文化祭(精算)
門叶くんは紫関先輩の隣に座った。
(……このテーブル、おかしい……)
王子様と鏡の精霊とお嬢様、そして紫関先輩。ここだけ周りと空気が違う。
初姫さんを接客している執事の男子など、ものすごく居心地が悪そうだ。
「こ、紅茶はお好み通りでしょうか、お嬢様?」
「はい……ありがとうございます……」
(……)
本物のお嬢様に「お嬢様」と言ってもサービスにならないよな……。
「なあっ、写真もっと撮らせてくれないか!? 金ならいくらでも払うぞ!」
「ええっ!?」
「紫関先輩――メニューに『お一人様一回限り』って書いてありますよ」
私はぎょっとしたが、十碧くんはもはや驚きもしない。儚げな笑みを向けつつ、先輩に水を差している。
「……『栗さんのドキドキかくれんぼ』、『夢見るすやすやお昼寝ポテト』、『気取り屋かぼちゃの王子様』……」
――ハッ!?
「門叶くん、ここで交信しないでね!?」
「メニューを見ていただけだが」
「読むなら黙って読んで! 口に出さないで!」
「なぜだ?」
「真顔で聞かないでくれる!?」
恐ろしい人だ。
「――エルちゃん、いる〜?」
(ん?)
その時、能天気な声が響いた。
(この声は……)
「リューくん?」
教室の入り口に目をやると、黒茶色の髪の少年がこちらへ手を振っている。
彼は――羽根付きの額飾りを装着し、ピーターパンみたいなライトグリーンの衣装を身にまとっていた。
(……)
もう驚かない。
水差しを取りに裏へ行くついでに、私はリューくんのそばへ寄った。
「……それ、パックの格好? 似合うね」
「へへっ、そう? わ〜、エルちゃんもメイドさん似合ってるよ! 超可愛い〜」
「あ、ありがとう……」
なぜだろう。ほぼ同じことを言われているのに、紫関先輩とはだいぶ印象が違う。リューくんの人徳か?
――それはともかく。
彼は中高三年の合同演劇に出演する。演目はシェイクスピアの喜劇『真夏の夜の夢』、リューくんの役どころはパック――劇中で一番人気の妖精だ。
(……)
ちらっと十碧くんの様子を窺うと、彼は『フェアリー・プリンス』を完璧に保ったまま、さりげなくリューくんを見ていた。
「おい、また新手が来たぞ」
「今度は何だ? ピーターパンか?」
「リューくんじゃん。止まってるとこ久々に見たかも」
「いつもだいたい走ってるからね……」
周囲の人々も慣れたようだ。十碧くんが登場した頃に比べれば落ち着いた反応である。
「……あれ? でも、三年合同演劇って……」
「うん、本番は明日〜。今日はビラ配り!」
と言って、彼は手に持っていた紙の束をバサッと振ってみせた。反対の手には紙袋を提げている。
「これ全部配り終えるまで帰ってくんなってさ〜。結構きついよ〜」
「ほんとだ。いっぱいあるね」
「俺の手作りだよっ」
「えっ、これ全部!?」
よく見れば、コピーとかではなく、一枚一枚にちゃんと切り絵が貼ってある。
「へへっ、ちょっと頑張っちゃった〜」
「何枚作ったの?」
「五百枚」
「……ごっ……!?」
五百枚、全部手作り!?
「そしたら、責任持って配ってこいって言われちゃってさ〜」
「……」
なるほど。
「エルちゃん、良かったら一枚貰ってくれない? ――あ、今仕事中だから駄目か」
「あ、ううん。一枚ぐらいならいいよ」
束ごと置いていかれたりしたらさすがに困るが。
「ほんと!? わーい、残り二百七枚〜」
「……結構捌けてるね……」
私はチラシを一枚受け取った。
普段のイタズラ作品とは似ても似つかない、幻想的なデザインだ。星降る森と妖精たちの切り絵である。
(……十碧くん、こういうの好きそう)
そう思い、再び彼の様子を窺うと――。
「一回限り……足りねえぇっ! 一度精算して外に出て、それから来店し直せばいいのか!?」
「お兄さま、それは挙動不審です……」
「初姫、お前の分を譲れ!」
「紫関先輩――それだと、初姫さんの担当執事にサービスしてもらうことになるのでは?」
――それどころではなさそうだった。
「……ゲッ……!?」
私の視線を追い、リューくんは苦悩する紫関先輩を発見した。不気味そうに顔がこわばる。
「あー、ごめん。あの人のことは気にしないで?」
「……」
気になるようだ。リューくんは紫関先輩を凝視している。
先輩は未練がましくメニューを睨みつけ――その顔が、絶望に染まった。
「くっ……犬だ……俺は篠沢恵瑠夢の犬だ……ああぁ、いっそ飼われたいぃっ!」
「ええ――っ!?」
力いっぱい叫ばないで下さいよ、そんなこと!
私は戦慄した。
「……」
「……」
店内の人々はフリーズした。
「……お兄さま……。犬は飼い主を選べません……」
そういう問題か? 初姫さん!
「紫関先輩――声が大きいですよ。ここは喫茶店ですし、もう少し静かにしたほうが……」
よく平然としていられるな、十碧くん!
「……」
ちなみに門叶くんは、我関せずといった様子でメニューを眺めている。
(……)
隣席の突拍子もない発言すら耳に入らないのか、君は?
