表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
エルム、エルム  作者: 十枝内 清波
一年生
38/341

Du bist wie eine Blume

 朝。私は廊下で、ミリちゃんと喋っていた。

「エルちゃん、来海家のお茶会に行ったんだって?」

「えっ、何で知ってるの?」

「やだなー、人脈・金脈・情報網は命綱だってば」

「……」

 上流社会、恐るべし。

「私も招待はされてたんだけどね……先約があったから行けなくて」

 特に残念そうでもなく、ミリちゃんはさらりとそう言った。

「えっ!? じゃあミリちゃんも――」

 ――あのハーレムに混ざるところだった?

 と言いかけ、私は慌てて訂正した。

「――あ、あのお見合いパーティーに参加するはずだったの?」

「エルちゃん、身もフタもない言い方するね。事実だけど」

 ミリちゃんはクスクス笑った。

「来海家の大奥様って、若い人に囲まれるのがお好きだから。よくやるんだよね、そういうの」

「……」

 正確にいうと、若い人をくっつけたり別れさせたりするのがお好きらしいが。

「門叶くんも招待されてたらしいよ」

「え? いなかったけど」

「うん。むしろいたらびっくりする」

「あ、そうか」

 彼は社交が苦手だった。

「……」

 ん?

「ミリちゃん、どうかした?」

 突如、彼女は眉をひそめていた。

「いや、またこのパターンかと思って」

「え?」

「ほら――噂をすれば」

 ミリちゃんは目で方向を示した。私もそちらを見た。

「あ」

 門叶くんだ。廊下の先で、本を読みながら歩いている。

(……ん?)

 が、何だか様子がおかしい。

 本は開いているものの――よく見れば、ただ文字を追っているだけではないようだ。彼の視線は、ページと空中とをふらふらさまよっている。

 しかも、何やら呟いていた。私は耳を澄ました。

「……ぞーほると、うんとしぇーん、うんとらいん、いっひしゃうでぃっひあん……」

 ……。

 呪文?

「あー。また交信してる」

 ミリちゃんが呆れた声を漏らした。

「交信!?」

 なんと、アレが噂の!?

 前にちらっと聞いたことはあるが、実際に目撃するのは初めてだ。

「な、何だっけ? あれって確か、宇宙人とお喋りしてるんだったっけ!?」

 危ない人じゃないか、それは?

「いや、そういうわけじゃないけど。単に、見えない相手と喋ってるように見えるからみんなにそう言われてるだけで」

「……」

 確かにそう見える。

「でもね、あれって実際は、ただ読んでる本の内容が口に出ちゃってるだけなんだよ」

「えっ、じゃあアレ、ほんとに単なる盛大な独り言ってこと!?」

 それはそれでどうかと思う。

「……うんとう゛ぇーむーと、しゅらいひと、みーあいんすへるつ、ひないん……」

(ん!?)

 私はハッと気がついた。

 なんと、あらぬ方角をふらふらと眺めつつ、門叶くんが近づいてくるではないか。

「ね、ねえ、こっちに来るよ?」

「大丈夫。じっとしてれば通り過ぎるよ」

「……野生動物みたいだね」

 ヘタに刺激するなということか?

 私は口を閉じ、門叶くんをじっと見た。

「……」

 彼が行ってしまうのを待つことにしたらしく、ミリちゃんも無言になった。

「……みーあいすと、あるそっぷいっひでぃーへんで、あうふすはうぷと……おはよう、篠沢さん」

「へっ!?」

 いきなり話しかけられた。

 我々のすぐそばまで来たところで、門叶くんは立ち止まった。眼鏡の奥の瞳は、きちんと私を見ている。

(し、正気に戻った!?)

 何がきっかけだったのか。脈絡のない人だ。

「これか。『ミルテの花』だ」

 と、彼は読んでいた本の表紙を見せてくれた。

「……聞いてないのに教えてくれてありがとう……」

 衝撃を受けたよ、朝っぱらから。

「……面白い?」

「ドイツ語は名詞の頭が大文字だからな。分かりやすいよ」

「えっ」

 そういう問題か?

「あの、内容は?」

「そうだな。バカップルのノロケを聞かされている気分だ」

「それ、シューマンが結婚式前日にクララへ贈った歌曲集だよね!? ノロケじゃなかったらむしろびっくりするよ!?」

 純潔の象徴であるミルテの花で飾り、「愛する花嫁へ」という言葉を添えた新しい歌曲集――これで中身が黒魔術の呪文ということはあるまい。多分。

 ていうか、苦難の果てにやっと結ばれたシューマン夫妻をバカップル呼ばわりとは、何たる暴言だ。

「あ……ああ。さっきの、『どぅーびすとう゛ぃーあいねぶるーめ』かー」

 ミリちゃんが、思いっきり日本語な発音で呟いた。

 『Du bist wie eine Blume 』――『君 花のごと』。歌詞はだいたい、『あなたは花のよう。可愛らしくて美しくて清らかだ』みたいな内容である。

「音楽で習ったよね」

「うん」

 そう。それで私も覚えていた。

「ああ。だから読む気になったんだ」

 と、門叶くんも言う。

 ――なるほど。

「で、結局、面白いの?」

「知識は増えた」

「……」

 内容は気に入らなかったということか?

 そのわりには熱心に交信(?)していたみたいだが――いや、もしや門叶くんにとって、「知識が増える」というのは最大の賛辞なのか?

「そ、そう……。まあ、知識なら何であれ、増えると嬉しいよね……いくら増えても大歓迎だよね……」

「その通りだ。――では、僕はこれで」

「えっ!?」

 再び、門叶くんは歩き出した。視線も元通り、本のページと空中とをふらふらとさまよい始める。

「……」

 また交信に戻ってしまった……。

「……でぃーあれーげんぞると、べーてんとだすごっとでぃっひえあはるて……そうだ、篠沢さん」

「へっ!?」

 が、二〜三歩行ったところで彼はストップした。

 こちらを振り返り、まともな声と表情で告げる。

「今日は二年生の教室に近寄らないほうがいいぞ」

「……は?」

 この人は行動だけでなく、発言内容も脈絡がない。

「に、二年生? 何で?」

 別に用事もないが。

「……それは……」

 門叶くんは何か言いかけたものの、なぜか途中で一度、口を閉じた。

「……行ってみれば分かる」

「ええっ!?」

 たった今「近寄るな」って言ったのに!?

 しかしそれ以上の説明はせず、彼は顔を戻し、行ってしまった。

「……ぞーらいんうんとしぇーん、うんとほると……」

「……」

 チャネラー(?)は立ち去った。

 私はミリちゃんに顔を向けた。

「……今日、二年生の教室で何かあるの?」

「えー、別に何もなかったと思うけど。二年、二年――あ」

 ふいに、ミリちゃんはハッと目を見開いた。

「えっ、何? なんかあった?」

「……」

 彼女は何やら、微妙な表情を浮かべた。

「……うん。エルちゃんは近寄らないほうがいいと思うよ……」

「どうして?」

「……」

 ミリちゃんは黙り込んでしまった。

(……?)

 その後すぐに予鈴が鳴り、我々はそれぞれのクラスへ引き上げることとなった。二年生の謎については聞けずじまいだ。

(……まあ、いいか)

 言われなくとも、どうせ二年の教室に行く用などない。

 私は気にしないことにした。



評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