星の冠
一九六一年四月十二日、衛星船ボストーク一号で地球を一周したガガーリン少佐はこう言った。
『地球は青かった』
そのまんまじゃないか、と私は思った。初めて聞いた時は。
「わあ……青い……」
しかし今、自分の口から漏れる言葉はほとんど同じである。
「地球ってほんとに青いんだ……綺麗……」
ガガーリン少佐は正しかった。他の形容が浮かばない。
今、私は地球を遥かに見下ろしている。この星は青く、丸く、美しい。
「お前、いつもそれしか言わないな」
「人間の感性なんてそんなものだよ」
私の横にはクマがいる。今日は捕食モードだ。脅威の美貌も目の前の光景も非現実的だが、どちらも夢ではない。
「今日は月には行かないの?」
「ああ。今日の目的地はここだ」
こいつは時々、気まぐれに私を空の散歩へ連れ出してくれる。空を通り越して宇宙へ飛んだり、月まで行ったりすることもある。
「ここって……ここ? この位置に浮かんだまま? 超高速で地球百周とかもなく?」
「してほしいか?」
「絶対ヤダ」
実は以前、やられたことがある。市中引き廻しの刑に処された罪人の気持ちがよく分かった。いや、実際の刑は全く別物だろうけど。
「あんた、私には危害を加えないんじゃなかったの?」
「事前にちゃんと聞いただろ、『ちょっと地球を周ってみないか?』って」
「速度と回数は言わなかったでしょ!」
詐欺である。悪魔の『ちょっと』は人間にとってちっとも『ちょっと』ではない。
「だってお前、聞かなかっただろ」
クマは馬鹿にしたような笑みを浮かべた。
「……」
こういう奴なんだ、こいつは。
「とにかく、今日は嫌だからね? 『じゃあ代わりに地球のほうを回してやるか』とか、そういう発想もやめてね?」
「おっ? 面白そうじゃねえか。やってみるか」
クマは地球に手をかざした。
「いや、やめて! ほんとにやめて!」
「くくく……あれを高速回転させたら、お前らビックリするだろうな」
「『ビックリ』どころじゃ済まないよ!?」
地球の自転速度が急激に上がればどうなるか。大惨事である。
「そうか。なら、今度にしよう」
「いやいや、『今度』もやめてね!?」
物騒な奴だ。
「というかあんた、そもそも何しに来たの? 今日はここからのんびり地球を見下ろしたい気分だったわけ? 『人間がゴミのようだ』とか呟きながら?」
「オレはアニメの悪役か?」
奴は呆れ顔をした。
「見たいならやってやるけど」
「えっ」
クマはかざしていた手を下ろし、改めて軽く両腕を広げた。
凄みの美貌に、冷ややかな表情が浮かぶ。そして奴は地球を見下ろし、唇を歪めて笑った。
「ふははははっ! 人間ごときゴミどもが!」
「……」
「……。ノーリアクションかよ」
「いや、別にリクエストしたわけじゃないし……ていうか、あんたがソレやるとシャレにならないよ」
異様に似合っていた。
「人類の滅亡を企む魔王みたいだね」
「はあ? オレはそんなことはしねえよ。お前らがいなくなったら遊べなくなっちまうだろうが。退屈過ぎるぜ」
「……」
こいつにとって、人間は格好の暇潰しらしい。
「……で、結局、今日は何なの? あんた、何がしたいの?」
「ん? ああ。お前に星の冠を見せてやろうと思ってな」
「……星の冠?」
私はきょとんとした。
「これぐらいなら大して影響ないだろ。お前らだって、喜ぶ奴は喜ぶ」
「は?」
クマは、今度は太陽に向かって手をかざした。
「?」
「……。よし」
かと思ったら地球へ顔を戻し、再びそちらへ手をかざす。
――何をやってるんだ、こいつは?
