の手品師並みになれるよ!」

「何が『大丈夫』だ! 手品師なんか目指してないんだ俺はぁぁっ!」

「ええ〜……」

 もったいない。才能あるのに。というかある意味、すでに手品師な気もするが。

(イリュージョンだよね……光ったり人格変えたり、どこからか物を取り出したり……)

 こういうのは中途半端だとかっこ悪いが、十碧くんの『フェアリー・プリンス』はもはや芸術的パフォーマンスである。

「ったく……お前、いったい俺に何を期待してるんだ?」

「いや、別に何も期待してはいないけど」

「なら、余計なこと言うんじゃねえ!」

「はいぃっ、失礼しましたぁっ!」

 怒られた。

「え、えーと、百人一首の続きやろうかっ? 今度は私の暗記を手伝ってくれないかなっ?」

「……」

 プリントを差し出すと、十碧くんはまだ私を睨みつつ、それでも受け取ってくれた。

「む――」

「霧たちのぼる秋の夕暮れ!」

「……。僕より早いね」

 なぜかフェアリーモードに戻り、彼は改めてプリントを見た。

「ああ、そうか。『むすめふさほせ』はもう覚えたんだね?」

「うん」

 この七文字から始まる歌は、百人一首の中でそれぞれ一つずつしかない。上の句を全部覚えなくても、最初の一文字を聞いただけで札が取れる。

 『む』と来たら『霧たち……』。『す』と来たら『夢の……』。

「じゃあ、これは? 君がため――」

「……」

「……」

「ちょっと、その五文字から始まる歌は二つあるでしょ!」

「ちっ」

 引っ掛けようとしたな、このフェアリー。

「……春の――」

「わが衣手に雪は降りつつ!」

「ちっ」

「……」

 また引っ掛けようとしたな?

 この歌の他にもう一つ、『わが衣手は露にぬれつつ』というよく似た下の句の歌があるのだ。

「……なんか鍛えられそうだよ。ありがとう、十碧くん」

「それ、皮肉? というか君、結構覚えてるね」

「うん。間違えやすそうなやつから優先して暗記したんだ〜。かえって何にも特徴のない普通の歌のほうが覚えにくいかも……」

 世の中、そんなものである。たとえば、『田中さん』や『山田さん』は次に会った時に思い出せないかもしれないが、『大豆生田おおまめうださん』ならすぐ分かる。

 名前でも歌でも、平凡というのは印象に残りにくい。

「そう? じゃあ……」

 十碧くんは『普通の歌』を探したらしく、プリントに目を走らせた。

「人もをし――」

「世を思ふゆえにもの思ふ身は!」

「……。君、ひょっとしてもう百首全部覚えてる?」

「いや、分かんないけど。さっきそのプリント見たし、何となく覚えた気はする!」

「ええっ? す、凄い記憶力だね……」

 十碧くんは呆れたように私を見た。

(……)

 そりゃあ、何しろ『篠沢恵瑠夢』だから。

 凄いのは『この子』だ。私じゃない。

「君は、もう練習する必要がなさそうな気がしてきたよ……。別に優勝とかも狙ってないんだろう?」

「んー……優勝したら何か貰える?」

「拍手」

「……」

「あと、表彰状」

「……。別にいいや」

 クラス対抗とかなら頑張るが、この大会は個人戦である。私一人のためだけに奮闘する気にはなれない。

「十碧くんは? 優勝とか狙わないの?」

「札を高速で弾き飛ばすなんて……そんなの、僕らしくないからね」

「……」

 百人一首はスピード勝負である。最初の『うか』を聞いた次の瞬間には『はげ』の札を確保しなければならない。

 他の人に取られないよう、勢いよく『はげ』をバシッと払い飛ばす『フェアリー・プリンス』――。

「わあ。いつもの十碧くんだ」

「想像すんなぁぁっ!」

 ――ばしぃっ!

 百人一首プリントで払われた。

 私が思い浮かべた通りの形相だった。



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