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エルム、エルム  作者: 十枝内 清波
一年生
29/341

妖精の誕生日

 八月、最終日曜日。

 トゥール・リュミエールの周辺は混雑していた。

「……ねえ? まさかこの人たち、みんな来海くんのバースデーパーティーに……」

「んなわけないだろ」

 私の発言に、クマは運転席で笑った。馬鹿にしたような笑みだ。

 奴は今日も、『篠沢朔真』の姿をしている。黒いフェラーリを操り、私をホテルへ送っていくところだ。

「今日は港で花火大会があるんだ。屋台も出てるし、ストリートパフォーマーもうろついてる。それだろ」

「……あ、ほんとだ」

 よく見れば、浴衣姿の人が結構歩いていた。

(そうか、今日はお祭りか……)

 そういうイベントには行ったことがない。私は人ごみが大嫌いだった。暑いし、疲れるし、じろじろ見られるし。それに何より。

(私が浴衣を着たら――お相撲さんみたいになっただろうし)

 いや、それ以前に、私が着られるサイズの浴衣なんて存在しなかった。

(……)

「――何だ。浴衣着たいのか?」

 察したのか心を読んだのか、クマが言った。

「パーティーすっぽかして花火見に行くか? それでもいいぞ」

「……やめとく」

 そこまで行きたいわけではない。

「今日はいいや。せっかくこんな格好してるんだし」

 クマが用意してくれたのは、桜色のふんわりとしたドレスだった。『篠沢恵瑠夢』の唇の色に似ていて、可愛らしく、かつ派手過ぎない。『この子』によく似合っていた。

「そうか」

 クマも、花火を強いて勧めることはなかった。

 やがて、車はトゥール・リュミエールに到着した。

「帰る時にまた呼べよ。すぐ迎えにきてやる」

「うん、ありがとう」

 私を降ろすと、クマのフェラーリは滑らかに去っていった。

(……あいつ、海ではクルーザーに乗せてくれたけど……無免許だよね?)

 ふと思う。いいのだろうか。

 それに、あれは奴自身の持ち物なのか、それともどこかから拝借してきたのか。謎だ。

(……まあ、いいか)

 たとえ盗難車だったとしても、悪魔の犯罪なんて人間に裁けるわけがない。私は気にしないことにした。

 どうせ、契約が終われば元通りだ。

(さて……行くか)

 今は、フェアリー・プリンスのバースデーパーティーに集中するとしよう。


 トゥール・リュミエールの大広間は、着飾った人々で溢れていた。

「日本へは二日前に戻りました。来週からはまたヨーロッパですわ」

「ところで、社長。例の新製品は好調のようですな」

「これはこれは。受勲以来でしたね。ご無沙汰しております。その節はどうも」

 どの人も、話し方や立ち居振る舞いが洗練されている気がする。これが上流社会というやつだろうか。

(――おっ)

 会場を見渡して、私はバルコニーへ続く扉を見つけた。バルコニーは海側だ。ということは、時間になれば、ここから港の花火が見えるだろう。楽しみだ。

(……で、それまでどうしよう?)

 他の人はシャンパンを片手に、知り合いを見つけては談笑している。しかし、私はこんなところに知り合いなどいない。

 遠藤さんの姿は見えないし、来海くんは――。

「十碧さん、おめでとうございます」

「今年から高校生でしたね。ますますご立派になられて……」

「そうだ、娘を紹介させていただけませんか?」

 ――本日の主役は、大勢の人に囲まれていた。近づける隙がない。

(……まあ、いいか)

 プレゼントはすでに受付に渡してある。私は心の中で「おめでとう」の言葉を贈って、来海くんに背を向けた。

 今日のパーティーは立食形式だ。テーブルには豪華な料理がずらりと並んでいる。私はさっそく皿を取った。

 コックさんがスタンバイしているコーナーでは、オムレツやクレープシュゼットをその場で作ってくれる。私は片っ端から平らげた。

(デザートも充実してるなあ)

 本日限定らしきケーキが何種類もある。由和さんが見たら喜んだだろう。

 私は全種類の料理を食べ、全種類のデザートも食べ、気に入った料理はおかわりし、気に入ったデザートもおかわりした。もちろん、おかわりは一回きりではない。

 食べては取りに行き、コックさんに作ってもらい、また食べては取りに行き、食べては取りに行き――いったい、何周が経過しただろう。特に気に入ったカップ型のミートローフをまたしても貰いに行った時、ふいにこんな声が聞こえた。

「……まだ、食べるのか……」

(――ん?)

 そちらへ顔を向けると、見知らぬ少年が一人、呆れた様子で佇んでいた。

 蜂蜜色の髪、眼鏡の奥に光る鋭い瞳。薄い唇、繊細そうな白い肌。

 ギリシャ彫刻のように整った、知的な美貌だった。

「君、目立っているぞ。さっきから」

「えっ、そう? 何で?」

「……」

 その人は、周囲に軽く視線を走らせた。

(……?)

