選んだ道は獣道
授業中。
虎矢の大声が響く中、ユウは時折、後ろを振り返りながら授業を受けていた。
「……」
そこには、澄ました表情の紫苑院ユキ。
なにも変わらない。
いつもと同じ表情の、少し冷たげな様子にユウは一抹の不安と、そして僅かな機体を胸に膨らませていた。
彼女は本物だろうか。
彼女は誰だろうか。
そんな疑問が頭をよぎる中、ユウは再び机のノートに眼をくばった。
――――それは、お前の真実だ。
そこに浮かび上がるのは、文字。
書いたことのない言葉がノートの一行に滲みだし、ユウは金色の瞳を見開くと、苦笑いを浮かべた。
そして文字をさらさらと書きこみ、そして答えを書く。
(そうじゃない、怖いんだ。彼女が傍にいるのか、手に取らないとわからない)
そう書けば、文字は更に浮かびあがる。
――――もどかしいものだ。
(人間だからな)
――――魔王よ。我が主よ。全てはお前の意のままに。
(俺は世界を支配するために、この世界を生み出したんじゃない)
――――なら、破壊するか? それも望みのままだ。
(会いたい人がいるんだ)
――――なら、全て魔王のままに。お前に出来ぬ事はない
(言うさ。ようやく会えるんだ)
「奏夜ぁ!」
そう書いていた所、大きな声が教室中に迸り、ユウは小さなため息と共にシャーペンを置いて顔を上げた。
そこには今にもチョークを投げつけんとする英語教師の虎矢。
背後には黒板にびっしりと書かれた英文。
訳せ。
そんな言葉が顔からにじみ出ていた。
変わらない。
思わず笑みが零れた。
「……はい」
そう言って立ち上がると、ユウはグッと右目を擦り、そして紅き瞳を見開いて、【世界】を見つめた。
そして【慧眼】が真実を告げる。
この【世界】の意味を。
この【世界】の未来を―――――
時間が全てじゃない。
彼女が全てじゃない。
会いたい人は多くいた。
救いたい人は多くいた。
だけど、そうじゃないんだ。
俺は選んでこの地に立った。彼女を救うって助けるって決めて、その心を楔のように身体に打ち付けて。
だから、誰かを不幸にした事を否定しない。
それが傲慢だと言うなら、よろこんで相手になろう。
所詮他人が押し付ける価値観。
相手の見る世界と自分の見る世界は違う。
だからこそ、所詮は自分と相手の意見と主張と価値観のぶつけ合いと押し付け合いが発生する。
そして誰かが負ける。
それが生きるという事。
戦い続けるという事。
決して終わることはない。
いいさ。
死ぬ最期の瞬間まで相手になってやる。
だからせめて、俺は彼女に会いたい。
ユキ。
――――そこは初めて、告白した場所。
「……ここじゃない、か」
昼休み。
ユウは息を切らし、階段を上り、屋上の扉を開き、辺り一帯を見渡した。
一帯を囲むフェンス。
少し高い場所には古びた給水塔とエアコンの室外機が並び、強い日差しに照らされていた。
それだけ誰もいない。
ただ夏の生温かい風が吹き込むだけ。
「……はぁ」
探しても誰もいない。
夏の暑さが頭をよぎる。
給水塔付近の影に依りかかると、ユウはネクタイを解きつつ、開いた襟元に風を呼び込んだ。
そして、視線を落とし長い影を見下ろす。
グッと拳を固める。
会いたい。
胸を掻きむしりため息を漏らす。
歯がゆさに顔をしかめ、ユウは夏空に向かえって吼える。
「ユキぃ!」
「はいッ」
「え……?」
叫んだ声が空に消えていく。
重なる影。
ハッとなって後ろを振り返れば、そこには少女が一人、仁王立ちになって給水塔の傍に座っていた。
風に揺れる長い黒髪。
華奢な体つき。
腕に巻くのは風紀委員の腕章。
幼い顔立ちは変わらず、碧い瞳を覗かせ、短いスカートを靡かせ、虚空にほっそりとした脚を投げ出していた
紫苑院ユキ。
