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エルム、エルム  作者: 十枝内 清波
一年生
63/341

オリーブ

 文化祭の翌日の振替休日を挟んだ、火曜日の昼休み。私は屋上にいた。

 本日のお弁当は手作りのハンバーガーである。バンズがなかったので代わりにロールパンを横に切り、軽くトーストして具材を挟んだ。中身は分厚いハンバーグにスライスチーズ、ベーコン、ハム、目玉焼き、レタス、トマト、パイナップル。豪勢だ。食べにくい上に手が汚れるけど。

 ――パタン!

(ん?)

 ふいに、扉の開閉する音がした。誰か来る。

「……篠沢さん?」

「あっ、門叶くん」

 蜂蜜色の髪、眼鏡の奥に光る鋭い瞳。知り合いだ。

 珍しい。今日は何も読んでいない。

「……どうしたの、それ」

 代わりに――彼は何やら、大量の紙袋を抱えていた。

「これか。プレゼントだ」

「プレゼント?」

「今日は、僕の誕生日でね」

「えっ」

 門叶くんはこちらへやってきて、私の隣に紙袋を下ろした。

「失礼するよ」

「う、うん」

 彼自身は紙袋の隣に座り、その中を探って何か取り出した。それは――。

「……パン?」

 クロワッサンのような形をした、茶色い物体。どう見てもパンだった。

「ああ。パンだ」

 門叶くんはそれをかじり始めた。

「せっかく貰ったから、今日は食堂へ行くのは中止した」

「……。えっ、それがバースデープレゼント?」

「ああ。これはブーランジェリー『ミナモト』のオリーブパンだ」

 『ミナモト』――駅の近くのパン屋さんだ。全てのパンに自家製天然酵母を使用している。

「へえ。そのパンが好きなの?」

「いや、別に」

「えっ」

 ならなぜ貰った?

「君も食べるか?」

「い、いや……プレゼントなんでしょ? 門叶くんが食べないと」

「あいにく、僕には君ほどの食欲がない」

「……」

 そういえば、この人は私の大喰いっぷりを知っている。初めて会った時、私は十碧くんのバースデーパーティーで食べまくっていたからだ。

「そんなにたくさん貰ったの?」

「ああ。みんな、僕に渡すものを他に思いつかなかったらしいな」

 門叶くんは紙袋の中身を見せてきた。

「……ん?」

 そこにはパンと、小さな瓶がいくつか詰まっていた。パンは数種類あったが、瓶はいずれもオリーブオイルのようだ。

「えっ、これ飲むの!?」

「飲まない」

 真面目な声で否定された。

「僕の好物はオリーブなんだ。それでよく、こういったものを貰う」

「あ……ああ。そう……」

 ならなぜ、今ここに持ってきた? 教室に置いてくれば良かったのでは?

「他のパンも全てオリーブ入りだ。好きなのを選ぶといい」

「……へえ」

 なるほど。オリーブパン自体は別に好きじゃないけどオリーブは好き、というわけだ。

 門叶くんが今食べているのは、オリーブが丸ごとゴロゴロ入ったパンである。が、他のパンはそこまでオリーブだらけではなく、あくまで『具材の一つ』といった使われ方をしていた。

 自家製豪華極厚ハンバーガーを食べ終えてから、私は紙袋の中の楕円形のパンを手に取った。そのパンは中身がくり抜かれ、代わりにチョリソーのトマト煮込みが詰め込まれている。薄くスライスされたオリーブもたっぷり入っていた。

「……でも、オリーブそのものはないんだね」

「いや、それも貰った。教室に置いてある」

「あ、そうなの?」

 ならなぜ、オリーブオイルも置いてこなかった?

 と思っていたら、彼はオリーブパンを食べ終わった途端、オイルの瓶を手に取った。

「……」

 いくつか見比べ、紙袋に戻したり別のを取り上げたりして、やがてその中から一つを選ぶ。彼はそれを開けた。

「えっ、やっぱり飲むの!?」

「飲まない」

 淡々と否定して、門叶くんは紙袋から別のパンを取り出した。スライスされたバゲットのようだ。刻んだオリーブが混ざっている。彼はそのパンにオリーブオイルを少し垂らし、食べ始めた。

(……)

 バターの代わり?

