妖精の誕生日
八月、最終日曜日。
トゥール・リュミエールの周辺は混雑していた。
「……ねえ? まさかこの人たち、みんな来海くんのバースデーパーティーに……」
「んなわけないだろ」
私の発言に、クマは運転席で笑った。馬鹿にしたような笑みだ。
奴は今日も、『篠沢朔真』の姿をしている。黒いフェラーリを操り、私をホテルへ送っていくところだ。
「今日は港で花火大会があるんだ。屋台も出てるし、ストリートパフォーマーもうろついてる。それだろ」
「……あ、ほんとだ」
よく見れば、浴衣姿の人が結構歩いていた。
(そうか、今日はお祭りか……)
そういうイベントには行ったことがない。私は人ごみが大嫌いだった。暑いし、疲れるし、じろじろ見られるし。それに何より。
(私が浴衣を着たら――お相撲さんみたいになっただろうし)
いや、それ以前に、私が着られるサイズの浴衣なんて存在しなかった。
(……)
「――何だ。浴衣着たいのか?」
察したのか心を読んだのか、クマが言った。
「パーティーすっぽかして花火見に行くか? それでもいいぞ」
「……やめとく」
そこまで行きたいわけではない。
「今日はいいや。せっかくこんな格好してるんだし」
クマが用意してくれたのは、桜色のふんわりとしたドレスだった。『篠沢恵瑠夢』の唇の色に似ていて、可愛らしく、かつ派手過ぎない。『この子』によく似合っていた。
「そうか」
クマも、花火を強いて勧めることはなかった。
やがて、車はトゥール・リュミエールに到着した。
「帰る時にまた呼べよ。すぐ迎えにきてやる」
「うん、ありがとう」
私を降ろすと、クマのフェラーリは滑らかに去っていった。
(……あいつ、海ではクルーザーに乗せてくれたけど……無免許だよね?)
ふと思う。いいのだろうか。
それに、あれは奴自身の持ち物なのか、それともどこかから拝借してきたのか。謎だ。
(……まあ、いいか)
たとえ盗難車だったとしても、悪魔の犯罪なんて人間に裁けるわけがない。私は気にしないことにした。
どうせ、契約が終われば元通りだ。
(さて……行くか)
今は、フェアリー・プリンスのバースデーパーティーに集中するとしよう。
トゥール・リュミエールの大広間は、着飾った人々で溢れていた。
「日本へは二日前に戻りました。来週からはまたヨーロッパですわ」
「ところで、社長。例の新製品は好調のようですな」
「これはこれは。受勲以来でしたね。ご無沙汰しております。その節はどうも」
どの人も、話し方や立ち居振る舞いが洗練されている気がする。これが上流社会というやつだろうか。
(――おっ)
会場を見渡して、私はバルコニーへ続く扉を見つけた。バルコニーは海側だ。ということは、時間になれば、ここから港の花火が見えるだろう。楽しみだ。
(……で、それまでどうしよう?)
他の人はシャンパンを片手に、知り合いを見つけては談笑している。しかし、私はこんなところに知り合いなどいない。
遠藤さんの姿は見えないし、来海くんは――。
「十碧さん、おめでとうございます」
「今年から高校生でしたね。ますますご立派になられて……」
「そうだ、娘を紹介させていただけませんか?」
――本日の主役は、大勢の人に囲まれていた。近づける隙がない。
(……まあ、いいか)
プレゼントはすでに受付に渡してある。私は心の中で「おめでとう」の言葉を贈って、来海くんに背を向けた。
今日のパーティーは立食形式だ。テーブルには豪華な料理がずらりと並んでいる。私はさっそく皿を取った。
コックさんがスタンバイしているコーナーでは、オムレツやクレープシュゼットをその場で作ってくれる。私は片っ端から平らげた。
(デザートも充実してるなあ)
本日限定らしきケーキが何種類もある。由和さんが見たら喜んだだろう。
私は全種類の料理を食べ、全種類のデザートも食べ、気に入った料理はおかわりし、気に入ったデザートもおかわりした。もちろん、おかわりは一回きりではない。
食べては取りに行き、コックさんに作ってもらい、また食べては取りに行き、食べては取りに行き――いったい、何周が経過しただろう。特に気に入ったカップ型のミートローフをまたしても貰いに行った時、ふいにこんな声が聞こえた。
「……まだ、食べるのか……」
(――ん?)
そちらへ顔を向けると、見知らぬ少年が一人、呆れた様子で佇んでいた。
蜂蜜色の髪、眼鏡の奥に光る鋭い瞳。薄い唇、繊細そうな白い肌。
ギリシャ彫刻のように整った、知的な美貌だった。
「君、目立っているぞ。さっきから」
「えっ、そう? 何で?」
「……」
その人は、周囲に軽く視線を走らせた。
(……?)
