夕焼けに背を向けて
――――時間は午後四時半。
「ん」
同じ時間。
同じ屋上。
以前の戦いの後など、まるでなかったかのように平らになった床を見渡しながら、ユウは眉を潜めていた。
「ない、か……」
既に【居なく】なった人と同じく、床の傷は完全に消え、もはや痕跡は見る影もなくなっていた。
【慧眼】には何も映らない。
見えるのはただ、街の夕焼けだけ。
もはやは答えはなく、ユウはフェンスに寄りかかり、肩をすぼめた。
「……はぁ」
夕焼けを背に長い影が地面に伸びた。
ドクン……
高鳴る心音。
息苦しさは変わらず、呪印は更に深く、身体に食い込んでいた。
そして胸に食い込むのは焦り。
まるで砂漠の中から宝石を探し出すような感覚に、ユウは顔をしかめて、苛立ちまぎれに髪をかきあげた。
「……くそ」
見下ろせば胸元に大きな黒い紋様が、まるで翼を羽ばたかせる竜のように左右に黒い痣を広げていた。
太陽の印のような黒い紋章は両腕に浮かび、首には首輪のような痣がいくつも浮かんだ。
眼は既に常に紅く染まり、時折ぼやけた。
霞む意識。
時々、心臓の鼓動が止まるのを感じる。
命が掠れていくのを感じた―――――
「……時間がないな」
焦りはなかった。
ただ、あるのは微かな確信。
近しい未来、奴らがユウの下へとやってくるかもしれないという、予感。
必ず―――――
(……ユキ)
―――――着信音。
夕日に色めく屋上に響き渡る電子音。
項垂れ目をつむっていたユウは眼を丸くすると、慌ててポケットから携帯電話を取り出した。
メールの着信が画面に表示されている。
四時四十分着信。
宛名は妹の美香から。
内容を開けば、簡単なものだった。
『お兄ちゃんの教室に来てるんだけど、今どこ?』
「あ……」
今朝、一緒に変えると約束していたのをすっかり思い出し、ユウは苦い表情と共に形態を閉じた。
「――――忘れてた」
ユウは重たい身体を引きずりながら、深いため息と共に一歩を踏み出した。
(世界を救う、か……)
階段を降り、廊下を歩きながら、ユウは先日行われた惨劇を思い返す。
死んだ生徒。
首のとんだ担任教師。
そして、それらすべてがなかったことになる世界。
全てが、忘れられていく世界。
(……それが救済だというのか)
ユウは胸をかきむしった。
痛みが身体をよぎった。
(……ユキ。それでも俺はお前を忘れない、もう)
ユウはそう呟きながら、教室の扉を開いた。
そこには美香が机の上に座りながら、誰かと喋っているのが見えた。
その隣には、幼い顔立ちの刀鷹マナが立っていて、ユウは眼を丸くしながら、二人を見比べた。
「お前ら……」
「あ、お兄ちゃんッ」
ピョンッと飛び上がる華奢な身体。
スカートを靡かせ、夕焼けを背に走ってくる妹を受け止めつつ、ユウは多少驚いた表情で呟く。
「お前達、知り合いだったんだな」
「うんッ、刀鷹さんとは、結構下校の時で話す事が多いのッ」
「そうか……」
「お兄ちゃん刀鷹さんと同じクラスだったんだ。教えてくれたらよかったのにぃ」
「うるせぇ……」
ニヤニヤとする妹を横目に、ユウは苦い面持ちを覗かせつつ、顔を上げ夕日を背にするマナに眼を細めた。
「ありがとう、相手をしてくれて」
「ううん。妹さんは明るいからついつい話しこんじゃった」
「そうか……」
「妹さん、可愛いなぁ……」
「レズッ気でも?」
「ち、違いますぅ!」
顔を真っ赤にして叫ぶマナに、ユウは笑い声を吐き出そうとして、少しむせびつつ、苦しげに胸を抑えた。
「ゲハッ……いてぇ」
「大丈夫お兄ちゃん!?」
「……風邪かも」
「もぉ、最近夜更かししすぎなんだよぉ」
そう言って背中を摩りつつ、横顔を覗き込んでくる妹に、ユウは苦い表情と身体を区の字に曲げた。
「くそっ」
「ほら、もう帰ろう? 帰って薬飲まないと」
「……。いや、まだもう少し用事がある」
「身体が大事だよぉ」
「いいんだよ。先帰ってなんか暖かいものでも準備してくれ」
そう言って胸を抑えつつ、大きく息をして背中を反らし立ちあがる兄に、美香は頬を膨らませる。
「ぶぅうう……お兄ちゃんいっつもそうやって追い返す」
「明日はちゃんと一緒に帰るさ」
「そうじゃない。お兄ちゃん最近ずっと難しい顔してた」
「……」
「ちゃんと話してよ……私お兄ちゃんの妹だよ?」
「……。いつかな」
そう言って顔を反らすユウに、美香はさらに頬を膨らませると、小さな舌を覗かせ悪態をつきつつ踵を返した。
「ふぅんだ! お兄ちゃんのバカぁ!」
「……帰れよ」
「帰るもん!」
そう言って教室を後にする妹を横目に、ユウは深いため息と共に机の上に腰を落とすと、胸元をかきむしった。
その様子を見かねて、マナは慌ててユウを庇う。
「奏夜くん、大丈夫……?」
「……。悪いな、お前と話がしたくてな」
「え……?」
眼を丸くするマナ。
