桜舞う頃
公園……そこは子供達の社交場である。
見知らぬ子との出会いがあったり、お馴染みの顔との交流を深めたりする大事な場所なのだ。
だが、時にはトラブルもあったりして、その解決方法を学ぶ場でもあるのだが……。
「返してぇ! ヒナのおサルさん、返してよぉ!」
桜の咲く公園で、雛子が必死になっている。
何度も転んだのか服は砂で汚れてしまっているが、そんな事は気にせず、自分よりも大きな子に飛び掛る。
「何だよぉ! ちょっと借りるだけって言ってるだろ!」
「いいじゃんか。 お前んち金持ちなんだから、また新しいの買ってもらえよ」
「そのおサルさんはダメなのぉ! お願いだから返してぇ!」
誕生日のプレゼントとして貰った大事なサルのヌイグルミ。
環に連れられて買い物へ行った際、おもちゃ屋さんのショウウィンドウに飾られていたのを見て、一目で気に入った。
涼がなけなしの小遣いをはたいて買ってくれたこれだけは、何がどうあっても盗られる訳にはいかないのだ。
「今日はあいつがいないから助けてもらえないな〜。 ……ほ〜ら、もう泣くぞ? こいつ、いっつもすぐ泣くんだぜ」
「泣〜け! 泣〜け!」
「……泣かないもん!」
雛子は泣きそうになりながらも懸命にそれを堪え、悪ガキ達に向かって行く。
しかし悪ガキ達は雛子の頭上でサルのヌイグルミを投げ合い、雛子をからかい続ける。
小さな雛子では、それを途中で奪い取る事など出来ないのだ。
するとそこへ……。
「ひっさあぁつ! はいぱあぁぁぁ〜……キィィィーック!」
と、自分よりも大きな子に、背後から飛び蹴りをした男の子がいた。
蹴りは見事に背中に命中し、当たった悪ガキは前のめりに倒れた。
「何だよ、お前っ!」
その傍にいた他の二人はビックリして飛び退いたが、すぐに怒った顔をして男の子に向かって言った。
「女の子をイジめるような悪党に名乗る名前など無いっ! だが、敢えて名乗るとするなら……愛と正義と真実の人とでも言っておこうか!」
「いって〜……ちくしょう!」
「やっちゃえ!」
当然、すぐに三対一の喧嘩に発展する。
だが子供の喧嘩とは言え、ムキになって殴り合う分、その勢いは大人と変わらない。
そして、やはり三人の方が有利だ。
多少の反撃はするものの、飛び蹴りをした男の子は一方的にやられ始めた。
「やめてー! やめてよぉ!」
雛子は慌てて止めに入ろうとするのだが、
「危ないから近くに来ちゃダメ! 怪我するから離れてて!」
飛び蹴りをした男の子は、雛子に向かって怒鳴った。
「でも……でもぉ〜……」
駄目と言われても、そのまま黙って見ている事など出来ない。
かと言って加勢する事も出来ず、雛子がオロオロしていると……。
「待て待て待てぇぇーっ!」
そこへまた一人、今度は小さな男の子が木の枝を持ってやって来た。
「三人がかりとは卑怯千万! この僕が成敗してくれる! そこへ直れっ!」
「何だお前、バカじゃないか?」
「時代劇でも観てろ、ば〜か!」
「おのれぇ〜……この僕を愚弄したな! 覚悟!」
この援軍は強かった。
何しろ、たかが木の枝といっても男の子はそれを自在に操り、四方から打ち下ろすのだから相手はたまったものではない。
それも、ただ闇雲に振り回しているのではなく、相手の手や背中に確実にヒットさせているのだ。
その様子を見て、雛子はいつか保と一緒に観た時代劇の殺陣を思い出していた。
「いててて! 武器を使うなんて卑怯だぞ、お前!」
「お前が言うなっ! 三人がかりで女の子をイジメてたくせにっ!」
「何っ!? 貴様ら、そんな卑劣な真似をしていたのか! ならば容赦はせん……正義の刃を受けてみよ! たああっ!」
「くそ〜……これでもくらえ!」
悪ガキの一人が枝を持った男の子に向かって砂をかけた!
運悪くそれが目に入ったらしく、途端に男の子の動きが鈍くなった。
「うわ! ……くそ、何も見えない!」
「大丈夫か!? ちくしょお〜……ほんとに汚い奴だな!」
「へん! 勝てばい〜んだよ!」
形勢が逆転し、雛子を助けに入った二人はいい様にやられてしまう。
今から保を呼びに行っても、戻って来る頃には男の子達はのされてしまっているだろう。
「やめてぇぇ〜……やめてよぉぉ〜……ヒック……ヒック……」
とうとう雛子は泣き出してしまった。
そして……。
「うわあぁぁーん! 涼ちゃあぁぁーん!」
雛子が助けを求めて心の底から叫ぶと……遠くに砂煙が上がるのが見えた。
やがて、それはどんどん大きくなり、遂には公園へと雪崩れ込んで来た!
