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エルム、エルム  作者: 十枝内 清波
一年生
100/341

憂い

 青い光の満ちた空間に、人影が一つ、すらりと佇んでいる。

 ゆるく波打つ亜麻色の髪、湖のような深い瞳。どこか野性的な、鋭い美貌――紫関先輩だ。

 彼の上には、網目状に揺らめく金色の光が落ちている。水中世界を思わせる、幻想的な光景だ。

 と――ふいに、先輩がこちらを見上げた。瞳に艶めいた熱が灯る。彼は眩しげに目を細め、誘うような眼差しを向けてくる。

『……』

 挑発的な唇が、わずかに動いた。ほんのひと言、何かを喋ったらしい。

 でも――その声は聞こえない……。

「……。『エルム』って言ってるね」

「言ってないよ!」

「この唇の動きは『エルム』だろう?」

「気のせいだよ!」

「……」

 携帯から顔を上げ、十碧くんは私を見た。

「篠沢さん、現実逃避は良くないよ」

「私から現実逃避を取ったら何にも残らないよ!」

「は?」

 朝。我々は廊下にいた。偶然遭遇し、何となく立ち話が始まり、現状に至る。

 今、十碧くんが見ているのは紫関先輩の最新CMだ。途中、やけに色っぽい口パクのシーンがあり、ファンの間では「何て言ってるのか気になる!」と話題になっていた。

「ところでそれ、何のCM?」

「目薬だね」

「じゃあその商品名を言ってるんだよ、きっと!」

「篠沢さん……これが『SSSブリリアント‐ハイ超爽快クールグレード』に見える?」

「長っ!」

 さすがに無理がある。そうは見えない。

「で、でも、いくら紫関先輩だって、公の場で勝手に私の名前使ったりはしないでしょっ? CMは『公の場』だよねっ?」

「――篠沢さん」

 真面目な顔で、十碧くんはこちらを見た。

「残念だけど……氏名に著作権はないんだ……」

「妙に深刻に言わないでくれる!?」

「そもそも、口パクじゃあね……。本当に『エルム』って言ってるか証明するのは難しそうだし、そんなこと言ってない、とか主張されたらそこまでだし……」

「えっ、何の算段してるの!? 別に私、精神的苦痛とかで訴えようとは思ってないよ!?」

「そう? 放っといていいの? 本当に?」

「心底不思議そうに聞かないでくれる!?」

 彼のことはそっとしておきたい。というか、ヘタに刺激しないでもらいたい。

 十碧くんは携帯に顔を戻した。

「それはそうと……あの人、いつから君を下の名前で呼ぶようになったわけ?」

「なってないよ!」

「えっ。じゃあ、心の中でだけいつも君を『エルム』って呼んでるとか? 写真を眺めたり妄想したりしながら?」

「シャレにならないこと言わないでくれる!?」

 想像するとちょっと怖い。

「シャレじゃないよ。この前もあの人、君のポストカードを睨むように見つめてたよ。あれは喜びを必死に抑え込んでる顔だったよ」

「ポ、ポストカード!?」

「うん。自分で作ったのかな、アレ……」

「……」

 まさか持ち歩いてるんですか、紫関先輩?

「――来海くん」

 真面目な顔で、私は自称フェアリーを見た。

「ごめん。忘れて」

「え?」

「来海くんが目撃したモノは忘れて。大丈夫。いくら紫関先輩でも、勝手に私のポストカード作って悦に入ったりはしないから」

「……」

 十碧くんは『儚げな美少年』の範囲内で、不審そうな表情を浮かべた。

「もしかしてアレ、君が作ったの? しかも、よりによって紫関先輩にあげたわけ? まさか自主的にそんなことをするなんて。君もとうとうファンサービスに目覚め――」

「目覚めてないよ!」

 君じゃあるまいし。

「だいたい、アレは私の仕業じゃないから!」

「えっ、じゃあ誰が?」

(ぐ)

 私はちょっと目を逸らした。

「ク、クマが……」

「……」

 十碧くんはますます呆れ顔をした。――あくまで上品に。儚げに。

「そうか……お兄さんのほうも、君のことが大好きなんだね……」

「いや、違うよ!? それは違うから!」

 たった今、十碧くんの中で『篠沢朔真』が『シスコン』に認定された。すまない、クマ。

「え、遠藤さんだって作るんじゃないっ? そういうの!」

「……。それは彼の前で言わないでくれるかな、篠沢さん? ほんとに作りかねないから」

「失礼しましたぁっ、気をつけます!」

 穏やかな物腰、繊細な声。にも関わらず、この圧迫感。

(怖っ!)

