図書館の魔女
広々とした閲覧室、整然と佇む本棚の群れ。
(今日は何を読もうかな……)
放課後。私は図書館にいた。
試験も終わり、後は春休みを待つばかり。館内に人は少なく、書物の世界は時が止まったような静寂に満ちている。
(やっぱり、ここが一番落ち着くな……)
人の性質はそう簡単に変わらないものらしい。私は未だに、『他人のいない場所』が好きだった。みんなの視線を一身に浴びて喜ぶ十碧くんとは真逆である。
(今日もファンサービスしてるのかな)
よくやるよ、あの人は。
「……」
(ん!?)
ふいに、形容しがたい妙な気配を感じた。
ハッと振り返れば、本棚の間を歩く知り合いの姿がそこにある。
蜂蜜色の髪、眼鏡の奥に光る鋭い瞳――門叶くんだ。
(……)
珍しい。『交信』してない。
(……いや、これからか)
手には何も持っていないが、目は本棚に注がれている。私と同じく、次に何を読むか物色しているのだろう。
(……。ん!?)
しかし、妙な気配の出どころは彼ではなかった。その更に向こうに、人影がもう一つある。
(あれは……)
異様に長い黒髪、青白い肌。
図書館の魔女――じゃなかった、図書委員だ。
その表情はいつも通り前髪に隠され、よく見えない。が、顔は門叶くんのほうへ向いている。
(……)
見ている。門叶くんを。じーっと。
――何をしているんだ、あの人は?
(ま、まさか……門叶くんのファン!?)
「――ああ。篠沢さん」
その時、門叶くんが私に気づいた。こちらへやってくる。
「……」
少し遅れて、図書委員もついてくる。やや離れた位置で立ち止まったが、顔は門叶くんへ向けたままだ。
「君も本を借りにきたのか?」
「う、うん」
図書館では静かにしなければならない。それを踏まえたのだろう、門叶くんは小声で話しかけてきた。私も小声で答える。
それはいいが、あの図書委員が気になって仕方ない。
「――あれか」
思わずちらちらと観察していると、門叶くんも私の視線を追い、彼女へ目をやった。
「見張りだ」
「へっ?」
見張り?
「僕が館内で独り言を始めたら、すかさず彼女が妨害する仕組みになっている」
「はっ?」
妨害!?
「に……二本指で突かれたり?」
「ん?」
「……何でもない」
いつぞや、彼女は居眠りする涼和くんにソレをやっていた。凄い効果だった。
「よく分からないが、僕がここで読書をするのは迷惑だそうだ」
「……」
まあ、歓迎はしないでしょうよ、君の読み方は。
「僕が図書館を訪れると、いつも彼女が後をついてくる。おかげで僕は、なぜかこの館内で本を読めなくなった。ここは本来、読書をするための施設のはずだが。理不尽だと思わないか?」
思わないよ。
――などと、正直なことは言えない。
(そうか……あの人は要注意人物の監視をしてたのか……)
別に門叶くんのファンではなかったようだ。むしろ逆かもしれない。
「こ、声を出したりふらふら歩き回ったりしないで、静かに座って黙読すればいいんじゃない?」
「みんな同じことを言うな」
「みんなに同じこと言われてるの!?」
しかし、直そうとは思わないらしい。
「僕は別に、図書委員に喧嘩を売っているわけではないんだが」
「そ、それはそうだよね。門叶くんの独り言って、ほとんど無意識みたいだし」
「君は理解してくれるんだな。彼女は『迷惑なものは迷惑です』としか言わないが」
門叶くんは図書委員へ顔を向けた。
(……)
私は想像した。
静けさに満ちた書物の世界。いつもの席に座り、ゆったりと小説を読む私。ささやかな憩いのひととき。
そこへ割り込む、謎の呪文。ふらふらと徘徊する怪しげな人影――。
(……)
すまない、門叶くん。私は図書委員の気持ちのほうがよく分かる。
「……」
彼女は門叶くんを見ている(らしい)。じーっと。
「……」
門叶くんも彼女を見返している。無表情に。
(……。ん!?)
一見静かなので分かりにくかったが――ようやく、私は気づいた。
(に、睨み合ってる!?)
本の虫と図書委員――普通なら気が合いそうなものだが、この二人は『普通』ではないらしい。
「え、えーと、私は『千一夜物語』でも借りようかなっ? 門叶くん、お薦めの訳ってあるっ?」
「……ああ。それなら――」
門叶くんは図書委員から目を逸らし、別の本棚へ移動を始めた。
「……」
しかし、図書委員のほうは目を逸らさない。門叶くんをじーっと見たまま、少し距離を空けてついてくる。
(怖っ!)
妙な気配の正体がはっきりと分かった。
彼女は怒っている。図書館の秩序を乱す輩に。そして、その兆候を見逃すまいと、ああして神経を尖らせている。
これは……書物への『愛』と『執念』だ……。
(そういえば……門叶くんって、図書館ではあんまり見かけないな)
いかにも彼の出没しそうな場所だというのに、実際にここでこの人に遭遇したことはほとんどない。門叶くんはたいてい、庭やら廊下やらをふらふらしている。
もしや、その原因はコレだったのか?
ちらりと振り返れば、彼女は我々に顔を向けている。あの前髪の奥にどんな表情を浮かべているのか、それは分からない。
が――多分、好意的なものではないだろう……。
(私も、あの人のことは怒らせないようにしよう……)
本日の教訓を胸に刻み、私は門叶くんとともに移動した。