その表情を横目に見つつ、ユウは苦笑いと共に髪をかきむしると、照れくさそうに声をう上ずらせた。
「いやぁ。大したことじゃないさ。最近どうかなって思ってよ」
「そ、そうなんだ」
「それにさ。最近クラスメイトが少なくなったなって思ってさ」
「少ないね……」
そう言って、マナは夕焼けに滲んだ街並みを見つめる。
「浜根ちゃん。汐ちゃん。河野ちゃん、ミコトちゃん……いつの間にか皆居なくなってた」
「そいつらは?」
「……。別の学校に引っ越したって」
「豊田も新田も波多野もどこかに行ってしまった。……なんか寂しくてな」
「その人達は?」
「【最初から】いなかったよ」
「!」
そう言う表情は険しく、ユウは表情を少し強張らせるマナを横目に、片膝を抱えて黒板を見つめる。
「虎矢もいなくなった。他の生徒もいなくなってしまった」
「……」
「千人はいたはずなのに、今じゃ百人いるのかどうかも怪しい」
「奏夜くん……」
「ホント、どこに行ったんだろうな」
「と、虎矢先生は海外に」
「あんな男がそんな所に行く性格かよ。アイツほど教育熱心な奴はいないっていうのに、途中で投げ出して海外なんていくかよ」
「……」
「死んだよ。首が飛んで、床に胴体が転がって」
「……」
「死んじまった……」
零れる自嘲気味にな笑みが、教室に響く。
そして、無言。
カチリ……カチリ……。
時計の音が静かに茜色に滲んだ放課後の教室に響き、二人の息遣いが重なり合って、こだまする。
部活の練習の掛け声は聞こえてこなかった。
ただ静寂が黄昏時の教室に広がった。
ユウは抱えた膝に顔を埋める。
マナは視線をそらし、背中を向けたまま何も言葉は出ない。
ただ胸をかきむしり、項垂れた――――
「……」
「まぁ……だろうとは、思っていたんだ」
―――――か細い背中が震えた。
「どう……して?」
「病院で襲われた時、部屋に入ったお前の背中の輪郭がよくわかった。
小さな背中。
少し荒い息遣い。
迷いのない足取り。
お前だって、なんとなくわかっていたよ……」
「……奏夜くん」
「どうしてだ?」
そう言って、脚を下ろすと、ユウは机から離れ立ち上がった。
そして向き合う紅い瞳を見上げ、マナは表情を暗くし、そのまま視線を落とす。
「……お兄ちゃんが言ったの」
「お兄ちゃん?」
「覚えてない?」
――――一人の男の名前が頭をよぎった。
「刀鷹……幌」
「……あの人は私にねこう言ったの。世界を幸せにするって、その為の手段も準備したって」
「……。世迷言だ」
「私もね、最初はそう思った……」
か細い声でそう呟くと、マナは恐る恐る顔を上げると、引きつった笑みを滲ませつつ、たじろぐユウの顔を覗き込んだ。
「でもね、あの人はすごかった。だって死んだ人を生き返らせたの。
死んだはずのポチがね、生き返ったの。
居なくなったはずのおばあちゃんが帰ってきた。
遠くに行ったはずの大切な人が、今の眼の前で私と一緒にいてくれるッ」
「マナ……」
「お兄ちゃんは……何でも願いをかなえてくれた。
お兄ちゃんなら、世界を変えられると思ったの……!」
そう言って詰め寄るマナに、ユウは険しい表情と共に、拳を強く固めて身体で受け止めた。
頬が胸元に埋もれる。
額を擦りつける小さな頭をユウはそっと撫でて、囁く。
「だから、その男に加担した……」
「私ね、願ったの」
「……」
「奏夜くんと……ずっといられるように。ずっと何年経ってもいられるように。
ずっとどこまでも貴方の傍にいられるように」
「―――――俺はユキを助ける」
「そうやって、奏夜君は何回も私と殺し合った……」
ギュウッと胸元に食い込む爪。
離さないようにしがみつくマナに、ユウはグッと拳を固めると、彼女の神をなだめるように優しく撫でた。
「いてぇ……」
「ダメ……それでも最期はいつも奏夜君負けてたもの。
今回だってそう……ずっとユウ君は私と一緒にいることになる。それであの女はこの世界の柱になる」
「お前の兄の計画は、俺を災禍の人柱にして全ての【呪い】を俺に集めることらしい」
「そうだよ……ソレで世界は生まれ変わる。奏夜くんは生まれ変わった。何回も私と一緒になった。
今回も……世界はお兄ちゃんの望むままに生まれ変わり、私は奏夜くんの傍にいるの」
「……俺は、ユキを助ける」
「―――――そればっかり」
低くなる声。
俯きながら、身体に埋めていた華奢な身体が黒い靄が溢れだす。
白い柔肌に浮かぶ黒い文様。
ユウはハッとなって宥めていた手を止めると、食い込む爪に顔をしかめつつ、マナの手を引き剥がした。
そして、俯き胸をかきむしる少女と向き合い、ユウはぎこちない表情を滲ませる。
グッと腰を低く構える―――――
―――――愚かな娘よ。変化無き世界は、全てが閉塞すると思っている。
「マナ……」
「そればっかり……そればっかり。奏夜くんの前には私がいるのに、私の事一度も見ようとしない……!
