アゲハ蝶
「ウエスト八十五センチか〜。小さいね」
「エルム……お前のウエストは五十五センチだ」
「ハッ!? そうだった!」
日曜日。私はクマと一緒に、新しくオープンしたショッピングモールへ来ていた。
「デニムは予備にいっぱい買っとかなきゃね〜」
「ん? 何で」
「股がすぐ擦り切れちゃうじゃない。えーと、一ヶ月に一本として……」
「普通、そんなに擦り切れねえよ。予備は不要だ」
「えっ、そうなの!?」
私はハッと思い当たった。
「ああっ!? そういえば最近、服が全然駄目にならないよ!」
「もっと早く気づけよ」
クマは馬鹿にしたような笑みを浮かべた。
「そ、そっか。あれは私の太ももならではの現象だったのか……普通の人は股なんて擦り切れないのか……」
ショックを受けつつ、今度はブラウスへ手を伸ばす。
「おい、それは3Lだぞ」
「これが上限か〜。小さいね」
「エルム……お前のサイズはSだ」
「ハッ!? そうだった!」
逆の意味で着れなかった。
「というか、デザイン見てるか? お前にも好みってもんがあるだろ」
「ないよ、そんなの。着られるだけでありがたいもん。デザインなんか気にしてたら私のサイズを確保できないよ!」
「お前、買い物のレベルが低過ぎる!」
奴は呆れたらしかった。
柔らかな髪、優しげな瞳――今日は『篠沢朔真』の姿だ。妹のお買い物に付き合ってあげているお兄さん、という設定だろうか。
「あのな、サイズはいいから、お前がきちんと見て気に入ったのを選べ。どうせみんな着れるし、何でも似合うだろ。予算も関係ないしな」
面倒くさそうに言いつつ、クマはセンスの良さを発揮し、『この子』にふさわしい服をいろいろと見立ててくれた。
「――じゃ、会計済ませてくるからな。外で待ってろ」
「うん。……って、ちゃんとお金払うの?」
「盗んでほしいのか?」
「いや、そんなことないけど」
……悪魔がきちんとお会計……。
それはそれで不自然な気がする。
なんとなく違和感を覚えていると、クマはにやりと笑った。
「お前は小心者だからな。罪悪感を抱かなくて済むようにしてやるのさ」
「……そういうものなの?」
「ああ。――じゃ、行ってくる」
奴は大量の服とともにレジへ向かった。
私は先に店の外へ出た。
ショッピングモールは盛況だ。オープンしたばかりで目新しいし、話題の新スポットとして各種メディアに取り上げられてもいる――その効果もあるだろう。
(フードコートにふわふわオムレットの店が入ってるんだよね……食べたいなあ)
「――あれ、エルちゃん?」
(ん?)
聞き覚えのある声がした。
見れば、黒茶色の髪の少年がこちらへ歩いてくる。
「あっ、リューくん」
「エルちゃんも来てたんだ。わ〜、私服だ! 可愛い〜」
リューくんは人懐っこい笑みを浮かべた。
「ありがとう。リューくんの私服もかっこいいよ」
「えっ!? そ、そっかな〜」
いつも通り褒め返すと、彼はいつも通りに照れていた。
「ところでリューくん……凄い荷物だね」
私は彼の腕に目をやった。左右どちらにも、大量の紙袋がぶら下がったり抱えられたりしている。
「買い物?」
「うん! 作品の材料を仕入れたんだ〜」
「ああ……紙?」
「そう! すぐなくなっちゃうからねっ」
「……」
そりゃあ、日々あれだけミリちゃんを爆走させていれば。
「あと、テープとか輪ゴムとかボンドとか、いろいろねっ」
「……そうだね、よく使うもんね……」
この人の創作意欲には感服する。
「紙って、なんか特別なやつ?」
「いや、普通のだよ? 千代紙とか染め紙とか強制紙とか……もちろん、折り紙もねっ」
「へえ」
普通に売っているものばかりだ。
「切り絵用の特殊な紙ってわけじゃないんだ?」
「ふっふっふ。どこにでもある材料で作れるのが切り絵のいいトコだからね〜。芸術家は筆を選ばないのさっ」
「……選ぶ以前に、筆使わないよね?」
これまで見てきたリューくんの作品は、どれも紙の色や柄を生かして切ったものだった。彩色はされていない。
「ん? 使うよ。ほら、こういうのとか」
大荷物を抱えたまま、リューくんは器用に手帳を取り出してみせた。紙製のカバーが掛かっている。
(おぉっ!?)
