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エルム、エルム  作者: 十枝内 清波
一年生
42/341

アゲハ蝶

「ウエスト八十五センチか〜。小さいね」

「エルム……お前のウエストは五十五センチだ」

「ハッ!? そうだった!」

 日曜日。私はクマと一緒に、新しくオープンしたショッピングモールへ来ていた。

「デニムは予備にいっぱい買っとかなきゃね〜」

「ん? 何で」

「股がすぐ擦り切れちゃうじゃない。えーと、一ヶ月に一本として……」

「普通、そんなに擦り切れねえよ。予備は不要だ」

「えっ、そうなの!?」

 私はハッと思い当たった。

「ああっ!? そういえば最近、服が全然駄目にならないよ!」

「もっと早く気づけよ」

 クマは馬鹿にしたような笑みを浮かべた。

「そ、そっか。あれは私の太ももならではの現象だったのか……普通の人は股なんて擦り切れないのか……」

 ショックを受けつつ、今度はブラウスへ手を伸ばす。

「おい、それは3Lだぞ」

「これが上限か〜。小さいね」

「エルム……お前のサイズはSだ」

「ハッ!? そうだった!」

 逆の意味で着れなかった。

「というか、デザイン見てるか? お前にも好みってもんがあるだろ」

「ないよ、そんなの。着られるだけでありがたいもん。デザインなんか気にしてたら私のサイズを確保できないよ!」

「お前、買い物のレベルが低過ぎる!」

 奴は呆れたらしかった。

 柔らかな髪、優しげな瞳――今日は『篠沢朔真』の姿だ。妹のお買い物に付き合ってあげているお兄さん、という設定だろうか。

「あのな、サイズはいいから、お前がきちんと見て気に入ったのを選べ。どうせみんな着れるし、何でも似合うだろ。予算も関係ないしな」

 面倒くさそうに言いつつ、クマはセンスの良さを発揮し、『この子』にふさわしい服をいろいろと見立ててくれた。

「――じゃ、会計済ませてくるからな。外で待ってろ」

「うん。……って、ちゃんとお金払うの?」

「盗んでほしいのか?」

「いや、そんなことないけど」

 ……悪魔がきちんとお会計……。

 それはそれで不自然な気がする。

 なんとなく違和感を覚えていると、クマはにやりと笑った。

「お前は小心者だからな。罪悪感を抱かなくて済むようにしてやるのさ」

「……そういうものなの?」

「ああ。――じゃ、行ってくる」

 奴は大量の服とともにレジへ向かった。

 私は先に店の外へ出た。

 ショッピングモールは盛況だ。オープンしたばかりで目新しいし、話題の新スポットとして各種メディアに取り上げられてもいる――その効果もあるだろう。

(フードコートにふわふわオムレットの店が入ってるんだよね……食べたいなあ)

「――あれ、エルちゃん?」

(ん?)

 聞き覚えのある声がした。

 見れば、黒茶色の髪の少年がこちらへ歩いてくる。

「あっ、リューくん」

「エルちゃんも来てたんだ。わ〜、私服だ! 可愛い〜」

 リューくんは人懐っこい笑みを浮かべた。

「ありがとう。リューくんの私服もかっこいいよ」

「えっ!? そ、そっかな〜」

 いつも通り褒め返すと、彼はいつも通りに照れていた。

「ところでリューくん……凄い荷物だね」

 私は彼の腕に目をやった。左右どちらにも、大量の紙袋がぶら下がったり抱えられたりしている。

「買い物?」

「うん! 作品の材料を仕入れたんだ〜」

「ああ……紙?」

「そう! すぐなくなっちゃうからねっ」

「……」

 そりゃあ、日々あれだけミリちゃんを爆走させていれば。

「あと、テープとか輪ゴムとかボンドとか、いろいろねっ」

「……そうだね、よく使うもんね……」

 この人の創作意欲には感服する。

「紙って、なんか特別なやつ?」

「いや、普通のだよ? 千代紙とか染め紙とか強制紙とか……もちろん、折り紙もねっ」

「へえ」

 普通に売っているものばかりだ。

「切り絵用の特殊な紙ってわけじゃないんだ?」

「ふっふっふ。どこにでもある材料で作れるのが切り絵のいいトコだからね〜。芸術家は筆を選ばないのさっ」

「……選ぶ以前に、筆使わないよね?」

 これまで見てきたリューくんの作品は、どれも紙の色や柄を生かして切ったものだった。彩色はされていない。

「ん? 使うよ。ほら、こういうのとか」

 大荷物を抱えたまま、リューくんは器用に手帳を取り出してみせた。紙製のカバーが掛かっている。

(おぉっ!?)

