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エルム、エルム  作者: 十枝内 清波
一年生
69/341

先約

 期末試験の結果が出た。

 一位はいつも通り、門叶くん。二位は『篠沢恵瑠夢』。他の知り合いは十位以内にいなかった。

「珍しい……」

 私の横で、涼和くんが呟いた。

「何が?」

「赤点、一つもなかった……」

「……」

 冷泉院の赤点は五十九点以下である。普通の学校なら、涼和くんだってそこまでは成績が悪くないはずだが……。

「この学校、厳しいもんね」

「ああ……。今回は、お前のおかげで助かった……。補習もレポートもない……」

「うん……あれは面倒くさいよね……」

 私はしみじみと同調した。

「……? お前、補習なんか受けたことないだろ……」

 ――ギクッ。

 しまった。私が劣等生だったのは中学時代まで――『元』の話だ。『今』は、学年三位以内から落ちたことのない優等生である。当然ながら涼和くんの言う通り、冷泉院で補習を受けたことなど一度もない。

「な、ないけど、想像はつくよ!」

「……。そのわりには今、妙に実感がこもってなかったか……?」

 ――ギクッ。

「え、えーと……それは、友達が――」

 ――受けたわけじゃないです。私自身の実体験です。

 後に続く言葉を、私はあえて省略した。

「そうか」

 涼和くんはあっさり誤解してくれた。

 嘘はついていない。

「――門叶くんは今回も全教科満点か。凄いよね」

 私は試験結果に目を戻した。

「凄いことは凄いが……ああはなりたくない……」

「ま、まあね」

 おそらく今、我々は同じものを思い浮かべた――門叶くんが交信する姿を。

「そういえばさっき、何語か分からない分厚い本を相手に喋ってたな……。あいつ、何を基準に読む本を選んでるんだ……?」

「……フォント……」

 私はぼそっと呟いた。

「ん?」

「何でもない」

 知識欲はあるらしいし、さほど興味がなさそうなこと(アントナン=カレームがシャルロット・ポワールを創作したとか)まで覚えていたぐらいだ。内容が心底どうでもいいわけではないだろう。

 しかし、門叶くんにとって最も重要なのはそれだ――とにかく、『文字』が追えること。

「涼和くんは、本って読む?」

「読む気はあるが……表紙をめくった瞬間、意識が遠のく……」

「……」

 読む気があると言えるのか、それは?

「お前は……読みそうだな、かなり」

「まあね」

 本は好きだ。私は門叶くんと違って、何でもかんでも読むというわけではないが。

(……ん?)

 ふと、疑問が湧いた。

「涼和くん。今まで読書感想文とかどうしてたの?」

「人に、あらすじだけ聞いて……適当に書いた……」

「……」

 ナノちゃんか?

「お前はきっちり読むのか? 最後まで……。よく眠くならないな……」

「いや、そんなことで感心されても」

 私はむしろ君に感心する。本を開いた一瞬でよく眠くなれるものだ。読んでる途中で眠くなるというのなら分かるが。

「今回は、誰に聞くかな……」

「……」

 もはや読む気もないらしい。

「一応言っとくけど……演習の宿題は小論文だからね? 読書感想文じゃないからね?」

「似たようなもんだろ……」

「……」

 面倒くさそうだ。


「エルム、エルム」

 涼和くんと別れ、廊下を歩いていると、クマが忽然と現れた。今日は平凡な偽装モードだ。

「クリスマス、どうする?」

 と、奴はいきなり聞いてきた。

「たまにはオレの城に来るか?」

「クリスマスに地獄見物!?」

 それはちょっと。

「ていうか、悪魔がクリスマスパーティーする気?」

「別にいいだろ。ただのイベントだ」

「……」

 いいのか?

「お前らだって、ナザレのイエスなんざ興味ねえだろ? どうせメシ喰って酒飲んで盛り上がるだけだ。その程度じゃオレを追い払う力にはならねえよ」

「……『その程度』?」

 どの程度なら魔除けになるのだろう。

「ま、こっちで遊ぶのも悪くないか。やりたいことや行きたいとこがあったら言えよ」

「うん。考えとくね」

 私がそう答えると、奴はまた、忽然と消えた。

「お……おおおおおっ!」

(ん!?)

 その瞬間、どこかで雄叫びが上がった。

 見れば、誰かが物凄い勢いで走ってくる。

「篠沢恵瑠夢! いた! 会えたぁぁっ!」

「……」

 紫関先輩だ。

 真剣な面持ちで突進してくる――。しかし私の目の前に到着した時には、その顔は盛大に緩んでいた。

「ああっ、本物だ! こんな近くに! 可愛い! 今日も可愛い! 会いたかったんだ、ずっと!」

「……」

 うっとりした目で、私を見ている。異様な熱気を感じた。

(……十碧くんって、凄い……)

 あのフェアリーはいつも、この種の熱気の中心にいる。よく平然としていられるものだ。

「なのにあの男が……ちっ、まさか理事長だったとは」

 ふいに、先輩は嫌そうに顔を歪めた。

(……おぉ)

 こういう表情を浮かべると、紫関先輩はたちまち狼っぽい雰囲気に戻る。どこか野性的な、鋭い美貌――これこそ、『ゼロ=グロムウェル』だ。

(……ん?)