「ヒナを泣かしたのはぁぁ……どいつだぁぁぁーっ!」
怒号と共に現れたのは、ボサボサ頭の男の子。
だが、その顔を見た途端、今まで強気だった悪ガキ達の顔色が変わった。
「うわぁぁっ! 涼だ!」
「逃げろっ!」
「逃がすか馬鹿野郎ーっ!」
涼の足の速さと強さはハンパでは無かった。
逃げる三人をあっと言う間に捕まえると、次々に殴り、蹴り、とうとう三人共泣かしてしまった。
「へん! この次にヒナを泣かしたら、こんなもんじゃすまないからな!」
「こらあっ!」
涼が鼻の下を擦って得意になっていると、大人がやって来て涼の頭にゲンコツを落とした。
……涼の父、保である。
「いてーっ! 何すんだよぉ!」
「何すんだじゃねえっ! 説教の途中で逃げ出しやがって! それで何するかと思えば、また喧嘩かっ! てめえは何で怒られてたのか判ってねえみてえだな、ああ?」
「だ、だって今、ヒナが泣いてたから……」
「言い訳すんじゃねえ! てめえは罰として晩飯抜きだっ! さあ来い! 今から説教再開&追加だっ!」
「お、おじちゃん! あのね、涼ちゃんは悪くな……」
「あらら〜、随分汚しちゃったなぁ……あとでおじちゃん家においで。 おばちゃんに綺麗にしてもらおうね?」
おずおずと雛子が話しかけると、険しかった顔を急に綻ばせ、保は雛子の目線に合わせて、しゃがんで話し始めた。
声まで変わって、まるでジキルとハイドの如き変貌振りである。
「う、うん、ありがとぉ……。 あのね、おじちゃん」
「お? おサルさんも汚れちゃって、可愛そうに……。 よし! ついでにその子も綺麗にしてもらおう」
「あ、あのね……」
「ごめんね〜。 おじちゃんは、これからこのバカたれに、お説教しないといけないんだ。 お話しは、またあとでね。 オラ! とっとと来やがれっ!」
「わぁぁーっ! 放せぇー! 馬鹿野郎ぉー! クソじじぃー!」
「ほぉ〜……よく言った。 褒美としてゲンコツを一ダースほどプレゼントしてやろう」
「そんなもん要らないよーっ!」
保は勢い良く立ち上がると、涼を抱え上げてそのまま連れて行ってしまった。
涼の叫び声がどんどん遠くなって行く……。
「行っちゃった……あれ? さっきの子達もいない……」
いつの間にか助けてくれた二人もいなくなって、公園には雛子一人だけが残されていた。
暫くどうしようかと思案していた雛子だったが……。
「おじちゃんち行こう……」
今頃お説教の真っ最中であろう涼を救うべく、雛子はサルのヌイグルミを抱きしめ、宇佐奈家へと向かった。
さぁっ……と優しい風が吹き、桜の花びらを舞い上げた。
さぁっ……と優しい風が吹き、桜の花びらを舞い上げると、雛子は目を閉じ、仄かに香る春の香りを胸一杯に吸い込んだ。
その桜の袂に敷いたビニールシートに座る雛子の膝に、舞い上がった花びらが何枚か落ちて来た……。
「……懐かしいなぁ」
花弁を一枚拾い上げ、掌でそれを弄びながら、雛子は遠い日の記憶に浸っていた。
あれから何年もの時が過ぎて……けれど、気持ちに少しも変わりが無い。
成長していないという事とは違う、 『そのままで良い気持ち』 が変わらずにある。
「ヒナ、お待たせ。 ……何してんだ?」
「ちょっとね、昔の事を思い出してたの。 ……ねえ、涼ちゃんは憶えてる? ここであった事」
「この公園でか? ん〜……色々たくさんあったからなぁ、全部は憶えてないな」
涼も雛子の隣に座って思い出す。
子供の頃の遊び場と言えば、この公園か、川の土手だった。
もっとも涼の場合は遊び相手と言うより、その殆どがケンカ相手だったが。
「ほら、わたしが幼稚園の頃、大きい子にイジメられてて……」
「ああ、俺が親父に大目玉食らった時か……」
そう言うと、涼は保に食らったゲンコツの感触を思い出し、懐かしげに頭を摩った。
石のように硬くて、子供の自分にも容赦無く食らわせるゲンコツ。
当時は嫌で仕方なかったが、今思い出すと、それは妙に暖かかったように思える。
「俺が数学出来ないのは、あの時の後遺症だな、うん」