 青空に飛んでいく白い帽子と、乱舞するアゲハ蝶――羽の模様と背景は、色が塗ってある。

 なんと、細かなアゲハ蝶の群れは、一枚の黒い紙を切ったものらしかった。

「え――っ、何これ! 繋がってる! どこも途切れてない!」

「へへっ、凄い? でも夏用の図案だからなあ……そろそろ秋用に替えないと」

「えっ、これリューくんが作ったの!?」

 素人の手作りとは思えないレベルだ。普通に美術品として売ってそう。

「す、凄いね。へえぇ〜」

 しきりに感心していると、リューくんは嬉しそうな顔をした。

「エルちゃん、こういうの平気? じゃあ今度、チョウチョの作品を見せてあげるね〜」

「えっ!? う、動くやつ?」

「うん! ミリ姉はムシ系って嫌がるんだけどね〜。本物じゃないのに〜」

「……」

 見たいような、見るのがちょっと怖いような。

 リューくんのことだから、ただ羽部分が可動なだけってことはないだろうし。

(……まあ、でも……本物じゃないし)

 教科書に挟まれてるわけでも、給食に突っ込まれてるわけでもない――。

「……ありがとう。楽しみにしてるね」

「ほんと!? 嬉しーなっ。ミリ姉からは間違っても聞けない言葉だよ〜」

 そりゃあそうでしょうよ、リューくん。

「じゃ、今日はとりあえずコレをあげよっかなっ」

 と、彼はやはり大荷物を抱えたまま、器用に手帳のカバーを外した。

「えっ、これ!? いいの?」

「うん、気に入ってくれたみたいだから。――あ、それとも俺のお古は嫌?」

「そんなことないよ! わ〜、ありがとう!」

 広げてみると、それは額縁に入れて飾っておきたくなるほど見事な『作品』だった。

(作ろうと思えば作れるんだ……まともなのも)

 普段のイタズラ作品とは大違いだ。

「どういたしまして〜。じゃあ俺、帰って次回作の作業に入るね〜」

「うん、頑張って。またね」

 リューくんはにこっと笑い、去っていった。

「エルム、エルム」

 見計らっていたのか、ちょうどリューくんの後ろ姿が人ごみに紛れた瞬間、クマが店から出てきた。

「服は部屋に送っといたぞ」

「うん、ありがとう」

 奴は手ぶらだった。

 『送った』といっても、もちろん宅配便とかではない。

「今の、紙切り男だろ。それ、貰ったのか」

「紙切り男!?」

 妖怪みたいな呼び方するなよ、クマ。

「珍しく普通に切り絵っぽいな」

「珍しく?」

「いつものはもはや『切り絵』じゃねえだろ」

「ま……まあね」

 詳しくは知らないが、一般的な切り絵は跳ねたり爆発したりしないと思う。多分。

「いつものアレは……ミリちゃん専用なんじゃない?」

「そりゃ良かったな。無差別に学校中に仕掛けられてたら大騒ぎだ」

「う」

 全くだ。

「想像しちゃったじゃない……うわあ、掃除が大変そう……」

「掃除?」

 私の発言を聞き、奴はまた、馬鹿にしたような笑みを浮かべた。

「――もう誰も、お前に後始末押しつけたりしねえよ」

「え」

「ほら」

 ふいに、クマは『アゲハ蝶』へ手をかざした。

「あ」

 瞬間――カバーから、何やら黒っぽいものが飛び出した。

 蝶だ。

 黒っぽいアゲハ蝶の群れが、ぶわっと舞い上がった。

 それは、噴水のように天井付近まで到達し――それからふわりとバラけ、一匹一匹がひらひらと広がっていく。辺りの人々がどよめいた。

「えっ、何!? 蝶!?」

「何だ、いきなり! どこから湧いて出た!?」

「わ〜。でも綺麗〜」

「……」

 私はぽかんとした。

「ちょっと……何するの」

「紙は散らかってないだろ?」

 クマは意味ありげに唇の端を上げた。

「お前が片づけなきゃならないものは、オレが飛ばしてやるさ――こんなふうに」

「……」

 ――何の比喩かは、すぐ分かる。

 私は手元に残ったカバーへ目をやった。もう、蝶は一匹もいない。白い帽子の他には、ただ青空が広がるばかりだ。

(……私も、何も残さない……)

 契約が終われば、クマが全部消してくれる。私が散らかしたものも、本当なら自分で片づけなきゃいけなかったものも、全部。

 そして、私は――。

 ……。

「さて、フードコートに行くか。オムレットが喰いたいんだろ」

 クマは私の頭をぽんっと撫でた。その手つきは優しく、いかにも『お兄ちゃん』らしかった。

「その前にどうするの、コレ」

 私は飛び回る『アゲハ蝶』に視線を巡らせた。優雅にひらひらと舞う姿は美しいが、この場には不自然だ。結構騒ぎになっている。

「心配すんな。適当なタイミングでそこへ戻るさ」

 と、奴は私の持つカバーを指差した。

「今は自由に飛んでいても、所詮は紙――自分の力じゃどこへも行けない」

「……」

 それでも、人の目には本物に見える。今だけは。

 私と同じ。

「騒ぎが大きくなり過ぎなきゃいいけど……その前にちゃんと回収してよ?」

「はいはい。遊び心がねえなあ、お前は」

 クマは笑った。

「いいか、後のことなんか気にするなよ。せいぜい楽しめ、今のうちに」

「はいはい。楽しんでるよ」

 奴の口調を真似てみせ、私は片手の人差し指を軽く曲げた。『アゲハ蝶』が一匹飛んできて、そこへ止まる。

(……綺麗……)

「リューくんは心が綺麗なんだね〜。作品も美しいよ」

「作者の性格と作品の出来栄えは関係ねえよ。ていうかお前、『クモ』とか『まだらのヒモ』とかも美しいと思うか?」

「い、いいじゃない、楽しそうで」

 人差し指を、スッと伸ばす。

 止まっていた『蝶』は羽を動かし――上へ向かって、ひらひらと飛んでいった。



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