 そういえば、この人もファンの皆さんの異様な熱気の中心にいるはずだが――。

「ハッ!? 篠沢恵瑠夢が俺を見ている! ああっ、篠沢恵瑠夢の瞳に俺が映っている! あの瞳に今、俺だけが! おおおおおっ!」

「……。先輩は、熱気なんか吹っ飛ばしちゃいそうですね……」

 じっと見ていたら、再び先輩の頬が盛大に緩んでしまった。

 ……この人は、笑わせてはいけないようだ……。

「熱気? 何のことだ? いや、何でもいい! ああぁ、喋った! 篠沢恵瑠夢が喋った! 久しぶりに声聞けたぁっ!」

「……」

 嬉しそうだ。

「えーと……とりあえず、お元気そうで何よりです。理事長先生に圧力かけられたみたいだったんでちょっと心配してたんですけど……」

「心配!? 俺のことを考えてくれてたのか!? 俺がお前を想っている間、お前も俺のことを……おおおおおっ!」

「……いや、『ちょっと』だけですから……」

 杞憂だったらしい。

「なあっ、ところでお前、クリスマスは空いてるか!?」

「えっ」

 私は面喰らった。

「クリスマスですか? えーと……」

「――彼女は先約が入っていますよ、紫関先輩」

(へっ!?)

 ふいに、新たな声がした。

 振り返れば、いつの間にやら、自称フェアリーがそこにいる。

「……来海……」

 途端――先輩の表情が一変した。

 不愉快そうな、冷たい眼差し。辺りの温度まで下がった気がする。

「……。先輩、真顔だとかっこいいですよね」

「えええええっ!?」

 思わず呟くと、紫関先輩は物凄い過剰反応を見せた。

「かっこいい!? 今、かっこいいって言ったか!? 篠沢恵瑠夢が、俺のことをかっこいいって! お……おおおおおっ!」

 パアッと輝く瞳。盛大に緩む頬。喜びが爆発し、全身をぶるぶると震わせる。

「……。笑うとヒドイですね」

「篠沢さん――そういう問題じゃないよ。紫関先輩、仕事では普通にかっこよく笑ってるし」

「あ、そうか」

 世の中には、笑顔になると美貌が崩れてしまう人種がいる。紫関先輩もそのタイプかと思ったが――違うようだ。

 彼は、笑うと美貌が崩れるわけではない。ただ時々、その美貌が崩れるほどの凄まじい笑顔になってしまうだけである。

「それより、篠沢さん。クリスマスだけど」

「え」

「もう――予定が入っていたよね?」

「……」

 儚げな表情、繊細な声。

 しかし、私には伝わってきた――『話を合わせろ』という圧迫感が。

「う、うん! 入ってる入ってる!」

「ふふ……楽しみだね?」

「そ、そうだね!」

「――っ!?」

 次の瞬間、紫関先輩はショックを受けた顔になった。

「なっ……!? 来海、お前――」

「――紫関先輩も招待されていますよね? 門叶先生のパーティー」

 何か言いかけた先輩の声を、十碧くんはさも気づかなかったかのように遮った。――あくまで儚げに。ごく自然に。

「エスコートのお相手は決まりましたか?」

「……」

 先輩は、十碧くんをきつく睨む。

 見た者を凍てつかせる、氷の眼差し――。それを受け、繊細な『フェアリー・プリンス』は儚げに、「どうして睨まれるのか分からない」とばかりに、やや怯んだ微笑みを浮かべてみせる。

「当日、会場でお会いできますね」

「ふん。別に会いたくもないが……」

「そうですか? 僕は楽しみにしていますよ。女性陣のドレスも華やかでしょうし――ねえ、篠沢さん?」

「えっ!? う、うん……」

「!」

 十碧くんの言葉に、先輩は表情を変えた。目に恍惚の光が宿る。

「ドレス……」

「……」

 こっちを見ている。じーっと。

(……勘違いしてる……)

 紫関先輩――十碧くんに騙されていますよ? 確かに誤解を招くような表現をしてましたけど、彼は「篠沢恵瑠夢と一緒にそのパーティーへ出る」とはひと言も言ってませんよ?

「ああっ、可愛い! 絶対可愛い! 篠沢恵瑠夢のドレス姿! おおおおおっ!」

「……」

 また悶えてるよ、この人。

「あの、先輩……」

「――いいから。行こう」

 十碧くんが、私の腕を引いた。



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