3 白猫の少年
楽しんで頂けたら幸いです。
今喫茶店にいる俺の目の前には、異様とでも例えれそうな光景が広がっていた。
別に目が覚めたら街が世紀末状態他になっていたとか、恐竜がいる島に連れてこられていたわけじゃない。俺の目の前に広がっているのは、さっきまで食べ物が入っていたであろう皿が、テーブルの上に所狭しと山積みにされていた。
念のために言っておくが俺が食べたわけじゃないぞ。
齢十五――若いからと言って、さすがに何十人分ともあろう食料を、胃の中に収めることなんて俺には無理だ。
では誰かというと、説明は簡単だ。
俺の目の前には少女が座っている。
少女の名前は、大麦小麦。
まだランドセルを背負っている方が似合うように見える。だが、実年齢は見た目と裏腹に俺よりも上だ。ありえないことなのだが、この人は俺よりも十歳は年上である。
それだけでも十分驚くことに値するのだが、彼女は大変な暴飲暴食だ。一人で軽く十人前は食べられるほどである。一体どこに食べたものを入れているのか分からない。ブラックホールでも装備しているんだろうか。
まあそれはそれでいいとして、毎度如くこの食に対する情熱は感嘆の一言尽きる。俺の隣に座る可愛らしい容姿の幼馴染、春野マツリもである。
「……食の暴君ですね」
俺のツッコミは的確だろう。
呆れながら呟いたその言葉に、便乗してマツリも口を開いた。
「っていうか、代金払えるんですか?」
小麦先生は子供のように頬を膨らませ、ぶつくさと答える。おそらく食事を止められたからだろう。しかし実際は、俺たちの言葉に微動だにせずに牛丼の食覇に集中している。どんだけ食い意地はってんだよと思う。
「活字くん、ひどいなぁ。私は食の暴君じゃないよ。あと、マツリちゃん代金なら心配しなくても大丈夫、大丈夫、活字くんに払わせるから」
小麦先生の言葉の中に含まれていた、ある単語に俺は反応した。ずらりと並ぶ皿の山の数々を眺め、眉をきつく寄せながら言う。
「どう意味ッスか⁉ こんなにも払えませんてっ!」
「大丈夫、大丈夫。そこら辺のモンスターを倒して来れば」
「ここはリアルです」
「リアルなんて捨てちまえ」
「嫌です」
さらに突っかかるように言う小麦先生を適当にあしらいながら、俺は先生の童顔を一瞥すると、ため息を吐きながら窓の外を見た。
小麦先生はこのような外見から、この街の都市伝説に登録されている。本人としては大変悲しい名誉であるが、俺に比べればまだまだマシな方だ。
透明な窓ガラスには半透明に、俺の姿が映し出されている。
その姿は普通の人ではなく、半分は妖怪だ。なぜなら、どこからどう見ても猫のような形をした耳と尻尾が俺には備わっているからだ。
この俺――妹尾活字は普通の人間ではない。
俺は白猫の半妖である。正しくは白猫の代行体なのだが、それほど事実との差はない。こんな可愛らしい姿をしている俺だが、元からこうだったというわけではなく数年前までは、マツリや小麦先生と同じ普通の人間だった。
ならばどうしてこのような姿になったかと言うと、それには大きな理由がある。まあ、今はそのようなことを語っている場合ではない。
今の問題は、目の前のことだ。
別に小麦先生の暴君をどうにかするとかではない(そもそもどうにかできる思っていないのであきらめている)。俺の目と鼻の先に置かれている皿の上の品だ。
目の前には分厚い鉄板が置かれ、その鉄板にはこれまた分厚く斬られた牛肉が、美味しそうな匂いを漂わせる。
犬に比べれば嗅覚が劣るものの、猫も十分に嗅覚は高い。猫の特性を持つせいか、このにおいに人間だったころよりも過敏に反応する。正直言って、今にもがっついてしまいそうだ。
ちなみに隣に座るマツリの目の前には特大パフェが置かれ、俺と同じように格闘中だ。
だが、ここで安易に食べてしまえば地雷を踏むことになる。
何故かと言うと、小麦先生が俺たちを呼び出して、こういう値が張る物を食べせようとする時は、大抵何か良からぬことを考えているからだ。
十中八九――いや、十割という絶対的な確率で、面倒なことを背負い込まされることになる。
俺は猫目を鋭く尖らせながら、小麦先生に向けて言う。
「……まず行っておきますけど、食べませんからね」