 そこでようやく、私も気がついた。

「どこのご令嬢かしら。とってもお可愛らしいわね」

「あんな綺麗なお嬢さん、初めて見たわ〜」

「……でも、よく召し上がるのね……。あんなにほっそりとしてらっしゃるのに」

「……」

 私は注目されていた。

「お腹は大丈夫なのか? 食べ過ぎると動けなくなるぞ」

「そ、そこまで食べてないよ!」

「何っ? まだ満腹にならないのか!」

「……」

 本気で驚かれた。

 しまった。どうせ誰も私なんか見てないと思って、『絶世の美少女』にあるまじき食欲を発揮してしまった。

「――篠沢さん」

「えっ!?」

 別の声がする。私は振り返り、ぎょっとした。

 なんと、来海くんがいるではないか。

「久しぶりだね。今日は来てくれてありがとう」

 シャンデリアの光を受け、儚げに微笑むフェアリー・プリンス。今日はいつにも増してキラキラしていた。

「く、来海くん……久しぶり。あっ、そうだ。お誕生日おめでとう!」

「――まさか、忘れてたのかな?」

 来海くんは小首を傾げた。

「君ときたら、僕に挨拶にも来ないで、さっきから食べてばかり……」

「忘れてない! 忘れてないよ!」

 気づいていたのか!?

 ずっと不特定多数の人に囲まれていたし、来海くんは私の姿など目に入っていないだろうと思っていたが。

「でも、ほら! 来海くんは常に人垣の向こうにいたから近寄りがたくて! さすが、大人気だね!」

「ふふ……嫌だな、そんなに慌てないで。僕、怒ってないよ?」

「……」

 嘘をつけ。

 来海くんは、人から注目されたりちやほやされたりするのが――というか、『人から注目されたりちやほやされたりする自分』が――大好きだ。そして、無視されるのが大嫌いだ。

「――来海くん。僕も挨拶が遅れてすまない。誕生日、おめでとう」

 その時、さっきのギリシャ彫刻みたいな人が口を開いた。

「門叶くん……ありがとう。珍しいね、君がこういう場に出てくるなんて」

 と、来海くんはその人に笑顔を向けた。

 私に対するのと同じ、優雅で穏やかで儚げな微笑み。ただ圧迫感だけがない。

(……ん?)

 トガノウ、くん?

「父の代理で来たんだ。せっかく招待してくれたのに申し訳ない。どうしても都合がつかなくてね」

「ううん。来てくれて嬉しいよ」

「――ところで、彼女は……」

 と、ギリシャ彫刻は私に目をよこした。

「あれ、知らなかったかな。一年A組の篠沢恵瑠夢さんだよ」

「……何? ひょっとして、期末試験で僕と同率首位だった、あの?」

 ――あ、やっぱり。

 その言葉で、私もギリシャ彫刻の正体を悟った。

「えっと……もしかして、門叶悠貴くん? いつもテストで満点取ってる人?」

「ああ。よろしく」

 彼は短く肯定した。

 私はびっくりした。

「す、凄くかっこいいね? 想像してたのと全然違うよ。あ、でも眼鏡はしてるんだね、やっぱり」

「……は? どういう意味だ。君は何を想像していたんだ」

「いや、頭でっかちな勉強の虫っぽい人なのかなと思ってたから。ほら、マッシュルームみたいな髪型で眼鏡掛けてて、青白くてひょろひょろ痩せてて……」

「失礼な」

 ギリシャ彫刻は眉をひそめた。

「とはいえ、実は僕も、君のことを地味な優等生タイプかと思っていたが。三つ編みで眼鏡を掛けていて、学級委員でもやっているような」

「……」

 君もか?

「ふふ……君たち、発想が似てるね」

 来海くんがおかしそうに笑った。――あくまで上品に。儚げに。

「ところで二人とも、バルコニーに出てみない? もうすぐ港の花火が始まるよ」

「ああ、いいな。僕は、こういう社交の空気は苦手でね。行こうか」

 ギリシャ彫刻は即答し、先にスタスタ歩き出した。

「……門叶くんとは、仲いいの?」

 私は、こそこそと来海くんに聞いてみた。

「いや、全然。ただ、あいつの父親とは付き合いがあるから」

 来海くんは、私より更に小さな声で答えてくれた。

 我々はバルコニーに出た。ギリシャ彫刻は港の方角を確認している。

「そういえば、来海くん。プレゼントはペーパーナイフにしたが、構わなかったか?」

「うん、ありがとう。どんなデザインかな……楽しみだよ」

 バルコニーには、私とギリシャ彫刻と来海くんしかいない。にも関わらず、来海くんは『儚げな美少年』のままだった。

 一人でも『観客』がいる限り、このフェアリーは演技をやめない。

「あ、私はプレゼント、旅先のお土産にしたよ。銀製のティーキャディー。なんか上等なアンティークらしいよ」

 ティーキャディーとは、茶箱というか茶筒というか、要するに茶葉を保管するための保存容器だ。

「旅先の……? 君、ラスベガスに行くって言ってなかった?」

「そうだよ」

「ラスベガスでアンティークを?」

「大丈夫、本物だよ! 太平洋の沈没船から引き上げられた財宝なの!」

 嘘はついていない。

「……」

 来海くんはちょっと沈黙した後、ものすごい小声で呟いた。

「お前、絶対騙されてる」



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