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エルム、エルム  作者: 十枝内 清波
一年生
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Walking Dictionary

「ミリちゃん、夏休みはどこに行ったの?」

「ギリシャだよ。はい、これ」

 ミリちゃんは、お土産に蜂蜜の小瓶をくれた。

「わ〜、ありがとう! ――はい、私もお土産」

 私はミリちゃんに銀のメダイユを渡した。これは、聖母マリアの姿を彫ったメダルだ。

「……えっ⁉︎ 何これ、凄くない? 貰っちゃっていいの?」

「うん、凄いでしょ? 太平洋の沈没船から引き上げられた財宝なの!」

「はっ? エルちゃん、いったいどこに行ったの?」

「ラスベガス」

「……。騙されたんじゃない?」

 嘘はついていない。

「まあ……いいや。ありがとう」

「うん、どういたしまして」

 やや腑に落ちない顔をしながらも、ミリちゃんはメダイユを受け取ってくれた。

「――あ、そういえば」

 そのまましばらくメダイユを眺めたり引っくり返したりしていたが、ふいに彼女は顔を上げた。

「エルちゃん、来海くんのバースデーパーティーに行ったんだって?」

「……えっ?」

「来海くんだよ。ほら、D組の。フェアリー・プリンス」

「う、うん。それは分かるけど」

 さらっと『フェアリー・プリンス』って言ったよ、この人。

 日常ではあり得ない単語だと思うのだが……この浸透っぷりは何なんだ。来海くん、恐るべし。

「私の父も出席してたんだけど、エルちゃん、凄く注目されてたらしいね?」

「……」

 どういう意味だ。私の大食いが上流社会に知れ渡ってしまったのか?

「えーと、それって……」

「誰かの代理でも同行でもなくて、エルちゃん本人が直接来海家のパーティーに招待されたんでしょ? しかも、主役の来海くんのほうから挨拶に行ったんだってね? エルちゃん、大物だね〜」

「……は?」

 私はきょとんとした。

「え、何? 来海くんのバースデーパーティーってそんな格式高いものだったの? ていうかミリちゃん、何でそこまで細かく知ってるの?」

 ミリちゃんのお父さんとは面識がない。向こうがパーティーで『絶世の美少女』を見かけただけなら分かるが、なぜか素性までバレている。『直接招待された』ということも(ただ、私を招待してくれたのは遠藤さんだが)。

 『来海くんのほうから挨拶した』というのは、まあ、目撃したんだろうけれど。

「やだなー、エルちゃん。人脈・金脈・情報網は命綱だよ?」

「……」

 上流社会のたしなみか?

「……あ、でも、門叶くんも参加してたよ? 一人で」

「あー、あの人ね。いくらお父さんの代理とはいえ、社交の場に出るなんて珍しいよね」

「そうなの?」

 そういえば、本人も来海くんもそんなことを言っていた気がする。

「うん。門叶くんって、人付き合いする時間があるならその分読書や勉強に使う、って人だから」

「へえ。さすが毎回全教科満点だね」

 何だかものすごく納得した。

「もったいない気もするけどねー。お父さんの跡を継ぐつもりはないのかな。あるなら、今からどんどん顔を繋いでおいたほうがいいんだけどねー」

「……」

 薄々気づいてはいたが、どうもあれは、単なる『お誕生日おめでとう』的なイベントではなかったらしい。それもあるのだろうが、それよりも『コネを作るための社交パーティー』という側面が重要視されていたふしがある。

 そんな場で、誰にも話し掛けず、それどころか主役へ挨拶すらせず、ただひたすら料理とデザートを平らげ続ける『絶世の美少女』――そりゃあ、注目されても仕方ない。

「……跡を継ぐって、門叶くんのお父さんは会社でも経営してるの?」

「えっ、違うよ。エルちゃんも知ってるんじゃないかなあ――門叶議員」

「……え」

 私はぎょっとした。

「え――っ⁉︎ 元県知事の⁉︎」

「そう、その人。門叶くんのお父さん」

 大物の政治家だった。

 さすが天下の冷泉院。名士の一族が通っている。

「――お。噂をすれば」

「え?」

 ミリちゃんがどこかへ目をやった。

 我々は今、高等部の中庭にいる。彼女の視線を辿ると、その先にギリシャ彫刻みたいな美貌の少年がいた。

 眼鏡を光らせ、分厚い本を読みながら歩いていく。

(……ん?)