「単に努力が足りないだけです」
雛子はクスっと笑うと、
「……どうしてるかな、あの男の子達」
桜の木を見上げながら、ポツリと言った。
「お前を助けてくれたって奴らか? 俺が行った時には、もういなかったんだよな」
「小学校では見かけなかったから、違う学区の子達なのかなぁ?」
「たまたまここに来てたんだろうな。 今逢えたら、あん時の礼でも言いたいんだけどな」
「そうだね……」
今度は二人で桜を見上げる……。
あの時と少しも変わらない、見事な枝振りの桜。
昔から、ずっと二人を見守ってくれている桜……。
「お〜い! おまっとさ〜ん!」
「あ、真君」
「おいおい……何だよ、その荷物は?」
引越しでもするかのような大きさの荷物を担いで、真一郎が涼達の傍へやって来た。
まるでギャグ漫画に出て来る泥棒のような感じだ。
「花見と言えば宴会だろう? で、宴会と言えば……!」
言いながら真一郎がその包みを開けると、中からは大量の酒が出て来た。
「さすが! 気が利くね〜」
「またぁ〜……しょうがないなぁ、もう。 どうせ言っても聞かないんだろうし……」
「そういう事〜。 あれ? 高梨は?」
「今日は友達と先約があるんだって。 言うのが遅い! って怒ってたよ?」
「あちゃ〜……涼、あとの処理は任せたぞ?」
「ふざけんな。 ところでお前、持って来たのは酒だけか?」
涼は瓶を幾つかどけてみたのだが、お酒の他には何も出て来なかった。
「一番食う奴が食い物持って来ねえでどうすんだよ。 ヒナの用意したのだけじゃ絶対足りなくなるぞ?」
「あ、余分に作ってあるから大丈夫。 足りなくなったら、また取って来るから」
「真、取って来るのはお前の役目だからな」
「別に構いませんよ〜? 俺は人様のお役に立つのが趣味だからな」
そう言うと、真一郎はビニールシートの上にどっかりと胡坐をかいて座った。
その視線は、まだ開けられていない重箱へと注がれている。
「何なら、今の内に持って来ちまおうか?」
「あ、真君、念の為に言っておくけど、途中でつまみ食いなんてしちゃ駄目だからね? 中身の配置は全部頭に入ってるから、減ってたらすぐに判るんだから」
「……もしも中身が減ってたら?」
「みんなで一緒に食べる為に作ったんだから、勝手に食べちゃうような人には何も食べさせません」
真一郎は少しだけ考え込むと、何かを閃いたのか、ポン! と手を叩いた。
「逆に中身が増えてた場合は?」
「……悪戯するような人には何も食べさせません」
恐らく涼の嫌いな物でも詰めるつもりだったのだろう。
チッと軽く舌打ちすると、真一郎はチラリと涼の方を見た。
「お前の考えそうな事なんて、ヒナにはとっくにお見通しだとよ」
「この俺様が悪戯なんてすると思うか?」
「しない訳がないな」
「愛と正義と真実の人、掃部関真一郎様に何を言うか」
「シャレと冗談と勢いの人の間違いだろ?」
「……あれ?」
笑いながら言い合う二人を見て、雛子は少し首を傾げた。
真一郎の言った台詞に、何となく聞き覚えがあるような気がしたのだ。
いつ頃、どこでだったろう……?
「琢磨の奴、早く帰って来ねえかなぁ……一緒に花見したかったぜ」
「今度帰るって手紙を出して来たくらいだし、そう遠くない内に逢えるだろ。 それに、ここの桜は律儀に毎年咲いてくれるんだ、焦る事ねえよ」
「それにしても、いい枝振りの木だな。 チャンバラやったら面白そうだ」
「真君、無闇に枝を折っちゃ駄目だよ? チャンバラするなら、落ちてる枝を使いなさい」
「冗談だよ。 琢磨相手じゃ、枝でもデンジャラス過ぎ」
「……あれ?」
枝でチャンバラ……?
何だろう……何となく記憶にあるような……。
「ヒナ、さっきから何を呆けてんだ?」
「え? ……ううん、何でもない。 さ、お花見始めよう」
「では! 早速、俺様の新作宴会芸をご披露しよう!」
「早ぇよ、お前は! まだ呑んでも食ってもいねえだろうが!」
桜が舞う……。
優しく……静かに……。