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エルム、エルム  作者: 十枝内 清波
一年生
62/341

文化祭(真夏の夜の夢)

 当番が終わり、私はメイドの衣装から制服へ着替えた。

 もうすぐ、中高三年による合同演劇が始まる。リューくんに貰ったチラシを手に、私は講堂へ向かった。

「エルム、エルム」

 ――途中、クマが忽然と現れた。

「面白えなあ、あのヲタモデル。思わず撮っちまったぜ」

「えっ、あんたいたの!?」

 柔らかな髪、優しげな瞳。『この子』の兄、『篠沢朔真』の姿だ。その手にはフルハイビジョンのビデオカメラがある。

「いたぞ。消えてたけどな。ほら、見るか?」

「……いや、いいよ……」

 ヲタモデル……紫関先輩のことか……。

 こいつは時々、姿を消した状態で私のそばに潜んでいることがある。

「そうか」

 クマはあっさり、カメラを引っ込めた。――文字通り、引っ込んだ。私がまばたきする間に、カメラはもう消えていた。

「それ、紙切り男の芝居だろ。観に行くのか?」

 と、奴は私の持つチラシに目をやった。

 ……その言い方だと妖怪芝居みたいだぞ、クマ……。

「うん。話も何となく知ってるし」

 シェイクスピアなんて詳しくないが、『真夏の夜の夢』はどうにか分かる。主に、森に住む妖精たちと森を訪れた人間たちの騒動を描いたコメディーである。

 誰が主役なのかははっきりしないが、リューくん演じる妖精パックは主役級のはずだ。

「リューくん、人気あるんだね〜。パックに選ばれるなんて」

「投票なんだろ? 人気というより知名度のせいじゃないか?」

「……」

 リューくんとミリちゃんが爆走する姿は冷泉院の名物である。確かに、校内では彼らを知らない者のほうが少ないだろう。

「――あ、エルちゃん!」

(ん?)

 前方から声がした。見れば、講堂の入り口でミリちゃんが手を振っている。

「リューの芝居、観にきたの? ――っと」

 そこで初めて、彼女はクマの存在に気づいたらしかった。奴に「失礼しました」と言ってから、私へ顔を戻す。

「エルちゃん、こちらは?」

 ちょっと態度が変わった。表情にかすかな迷いが浮かぶ。何というか――ビジネス用かプライベート用か、対応を決めかねている感じだ。

(……)

 ミリちゃんの普段の交友関係を垣間見た気がした。何しろ、やんごとなきお嬢様だ。緊張して付き合わなきゃいけない相手も多いのだろう。

「私のお兄ちゃんだよ。『篠沢朔真』っていうの」

 私は気軽な口調で紹介した。すると、ミリちゃんはいつもの華やかな笑みを浮かべる。

「そうなんだ。――初めまして」

 プライベート用の対応に決めたらしい。緊張が抜けた。

「私は岬美理といいます。篠沢恵瑠夢さんのお友達です。よろしくお願いします」

 と、彼女は軽く頭を下げた。

「初めまして……」

 クマは『お兄ちゃん』らしく、優しそうに微笑んでみせた。

「エルちゃん、お兄さんがいたんだ。いいなあ。私、一人っ子だからちょっと羨ましいよ」

「リューくんがいるじゃない」

「あっ、そうか。――ん!? いや、あいつは弟じゃないよ!?」

 ……今、ナチュラルに「あっ、そうか」って納得したよ、この人……。

 傍から見れば二人は姉弟のようだが、当のミリちゃんも無意識にリューくんを弟扱いしているらしい。

「まあ、でも……ヘタしたら家族より長く一緒にいるかもねー」

 ミリちゃんは感慨深そうに呟いた。

(……)

 そりゃあ、やんごとなき家柄の人々がイタズラを仕掛けたり爆走劇を繰り広げたりはしないだろう、多分。それもあんなにしょっちゅう。

「そ、それはともかく――ミリちゃんも合同演劇を観にきたんだよね? 良かったら一緒に観ない?」

「うん、いいよー」

 ミリちゃんは快く承諾してくれた。

 我々は講堂に入った。


 『真夏の夜の夢』は主に、森に住む妖精たちと森を訪れた人間たちの騒動を描いたコメディーである。

 ――が。

「ぎゃ――っ!?」

「おぉ――っ!?」

 ステージでは、あながち演技でもなさそうな様子で、役者たちが大騒ぎしていた。

「……『真夏の夜の夢』って、こんな話だったっけ?」

「……筋は合ってるよ、筋は」

 私の呟きに、ミリちゃんが隣の席から呟きを返す。

 予期せぬタイミングで紙吹雪が舞ったり、紙製の花が飛び出したり、星が噴いたり、さっきからいろいろなことが起こっている。そのたびに役者はうろたえ、観客はどっと笑った。

「あっははははは!」

 ――ステージ上で、リューくんも笑っている。

「これって、元からこういう演出――」

「――じゃ、ないよ。あの悪童の仕業だよ」

 ミリちゃんの声は呆れていた。

「『おい、どこだ! 高慢ちきのデメトリアス! 何とか言え!』」

「『ここだ、悪党! 剣を抜いて待ってるぞ!』」

「うおっ!? ――い、『行くぞ!』」

 芝居はそろそろ後半。妖精パックは暗闇の中、声色を変えて二人の男を誘導している。そのうちの一人に向かい、リューくんは実際に剣を抜いてみせた。その剣はペーパーローリングのような仕組みになっているらしく、勢いよく振るとビョ〜ンと伸びた。相手の男はぎょっとしたようだが、『夜の暗闇の中』という設定なので、辛うじて『何も見えないふり』を続けた。

(……)

 自由だな、このパック。

「練習中からこんなこと――」

「――うん、やってた。ネタは全部違うけど」

「ええっ!?」

 ミリちゃんはリューくんの練習をよく見張りに――いや、応援しに行っていたらしい。

「お、怒られなかった? 勝手にこんなことして」

「担当の先生が寛容な人だったからね……。『怪我だけはさせるなよ〜』『散らかしたら後で自分で片づけろよ〜』って言って、それっきり」

「……」

 寛容というより適当なんじゃないか、それは?

「……まあ、いいか。楽しそうだし……」

「え?」

「あいつ、昔は全然笑ってくれなかったからさー」

 ミリちゃんは諦めたような微笑みを浮かべた。

「立派に育ったなー。ここまで元気になるとは思わなかったよ」

「……」

 妙にしみじみとした口調だった。

「ミリちゃん……孫を見守るおばあちゃんみたいな顔してるよ」

「えええっ!? せめて『お姉ちゃん』にして!」

 もはや『身内扱い』は否定しないらしい。

「『まだ三人か? もう一人来い――男と女が二人ずつ、合計四人。そら来た!』」

 ステージでは、あながち演技でもなさそうな様子で、リューくんが陽気に笑っている。

 ミリちゃんはそれを、生温かい目で見守っていた。


 クラスの出し物は繁盛し、知り合いの活躍も見に行けた。クラスメイトには接客を褒めてもらえたし、私の作ったモンブランと洋梨のタルトも好評で、他のケーキとともに無事完売した。

「充実してたなあ……こんなに文化祭を満喫したの、初めてだよ」

「そうか。そりゃ良かったな」

 クマは途中から偽装モードに化け直し、片づけを手伝ってくれたあげく、何喰わぬ顔で打ち上げにも参加した。

「じゃ、帰るか」

「うん」

 心地よい疲れと楽しい気分を胸に――私は、クマと一緒に学校を後にした。



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