どうして……こんなにも好きなのに、こんなにも」
「……ハク!」
――――世界とは、真理の果てにある。まなじ真実が全てと願うから。
溢れだす黒い靄。
白い肌に浮かび上がる黒い痣。
少女は俯いて両手で胸を抑え、身体を悶えさせる。そして丸めた背中をわななかせ、血を吐き出す。
そして、天井を仰いで叫ぶ。
眼を真っ赤にぎらつかせる―――――
「欲しい……奏夜君が欲しい、空っぽの私にある唯一の思い出。誰にも奪わせない。誰にも握らせない。
誰にも……誰にもぉ!
私の【奏夜くん】は絶対に渡さないぃ!」
「ハク――――」
――――聞こえる、小さな小さな音。
教室の開く音。
焦りに引いていく血。
顔面蒼白になって、眼を見開きハッとなって斜めに振り返れば、ユウの視界の中に、懐かしい人影が映った。
不思議そうに首を傾げる幼さの残った表情。
手に持つのは小さなカバン。
制服に身を包み、そこにはキョトンとする妹の姿があった。
「……お兄ちゃん?」
「美香……」
「えっと……忘れ物し」
―――――一閃。
袈裟に入る一本筋。
首に食い込む刃の痕。
キョトンする少女の首筋からジンワリと溢れだす黒い染みは、ゆっくりと華奢な身体を浸食し始めた。
「え……え?」
首筋から肩へ黒い痣が広がる。
惚ける顔の半分が真っ黒に染み込んでいく。
足先がはいずり回る蔦模様に埋まっていく。
少女は溢れだす微かな痛みに、首筋を摩りながら、怯えた目で、走り出す兄の顔を見上げる。
黒く膨張する手を兄の手へと伸ばす。
変色する唇を開く――――
「おにい……」
「美香ぁ!」
―――――破裂する黒い滴。
全身が黒く染まった次の瞬間。
ブクリと膨張する四肢。
その頭部はまるで水風船のように大きく膨れ上がり、そして、四散し、茜色の床に四散した。
頭を失いぐらつく胴体。
続いて四肢が空気を入れた人形のように膨らみ、破裂した。
胴体は、最期に制服の中で爆発し、水飛沫が制服の隙間から飛び散った。
「みか……」
黒く濡れて床に広がる制服。
ボトリ……
鞄が床に落ちて、崩れ落ちるユウの眼の前に倒れる。
黒い水たまりにユウの顔が映った。
紅くぎらつく双眸を見開き、獣のように顔に浮かんだ痣が赤黒く明滅しているのが見えた。
涙が、目尻から溢れだした―――――
「……どうして」
――――迷うな、己を殺すぞ。
「ハク……!」
――――眼の前にいるのは、【敵】だ。お前の【敵】だ。
噴き上がる黒い靄。
ユウの両腕から溢れだす【災禍】を前に、マナは忌々しげに眼を細めると、顔に浮かんだ痣を親指で撫でた。
そして、痣を撫でた親指で、今度は虚空を真一文字になぞる。
最期に息を吸い込み、なぞった軌跡を握りしめるように、手の平をかざす――――
「宝天蓮華よ……」
なぞった軌跡を追うように、虚空に浮かぶ黒き呪印。
その闇の底より、一振りの刀が這い出し、夕闇に赤黒く照らされ、少女の腰に捩じりこまれた。
その鞘は闇よりも尚深く、覗かせる刃は光よりも尚白い。
柄の先より伸びるのは二つの鈴。
名は宝天蓮華。
トン……
すり足で前に一歩を進め刀を腰に留め、少女は立ちあがるユウを前に、深く腰を落とした。
柄に吸いつく指。
細める双眸。
鞘を強く抑えて息を吸い込む。
少女はグッと腰をよじり刃を引き抜く―――――
「行くよ……奏夜くん」
「マナぁ!」
「抜刀……」
――――虚空に走る刃痕。
「全てを斬る……」




