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エルム、エルム  作者: 十枝内 清波
一年生
24/341

窓辺の妖精

 体育祭が終わると迫ってくるもの――それは期末試験だ。

 七月中旬の三日間。修羅場だが、これさえ乗り切れば夏休みである。

 放課後、私は図書館を目指して歩いていた。ここには、通常の閲覧室の他に自習室がある。試験勉強に必要な資料はひと通り揃っているし、読書に集中したい人は閲覧室を使うので、物を書く音やら席・テーブルの占領やらで邪魔をしなくて済む。

(まあ、別に改めて試験勉強する必要はないけど)

 『篠沢恵瑠夢』は頭もいい。普段の小テストでも、今のところ、学年三位以内から落ちたためしがない。

 ところが不思議なもので、明晰な頭脳を手に入れた途端、私はかえって学習意欲を高めていた。

(本当に勉強しなきゃいけなかった頃は、教科書を開くのも嫌だったのに)

 元の私の成績はひどかった。その上、向学心のかけらもなかった。あの頃の私にこそ、学習意欲というものが必要だったはずだ。

 それが、もう不要と化した今になって、ようやくやる気が出てくるとは。人間はないものねだりの生き物だ。

「エルム、エルム」

 廊下を進んでいると、クマが忽然と現れた。

 冷泉院の制服を着た、ごく平凡な男子。――『篠沢朔真』ではない、いつもの偽装モードだ。

「もうすぐ夏休みだな。どこに行きたい?」

 と、奴はいきなり聞いてきた。

「火星でミステリーサークル描くか? 太平洋で沈没船の財宝パクるか?」

「何その二択!」

 突飛な奴だ。

「行くなら、もっと普通の旅行でいいよ」

「じゃ、ラスベガスでも行くか。ジャックポット当てさせてやるよ」

「ニュースになっちゃうでしょ!」

 ジャックポット――要するに、大当たりのこと。スロットマシンなんかでは、たまに世界新記録の超高額賞金が出たりする。こいつの気まぐれに乗ったら大騒ぎになってしまう。

「別にいいだろ。たとえ百億円当たろうが、契約が終わったらニュースごと消えるさ」

「そうだろうけど!」

 気楽に言ってくれるよ、こいつは。

 人の世の騒ぎなんて、きっとどうでもいいのだろう。

「――おっ、妖精野郎じゃねえか」

「えっ」

 妖精野郎?

 見ると、廊下の先に来海くんがいた。

 ……『妖精野郎』って……いや、間違ってはいないけど。

 彼は何やら窓の外へ顔を向け、儚げな眼差しで遠くを眺めていた。

(……)

 『窓辺に佇む美少年』中?

 ふわふわの淡茶色の髪が、澄んだ瞳が、時折キラッと光る。私は彼の手元に目をやった。右には何も持っていない。左は、ノートやペンケースを小脇に抱えている。

(うーん……)

 どうやって発光しているのか、タネを知っていても見抜けない。

「ねえ、クマ。来海くん、どこに鏡を持ってるの?」

「手じゃねえな。ペンケースの中に仕込んでる。あと、ノートの間」

「ええっ?」

 聞いてもサッパリ分からない。

「来海くん……フェアリーより、俳優か手品師になればいいのに」

 惜しい人材だ。

「仕方ねえだろ。才能があっても本人にその気がなきゃそれまでだ」

「……」

 人間はないものねだりの生き物だ。

「才能か……でもクマ、フェアリーになる才能って何?」

「オレが知るかよ」

「ていうか、妖精ってほんとにいるの?」

「いるさ。天使もサンタも妖精も」

「えっ、サンタも!?」

「くくく……」

 クマは馬鹿にしたように笑った。

「……」

 からかわれた?

「――おっ、こっちに気づいたぞ」

「えっ」

 私は来海くんに目を戻した。

 しかし彼は、相変わらず窓の外を眺めている。

「……気づいた、の?」

「ああ。さっきまであいつは、ここに人がいるのは分かっていたが、それが具体的に誰なのかは特定できていなかった。けど今、ここにいるのがお前だって気づいた。すっげぇ気にしてる。話し掛けてやれば?」

「ええ〜……」

「無視したら怒るんだろ、あいつ」

「ぐ」

 そうだった。

「じゃ、またな。夏休みの行き先、考えとけよ」

「う、うん」

 クマは珍しく、普通に歩いて去っていった。来海くんが見ている(?)からだろう。

 恐る恐る、私は自称フェアリーへ近づいた。

「く、来海く……」

 ――どしっ!

 なんと彼は振り向きざま、フェアリー・チョップを炸裂させた。

(え〜〜っ!?)

