オリーブ
文化祭の翌日の振替休日を挟んだ、火曜日の昼休み。私は屋上にいた。
本日のお弁当は手作りのハンバーガーである。バンズがなかったので代わりにロールパンを横に切り、軽くトーストして具材を挟んだ。中身は分厚いハンバーグにスライスチーズ、ベーコン、ハム、目玉焼き、レタス、トマト、パイナップル。豪勢だ。食べにくい上に手が汚れるけど。
――パタン!
(ん?)
ふいに、扉の開閉する音がした。誰か来る。
「……篠沢さん?」
「あっ、門叶くん」
蜂蜜色の髪、眼鏡の奥に光る鋭い瞳。知り合いだ。
珍しい。今日は何も読んでいない。
「……どうしたの、それ」
代わりに――彼は何やら、大量の紙袋を抱えていた。
「これか。プレゼントだ」
「プレゼント?」
「今日は、僕の誕生日でね」
「えっ」
門叶くんはこちらへやってきて、私の隣に紙袋を下ろした。
「失礼するよ」
「う、うん」
彼自身は紙袋の隣に座り、その中を探って何か取り出した。それは――。
「……パン?」
クロワッサンのような形をした、茶色い物体。どう見てもパンだった。
「ああ。パンだ」
門叶くんはそれをかじり始めた。
「せっかく貰ったから、今日は食堂へ行くのは中止した」
「……。えっ、それがバースデープレゼント?」
「ああ。これはブーランジェリー『ミナモト』のオリーブパンだ」
『ミナモト』――駅の近くのパン屋さんだ。全てのパンに自家製天然酵母を使用している。
「へえ。そのパンが好きなの?」
「いや、別に」
「えっ」
ならなぜ貰った?
「君も食べるか?」
「い、いや……プレゼントなんでしょ? 門叶くんが食べないと」
「あいにく、僕には君ほどの食欲がない」
「……」
そういえば、この人は私の大喰いっぷりを知っている。初めて会った時、私は十碧くんのバースデーパーティーで食べまくっていたからだ。
「そんなにたくさん貰ったの?」
「ああ。みんな、僕に渡すものを他に思いつかなかったらしいな」
門叶くんは紙袋の中身を見せてきた。
「……ん?」
そこにはパンと、小さな瓶がいくつか詰まっていた。パンは数種類あったが、瓶はいずれもオリーブオイルのようだ。
「えっ、これ飲むの!?」
「飲まない」
真面目な声で否定された。
「僕の好物はオリーブなんだ。それでよく、こういったものを貰う」
「あ……ああ。そう……」
ならなぜ、今ここに持ってきた? 教室に置いてくれば良かったのでは?
「他のパンも全てオリーブ入りだ。好きなのを選ぶといい」
「……へえ」
なるほど。オリーブパン自体は別に好きじゃないけどオリーブは好き、というわけだ。
門叶くんが今食べているのは、オリーブが丸ごとゴロゴロ入ったパンである。が、他のパンはそこまでオリーブだらけではなく、あくまで『具材の一つ』といった使われ方をしていた。
自家製豪華極厚ハンバーガーを食べ終えてから、私は紙袋の中の楕円形のパンを手に取った。そのパンは中身がくり抜かれ、代わりにチョリソーのトマト煮込みが詰め込まれている。薄くスライスされたオリーブもたっぷり入っていた。
「……でも、オリーブそのものはないんだね」
「いや、それも貰った。教室に置いてある」
「あ、そうなの?」
ならなぜ、オリーブオイルも置いてこなかった?
と思っていたら、彼はオリーブパンを食べ終わった途端、オイルの瓶を手に取った。
「……」
いくつか見比べ、紙袋に戻したり別のを取り上げたりして、やがてその中から一つを選ぶ。彼はそれを開けた。
「えっ、やっぱり飲むの!?」
「飲まない」
淡々と否定して、門叶くんは紙袋から別のパンを取り出した。スライスされたバゲットのようだ。刻んだオリーブが混ざっている。彼はそのパンにオリーブオイルを少し垂らし、食べ始めた。
(……)
バターの代わり?