青空に飛んでいく白い帽子と、乱舞するアゲハ蝶――羽の模様と背景は、色が塗ってある。
なんと、細かなアゲハ蝶の群れは、一枚の黒い紙を切ったものらしかった。
「え――っ、何これ! 繋がってる! どこも途切れてない!」
「へへっ、凄い? でも夏用の図案だからなあ……そろそろ秋用に替えないと」
「えっ、これリューくんが作ったの!?」
素人の手作りとは思えないレベルだ。普通に美術品として売ってそう。
「す、凄いね。へえぇ〜」
しきりに感心していると、リューくんは嬉しそうな顔をした。
「エルちゃん、こういうの平気? じゃあ今度、チョウチョの作品を見せてあげるね〜」
「えっ!? う、動くやつ?」
「うん! ミリ姉はムシ系って嫌がるんだけどね〜。本物じゃないのに〜」
「……」
見たいような、見るのがちょっと怖いような。
リューくんのことだから、ただ羽部分が可動なだけってことはないだろうし。
(……まあ、でも……本物じゃないし)
教科書に挟まれてるわけでも、給食に突っ込まれてるわけでもない――。
「……ありがとう。楽しみにしてるね」
「ほんと!? 嬉しーなっ。ミリ姉からは間違っても聞けない言葉だよ〜」
そりゃあそうでしょうよ、リューくん。
「じゃ、今日はとりあえずコレをあげよっかなっ」
と、彼はやはり大荷物を抱えたまま、器用に手帳のカバーを外した。
「えっ、これ!? いいの?」
「うん、気に入ってくれたみたいだから。――あ、それとも俺のお古は嫌?」
「そんなことないよ! わ〜、ありがとう!」
広げてみると、それは額縁に入れて飾っておきたくなるほど見事な『作品』だった。
(作ろうと思えば作れるんだ……まともなのも)
普段のイタズラ作品とは大違いだ。
「どういたしまして〜。じゃあ俺、帰って次回作の作業に入るね〜」
「うん、頑張って。またね」
リューくんはにこっと笑い、去っていった。
「エルム、エルム」
見計らっていたのか、ちょうどリューくんの後ろ姿が人ごみに紛れた瞬間、クマが店から出てきた。
「服は部屋に送っといたぞ」
「うん、ありがとう」
奴は手ぶらだった。
『送った』といっても、もちろん宅配便とかではない。
「今の、紙切り男だろ。それ、貰ったのか」
「紙切り男!?」
妖怪みたいな呼び方するなよ、クマ。
「珍しく普通に切り絵っぽいな」
「珍しく?」
「いつものはもはや『切り絵』じゃねえだろ」
「ま……まあね」
詳しくは知らないが、一般的な切り絵は跳ねたり爆発したりしないと思う。多分。
「いつものアレは……ミリちゃん専用なんじゃない?」
「そりゃ良かったな。無差別に学校中に仕掛けられてたら大騒ぎだ」
「う」
全くだ。
「想像しちゃったじゃない……うわあ、掃除が大変そう……」
「掃除?」
私の発言を聞き、奴はまた、馬鹿にしたような笑みを浮かべた。
「――もう誰も、お前に後始末押しつけたりしねえよ」
「え」
「ほら」
ふいに、クマは『アゲハ蝶』へ手をかざした。
「あ」
瞬間――カバーから、何やら黒っぽいものが飛び出した。
蝶だ。
黒っぽいアゲハ蝶の群れが、ぶわっと舞い上がった。
それは、噴水のように天井付近まで到達し――それからふわりとバラけ、一匹一匹がひらひらと広がっていく。辺りの人々がどよめいた。
「えっ、何!? 蝶!?」
「何だ、いきなり! どこから湧いて出た!?」
「わ〜。でも綺麗〜」
「……」
私はぽかんとした。
「ちょっと……何するの」
「紙は散らかってないだろ?」
クマは意味ありげに唇の端を上げた。
「お前が片づけなきゃならないものは、オレが飛ばしてやるさ――こんなふうに」
「……」
――何の比喩かは、すぐ分かる。
私は手元に残ったカバーへ目をやった。もう、蝶は一匹もいない。白い帽子の他には、ただ青空が広がるばかりだ。
(……私も、何も残さない……)
契約が終われば、クマが全部消してくれる。私が散らかしたものも、本当なら自分で片づけなきゃいけなかったものも、全部。
そして、私は――。
……。
「さて、フードコートに行くか。オムレットが喰いたいんだろ」
クマは私の頭をぽんっと撫でた。その手つきは優しく、いかにも『お兄ちゃん』らしかった。
「その前にどうするの、コレ」
私は飛び回る『アゲハ蝶』に視線を巡らせた。優雅にひらひらと舞う姿は美しいが、この場には不自然だ。結構騒ぎになっている。
「心配すんな。適当なタイミングでそこへ戻るさ」
と、奴は私の持つカバーを指差した。
「今は自由に飛んでいても、所詮は紙――自分の力じゃどこへも行けない」
「……」
それでも、人の目には本物に見える。今だけは。
私と同じ。
「騒ぎが大きくなり過ぎなきゃいいけど……その前にちゃんと回収してよ?」
「はいはい。遊び心がねえなあ、お前は」
クマは笑った。
「いいか、後のことなんか気にするなよ。せいぜい楽しめ、今のうちに」
「はいはい。楽しんでるよ」
奴の口調を真似てみせ、私は片手の人差し指を軽く曲げた。『アゲハ蝶』が一匹飛んできて、そこへ止まる。
(……綺麗……)
「リューくんは心が綺麗なんだね〜。作品も美しいよ」
「作者の性格と作品の出来栄えは関係ねえよ。ていうかお前、『クモ』とか『まだらのヒモ』とかも美しいと思うか?」
「い、いいじゃない、楽しそうで」
人差し指を、スッと伸ばす。
止まっていた『蝶』は羽を動かし――上へ向かって、ひらひらと飛んでいった。




