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エルム、エルム  作者: 十枝内 清波
一年生
77/341

クリスマス・イブ(マタイによる福音書)

 しばらく後。我々はテラスに出ていた。

 といっても、紫関先輩のリクエストに応えたわけではない。

「……疲れたね」

「……。全くだ」

 私の呟きに、十碧くんは小声を返した。表面は一応『儚げな美少年』のままだが、口調は本性に戻っている。

「とりあえず、問題は起こさずに済んだけどな。あの男、奇声は上げなかったし、写真撮影も阻止したし、和やかに別れたし……」

「な……和やかに別れたかな?」

 結局あの後、紫関先輩は『篠沢恵瑠夢』に構い続け、初姫さんはそれをおろおろ宥め続け、十碧くんは笑顔で水を差し続け――そこへ勇敢な『ゼロ様』ファンが寄ってきた。私と十碧くんはその隙に紫関兄妹から離れ、今に至る。

 さすがに少しは社交モードなせいか、先輩はファンの皆さんに対し、いつもほどは冷たくなかった。睨んだり追い払ったりはせず、ただ仏頂面で黙り込んだだけである。

 不機嫌そうな彼に代わり、初姫さんが緊張した様子ながらも愛想を振りまいていた。

「和やかだったろ。少なくとも、紫関零の連行劇は回避した。紫関初姫とも笑顔で別れた」

「……紫関先輩には思いっきり睨まれたけどね……」

「あれは睨んだんじゃない。未練を必死に抑え込んでたんだ。ここが公の場じゃなかったら追っかけてきてたろうな」

「……」

 だから、学校は? 『公の場』じゃないのか?

「……そして、人を送り、学者たちに確かめておいた時期に基づいて……」

(ん!?)

 ふいに、どこからか声が響いた。

「……ベツレヘムとその周辺一帯にいた二歳以下の男の子を、一人残らず殺させた……」

「……」

 何だか物騒なことをぶつぶつ呟きながら、庭をふらふら歩いている人がいる。眼鏡を掛けた、ギリシャ彫刻みたいな美貌の少年だ。

「……」

 しかし、私は疲れていた。

 まるで逃避するかのように、ふっと空を見上げる。

「来海くん、星が綺麗だね」

「そうだね。でも、君のほうがもっと綺麗だよ」

「……」

「……。で、あれは無視するわけ?」

 口調も儚げモードに戻し、一応戯言に付き合ってくれてから、自称フェアリーは庭へ目をやった。

 分厚い本を手に、テラスから少し離れたところをふらふら歩く人物――言うまでもなく、門叶くんである。

「あの人……おうちでもあんななんだね……」

「どうしてわざわざ外に出てるんだろうね。この寒いのに」

 人のことは言えないが、我々は休憩中である。暖かいパーティー会場から外に出れば、むしろ冬の冷気が心地よく感じた。

「……こうして、預言者エレミヤを通して言われていたことが実現した……」

「――おい、馬鹿兄貴」

 その時、妙にドスの効いた声が響いた。

(っ!?)

 見れば、別方向から新たな人物がやってくる。

「うろつくなら本館だけにしとけよ。会場から見えるだろうが」

(あ)

 蜂蜜色の髪、くりっとした瞳。お人形さんみたいに可愛い少年――久貴くんだ。

「……『ラマで声が聞こえた。激しく嘆き悲しむ声だ。ラケルは子供たちのことで泣き』……」

「聞けよ、ボケ! てめえこそ泣け!」

 苛ついた様子で、彼は門叶くんから本を取り上げた。

「ん?」

 さすがに、門叶くんは正気に戻る。

「久貴か。なぜここに?」

「それはこっちのセリフだ! ここは別館の庭だぞ、徘徊がパワーアップしてやがる! 自分が今いる場所も分かんなくなったのか!?」

「そうか。部屋が暑くなったから少し外の空気を吸おうとしたんだが……」

「そこから先はトリップかよ! 手間かけさせんじゃねえぞ、この夢遊病モドキ!」

(……)

 低い声。つり上がった眉。凶暴な目つき。

 『お人形さん』の可愛らしさは跡形もなく消し飛んでいた。かなりイライラしているようだ。

「……凄い」

 私は呟いた。

「十碧くんより口が悪い」

 というか、十碧くんよりガラが悪い。

「……」

 ――ぎゅううううっ!

