いつも見ていた景色
――――そこにある世界が、本当に真実だと、誰が決めた。
「……」
――――そこにある景色が、本当は嘘だと、誰が決めた。
「うう……」
――――変わらず続く光景。何も変わらぬ日常。そして、変わらぬ滅び。
「……くそ……くぅ」
―――――構えよ、備えよ。間違いなくお前の前に【敵】はいる。世界を破壊する為に構築者がいる。
「お前は……!」
―――――我が名は、【災禍の獣】
「はぁ!」
―――――【世界】に敵対する者。そして、存在軸の外に位置づく者。そして、神に背く者なり。
「大きな声ねぇ……」
教室内に響く大声。
寝息がはじけて、青年は目を見開いて、机に突っ伏していた身体を起こした。
見渡せば、クラスメイトが一斉にこちらを見ていて、中でも教壇に立つ英語教師、虎矢要は深い溜息と共に腰に手を当てこっちを見ていた。
「はて、よく眠れたかしら? クラス番号19番――――くん」
「……おう」
「まったく……」
深い溜息と共に、虎矢は教壇前で肩をすぼめると、手に持ったチョークで後ろの黒板を小突いて、おどけたように小首をかしげて見せた。
「さて、じゃあ、そんな君に問題を一つ」
この女教師特有の少しけだるげな仕草の背後には、黒板にびっしりと書かれた英文。
当然、解けと言っているのだろう。
明らかに居眠りをしていた自分には解けない問題だ。
無茶苦茶だ。
青年はひきつった笑みをにじませながら、ノロノロと立ち上がると、気まずげな表情と共に周りの仲間を見渡した。
サッと顔を隠す机周りの生徒。
薄情だ。
そんな感情が僅かに頭をもたげたものの、彼は特に周りに一瞥をくれようともせず、口を開こうとした。
「えっと……」
「……」
視界の端に入るのは、ノートのページ。
書かれているのは英語の訳文。
誰かが、自分に対して解答を差し出しているようで、彼は開きかけた口を閉じて、机の上に広がった誰かのメモを手に取った。
文字が頭に入る。
言葉を紡ぎ、彼は声に出す。
「……。メアリーは自分の叔母に対してケーキを作り、隣町のリンデ市街へとバスを乗り継ぎ彼女の家までやってきました」
「……」
「ケーキはとてもおいしかったです、と叔母は嬉しそうに答えてくれました。メアリーは代わりに叔母が一生懸命編んでくれたマフラーを貰い、その晩は叔母の家で過ごしました」
「―――――紫苑院さんに感謝してね」
「……はい」
「座ってよし。ちゃんとまじめに授業受けてよね」
「はいはい」
「はい、は一回」
「……」
「無言も困るけどね」
ノートをおろし、彼は溜息とと共に椅子に腰を落とすと、困った様相で長くウェーブのかかった黒髪を掻く虎矢から目を背けた。
そして、ノートを閉じて、隣を見る。
そこには一人の少女が、ちょこんと座っていた。
身長は彼よりも遥かに小さい。
143センチぐらいだろうか。ともすれば小学生にも見間違えるほどで、180センチを超える彼にとっては本当に見下ろす小人のようだった。
高校生用の机やいすのサイズにも合わず、フラフラと爪先が空中を前後に揺れていた。
クリっとした瞳はジトリと黒板を見つめている。
幼さの残る横顔。
白い肌を残暑の陽ざしに照らされながら、そこにはクラスメイトの女の子が、シャープペンと片手にノートを取っていた。
「……」
チラリ……
と、彼女を見ていた彼の視線が、少女と重なり、少女は少しむッと幼い顔をしかめて、ノートに走らせていたペンを止めた。
ジトリと見つめること五秒。
ふいッ
少女は長い黒髪を靡かせ、顔を背けると、再びノートを取り始めた。
「……」
何も言うことがないのか。
彼女はいつもこんな調子。
こちらを見ては、無言で何か言いたそうに顔をしかめて、またそっぽを向いて、背中を向ける。
幼馴染。
紫苑院ユキ。
同い年で、隣同士に住んでいる、少し疎遠な彼女の横顔が、彼の瞳に映った。
「……」
「……ったく」
若干の気まずさを残しつつ、手元に残していたノートを手に取り、彼はマジマジと他人のノートの中を覗きこんで頬杖をついた。
中にはびっしりと英語の文章と、その訳文が書かれていた。
見開きの左には文章と訳文、右には単語の訳と教師が話す説明が書かれていて、とても丁寧だった。
彼は感心する。
そして疑問に思う。
(……あれ?)
――――彼女は、今どのノートで教師の授業を受けているのだろう。
ハッとなって視線を配れば、そこには白紙のルーズリーフの紙が、隣の少女の手元にシャープペンと共に置かれていた。
「……」
「……くそ」
借りを作ってしまったようで、更に気分が悪い。
彼は無理やり、手に持ったノートを隣に座る彼女につきだそうとするが、彼女はムスッとこちらには目もくれず、ただ肘でノートを押し返す。
「……邪魔」
一言。
頭に血が昇りそうな口ぶりに、ソウマは青筋を浮かべながら、手に持ったノートを引っ込めると、鼻息も荒く顔を背けた。
「そうかよッ」
「……」
「あんたら、傍から見てるとホント仲いいわね」
「うるせぇ……」
「そして、あんたは教師に対する口がなってないわよ、と」
深いため息で、隣同士で顔をそむけ合う二人を見つめつつ、虎矢は少し微笑ましげに口の端を歪め、また黒板に向き合い授業を進める。
そして、二人の間に無言が広がる。
彼は、不満だった。
どうして、こんなに、相手にされないのだろう。どうして、こんなにぎくしゃくした関係になったのだろう。
どうして、こんなに胸が痛むのだろう。
(……ったく)
答えは出ず、苛立ちばかりが募る。
どうしようもなく、彼は手に持った彼女のノートをめくると、白紙のページにペンを走らせ、授業に集中しようとした。
午後四時に部活終わる。
ページの端に書かれた文字が眼に映る。
彼は顔をキョトンと眼を丸くすると、隣に佇む幼馴染の横顔をチラ見した。
「……」
変わらず、少女は澄ました表情で授業を受けていた。
青年は小さなため息をこぼして、頬杖をついて外を見つめる
外の日差しは、今日も強く、町並みをギラギラと照りつけていた。
草間市。
何もない平凡な街。国鉄と駅ビルを中心にした、山と木々に囲まれた一昔前のニュータウン。
ここは山間に立てられた私学の高校。
何もない平凡な校舎から、外を見つめ、青年は何度も見たであろう、街の景色から眼を背け、ページの端に書かれた文字に向かってペンを立てた。
コツリ
文字がサラサラと書かれる。
迎えに行く。
そんな紙面上だけの不器用なやり取りに、多少苦い面持ちを浮かべながら、彼は最後に自分の名前を書いた。
蒼夜 ユウ
彼、蒼夜ユウは書き終えて、ペンを置くと、また日差しの照りつける町並みを見つめる。
今日は九月の九日。
まだ日差しも強い、夏休みの明けたころの、入道雲と夏風と青空に囲まれた、空模様が広がっていた。