「――何だね、今のは」
(ハッ!?)
静まり返った中、新たな声が響いた。
教室の入り口に立つリューくんの背後から、またしても知り合いが現れる。
「せ、先生……」
由和さんだった。
「失礼するよ」
リューくんの脇をすり抜け、彼は店内へ入ってきた。中の様子を軽く見回し、例のテーブルへ近づいていく。
「――二年B組、紫関零……」
先輩の顔を見て、由和さんは静かに口を開いた。
「君の言動は迷惑行為の域に達しているようだが、自覚はあるかね」
「……ん?」
一瞬にして、先輩の表情が冷える。きつい美貌が復活した。
彼は由和さんを不審そうに睨む。
「何だ、あんた。――いや、待てよ。どこかで……」
「私のことより、己の行いについて考え、改めなさい」
「は?」
「でなければ私も、相応の対処をすることになる」
「――あっ!?」
突如、初姫さんが慌てた様子で立ち上がった。
「由和先生! お、お久しぶりです……」
(――え?)
いつにも増して緊張した面持ちで、彼女は挨拶した。
(あれ……)
面識があるのか、この二人?
「失礼しました、すぐに気がつかなくて……」
「君か。元気そうで何よりだ――紫関の、次期当主」
「!」
初姫さんはビクッと震えた。
「い、いえ……兄もおりますし、正式に決まったわけでは……」
「そうかね。しかし――」
静かな表情のまま、由和さんは初姫さんをじっと見た。
「いずれにせよ、身内の監督はきちんとしなさい」
「え……」
「上に立つ者の務めだよ」
「……」
「それとも、私に処分を委ねるかね。よく考えなさい」
「……は、はい……」
初姫さんはうつむいた。
「……そうですよね……」
少し沈黙してからそう呟き――彼女は、意を決したように顔を上げた。
「――浜松!」
「はい、ここに」
「えっ!?」
「うおっ!?」
突如、黒いスーツの男性が現れた。
教室の入り口付近にいた私とリューくんは飛び上がり、とっさに道を譲る。男性はスタスタと例のテーブルへ近づいていった。
(……)
何だ、あの人? どこから来た?
「お兄さまは仕事に行きます。お連れして」
「かしこまりました」
初姫さんの言葉に応じ、男性は紫関先輩をガシッと捕まえた。
「なっ……!? まだ時間はあるだろ! 腕をつかむな、浜松!」
「私はお嬢様の命令しか聞きません」
男性は先輩をぐいぐい引っ張り、ものすごい速さで教室の外へ連れ出した。
「おい、離せ! 浜松!」
「お断りします」
騒ぐ声が聞こえたが、それもあっという間に遠ざかっていった。
(……)
一瞬の出来事だった。
何だ、あの人? 何者だ?
「篠沢さん……お騒がせして、申し訳ありませんでした……」
元の、ちょっとおどおどしたような態度に戻り、初姫さんが謝ってきた。
「えっ!? いや、えーと……」
「お会計、お願い出来ますか……?」
「あ、は、はいっ」
すると、十碧くんも立ち上がった。
「門叶くん。僕らもそろそろ戻ろうか」
「……」
「――メニューは置こうね?」
密かに交信していたらしい門叶くんからメニューを取り上げ、十碧くんも会計に向かった。正気に戻った門叶くんが後に続く。
「由和先生……兄に代わりまして、失礼な態度をお詫び申し上げます……」
「ふむ。よく言い聞かせておきなさい」
「……は、はい……」
初姫さんは由和さんにも謝っていた。
「篠沢さん、ごちそうさま。美味しかったよ」
「えっ……うん、ありがとう……」
十碧くんは儚げな微笑みを向けてきた。
……この人、紅茶しか飲まなかったな……。
「では、これで。気が向いたらうちのクラスにも来てくれ」
「う、うん……」
門叶くんは淡々と宣伝した。
「えーと……俺ももう行くよ」
ハッと我に返った様子で、リューくんが言う。
「エルちゃん、またね〜」
彼は十碧くんたちを追っていった。
「ねー、待って〜。ビラ貰ってくれない?」
と、呑気な声が響く。
そういえば……リューくんは結局、冷やかしだったのか?
「篠沢さん……私もこれで、失礼致します……」
「あ、はいっ」
初姫さんに話しかけられ、私もハッと我に返った。
「……あの……」
「は、はい?」
初姫さんは、何やら思い詰めた表情を浮かべた。
「兄は、ああ見えて悪気はないのですが……」
「……」
あれで悪気があったらたまったものではない。
「あまりにもご迷惑をお掛けするようでしたら、当家が対応しますので……」
「い、いえ、大丈夫ですよ!? そこまでは困ってませんから!」
話が大げさになりそうなので、私は焦った。
何も紫関財閥に動いていただく必要はない。クマ一人で十分だ。
「そう、ですか……?」
初姫さんはちょっと不思議そうな顔をして――それから、ほっとしたように笑った。
「篠沢さんは、兄をお嫌いではないのですね……」
「……」
柔らかい微笑みだ。初姫さんがお兄さんを大事に思っているのが分かる。
(今日も、心配してついてきたのかな……)
「あの、でも、一応……」
「?」
初姫さんは、私に一枚のカードのようなものをそっと差し出した。
「これは?」
「当家の弁護士の名刺です……。何かありましたらこちらへ……」
「ええ――っ!?」
……兄妹愛はあっても、信用はしていないらしい……。




