期末試験
七月中旬。地獄の三日間が始まった。期末試験である。
「あ〜、全然出来なかった〜」
「ねえ、問Ⅲの答えって①だよね?」
「ええっ!? 私、②にしちゃった〜」
嘆く人、答え合わせする人、さまざまだ。
「篠沢さん、ここ教えて?」
「私はこっち!」
ちなみに私は、クラスメイトに囲まれ、難解な箇所を解説していた。
「……で、こうなるから――」
「ああっ、そっかぁ!」
「ええ〜っ、今やっと意味が分かった!」
『篠沢恵瑠夢』は頭がいい。かつ、元の私の経験上、『出来ない子が引っ掛かるポイント』もよく知っている。おかげで、『この子』の教え方は分かりやすいと好評だった。
(……『この子』、いい先生になれたかもしれないな)
ふと、そう思う。
我がクラスには他にも天才や秀才がいるが、彼らの解説は必ずしも分かりやすいものではない。どうも、自分が難なく理解できてしまう人は、理解できない人の感覚がつかみにくいようだ。
その点、『篠沢恵瑠夢』は違う。
(私には、将来なんてないけど……)
『この子』が実在していたら。教師になっていたら。元の私みたいな生徒に出会っていたら。
――まあ、考えても仕方のないことだ。
『この子』は大人にならない。永遠に。
冷泉院学園では、小テストも定期試験も、成績上位十名が貼り出される。『篠沢恵瑠夢』は当然、入学以来必ず名前が載っていた。
うちの学年には毎回、満点で一位を取り続けている生徒が一人いる。だから、『この子』の定位置は二位ときどき三位、といったところだ。
――が、今回は。
(……一位……)
いつもの満点の生徒とともに、『篠沢恵瑠夢』の名前が輝いている。
そう、『この子』は今回、全教科満点を取ったのだ。
「君……本当に何でも出来るよね」
感心しているとも呆れているともつかない声音で、来海くんが言った。
私は今、彼と並んでテスト結果を眺めている。
十位以内に、来海くんの名前はなかった。
「来海くんは……成績は普通なんだね」
図書館の自習室で一緒に勉強したので、彼の学力は把握している。基本的に頭はいいのだが、極端というか、教科によって興味の差が激しいのだ。
「――君に比べれば、たいていの人は『普通』じゃないかな?」
「い、いや、深い意味はないよ!?」
儚げな微笑み。優しい声。
にも関わらず、この圧迫感。
「来海くんと篠沢さんだ!」
「ひゃ〜、眩し〜」
「美男美女〜」
「……」
周囲は平和だ。何も気づいていない。
「あのね、篠沢さん。冷泉院で十位以内に貼り出されるなんて、かなり凄いことだからね? 十位に入れなくても優秀な人は優秀だからね?」
「深い意味はないってば! 来海くんが頭いいのは知ってるよ!」
教科によっては、彼はむしろ秀才の部類に入る。
「英語関連なら強いよね? 速読とか」
掲示板には、期末試験の他に、先週までの小テストの結果がまだ貼り出されていた。その中に一つだけ、来海くんの名前が載っているものがある。十位だ。
「……君は、英語以外も強いよね」
来海くんも、他の小テストの結果へ目をやった。
「どの教科でも必ず名前が出てるなんて、君とトガノウくんだけじゃない? どうなってるんだろうね。苦手科目はないの?」
「……あ、トガノウって読むんだ、これ」
例の、毎回満点の生徒の名前である。
一年D組、門叶悠貴。
「来海くんのクラスの人だよね?」
「うん。――まあ、フェアリーってタイプじゃないね」
「……」
まずそこを気にするのか?
(――ん?)
突如、私は悟った。
「あっ、そうか! 頭でっかちな勉強の虫なんてフェアリーらしくないもんね! だから来海くん、成績は普通なんだね!」
「……単に、十位以内の常連になれるほどの実力がないだけなんだけど?」
来海くんは微笑んだ。――あくまで上品に。儚げに。
「僕がわざと手を抜いて、成績を抑えていると思ったの? 買いかぶってくれて嬉しいよ。優等生の嫌味かな?」
「他意はありません! 失礼しました!」
優等生の嫌味なんて言うはずがない。本当の私は劣等生だ。そして単に、素直に失言を吐いてしまうだけである。
来海くんなら、本当はもっと出来るのに「フェアリーのイメージじゃねえぇっ!」とか言いつつ、完璧に成績を調整しそうだし。
「なに話してるのかなあ? 楽しそう」
「二人並ぶと絵になるよね〜」
「綺麗〜。あの周りだけ空気が違う〜」
「……」
周囲は平和だ。何も聞き取れていない。
「……まあ、いいけど」
と言ってから、来海くんはものすごい小声で囁いた。
「……数学、助かった。それに免じて、今の無礼な発言は聞かなかったことにしてやる。ありがたく思え」
「い、以後気をつけます……」
(――ん?)
反省の言葉を返してから、私はふと気がついた。
もしや今、お礼を言われた?
「――テストも終わったし、やっと夏休みだね」
来海くんは話題を変えた。
「僕、スイスに行くんだ。お土産にエンガディナーヌッストルテを買ってきてあげるよ。たくさん食べてね」
「……」
エンガディナーヌッストルテ。クルミのヌガーをビスケット生地で包んで焼いたもの。かなりどっしりしたお菓子だ。
「来海くん……私を太らせようとしてる?」
「え? まさか。だって君、いくら食べても太らない体質だったよね?」
「……」
嫌味を言ってるのは君のほうじゃないか、来海くん。
「……まあ、いいや。ありがとう。じゃあ私も、火星の土でも持ってきてあげるね」
「は?」
来海くんはきょとんとした。
「君、どこに行くの?」
「多分、ラスベガス。でも、火星の土も手に入ると思うよ。クマ――『お兄ちゃん』がね、そういうところに連れてってくれるらしいから」
「……。騙されてるぞ、お前」
私にしか聞こえない小声で、来海くんは呟いた。