「い、いきなり何!? まだ何も言ってないよ!?」

「よく分からないが、なんかすげー悪口を言われた気がする」

 ――ギクッ。

 当たらずしも遠からず。悪口ではないが、さっきのは来海くんにとっては不愉快な発言だったに違いない。

「ええ――っ、どうして分かったの!?」

「図星かぁぁっ!」

 ――どしっ!

 すかさずチョップを喰らった。

(うぅ……)

 今日も余計なことを言ってしまった。

「だいたい何だ、さっきのネタにもならねえほどフツー過ぎる男は! お前、それでも学園一の美少女かよ! ちったぁ背景に気ぃ遣え!」

「背景!?」

 いちいちそんなことを気にしてるのか、君は?

「――で? いったいどんな悪口言いやがった、お前」

「えっ!? いや、悪口ってわけじゃないよ! ただ、来海くんはフェアリーよりも手品師に向いてるな〜、と……」

「はあっ!? 何だそれぇぇっ!」

 ――どしっ!

 今日のチョップは間隔が短い。

「手品師って何だ、手品師って! 俺はフェアリーだ! お前、俺を馬鹿にしてるのか!」

「馬鹿にはしてません! 来海くんはまごう方なきフェアリーですぅぅっ!」

 ――無視したら怒るんだろ、とクマは言った。

 無視しなかったのに怒ったよ、この人。なぜこうなった。

「ちっ……それにしてもお前、あの程度の男が取り巻きなのか? 他に余計なこと言ってないだろうな?」

「言ってません!」

 嘘はついていない。私が何も言わなくたって、クマは人の本質ぐらいお見通しだ。

「――そう……」

「……へっ!?」

 唐突に――雰囲気が一変した。

「なら、いいんだけど」

「……」

 来海くんは、鎮まった。何の前触れもなく。

 穏やかな目。静かな表情。儚げな微笑み。フェアリーモードだ。

 ということは。

(えっ、誰か来た!?)

 来海くんは人の気配に敏感だ。鏡だかフェアリーの勘だかのおかげで。私は廊下を確認した。

(――あ)

 いた。

 遥か彼方から、女子のグループがやってくる。

(ま、まだあんなに遠いのに)

 顔の判別も出来ない距離だ。よく察知したな、この人。

「良かった……君が、話の分かる人で」

 間合いを計ったのだろうか。来海くんは、女子のグループがある程度近づいてから、さりげなく小首を傾げた。

 ふわふわの淡茶色の髪が、絶妙のタイミングでキラッと光る。

 女子のグループは彼に気づき、きゃ〜、と声を漏らした。

「……」

 私は来海くんのノートとペンケースに注目した。しかしやっぱり、どこに鏡があるのか分からない。

「来海くん……プロだね」

「……何を探しているのかな?」

 儚げな微笑みを浮かべたまま、来海くんは言った。

「あのね、篠沢さん。僕、いつでも鏡を使ってるわけじゃないよ? 姿勢と角度だけで調整してる時も多いからね?」

「そうなの!?」

 いわれてみれば、クマはさっき、鏡を「仕込んでる」とだけ言った。それは必ずしも、「今、まさに使っている」ことを意味するわけではない。

 よく考えたら体育祭の時なんて、バレーボール中にキラッと光ってたし。いくら何でも、あんな状況で鏡なんか仕込めるはずがない。

「うん。道具を使い過ぎると不自然だものね」

 と、来海くんは答えた。

「……」

 君は存在自体が不自然じゃないか、来海くん?

「……何か言いたいことでもあるのかな、篠沢さん?」

 ――ギクッ。

「いえ、別に!」

 私は慌てて否定した。

 どうして分かったのだろう。顔に出てたか?

「そう。なら、いいんだけど」

 信用したかどうか不明だが――多分信用してないと思うが――とりあえず、来海くんは深くは追及してこなかった。

「ところで、篠沢さん。君もこれから試験勉強?」

「えっ……うん」

 来海くんは、私の手元に目をやっていた。実は私も、ノートやペンケースを小脇に抱えている。

「君、成績良かったよね。僕も図書館の自習室に行くところなんだけど……よければ、勉強教えてくれないかな?」

「――え」

 意外なことを言われた。

 きょとんとしていると、来海くんはまた小首を傾げた。

「……それぐらいしてくれてもいいよね?」

「……ぐっ……」

 ――まだ怒っていた。

 儚げに微笑む『フェアリー・プリンス』。そんな彼に熱い眼差しを注ぐ女子の皆さん。

「よ、よよよ喜んで!」

 熱い眼差しどころか、この笑顔を普通に直視するのすら怖い。

 私は急いで承諾した。



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