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エルム、エルム  作者: 十枝内 清波
一年生
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47/341

虹の架け橋

 外は雨が降っていた。

『……』

 母親は出ていってしまった。

 私は床に倒れていた。

『……』

 じっとしていた。もう動くつもりはなかった。

 ――そうだ、覚えている。

 この後……奴が……。

「エルム、エルム」

(……?)

 妙にはっきりと、声が聞こえた。

(あれ? 違う……)

「なんて夢見てんだ、お前は」

 影が射した。誰かが私を見下ろしている。

(……違う……)

 こんなことは言われなかった。

 あの日、奴は――。

「ほら、まだ時間はある。オレと一緒に遊ぼうぜ?」

(――え?)

 ふわりと体が浮き上がる。

(……クマ?)

 奴がいる。

 つやつや光る漆黒の髪、妖しく底知れない闇の瞳――捕食モードだ。

(……ん?)

「え……えええっ!?」

 妙に顔が近い。と思ったら、なんと私はお姫様抱っこされていた。

「ちょっとクマ、こういうのはいいってば! こっ恥ずかしいから!」

「お前がこんなとこにいるからだろ」

「こんなとこ?」

 言われて初めて、私は周囲の様子に気がついた。

 年季の入った壁紙、古ぼけたカーペット。ここは――。

(……私の、家……)

 元の私の、本当の家だった。

(……そうか。これ、夢か……)

 やっと状況を把握した。

 どうやら今、私は眠っているらしい。クマはたまに、こうして私の夢に干渉してくることがある。

(……)

 視線を巡らせると、壁に掛かったカレンダーが目に留まった。我が家では、日にちを示す数字に毎朝スタンプを押していく。そのスタンプは――あの日で止まっていた。

「――戻りたいのか?」

 クマは目を細めた。

「で、どうする。今からでも契約破棄して、元の自分に還るか? 出来ないよなあ?」

 と、馬鹿にしたような笑みを浮かべる。

「お前にはもう、やり直すべき人生がない。たとえ契約を破ったところで、百五十キロの死体に逆戻りするだけだ」

「……」

 私はカレンダーを見つめた。

「……まだ、死んでなかったでしょ、あの時は」

「そうだな。オレは死者とは契約しない」

 クマは肩をすくめた。

「けど、自分でも分かってるだろ? あれは致命傷だった――同じことさ」

「……」

 私の耳に口を寄せ、奴は囁いた。

「どうだ……それでも戻りたいか? ただ断末魔の苦しみを味わうためだけに」

「……」

 私は答えた。

「……痛いのは、嫌」

 すると、奴は満足げな顔をした。

「なら、いい。こんなとこは忘れろ。さあ、オレが連れ出してやる」

 ぶわっと黒い気配がする。クマは翼を広げた。

 次の瞬間、景色が一変する。

「……わあ……」

 私は青空に浮かんでいた。奴に抱き上げられたまま。

 雲ひとつない、完璧な蒼天。巨大なリボンのように虹が広がり、どこまでも伸びていく。

「お前、好きだろ。こういうの」

 虹の上へ、奴は私をそっと降ろした。

「おぉっ。何これ、立てるの?」

「歩いてみな」

「わ〜、アニメみたい。ふわふわする〜」

 クマは傍らに浮き、私の手を引く。私は虹の上を歩いた。

 抜けるような青。輝く虹。このまま進めば、どこか素晴らしい場所へ辿り着けそうな気がする。錯覚だけど。

(……私はもう、どこへも行けない……)

 クマは、私を助けてくれたわけじゃない。ほんのちょっと、引き延ばしてくれただけだ。

 契約が終われば、私は――。

 ……。

「さあ、どこへ行く? 宝石の城か、お菓子の国か、星屑の花畑か――」

 奴が行き先を告げるたび、虹の向こうに天空島が現れる。それらはみんな、おとぎ話の中みたいにキラキラと輝いていた。

 私が望めば、クマはどこへでも道を繋げてくれる。ただ――。

 この虹は、私の『家』へは続いていない。


 目が覚めると、現実でも雨が降っていた。傘を差し、学校まで歩く。

(まあ、バスに乗ってもいいけど……)

 普段から混んでいるバスは、雨の日にはもっと利用者が増える。アレに乗るよりは歩いたほうがいい。

 昇降口に到着した。傘立てに傘を入れ、下駄箱へ顔を向ける。と――。

 紫関先輩がいた。

(……っ!!)

 考えるより先に体が動く。気づけば私は、彼の死角へサッとしゃがみ込んでいた。

「何、今の動き!? ニンジャみたい!」

「へっ!?」

 なんと、その物陰には先客がいた。

 陽気な笑みを浮かべた、黒茶色の髪の少年――リューくんだ。私と同じく、こそこそとしゃがみ込んでいる。

「リ、リューくん……おはよう。何してるの?」

「おはよっ。何って、隠れてるんだよ〜。エルちゃんこそ、何やってんの?」

「何って……か、隠れてるの」

「……」

「……」

「エルちゃん……」

 リューくんの目がキラッと光った。

「とうとうエルちゃんも創作意欲に目覚め――」

「目覚めてないよ! 私は作品を仕掛けて隠れてるわけじゃないから!」

 共犯者みたいな笑みを浮かべないでほしい。

 リューくんがこそこそしている理由は見当がつく。ミリちゃんの待ち伏せだろう。

「えー、じゃあ何で? ニンジャごっこ?」

「違うよ!」

 パァアァァンッ!!

