Virtual Wars
このお話しは第一部で涼達が海に行った時の物です。
「雅〜、いるんでしょ? 返事しなさいよ〜」
利恵は雅の部屋のドアをしきりにノックするのだが、当の雅からは何のリアクションも無い。
時々物音や声がするので、中にいるのは間違い無いのだが……。
「ねえ、雅ってば!」
ちょっと怒ったように再び声をかけると、
『キ〜ッ! また負けたぁっ! もうっ! 利恵のせいだからね!』
部屋の中から雅も怒ったように答えた。
「何言ってんだかこの子は……開けるわよ?」
雅の返事も待たずに利恵が部屋のドアを開けると、雅はノートPCの前で頭を掻き毟っているところだった。
どうやら相当イライラしているようだ。
「……何してんの?」
「見て判んないの……?」
「判る訳無いでしょ?」
利恵は苦笑しながら雅に近付き、その背後から雅のPCを覗き込んだ。
するとモニターには三つに分割された画面構成があって、向かって左側には大きくゲーム画面が。
その下には小さくアイテムを表示する画面、そして向かって右側に幾つもの会話が表示されている画面があった。
何の会話なのか利恵にはサッパリ解らなかったが、それを目で追っていくと一番最後の行には、
『十年早くてよ』
というメッセージが表示されていた。
「何これ」
「チャット画面よ」
「いや、そうじゃなくて……」
「ぬぬぬぬ〜……もう一回勝負よ! 今度は負けないんだから!」
雅が再戦メッセージを打ち込むと、それはそのままチャット画面へと反映される。
つまり、相手にもそれがリアルタイムで伝わるという事だ。
どうやら相手も受けて立つようで、画面全体が薄暗くなると同時にチャット画面が消え、何やら勇ましいBGMが鳴り始めた。
「で、何をそんなに夢中になってるわけ?」
「オンライン対戦!」
「なぁにぃ〜……あんた海に来てまでそんな事してんのぉ?」
利恵は呆れ顔で言った。
雅がゲーム好きなのは知っていたが、いくら夜だとは言え、せっかく海に来ているというのに、わざわざゲームなどしなくても……と思っているのだ。
「呆れた。 ねえ、もうやめにしてお風呂行こうよ」
「まだ戦いは終ってないわ!」
「だから終わりにしなさいって言ってるの」
「イヤ! アタシ、このゲームで掃部関君以外に負けた事無かったのよ!? それなのに……それなのにぃぃぃ〜!」
「負けたの?」
「……十五連敗中」
利恵が画面を覗き込むと、プレイした事の無い利恵にさえ、雅が劣勢に立っているのが判るほど圧倒的な差がついている。
まあ、雅のキャラの体力ゲージが少ないのだから、誰が見ても判るのだが……。
「相手の人、相当強いみたいね?」
「どんな奴よ、アタシをここまで追い込むなんて……あっ!」
雅が焦りの色を浮かべたと同時に相手の放った弾が当り、雅のキャラは血飛沫を上げて倒れた。
残りゲージはゼロ……雅の負けである。
「うっきゃーっ! また負けたぁぁぁーっ!」
「グロいゲーム……さあ、もう終わりにしなよ」
「ヤダヤダヤダ! 勝つまでやるぅぅぅ〜っ!」
「ダ〜メッ! はい、お風呂に入りましょ!」
ダダをこねる雅を引き摺るようにして、利恵はお風呂場へと向かって歩き出した。
「雅ちゃん、ゲームなんてするんだ?」
「ま〜、ムキになっちゃって大変よ」
先に浴場に来ていた雛子は、利恵から話を聞いて意外そうな顔をした。
茶道、華道といった、いわば 『静』 の美耶子に対して、身体を動かす事の好きな雅が 『動』 であるとの認識なのだが、それが身体を使わないゲームに興じているとは思っていなかったのだ。
雅がやるなら、ダンスゲームなどの身体を使う種類の物だとばかり思っていたのだが……。
「真君の影響かな?」
「真君も好きだからねぇ、ゲーム」
