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エルム、エルム  作者: 十枝内 清波
一年生
103/341

花畑

 母親はいつも、悲愴な目で私を見た。

 この子を産んでしまって良かったのだろうか。

 産んだからには、きちんと育てなければ。

 ――それでも、捨てないでいてくれた。

 好きでもない男の、子供を。


(……。ん?)

 ふと気がつくと、私は知らない場所にいた。

 紺碧の空。遥かな地平線。足元には、私の知らない花が咲いている。

(……サクラソウ?)

 似ているが、微妙に違う。その花は完全な純白で、葉や茎もどこか違和感があり、何より――光っていた。

 全体が、淡く。

 そんな花が、見渡す限り一面に広がっている。まるで巨大な絨毯のようだ。

(……)

 空の青。大地の白。そして、無限の地平線。ここは――。

「……天国?」

「んなわけねえだろ」

 馬鹿にしたような声が降ってきた。と同時に、影が射す。

「……クマ」

 奴だ。私の頭上に浮いている。

 つやつや光る漆黒の髪、妖しく底知れない闇の瞳――本性モードだ。

(……ああ。これ、夢か)

 私は今、眠っているらしい。そこへクマが干渉しているのだ。奴は時々、こういうことをする。

「これ、何の花?」

 私は景色に目を戻した。どこかで嗅いだような、甘い匂いがする。

「綺麗だろ。お前のために用意したんだ」

 クマはにやりと笑った。

「さあ、好きなだけ喰いな」

「……。はっ?」

 何ですと?

「いや、いくら私でもナマの花は食べないよ? それとも何、蜜を吸えってこと?」

「くくく……」

 奴は面白そうに私を見下ろした。

「花じゃねえよ」

「えっ」

「よく見な」

「……?」

 私は膝を屈め、足元の花に顔を近づけた。

(――ん?)

「あっ、これ、チョコレート!?」

 なんと、その花は本物ではなかった。

 至近距離で観察すればようやく分かる。白い部分はホワイトチョコで、葉や茎などの緑の部分は――。

「抹茶?」

「ピスタチオだ」

 外れた。

「え――っ、凄い! これ、全部チョコレート!?」

 私は立ち上がり、改めて周囲を見渡した。花――いや、チョコレートは、空と大地の切れ目まで、どこまでもどこまでも続いている。淡い光を放ちながら。

 さすが夢。現実でこんなモノを作ろうとしたら大ごとだ。光らないだろうし。

「……けど、これじゃ動けないね」

 私がいる場所だけは何もないが、他の地面は全て花(の姿をしたチョコ)で覆われている。その花を踏んづけない限り、一歩たりとも移動できそうにない。

「これ、行きたい方向の花を摘んで食べながら進めってこと? そんなゲームあったね」

「お前も飛べばいいだろ。ほら」

 クマがそう言った途端、私の体はふわりと軽くなった。たちまち奴と同じ高さまで浮き上がる。

(おぉ)

 下とはまたちょっと違った角度で、花畑(チョコ畑?)を見渡せた。

「気に入ったか?」

「うん!」

「さあ、好きなだけ喰いな」

 と再び言って、奴は一本差し出してくる。一つの茎に四〜五の白い花と緑の葉が付いていた。

 受け取って白い花びら部分を一枚かじると、それは本当にチョコレートだった。

「おぉっ。『モンルージュ』のショコラ・ブランの味がするよ!」

「ここはお前の夢の中だからな。お好み通りに咲いてるはずだ」

「へえ〜」

 その一本はあっという間に平らげた。

 私は空中をふわふわと漂い、少し離れた場所に咲く別の花を一本摘んだ。その花びらもかじってみる。すると。

「あれ? これは『ラ・ベル・シモーヌ』のブランの味がするよ」

 見た目は同じだが、最初の花とは少し違っていた。

「言っただろ。お前の好きなホワイトチョコが咲くんだ。一流パティスリーから近所のスーパーの徳用まで、何でもあるぞ」

「へえ〜」

 しかし、形は一律サクラソウもどき。その上光っている。

 さすが夢。現実でこんなモノは存在しまい。

「……でも、何でホワイトチョコなの?」

 私は素朴な疑問を口にした。

「別に統一しなくても、ミルクとかビターとか黒っぽい花が混ざっても良かったんじゃない? あんた、白が好きだっけ?」

「特に好きじゃない」

 クマは肩をすくめた。

「けど、今日はホワイトデーだろ」

「……え」

「『ホワイトデー』っていうからには、やっぱり白だろ」

「……」

 私は食べかけの花に目をやった。

 バレンタインのお返しだったのか、これ。

「ス、スケール大きいね? 花束ならともかく、花畑丸ごとプレゼントってあんまり聞かないよ?」

「豪快だろ」

 奴はにやりとした。

「時間無制限、摘み放題食べ放題。それと、人目のない綺麗な景色。お前の好物ばかりだ」

「好物!?」

 何となく引っ掛かる言い方をするなよ、クマ。

「いや、普通なら私、せっかく咲いてる花を摘んだりしないよ!? ましてその場でバクバク食べないよ!? そこまで飢えてないからね!?」

「そうか。――オレは、いつだって飢えてるけどな」

 ふいに、クマは唇を歪めて笑った。

「……え? どういうこと?」

 何だか意味ありげな声音だった。つい、聞き返す。

「そのまんまの意味さ。悪魔は常に飢えてる。だから、奪ってやりたくて仕方ない」

 ――何を?