俺の言葉に小麦先生はニコリと微笑を浮かべ、
「本当に食べないの? 高級ヒレ肉なのに」
「――ッ‼」
不覚にも俺は、小麦先生の言葉に反応してしまった。こめかみ辺りから汗を流しながら、もう一度鉄板の上の肉を眺めた。
確かにこの肉の匂いは、今まで食べた肉とは違う匂いがする。美味しいというか、そういうこととは別に、全く違う匂いがするのだ。
「小麦先生……一つつかぬ事をお伺いしますが?」
「なにかな?」
俯かせていた顔を上げ、俺は尋ねる。
額には汗がびっしゃりだ。
「どうして、喫茶店にこんな高級なものがあるんですか?」
その言葉に小麦先生は、口元をにやりとさせた。
俺の背中に、不気味な寒気が走る。
「むっふっふー、よくぞ聞いてくれました。ここはね、普段はコーヒーとかしか出さないけどね。裏メニューで出してくれるんだよ。いやー、この裏メニューを聞きだすのにどれだけ苦労したか」
「……、」
自慢げに語る小麦先生なのだが、俺はものすごく呆れた。テーブルに置かれている皿の山を見て、アンタは裏メニューとか別にどうでもいいだろう、と思う。
この人の場合、美味しけりゃ何でもいいとのだろうと俺は思っている。
そんなことは地中深くにでも埋めといて、俺は念押しに同じことを言う。
「あのですね、絶対に食べませんからね。高級じゃなくても肉は食べてますしね」
これは真っ赤な嘘だ。
肉なんて、ここ数週間食べていない。
俺はどうにか高級ヒレ肉の誘惑に打ち勝とうするが、小麦先生はまたもや口元をにやりとさせる。明らかに良からぬことを考えているに違いない。
「食べない、食べないと言ってる割に、手がナイフとフォークを掴もうとしてるよ」
「……、」
今言われて気が付いたのだが、確かに俺は自分でも気が付かないままにナイフとフォークを掴みとろうとしている。
その様子を見て、小麦先生は畳み掛ける。
「ちなみにだけど、マツリちゃんは誘惑に負けて食べてるよ」
「――っな⁉」
俺は隣に座るマツリの様子を窺った。小麦先生の言う通り、マツリは美味しそうに特大パフェを食べている。さっきからメインキャラクター(メタ発言だとは分かっている)の割に、台詞を口にしていないと思っていたらこういうことだったのか。
マツリはちらりとこちらを見て、
――ごめん無理だった。
と語ってきていた。
だが、俺まで小麦先生の罠に引っかかってしまったら完全に負けだ。その瞬間に、とんでもないイベントが発生するに違いない。それに、この人に何を頼まれるか分かったもんじゃない。
「お、俺猫舌ですから」
小麦先生はこめかみのあたりを人差し指で叩きながら、何かを思い出そうとする素振りを見せる。
「アレ、おっかしいな? 冬に鍋会をやった時は、普通に食べれられていたような……」
「……うっ!」
俺の心にはハンマーにでも叩かれたような衝撃が走った。額からは今までにかいたこともないくらいの、汗を大量に流した。
俺はこの姿のせいで、幾分か猫の特性を持っている。さっきの嗅覚もその特殊能力の一つだ。もちろん猫としてのオーソドックッスな特性である猫舌も持っている――と思われるかもしれないが、どういうわけかこの特性だけはない。
この姿になってから視力、聴覚その他諸々の身体能力は格段に良くなっている。が、そのことにも拘わらず猫舌にならない。憶測の範囲内なのだが、何らかの理由でプラスになる能力だけが表に出ていて、なぜかそれ以外の影を潜めているのだと考えている。
現に猫が食べられない野菜などは食べても平気であるからにして、俺の推測は間違ってはいないだろう。
しかし、あることについては謎な部分がある。
それは、丸いものを見ると体が勝手に反応するというものだ。これはどう考えても、プラスに働かない物だ。猫に小判状態になって何の意味があるのだろうかと思う――とそんな無駄な思考をしている俺だったのだが、現実世界に帰ると高級ヒレ肉にがっついていた。
「食べたね、活字くん?」
「……、」
俺は無意識の内に、食欲に負けていたようだ。
こうして俺は、小麦先生の頼みを聞くことになったのだ。
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