 ――突如、ものすごい音が響いた。

「ぎゃあぁあああっ!?」

 更に、いつもの絶叫も響いた。

「来た来た、ミリ姉っ」

「あれ? この音、どこかで……」

「へへっ。クラッカーバズーカの余りを流用してみました〜」

「……」

 流用というより悪用じゃないか、それは?

 パンッ、パンッ、パンッ!

「ひょえぇえええっ!?」

 そっと覗いてみると、カラフルな紙テープが空中にふわりと広がり、ゆっくり落ちていくところだった。

(……)

 これは……。

「どう? どう? 虹みたいでしょ?」

「……うん。綺麗だね」

 ――虹……。

 偶然だろうか。

 私はつい、今朝の夢を連想した。

「リュウゥゥゥッ!!」

 下駄箱の向こうから、般若顔のミリちゃんが現れる。七色の紙テープまみれだった。

「あっははははは!」

 その姿を見て、リューくんが爆笑する。

「くぉら……」

「おおおおおっ!」

「っ!?」

 ――あ。忘れてた。

 恒例の追いかけっこが始まる寸前、別の雄叫びが上がった。

「篠沢恵瑠夢! ああぁ、来たっ! 良かった、会えた! また会えたぁぁっ!」

 紫関先輩が突進してくる。獲物を見つけた狼のように。

 彼はその勢いのまま、たちまち私の目の前に到着し――盛大に頬を緩めた。

 瞳は異様な輝きを宿し、私を見ている。

「ああっ、可愛いっ! 今日も可愛い! まさに天使だ! 朝の光に佇む天使っ!」

「……」

 今日、雨ですけど?

「お、おはようございます……紫関先輩」

「!」

 とりあえず挨拶すると、次の瞬間、先輩の顔に喜びがパアッと弾けた。

「お……おおおおおっ!」

「えっ!?」

 ギクッとした。

 何事だ? 何かまずいこと言ったか、私!

「今の声っ! 今のセリフっ! ああぁ、可愛い! 録音したい! 毎朝コレで目覚めたいぃっ!」

「……」

 先輩は悶えるように身を震わせた。

「……」

 可愛いか? 今の棒読みの挨拶が?

「……」

(ん?)

 ふと、妙に静かなことに気づく。不思議に思って顔を向けたら、ミリちゃんがぽかんとこちらを見ていた。

「……」

 追いかけっこは忘れられたらしい。リューくんも同じような表情を浮かべ、我々を見ている。

 ――が、彼はやがて、ぽつりと呟いた。

「……こ、壊れた……?」

「!」

 途端、ミリちゃんが彼をガシッと捕まえた。

「ちょっとリュー! あんたいったい何したの!」

「ええっ、俺!?」

「あんたのイタズラが誤爆して頭打ったんじゃないの、あの人!?」

「えええっ!? 全然覚えがないんですけど!」

 それは濡れ衣だ、ミリちゃん……。

 ――ん?

(あれ? ミリちゃん、前に『二年生の教室に近寄らないほうがいい』って忠告してくれたのに……)

 しかし今の反応を見ると、もしや彼女、紫関先輩の壊れっぷりを知らなかったのだろうか? ということは。

(あれは単に、『お見合い妨害の件で文句をつけられるかもしれない』っていう意味だったのか……)

 結局、それは杞憂に終わったが――現状とどちらがマシだろう?

「ああっ、可愛い! 瞳の陰り! 少し憂いを帯びた表情! 何でだ? でも可愛いぃっ!」

「……」

 先輩は、妙に熱っぽい視線を私に注いでいる。

「……」

 その『憂い』は誰のせいでしょうね、紫関先輩?

「……」

「……」

(――ハッ!?)

 ふいに、私は気がついた。

 そういえば、今は登校時間の真っ只中。周囲にはいつの間にか、複数の生徒が登校してきている。

 彼らは皆、途中までは普通に歩いてくるが――悶える紫関先輩を目撃した瞬間、その場にピタッとフリーズしてしまっていた。

(……)

 メドゥーサか、この人は?

 私は慌てた。

「し、紫関先輩! 今から五分間黙ってくれたらサインしてあげます!」

「!」

 その瞬間、先輩の頬がピシッと締まった。本来の、どこか野性的な鋭い美貌が復活する。

 彼は素早く片手を構え、腕時計を見つめた。ものすごく真剣な眼差しだ。

 私はその隙に革靴を履き替え、先輩の腕を引いた。

「と、とりあえずこの場を離れましょう! どこか人のいないところに! これ以上被害者が増える前に!」

「ええっ!? それって、ふ、二人っきり……おおおおおっ!」

「あっ、喋りましたね!? サインはなしです!」

「えええええっ!?」

 ドドドドド!!

 いつもと逆だ。

 ミリちゃんとリューくん、そして石化した人々を後に残し――私は先輩を連れ、嵐のように走り去った。



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