「門叶くん……オリーブ入りのパンにオリーブオイルをかけて食べるわけ?」

「変か? 僕の弟はシュガーラスクに砂糖をかけて食べるぞ」

「……。甘そうだね」

 由和さんと気が合いそうだな、弟さん。

「君も使うか?」

「い、いや、いいよ私は」

 丁重にお断りして、私はトマト煮込みのパンをかじった。

 ……今気がついたけど、これも手の汚れる食べ物だな……。

「――君はいつも弁当なのか?」

 ふと、門叶くんは私のランチトートと紙袋に目をやった。

「それとも、すでに食堂へ行ってきた後か?」

「違うよ!」

 いくら私でも、二回も三回もお昼を食べたりしない。一回分が大量なだけだ。

「そっちの紙袋は『昼食その二』か?」

「違うってば!」

 いくら私でも、二つも三つもお昼を持ってきたりしない。一つが大量なだけだ。

「……あ、そうだ」

 ふいに、私は思いついた。

「ごめん、門叶くん。今日が誕生日だって知らなくて、何も用意してないんだけど……」

「構わない。僕も君の誕生日を知らない。多分何も用意しないだろう」

「……。それはともかく」

 喋る合間に、貰ったパンを食べ終えた。私はウェットティッシュで手を拭い、自分の紙袋から、本日のデザートを取り出す。

「これ、プレゼントにしようかと思って。甘い物は大丈夫?」

 ミリちゃんの時も同じことをしたが――知らなかったものは仕方ない。今渡せるのはこれぐらいだ。

「それは……シャルロット・ポワールか?」

 紙袋から保冷袋を取り出し、保冷袋からタッパーを取り出し、タッパーから保冷剤を取り出し、最後にケーキを取り出す。そのケーキを見て、門叶くんは呟いた。

「あ、知ってるんだ」

「十八世紀末、フランスの天才パティシエ・アントナン=カレームが創作した菓子だろう?」

「えっ、そうなの!?」

 そこまでは知らない。

 シャルロット・ポワールは、洋梨のババロアのケーキである。側面にはフィンガー形に切り揃えた、ビスキュイ・ア・ラ・キュイエールというスポンジが並べて貼りつけてある。この形がシャルロットという帽子に似ているのでこの名が付いた、という説もある。それとは別に、同じ生地を菊模様に絞り出して円形に焼いて、上にかぶせてフタにした。

「く、詳しいね……。ケーキとか、好きなの?」

「いや、別に。ただ、アントナン=カレームの伝記は読んだことがあるから」

「……その人が好きなの?」

「いや。特に興味はない」

「……。じゃ、何で伝記を読んだの?」

「意味はないよ。偶然目に留まっただけだ」

(……)

 どういう基準で読む本を選んでいるのだろうか、この人は。

「門叶くんって、何でも読むよね……」

「ああ。文字を追うのは好きだ」

「……文字?」

「そう。ジャンルや内容にはあまりこだわらない。文字列やフォントを見るのが楽しいんだ」

「えっ」

 読めれば何でもいいということか、それは?

(そういえば、この人……文化祭ではメイド&執事喫茶のメニューで交信してたな……)

 前からちょっと違和感はあったが――今、その原因が判明した。

 この人は単なる読書好きではない。活字マニアだったのだ。

「ふうん……。内容にこだわらなくていいってことは、どんな本も楽しく読めるんだ? お得だね」

「……。そんな言い方をされたのは初めてだ」

 シャルロット・ポワールはあらかじめ切り分けてある。私はそのひと切れをタッパーのフタに、別のひと切れをお弁当箱のフタに載せた。タッパーのフタのほうはフォークを添え、門叶くんへ差し出す。

「はい、どうぞ」

「……いつもはこれを一人で丸ごと食べているのか、君は?」

「い、いいじゃない、別に」

 彼はタッパーのフタを受け取った。

「お誕生日おめでとう、門叶くん」

「ありがとう」

 フォークは一つしか持ってこなかったので、私は箸でケーキに取りかかった。

「……。君は先ほど、巨大なハンバーガーを食べていなかったか? なぜ箸を持っているんだ?」

「ん? マカロニサラダも持ってきてたから」

 門叶くんが現れる前に食べてしまったが。

「味が混ざらないか?」

「平気、平気」

 というか、私がフォークを譲らなかったらどうする気だ。君は手づかみでシャルロット・ポワールへ挑む羽目になるぞ、門叶くん。

 臆せず箸で食べていると、気を遣われたと思ったらしく、門叶くんはもう一度呟いた。

「――ありがとう」

 彼は珍しく、笑顔を見せた。



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