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エルム、エルム  作者: 十枝内 清波
一年生
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49/341

プリント

 放課後。廊下を歩いていると、焦ったような声がした。

「ご、ごめんなさい! ほんとにごめんなさい!」

(――ん?)

 聞き覚えのある声だった。しかし、姿は見えない。

(……あっちかな?)

 とりあえず進行方向の角まで行き、その向こうを覗いてみると――栗色の髪の女の子が、床に散らばったプリントをおろおろと拾い集めていた。

「あっ、ナノちゃん!」

 知り合いだ。

 私は彼女のそばに屈み、プリント拾いを手伝った。

「どうしたの、落としちゃったの?」

「エルちゃん!? あ、ありがと……」

「お……おおおおおっ!」

 ――へ!?

 突如、雄叫びが上がった。

「ああぁ、いた! 篠沢恵瑠夢! こんなとこにいた! やっと会えたぁぁっ!」

「……」

 気がつけば、紫関先輩が妙にキラキラした目で私を見下ろしていた。

「ああっ、可愛い! 超可愛い! 本物だ! ――おおっ!? 目が合ったっ!」

「……」

 今どこから現れた、この人?

「夢じゃないよな? 俺を見ている! おおぉっ、上目遣いっ! まさに天使だ! 黄昏の光に包まれた天使っ!」

「……」

 だから、今日は雨ですってば。

 それに――黄昏時に現れるのって、天使というより妖怪じゃないか?

「……」

 ――バサッ。

 ナノちゃんの手から、せっかく拾い集めたプリントが滑り落ちた。見れば、彼女は固まっている。

(ああぁ、また被害者が!)

 私は慌てた。再び散らかったプリントを、大急ぎで拾い集める。

「ナ、ナノちゃん! この人のことは気にしないで!」

「……ん?」

 次の瞬間――先輩の表情が、すっと冷めた。

 頬は締まり、目つきは鋭く、ナノちゃんを見下ろす。

「お前……まだいたのか」

「……っ!」

 本来の美貌が復活した。

 辺りの空気まで凍てつくような、氷の眼差し――ナノちゃんはビクッと震えた。

「ナ、ナノちゃん? 紫関先輩と何かあったの?」

「えっと、さっきここでぶつかっちゃって……」

 こそこそ尋ねると、ナノちゃんもこそこそと小声で答えてくれた。

(ぶつかった?)

 もしや、それでプリントを落としたのか?

「あ……あああああっ!」

「えっ!?」

 突如、紫関先輩が新たな雄叫びを上げた。私とナノちゃんはビクッとした。

 見れば、彼の表情はまたもや崩れている。今度は何やら、絶望的な顔をしていた。

「ずるい! ずるいぞ、お前!」

「ええっ!?」

 先輩はなぜか、ナノちゃんに喰って掛かる。ナノちゃんはビクビクッとした。

「そんな至近距離で篠沢恵瑠夢と内緒話を! ああぁ、俺だってもっと顔寄せたい! 息が掛かるほど近くで喋りたい! できれば耳元に直接囁かれたいぃっ!」

「えええええっ!?」

 途中から独り言になってますよ、紫関先輩!

「……」

 悶える彼を目の当たりにし、ナノちゃんは震えを通り越して凍りついた。もはやピクリとも動かない。

(ああぁ)

 私は焦った。

 何だろう、この罪悪感。そして、この場をどうにかしなければならないという使命感。私が悪いわけではないはずなのに。

「し、紫関先輩! それよりプリント拾いましょうよ、先輩とぶつかったせいで落としちゃったんでしょうっ?」

「ハッ!? 篠沢恵瑠夢が俺を見上げている! 今、俺は篠沢恵瑠夢の視線を独り占めしている! ああぁ、この角度! 可愛いぃっ!」

「聞いてます!?」

 聞いてない。絶対聞いてない。

 先輩は、恐ろしいほどの恍惚の表情で私を見ている。

(……えーと)

 ぞわぞわっとしたが、それどころではない。ここで私まで凍りつくわけにはいかない。

 とにかく、この人を何とかしなくては。

「えーと、せ、先輩! プリント拾ってくれたら握手してあげます!」

「!」

 次の瞬間、先輩の頬がピシッと締まり、再び本来の鋭い美貌に戻った。

 彼はサッと屈み、異様に真剣な眼差しでプリントを拾い集める。ものすごく素早い動作だった。

「……」

 なんという変貌ぶり。

 自分で言っておいて何だが、呆気に取られてしまった。

「……」

 ナノちゃんは目を見開き、口もぽかんと開けている。

「――拾ったぞ。これでいいか?」

 散らばったプリントはあっという間に回収された。先輩はナノちゃんにその束を差し出したが、彼女は凍りついたままだ。

「……」

「ナノちゃん、ほら!」

 横からつつくと、彼女はハッと我に返った。

「えっ!? あっ、はいっ!」

 ナノちゃんは紫関先輩からプリントを受け取った。

 ……手が震えてる……。

「えーと、ごめんね? じゃ、またね!」

「えっ」

 私は先輩の手をつかみ、立ち上がった。

「――っ!」

 途端、先輩の顔に喜びがパアッと爆発した。

「ああっ、触った! 素手で触ったぁっ! おおぉ、肌と肌が直接触れてる! 今、篠沢恵瑠夢の指が俺の指に絡んでるぅぅっ!」

「気色悪い言い方しないで下さい!」

 先輩を引きずるようにして、私はその場を離れた。

「……」

 ちらっと振り返ると――屈んだ体勢のまま、ナノちゃんは再び固まってしまったらしかった。



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