そこでようやく、私も気がついた。
「どこのご令嬢かしら。とってもお可愛らしいわね」
「あんな綺麗なお嬢さん、初めて見たわ〜」
「……でも、よく召し上がるのね……。あんなにほっそりとしてらっしゃるのに」
「……」
私は注目されていた。
「お腹は大丈夫なのか? 食べ過ぎると動けなくなるぞ」
「そ、そこまで食べてないよ!」
「何っ? まだ満腹にならないのか!」
「……」
本気で驚かれた。
しまった。どうせ誰も私なんか見てないと思って、『絶世の美少女』にあるまじき食欲を発揮してしまった。
「――篠沢さん」
「えっ!?」
別の声がする。私は振り返り、ぎょっとした。
なんと、来海くんがいるではないか。
「久しぶりだね。今日は来てくれてありがとう」
シャンデリアの光を受け、儚げに微笑むフェアリー・プリンス。今日はいつにも増してキラキラしていた。
「く、来海くん……久しぶり。あっ、そうだ。お誕生日おめでとう!」
「――まさか、忘れてたのかな?」
来海くんは小首を傾げた。
「君ときたら、僕に挨拶にも来ないで、さっきから食べてばかり……」
「忘れてない! 忘れてないよ!」
気づいていたのか!?
ずっと不特定多数の人に囲まれていたし、来海くんは私の姿など目に入っていないだろうと思っていたが。
「でも、ほら! 来海くんは常に人垣の向こうにいたから近寄りがたくて! さすが、大人気だね!」
「ふふ……嫌だな、そんなに慌てないで。僕、怒ってないよ?」
「……」
嘘をつけ。
来海くんは、人から注目されたりちやほやされたりするのが――というか、『人から注目されたりちやほやされたりする自分』が――大好きだ。そして、無視されるのが大嫌いだ。
「――来海くん。僕も挨拶が遅れてすまない。誕生日、おめでとう」
その時、さっきのギリシャ彫刻みたいな人が口を開いた。
「門叶くん……ありがとう。珍しいね、君がこういう場に出てくるなんて」
と、来海くんはその人に笑顔を向けた。
私に対するのと同じ、優雅で穏やかで儚げな微笑み。ただ圧迫感だけがない。
(……ん?)
トガノウ、くん?
「父の代理で来たんだ。せっかく招待してくれたのに申し訳ない。どうしても都合がつかなくてね」
「ううん。来てくれて嬉しいよ」
「――ところで、彼女は……」
と、ギリシャ彫刻は私に目をよこした。
「あれ、知らなかったかな。一年A組の篠沢恵瑠夢さんだよ」
「……何? ひょっとして、期末試験で僕と同率首位だった、あの?」
――あ、やっぱり。
その言葉で、私もギリシャ彫刻の正体を悟った。
「えっと……もしかして、門叶悠貴くん? いつもテストで満点取ってる人?」
「ああ。よろしく」
彼は短く肯定した。
私はびっくりした。
「す、凄くかっこいいね? 想像してたのと全然違うよ。あ、でも眼鏡はしてるんだね、やっぱり」
「……は? どういう意味だ。君は何を想像していたんだ」
「いや、頭でっかちな勉強の虫っぽい人なのかなと思ってたから。ほら、マッシュルームみたいな髪型で眼鏡掛けてて、青白くてひょろひょろ痩せてて……」
「失礼な」
ギリシャ彫刻は眉をひそめた。
「とはいえ、実は僕も、君のことを地味な優等生タイプかと思っていたが。三つ編みで眼鏡を掛けていて、学級委員でもやっているような」
「……」
君もか?
「ふふ……君たち、発想が似てるね」
来海くんがおかしそうに笑った。――あくまで上品に。儚げに。
「ところで二人とも、バルコニーに出てみない? もうすぐ港の花火が始まるよ」
「ああ、いいな。僕は、こういう社交の空気は苦手でね。行こうか」
ギリシャ彫刻は即答し、先にスタスタ歩き出した。
「……門叶くんとは、仲いいの?」
私は、こそこそと来海くんに聞いてみた。
「いや、全然。ただ、あいつの父親とは付き合いがあるから」
来海くんは、私より更に小さな声で答えてくれた。
我々はバルコニーに出た。ギリシャ彫刻は港の方角を確認している。
「そういえば、来海くん。プレゼントはペーパーナイフにしたが、構わなかったか?」
「うん、ありがとう。どんなデザインかな……楽しみだよ」
バルコニーには、私とギリシャ彫刻と来海くんしかいない。にも関わらず、来海くんは『儚げな美少年』のままだった。
一人でも『観客』がいる限り、このフェアリーは演技をやめない。
「あ、私はプレゼント、旅先のお土産にしたよ。銀製のティーキャディー。なんか上等なアンティークらしいよ」
ティーキャディーとは、茶箱というか茶筒というか、要するに茶葉を保管するための保存容器だ。
「旅先の……? 君、ラスベガスに行くって言ってなかった?」
「そうだよ」
「ラスベガスでアンティークを?」
「大丈夫、本物だよ! 太平洋の沈没船から引き上げられた財宝なの!」
嘘はついていない。
「……」
来海くんはちょっと沈黙した後、ものすごい小声で呟いた。
「お前、絶対騙されてる」