「……じゃあ、天使は?」

「奴らは逆だ。いつだって満たされてる。だから、分け与えてやりたくて仕方ないそうだ」

 ――だから、何を?

(……魂?)

 いや、多分違う。魂なら『契約』すれば手に入る。それに、悪魔が『魂を奪ってやりたくなる』のは分かるが、天使が『魂を分け与えてやりたくなる』というのは何だ。意味が分からない。

 魂じゃないのなら――何を?

「……私は、あんたにいろいろ与えてもらってるけど」

「くくく……」

 クマは馬鹿にしたような笑みを浮かべた。

「オレの一番の楽しみを教えてやろうか、エルム」

「え」

「それはなあ――オレの地獄に落ちた亡者を数えることだ」

「……」

「数え直すたびに増えていく――それが、何より楽しい」

「……へえ」

 陰気な楽しみだな、そりゃあ。

「そのためなら、生きてる間ぐらいは何でもしてやるさ。人の運命をいじるなんざ、オレには大した手間じゃない。お前も、好きなだけワガママ言っていいんだぞ」

 奴は目を細めた。

「せいぜい楽しめ。今のうちに」

「……うん。楽しんでるよ」

 クマは、私の望みを全て叶えてくれる。そういう『契約』だ。

「でもあんた、契約の終わった魂は食べるんじゃないの? 『増えていく』ってどういうこと? それとも、食べた数をチェックするだけ?」

「喰うこともある。その時だけは、満たされたような錯覚を味わえる」

 奴はちろっと、唇をなめた。

「――が、取っておくこともある」

「取っておく?」

「喰っちまったらそれきりだろ? 取っておけば、まだしばらくは遊べる。といっても、契約中ほど面白いことはないけどな」

「……?」

 よく分からない。

「――お前も、取っておいてやってもいい」

 クマは私の頭を撫でた。

「オレが飽きなきゃ、地獄の時間は引き延ばせるぞ。それこそ、永遠にでも」

「……飽きたら、食べるんでしょ」

 私は呟いた。

「それなら、最初から食べられたほうがマシだよ」

「暗いな、お前」

 奴は嬉しそうな顔をした。

「オレは好きだぜ、陰気も無気力も絶望も」

「……悪魔だもんね」

 こいつは、神様が愛さないものを愛する。

「いつ喰われるか分からない状態よりは、いっそ契約終了直後に喰われたいってわけか。なるほど。だが――契約が終わった後の話なら、もうお前の望みを叶えてやる義理はないよなあ?」

 クマはますます嬉しそうに笑った。

「――お前が喰われたいなら、オレは喰ってやらない」

「……」

 奴はまだ、私の頭を撫でている。その手つきは優しいが、浮かべる笑みは意地悪だ。

 こいつに喰われて完全に消滅するか。地獄に落ちて永遠に苦しむか。

(……まあ、いいか)

 自分で選んだ結果だ――受け入れられる。

(それに、契約が終わるまでは幸せでいられる)

 人生には意味も勝ち負けもない。あるのはただ一点――最後に満足できるかどうか。それだけだ。

 辛い年月がどんなに長くても、最後の一瞬が幸せなら救われる。少なくとも、私は。

「けど――まだ時間はある」

 クマは言葉を続けた。

「今のうちは、何でも叶えてやる。何かあったら言えよ? 欲しいものとか、やりたいこととか」

「うーん……」

 私はふと、花畑を見渡した。

「じゃあ――あんたも一緒に食べない? お腹空いてるんでしょ?」

「は?」

 クマは一瞬、きょとんとした。が、すぐに呆れ顔になる。

「いや、『飢えてる』ってのはそういう意味じゃないんだが」

 とは言ったものの、奴はリクエストに応えてくれた。自分も空中に浮いたまま、地面の花へ手を伸ばす。一本、摘んだ。

「まあいい。付き合ってやるよ」

「うん」

 こいつは意外と、ノリがいい。


 ――目を覚ますと、まだ甘い匂いがした。

(あれ?)

 見れば、枕元に花束が置いてある。

(おぉ)

 夢の中と同じだ。ホワイトチョコとピスタチオチョコのサクラソウもどき――さすがに光ってはいないが。

(この状態のほうがよっぽど『ホワイトデーのプレゼント』らしいな)

 などと思いつつ、花束(チョコ束?)を手に取る。そしてベッドから降りた。

(さて、今日のお弁当は……)

 朝起きて、これからの予定を確認する。体は軽く、気分は明るい。

 学校へ行くことを考えても、憂鬱にならない。

(今日も一日、生きられる……)

 花を一本抜き、花びら部分をかじってみる。

 夢と同じ――甘くて優しい味がした。



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