ユウのキョトンとした表情を見下ろし、ユキは満面の笑みを浮かべる。
「えへへッ、びっくりした?」
「お前……」
「待ってた」
「な、なんで……」
「ずっと待ってた。緊張したんだよ? いつ話しかけてくれるかって。いつ手を繋いでくれるかなって」
「だ、だってお前先に学校に行ったじゃないか」
「えへへ、恥ずかしかったから」
「……」
「それにね、もう一度、ここで始めたかった……」
「ユキ……」
「ここに来ると思ってた……」
「――――だって、ここでお前は俺に」
「うんッ」
「俺も……言いたい事がある」
そう言ってユウは壁から離れると、金色の瞳で伏せ目がちにユキを見上げた。
「あの時は、ちゃんと言えなかった……俺もあんまり覚えてない」
「うん……」
「その……」
――――喉を鳴らし、ユウは叫ぶ。
「俺、お前を助けたらこれだけは言いたくて!」
「はいッ」
「――――ユキ。俺と付き合ってくれッ」
ユウは声を枯らして叫ぶ。
声が夏の入道雲に消えていく。
少女は頬を赤らめキョトンと惚けた表情で固まり、じっと真っ赤になったユウの顔を見下ろす。
震える小さな手を胸に押し当てる。
ぎこちなく肩をすぼめる―――――
「私……知ってるよ」
「ん……」
「ユウ君……心を痛めながら戦ってた事」
「……」
「本当なら、私なんて選ばなくても良かった。あの世界で刀鷹さんと一緒に暮らしているならそれでよかった。
多分、それが正解だと思うの」
「助けてって言ったじゃないか」
「殺してくれても良かった」
「いやだ」
「……」
「俺は、お前が欲しい」
「……」
「好きだから。誰かにお前をやりたくない」
「―――――だから、ユウ君まじめで、痛い目ばかり見ちゃうの」
「……」
「だから、私……ユウ君しか、もう、見られないの」
そして、スッと立ちあがる――――
「ユウ君ッ」
勢いよく広がる二枚の翼。
舞い散る無数の羽根。
背中に金色のリングを携え、幼き天使は涙と笑顔を浮かべ、その両手を広げて飛び降りる。
ユウは両手を広げて、少女に手を伸ばす。
その手を重ね、強く引き寄せる―――――
「ユキ……!」
―――――首に浮かんだ呪印が赤黒く光を放つ。
「ユウ君、ユウ君!」
「……」
二枚の翼で覆う大きな体躯。
ギュゥと少女は抱き寄せられるままに、顔を毛深くなった首元に埋め、大きくなった肩に頬を擦りつける。
その毛深い胸元に爪を食い込ませる。
少し丸まった背中に指を這わせる――――
「ユウ君……凄い毛深い……はふぅ……」
「……おい」
ペタンと垂れる尖った耳。
ビリビリと逆立つ尻尾の体毛。
引きつる口の端から覗かせる牙。
熱っぽい鼻息を突き出た鼻筋から噴きだしながら、苦い表情を浮かべる狼頭の男が抱きつくユキを抱きしめていた。
「にゅぅう……ユウ君、ユウ君ッ……大好き……大好きぃ」
「ハク!」
―――――足もとから噴き上がる黒い霧。
「なんだ、騒々しい」
黒き霧が晴れ、出てくる巨大な黒い狼は、抱き合う二人を見上げては、気だるげに耳の裏を後ろ足で掻いた。
一人はがっしりとした体格の狼男。
一人は、翼を背に生やした、光の輪を携える天使のような少女。
双方を見比べ、黒き狼は大きな欠伸を覗かせる。
「―――――はぁああ……耳の裏が痒い」
「やかましい! なんで俺はこんな姿になってるんだよ! 自動でなるのか!?」
「然り。特に天使の前ではな」
「ユキもか!?」
「然り。【災禍の呼び声】は我らと相対する者なり」
ギョッと眼を丸くする白き狼男の金の瞳に、黒き狼は多少うんざりとした面持ちで呻いた。
「お前は【災禍の魔王】世界を滅ぼすカギ。旧き創世神を封じる六柱の獣の一体」
「な、なんじゃそりゃ……」