 指を握られた。

「たたたっ……!」

「そんなに僕と手を繋ぎたいのかな、篠沢さん?」

「いえいえ、この『握手』は熱烈過ぎるので遠慮したいです!」

 喰らった攻撃がチョップではなかったので少し驚いた。誰かに目撃されることを警戒しているのだろうか。用心深いフェアリーだ。

 我々が密かに小競り合いを繰り広げている間にも、久貴くんはぷんぷん怒っている。

「てめえ、知ってんだろ? 今日は重要な客が多いんだ。俺に恥かかせやがったら――」

 彼は、周囲を確認するように視線を巡らせ――我々の姿に気づいた。

「っ!?」

 途端、ハッと目を見開き、言いかけたことを中断する。

「……あー、えーと」

 ちょっと慌てた様子で、彼は表情を変えた。

「に、兄さん、外は冷えるよっ。もう部屋に戻ったほうがいいんじゃないかなっ?」

(……)

 無邪気な目元、明るい声――『お人形さん』の状態に戻った。

 が、ややぎこちない。十碧くんほどは切り替えが上手くないようだ。

「――ああ。篠沢さん、来海くん」

 久貴くんの示した反応により、門叶くんも我々に気づいた。スタスタとこちらへやってくる。

「えっ!? ちょっと、兄さん!」

 焦った表情を浮かべ、久貴くんも後を追ってきた。

「――こんばんは。門叶くん」

 サッと儚げに微笑み、十碧くんは挨拶した。

(……さすが)

 鮮やかな切り替えだ。やはり、久貴くんとは年季が違う。

「こんばんは。来ていたのか」

 挨拶を返してから、門叶くんは私を見た。

「今読んでいたのは、日本聖書協会の『聖書 新共同訳』だ」

「聖書!? ク、クリスマスらしいね……」

 聞いてもいないのになぜいつも教えてくれるのだろうか、この人は。

「それと、これが僕の弟だ」

 と、彼は久貴くんをちらっと振り返った。

「う、うん。さっき来海くんに紹介してもらったよ。シュガーラスクに砂糖をかけて食べる人だよね?」

「そう。シュガーラスクに砂糖をかけて食べる人間だ」

「兄さん、何でそんなこと教えてるの!?」

「その情報……ほんとに門叶くんから聞いてたんだ……」

 久貴くんは目をむき、十碧くんは呆れたように呟いた。

「どうしてそんな話になったの?」

「オリーブ入りのパンにオリーブオイルをかけてたから」

「は?」

「……何でもない」

 口に出せば、大した話ではない。

「し、篠沢先輩っ? ひょっとして、兄とは物凄く親しかったんですかー?」

 本性を見られたことには気づいているだろうに、久貴くんは『お人形さん』を続行した。彼もやはり、これ以上の目撃者が増えることを警戒しているのだろうか。

「え? いや、親しいってほどでも……」

「そうだな。普通だ」

「――普通!?」

 久貴くんは、ぎょっとしたように門叶くんを見た。

「兄さん、『普通』の人付き合いが出来たの!?」

「失礼な」

 門叶くんは眉をひそめた。

「僕は人間不信でも対人恐怖症でも引きこもりでもないぞ」

「それはそうだけど!」

 その分、『交信』でお釣りがくる。

 門叶くんは私に顔を戻した。

「食事は堪能したか?」

「……。うん」

 この人は私の大喰いっぷりを知っている。

「なら、良かった。二人とも、いい夜を過ごしてくれ。――では、僕はこれで」

「えっ!?」

 門叶くんは、久貴くんの手からパッと聖書を取り返した。久貴くんは「あっ」と言った。

「……『慰めてもらおうともしない、子供たちがもういないから』……」

 唐突に『交信』へ戻った。視線は本のページと空中とをふらふらさまよい始め、唇は見えない相手と喋っているかのように、盛大な独り言を紡ぐ。

 彼はそのまま、本館らしき方角へ歩き出した。

(……)

 脈絡のない人だ。いつものことだが。

「……ヘロデが死ぬと、主の天使がエジプトにいるヨセフに夢で現れて、言った……。――そうだ」

 が、行きかけた彼は途中でピタッと立ち止まり、振り返った。

「篠沢さん。来海くん」

「えっ」

「……何?」

 面喰らう我々に、門叶くんは真顔で告げた。

「――メリー・クリスマス」



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