 余計なことを言ってしまったらしい。遠藤さんは十碧くんグッズを自作したりはしないようだ。いや、作ってるのかもしれないが、少なくとも十碧くんの目には触れていないようだ。

「そそそ、それはともかく!」

「ともかくって、君……」

「今日は期末試験の結果が出てるはずだよね! 良かったら一緒に見に行かないっ?」

「……。まあ、いいけど」

 強引に話題を変えると、やや眉をひそめながらも、十碧くんは携帯をしまってくれた。


 貼り出された紙の前には人だかりが出来ていた。

「あっ、来海くんだ!」

「篠沢さんだ!」

 ――が、我々の接近に気づくと、その人だかりはサーッと割れ、道を空けてくれた。

(……)

「どうしたの、篠沢さん。行かないの?」

「よく平然としてられるね、来海くん!」

 私は無理だ。たいへん居心地が悪い。

「おろおろしても仕方ないよ。美しいものは目立つんだ。どうせなら堂々としてようよ」

「私はそこまで悟れないよ!」

 それに、自分で自分を『美しいもの』とか言えない。

(きっぱりしてるよな、この人は……)

 十碧くんに迷いはない。

 彼は進む。優雅に儚げに、それでいて自然に。私はその後を、ややうつむきながらこそこそついていった。

 ――これだけ注目されておいて、『こそこそ』も何もないが。せめて気分だけでも。

 それはともかく。

 さて、テスト結果は――。

(……三位か)

「ちょっと落ちたね、篠沢さん」

「い、いいじゃない、別に」

 落ちたといっても、二位から三位に下がっただけ――私としては十分過ぎる。満足だ。

 私は他の順位も確かめた。

「門叶くんはまた一位か〜。凄いよね」

 彼はいつも通り、全教科満点である。とうとう一年間、百点以外を取らなかったわけだ。さすが、本と勉強の虫。

 他の知り合いの名前は、十位以内になかった。

「来海くんはどうだった? テスト」

「うーん……数学がちょっと」

 十碧くんは困ったように微笑んだ。

(この人、理数系が苦手だからな……)

 ――そうだ。苦手といえば。

 ふと思い出し、私は十碧くんに尋ねてみた。

「それはそうと、来海くん。ちょっと気になってることがあるんだけど、聞いてもいい?」

「ん?」

「門叶くんと同じクラスなんだから、音楽の授業も一緒だよね? 門叶くんの歌って……」

「――っ!!」

 皆まで聞かず、十碧くんはサッと青ざめた。

(!?)

 ――へっ?

 なぜか怯えたような表情を浮かべ、彼はこわごわと声を漏らした。

「う、うん……門叶くんの歌が……どうしたの?」

 自称フェアリーは震えていた。

「……」

 何だ、この反応は。演技か? それとも――。

「あの……そんなにスゴイの?」

「……」

 十碧くんはふっと目を逸らし、自分に言い聞かせるみたいに呟いた。

「僕は、人前で悪口は言わないんだ……」

「……」

 陰る瞳、憂う顔。繊細で傷つきやすそうな、『儚げな美少年』そのもの。どこからか女子の黄色い声がする。

(……)

「えっと、それは――」

 本音ですか? それとも『憂いを帯びた美少年』モードですか? ――とは、聞けない。

 が、私の言いたいことは察したらしい。十碧くんはそのうるわしき風情を保ったまま、物凄い小声で囁いた。

「アレは聞くな。聴覚が破壊される」

(……)

 涼和くんと似たようなことを言われた。

(門叶くん……頭はいいのに……)

 天は二物を与えないらしい……。



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