「以前言ったろう。天使化は我らの【呪い】――――【原初の滅び】に対する抗体反応であると。
【原初の災禍】、その源流たるお前が傍にいれば、抗体持ちの女は自動で天使になる」
「……俺は?」
「逆。
我ら【災禍の獣】はそもそも、御使いとうそぶく連中と何億と言う年月戦い続けた。
そして長い時の果て、旧き神は消滅し、今は他の魂と同じく深淵の底に深く繋がれておる。故に我らは執行者、代弁者に相対する時、力が顕現するのだ。
その身体は元々、我ら【災禍の獣】の身体。人間としてのお前の身体はとうに滅びておる」
「……」
「後は、言わんでもわかるな?」
「マジですか……」
「えへへぇ、ユウ君。わんこくさぁい」
「いわんでいい!」
苦い表情と共にペタンと耳を垂らしながら、ユウはそれでもユキを抱きしめたまま、気まずそうに呻いた。
「ユキ、わかってるのか?」
「何が?」
キョトンとして翼を動かすユキに、狼男は大きな肩を落としつつ、その柔らかな髪を宥めるように撫でた。
「俺ら、人前じゃこうして手もつなげないぞ?」
「え……?」
「このままじゃ、二人きりだとずっとこんな姿だ。わかるか?」
「……」
「な、なんとかしないと」
「――――やだ」
「え?」
「やだぁああああ!ユウ君とずっと一緒にいるッ、ユウ君と一緒に手を繋いで毎日帰るもん。
駅前で一緒に買い物してご飯食べて映画見て! ユウ君と毎日過ごすの。
そんなのやだ、やだぁ!」
「……お姫様ゴネなさった」
そう言ってポコポコと胸倉を叩くユキの髪を撫でながら、ユウは苦い表情で後ろを振り返る。
だが黒き狼は大きなあくびと共に、後ろ脚で耳の裏をかく。
「天使だからと言って狩る理由はない。お前の好きなように」
「――――ユキ。だから人前ではこうやって出来ない」
涙目になりながら、ユキは恐る恐る顔を上げる。
「ふぇ?」
「けど……二人だけならこうして会えるだろ?」
「――――私とユウ君の部屋の中?」
「おう」
「人のいない教室?」
「おう」
「トイレ?」
「んん?」
「――――うん。二人きりの時だけ……会っていいんだよね」
少し不満げに口を尖らせながら、コクリと頷くユキ。
ユウは安堵に肩をすぼめると、グッと華奢な身体を引き寄せては、その小さな肩に顔を埋めた。
「ああ……こんな姿になっちまったが……それでも俺はお前に会える」
「……嬉しい」
「もう離さんさ……」
「……うんッ」
白き狼は少女を強く抱きしめる。
その大きな背中を護るように、二枚の翼が抱き寄せるように、そっとその姿を隠す。
少女はその毛深い背中に手を這わせる。
ギュッと爪を立て食い込ませ、その大きな胸倉に顔を埋める。
聞こえる心音に応えるように、囁く――――
「ユウ君……」
「ん」
「大好き……」
「おう……俺もだ」
「誤魔化した……」
「――――ユキ」
「ん」
「好きだ……」
――――こんな身体だ。
いつまでこんな生活が続くかなんてわからない。
俺も、アイツも。
「じゃあ、教室の中じゃ、いつもどおりにするってことでいいの?」
「いつも通り?」
「……いつも通りッ」
「そうだな。いつも通り、お前が少しムスッとして俺の背中をじっと見て」
「ぶぅうう……私そんな風に見てた?」
「ああ。毎日お前の視線を感じてた」
所詮は獣道だ。
生きつく先なんてわかりゃしない。
それでも、この道を選んだ。
なら進むさ。
「ユウ君……」
「ん」
「これからも……よろしくねッ」
「――――ああ」
遠くまで、お前と手を繋いで。この夕焼けの道を。
はい終わりです。書ききれていない設定多くあります。それらをいつか別の場所で放出したいなぁって思います。が、今回はこれで一旦終了。でも、どこかでまた続きを書きたいのでとりあえず続きのまま放置します。




