文化祭(メイドと王子)
人間、たとえどんなに異常な事態でも、それがずっと続けば慣れてしまうものらしい。
紫関兄妹が来店してからしばらくすると、石化した人々の呪い(?)が解け始めた。
「あれ、ゼロ様……だよね?」
「本物……だよね?」
「そっくりさん……じゃないよね?」
――といっても、呆然とした呟きが漏れる程度ではあるが。まあ、完全なフリーズよりはマシな状態だ。
「可愛い〜。可愛い可愛い可愛い……」
「あの、お兄さま……人前ですから、どうか控えめに……」
紫関先輩は頬を緩め、じーっと私を見つめている。そんな彼を見て、初姫さんはおろおろしている。その様子を見て、店内の人々はぽかんとしている。
(……)
奇妙な静けさだ。正常なざわめきがない。
「――何かな、この空気は」
(ハッ!?)
ふいに、聞き覚えのある声がした。振り返れば、教室の入り口に新たな客が現れている。
(おぉっ!?)
私はぎょっとした。
ふわふわの淡茶色の髪、澄んだ瞳。どこか神秘的な、儚げな美貌――十碧くんだ。しかし。
なんと彼は、白い軍服のような衣装を身にまとっていた。といっても軍人には全く見えない、やたら優雅なデザインだ。このまま戦場へ出たら確実に邪魔になりそうな、金糸の刺繍入りのマントまで着けている。
「あ……篠沢さん」
彼は店内を軽く見回し、私に気づいて微笑んだ。
瞬間――我に返ったように、女子が黄色い声を上げた。
「来海くんだ!」
「きゃ〜っ、王子様!」
「綺麗〜。かっこいい〜」
そんな周りの反応を、十碧くんは十分に意識している。ごく自然なタイミングで、髪も瞳も、今日は衣装の飾りまでもが、キラッと光る。
彼はこちらへやってきた。
「来たよ。盛況だね」
「来海くん……な、何!? その格好!」
人前なので、私は彼を名前ではなく、苗字で呼んだ。
「これは、劇の衣装だよ。後でまた上演があるから着替えられなくてね……」
「あ……ああ。『白雪姫』の王子様?」
私はD組の出し物を思い出した。
十碧くんが王子様で、門叶くんが……鏡の精霊……。
(……)
交信中の彼の姿まで思い出してしまった。
「どうかした?」
「いえ、別に。――似合うね? 本物みたいだよ」
「え……そんな。でも、褒めてくれてありがとう」
十碧くんははにかんだ。
――が、その直後、ものすごい小声で「当然」と囁いた。
「……」
「君の服も似合っているよ。本物みたいだね」
「えっ……うん、ありがとう……」
それは褒め言葉かどうか微妙だぞ、十碧くん!
今日の私の格好はメイドだ。この人のことだから、表面上は褒めているように見せかけ、実は「使用人みたいに見える」という意味で言った可能性もある。
「きゃ〜っ、メイドと王子様!」
「二人とも綺麗〜。おとぎ話みたい〜」
「普通にお城とかに住んでそう!」
(……)
我々が会話する姿は思いのほか好評だった。止まっていた空気が動き出す。店内にざわめきが戻った。
「……来海……」
――が、それも束の間。
低い、妙に迫力のある声が響いた。
「……」
「……」
またもや空気が凍る。
声の主は紫関先輩だ――いつの間にか頬は締まり、目つきは鋭く、野性的な美貌が蘇っていた。
「紫関先輩、初姫さん。こんにちは」
十碧くんは二人のテーブルに近づいた。彼が心持ち紫関先輩側へ立ったので、私はそれを受けて自然と下がる形になり、相対的に先輩との距離が少し空いた。
「十碧さん……ごきげんよう」
紫関先輩は露骨に顔をしかめたが、初姫さんはややぎこちなく微笑み、挨拶を返した。
「お久しぶりです。先日、お父さまにはお目に掛かりましたけど――お元気そうで何より」
「……っ」
それを聞くと、紫関先輩は一瞬、ギクッとしたような表情を浮かべた。
「まあ、そうなのですか……」
ところが逆に、初姫さんはほっとした様子を見せた。
(……?)
何だ、今のは。上流社会の駆け引きか?
私には意味が分からなかったが、紫関先輩には何らかの効果をもたらしたらしい。彼は十碧くんから目を逸らした。
「――十碧さんも、篠沢さんに会いにいらしたのですか……?」
と、初姫さんは尋ねた。
「でも、今は兄の接客をして下さっていて――よろしければ、十碧さんもご一緒しませんか……?」
「なっ……!? 初姫!」
彼女の発言に、紫関先輩はぎょっとしたように目をむいた。
「……駄目ですか……?」
――が、初姫さんが寂しげに目を伏せると、先輩はぐっと言葉を詰まらせた。
「……。別に、いい」
「ありがとうございます、お兄さま……」
目を上げ、初姫さんは微笑んだ。
(……)
意外とお兄さんを操縦できるらしい、この人。紫関先輩も妹さんには弱いようだ。
十碧くんは初姫さんの隣に座った。相変わらず当たり障りのない態度だが、今日はお見合いでも何でもないので、ことさら彼女を避ける必要もないのだろう。
「きゃ〜っ、フェアリー・プリンスとゼロ様が同じテーブルに!」
「写真いいよね? 執事を撮るんじゃないし、タダだよね?」
「え〜、凄い! この二人を同時に見れるなんて!」
女性客が騒ぎ出した。
「――うるさい。黙れ」
……が、紫関先輩に氷の眼差しを向けられると、彼女たちはビクッと震えて口を閉じた。
「せ、先輩……いえ、ご主人様。他のお嬢様方を威嚇しないでいただけませんか?」
「――っ!」
私が慌ててそう言うと――途端、彼はバッと勢いよくこちらを見た。
「ああっ、篠沢恵瑠夢が俺におねだりを! おおおおおっ!」
「えええっ!? おねだりじゃないです!」
「しまった、見逃した! せっかくの新たな表情を! 声しか聞けなかった、もったいねえぇっ! もう一度言ってくれないか!?」
「ええ――っ!?」
冷ややかな表情は吹っ飛んだ。今は後悔と絶望の顔だ。
恍惚の表情もなかなかだが、これはこれで怖い。
「――篠沢さん、注文してもいいかな?」
十碧くんがこっそり私の袖を引き、紫関先輩との距離がまた少し空いた。
「お兄さま、落ち着いて……。ほら、篠沢さんの写真ですよ……?」
同時に、初姫さんがおろおろと紫関先輩へ携帯を差し出す。先ほど撮ったツーショットのようだ。
「!」
瞬間、先輩は初姫さんの手からパッと携帯を奪い、喰い入るように画面を見つめた。
「……」
綺麗な顔が、盛大に緩む。目は熱っぽく、うっとりしている。
(……)
怖い。
しかしとりあえず、静かにはなった。
「……」
「……」
――ついでに、店内も静かになった。しーんとしている。
「篠沢さん、お薦めってある?」
「えっ!? あ、えーと……」
そんな中、ただ一人――十碧くんだけは悠然としていた。
まるで、本物の王子様のように。