 分厚い本を読みながら。

(……)

 その本は分厚かった。それはもう、冗談抜きで分厚かった。本当に――不自然なほど。

「……。何? あの本」

 思わず呟くと、その途端、門叶くんが本から顔を上げた。彼は立ち止まって周囲を見渡し――なんと、こちらへやってきた。

(へっ⁉︎)

「――やあ。篠沢さん、岬さん」

「ひ、久しぶり。門叶くん」

 戸惑った様子で、ミリちゃんが挨拶した。

「どうしたの? 交信を中断してまで声を掛けてくれるなんて」

 交信⁉︎

 私は、ミリちゃんがさらっと口にした単語にぎょっとした。交信って何だ。読書しながら歩いてただけじゃなかったのか、門叶くんは?

「疑問が聞こえたから、答えようかと思ってね。――これは、『太辞泉』だ」

 と、彼は私に本の表紙を見せてくれた。

「『太辞泉』⁉︎」

 私は目をむいた。

 総項目数、二十五万余語。厚さ八センチ。その名の通り、大きな辞書だ。

「重くない!? 電子版にしようよ、せめて!」

「エルちゃん、そこなの⁉︎」

 ミリちゃんが意外そうな声を上げた。

「読みながら歩くのが『太辞泉』だってことにまず驚いたよ、私は!」

「いや、それもそうだけど。――重くない? 勉強の虫タイプって力なさそうだし」

「失礼な」

 門叶くんは眉をひそめた。

「こう見えても腕力は普通だ」

「『普通』の人は『太辞泉』持ち歩かないよ?」

「知識とは重いものだ、篠沢さん」

「……」

 何やら哲学的なことを言われた。

(……)

 門叶くんは私を見ている。

(えっ、何か返せってこと⁉︎)

 今の発言に? 哲学的に⁉︎

「……。えーと、そうだね。ペンは剣より強いよね」

 しかし何を返したらいいのか分からず、私は適当なことを言ってしまった。

「ペ、ペンは知識という名の武器だよねっ。剣は敵としか戦えないけど、知識はどんなものとも戦える万能の武器だよねっ。そ、そんな素晴らしい武器を入手するためなら、その媒体に過ぎない書物の重量なんて、どうでもいいよねっ」

 ……。

 我ながら趣旨がよく分からない上、意味不明なセリフだった。

 ところが、なぜか門叶くんは笑顔を見せた。

「分かってくれて嬉しいよ」

「えっ」

「――では、僕はこれで」

「ええっ?」

 何事か満足したらしい。唐突に話し掛けてきた男は、唐突に立ち去っていった。

 再び『太辞泉』を読みながら。

「……」

 何だったんだ、今のは?

「エルちゃん……凄いね」

 ミリちゃんが呟いた。

「私、門叶くんが笑ったところ、初めて見たよ。気に入られたんじゃない?」

「えええっ⁉︎」

 それはないでしょうよ、ミリちゃん。

 しかしとりあえず、今の微妙に噛み合わない会話のおかげで、彼が人付き合いに慣れていないらしいことは分かった。本人も言っていた通り、社交は苦手なのだろう。

「そ、それはともかく……あの人、いつもああやって『太辞泉』読んでるの? 辞書マニア?」

「いや、そんなことないと思うけど。以前見かけた時は恋愛小説読みながら歩いてたし」

「恋愛小説⁉︎」

 ……わけの分からない人だ……。

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