「ちょっと、何!? 高速回転はやめてよ!?」
「しないって。今日は」
「今日は!?」
油断ならない。
「材料を取っただけさ。――ほら、見てな」
と言って、クマは地球を指差した。瞬間――そのてっぺんに、白いものが現れた。
「っ!?」
光だ。白い光。
最初は一つ、次は二つ……と、その次には数えきれないほど一気に増え、パアッと広がった。増えた光は帯状になり、ぐるりと繋がって――輪になった。
「……わあ……」
地球のてっぺんに、巨大な光の輪が出現した。揺らめくような、輝く純白――その色は、見ている間に刻々と移ろっていく。赤に、緑に、また白に――。
「綺麗……。あれ、何?」
「オーロラだ。お前、綺麗なものが好きだろ? 自分が綺麗じゃないから」
「ひと言多いよ」
余計なお世話だ。否定はしないが。
――それはともかく。
「オーロラかぁ。実物を見るのは初めてだよ。あれ、あんたが出したの?」
「ああ。地球が王冠かぶってるみたいだろ」
「うん」
悪魔の気まぐれとはいえ、美しいものは美しい。
「白い状態だと神々しいねー。天使の輪っかってあんな感じ?」
「嫌なもんに例えるなよ」
クマは肩をすくめた。
「オレは、天使と聖者にはろくな思い出がないんだ」
「えっ。天使ってほんとにいるんだ」
いてもおかしくないが。悪魔がいるんだから。
「聖者っていうのは?」
「お前の逆さ。天使と契約した人間だ」
「……逆?」
天使も人間と契約するのか。
「生きてる間は苦しみ抜く。他人に奉仕したり、世にはびこる艱難辛苦を引き受けたりしてな。その代わり、死後は永遠の幸福を与えられる」
「へえ」
ということは、生前はかなりひどい目に遭うに違いない。
「ろくな思い出がないってことは、その『聖者』さんになんかされたの?」
「……。聞くな」
クマはちょっと目を逸らした。
(……何かあったんだ……)
「そ、そっか。まあ、いいけど」
触れてほしくなさそうだったので、私は話題を変えた。
「えーと、ところで、さっき太陽のほうを向いたのは何だったの? 手を温めたとか?」
「そんなわけないだろ。オレは冷え症じゃない」
クマは再び、馬鹿にしたような笑みを浮かべる。
「というか、聞いてなかったのか? さっきのは、オーロラの材料を取ったんだ」
「材料?」
オーロラを作るのに必要なもの――。
「……太陽エナジー?」
「メルヘンチックだな。違うぞ」
外れた。
「オレはただ、プラズマを移動させてただけだ」
「……。はっ?」
プラズマ!?
「太陽が放出する電子とか陽イオンとかな。それを電離層へ高速で突っ込ませる。そうすると大気中の粒子とぶつかって、その粒子が光るんだ」
「えええっ!?」
「お前もやってみるか?」
「出来るわけないでしょ!」
まるで「お前も石投げしてみるか?」とでも言っているかのような口調だった。気軽な奴だ。
「出来るって。ほら、簡単だ」
クマは、今度は胸の前で両手を向き合わせた。
手と手の間に、白い光が生まれる。その光はすっと輪を描き、色は白のまま固定していた。
「……電離層、関係ないじゃない……」
「これくらいの大きさならどうとでもなる」
奴は手の間隔を調整し、その輪を私の頭の上へ浮かべた。
「昇天、って感じだな」
「不吉なこと言わないでくれる!?」
嫌味か?
「ほら、記念に一枚撮ってやる。こっち向けよ」
奴が右手を上げると、その手にデジカメが現れた。
「だから、どうせ残らないのに……」
「残るだろ。あと二年と少しは」
クマはにやりと笑う。
(……)
入学式の日の会話に似ている。あの時は『三年間』と言われたが。
「その間、いくらでも見られるさ」
「……まあね」
あの日と同じだ。こいつの言葉には皮肉っぽい響きも混じっている。でもこれで、私の世話を焼いているつもりなのだ。
私は素直に従った。地球を背にして、クマのほうを向く。
「――どう? 天使みたい?」
「嫌なもんに例えるなって。天使より綺麗だぞ」
皮肉か、それも?
「……ありがとう。あんたも綺麗だよ、天使より」
「適当な奴だな。お前は天使なんか見たことないだろ」
クマは面白そうに笑った。
「あんたはかぶらないの? 『冠』」
「ああ。オレはいい」
クマはまた肩をすくめた。
「見たいならかぶってやるけど」
「いや、リクエストはしてないよ……」
意外とノリのいい奴だ。