「門叶くん……オリーブ入りのパンにオリーブオイルをかけて食べるわけ?」
「変か? 僕の弟はシュガーラスクに砂糖をかけて食べるぞ」
「……。甘そうだね」
由和さんと気が合いそうだな、弟さん。
「君も使うか?」
「い、いや、いいよ私は」
丁重にお断りして、私はトマト煮込みのパンをかじった。
……今気がついたけど、これも手の汚れる食べ物だな……。
「――君はいつも弁当なのか?」
ふと、門叶くんは私のランチトートと紙袋に目をやった。
「それとも、すでに食堂へ行ってきた後か?」
「違うよ!」
いくら私でも、二回も三回もお昼を食べたりしない。一回分が大量なだけだ。
「そっちの紙袋は『昼食その二』か?」
「違うってば!」
いくら私でも、二つも三つもお昼を持ってきたりしない。一つが大量なだけだ。
「……あ、そうだ」
ふいに、私は思いついた。
「ごめん、門叶くん。今日が誕生日だって知らなくて、何も用意してないんだけど……」
「構わない。僕も君の誕生日を知らない。多分何も用意しないだろう」
「……。それはともかく」
喋る合間に、貰ったパンを食べ終えた。私はウェットティッシュで手を拭い、自分の紙袋から、本日のデザートを取り出す。
「これ、プレゼントにしようかと思って。甘い物は大丈夫?」
ミリちゃんの時も同じことをしたが――知らなかったものは仕方ない。今渡せるのはこれぐらいだ。
「それは……シャルロット・ポワールか?」
紙袋から保冷袋を取り出し、保冷袋からタッパーを取り出し、タッパーから保冷剤を取り出し、最後にケーキを取り出す。そのケーキを見て、門叶くんは呟いた。
「あ、知ってるんだ」
「十八世紀末、フランスの天才パティシエ・アントナン=カレームが創作した菓子だろう?」
「えっ、そうなの!?」
そこまでは知らない。
シャルロット・ポワールは、洋梨のババロアのケーキである。側面にはフィンガー形に切り揃えた、ビスキュイ・ア・ラ・キュイエールというスポンジが並べて貼りつけてある。この形がシャルロットという帽子に似ているのでこの名が付いた、という説もある。それとは別に、同じ生地を菊模様に絞り出して円形に焼いて、上にかぶせてフタにした。
「く、詳しいね……。ケーキとか、好きなの?」
「いや、別に。ただ、アントナン=カレームの伝記は読んだことがあるから」
「……その人が好きなの?」
「いや。特に興味はない」
「……。じゃ、何で伝記を読んだの?」
「意味はないよ。偶然目に留まっただけだ」
(……)
どういう基準で読む本を選んでいるのだろうか、この人は。
「門叶くんって、何でも読むよね……」
「ああ。文字を追うのは好きだ」
「……文字?」
「そう。ジャンルや内容にはあまりこだわらない。文字列やフォントを見るのが楽しいんだ」
「えっ」
読めれば何でもいいということか、それは?
(そういえば、この人……文化祭ではメイド&執事喫茶のメニューで交信してたな……)
前からちょっと違和感はあったが――今、その原因が判明した。
この人は単なる読書好きではない。活字マニアだったのだ。
「ふうん……。内容にこだわらなくていいってことは、どんな本も楽しく読めるんだ? お得だね」
「……。そんな言い方をされたのは初めてだ」
シャルロット・ポワールはあらかじめ切り分けてある。私はそのひと切れをタッパーのフタに、別のひと切れをお弁当箱のフタに載せた。タッパーのフタのほうはフォークを添え、門叶くんへ差し出す。
「はい、どうぞ」
「……いつもはこれを一人で丸ごと食べているのか、君は?」
「い、いいじゃない、別に」
彼はタッパーのフタを受け取った。
「お誕生日おめでとう、門叶くん」
「ありがとう」
フォークは一つしか持ってこなかったので、私は箸でケーキに取りかかった。
「……。君は先ほど、巨大なハンバーガーを食べていなかったか? なぜ箸を持っているんだ?」
「ん? マカロニサラダも持ってきてたから」
門叶くんが現れる前に食べてしまったが。
「味が混ざらないか?」
「平気、平気」
というか、私がフォークを譲らなかったらどうする気だ。君は手づかみでシャルロット・ポワールへ挑む羽目になるぞ、門叶くん。
臆せず箸で食べていると、気を遣われたと思ったらしく、門叶くんはもう一度呟いた。
「――ありがとう」
彼は珍しく、笑顔を見せた。