何度か真一郎の部屋へ遊びに行った事があるが、行く度にソフトが増えていて、バイト代を何に使っているのか問い質したくなったものだ。
その時、雅は随分熱心に色々と真一郎に質問していた。
元々好きではあったのだろうが、そのせいで更に深みにはまったとも思える……。
「負けた……負けた……負けた……」
雅は湯船に浸かりながら、まだ悔しそうにしている。
相当の負けず嫌いだなと、利恵は苦笑した。
「ゲームってそんなに面白いのかしらねぇ?」
「う〜ん……わたしはした事無いから解んないけど、夢中になってる人って多いよね」
「単なる時間の浪費にしか思えないけどなぁ?」
モニタに向かって延々と指を動かしているくらいなら、その時間を使って走った方がいい。
だいいち雅のように瞬きもしないで画面を見つめていたら、あっという間に視力が落ちてしまいそうだ。
「あーっ! 思い出しただけで悔しいぃぃーっ!」
雅はザバッ! っと湯船から立ち上がると、大股で歩きながら浴室を出て行った。
「……お下品」
「どこ行くんだろ?」
「どうせまたネット対戦とやらをするんでしょ? もう何言っても無駄みたいだから放っとこう」
「そんなに面白いなら、わたしもやらせてもらおうかな?」
「……え?」
雛子が対戦ゲーム?
そりゃあパズルやボードゲームみたいな物なら、雛子のような子がやっても別におかしくはない。
それどころか、雛子も結構負けず嫌いな部分があるから意外とハマるかも知れない。
けれど……。
「雅のアレは勧められないなぁ〜……」
「そうなの?」
どうしても、雛子が夢中になって対戦相手のキャラを撃ち殺す場面が想像出来ない。
と言うより、そうなってしまったら嫌だし、そんな事になったら 『何で止めてくれなかったんだ!』 と、涼や環に恨まれそうだ。
「ヒナちゃんは、ヒナちゃんのままでいてね?」
「え? う、うん……」
訳も解らず、とりあえず頷く雛子であった。
「おはよぉぉぉ〜……」
翌朝、目の下に隈を作った雅が食堂に入って来ると、先に食事をしていた一同はその手が止まった。
「どしたの? 雅ちゃん」
真一郎は、隣に座ってグッタリする雅に問い掛けた。
「悔しくて眠れなかったのぉ〜……」
「悔しい? 何で?」
「ほら、話したでしょ? 例の対戦……ゲーム」
モソモソとパンを千切って口に入れながら言う雅を、
「食べながら喋るものではありません。 お行儀が悪いですよ?」
と、隣の席で美耶子が注意するのだが、雅の頭の中は対戦ゲームの事でいっぱいなのか、全くノーリアクションである。
「あんた、まさか夜通しやってたんじゃないでしょうね?」
向かいの席から、利恵が声をかけた。
「違う〜……やろうと思って待ってたのに、相手が入って来なかったのぉ〜……」
どうやら肝心の相手が、ゲームサーバにアクセスして来なかったらしい。
それを待っている内に夜が明けてしまったのだと言って、雅は眠そうな目を瞬かせた。
「勝ち逃げなんて許さないんだからぁ〜……今夜、絶対にリベンジしてやるぅ!」
「今夜も来なかったら?」
「来るまで電脳世界に留まってるっ!」
「ゲームするのって大変なんだぁ……」
何も解っていない雛子が、利恵の隣で呟いた。
やはり、雛子はゲームには向いていないようだ。
「おい真、何だよ、その対戦ゲームって」
「お前、知らねえのか? 何とも時代に取り残されてるねぇ……ネットを使って世界中の奴と対戦出来るんだよ。 そのくらい、今時、幼稚園のチビから爺ちゃん婆ちゃんまで知ってるぜ?」
「つっても、たかがゲームだろ? じっと座ったままコチョコチョやってるなんて、俺の性には合いそうもねえな」
「そう言う奴に限って、意外にハマったりすんだぜ? それに、ゲームだけって訳でもねえんだ。 色んな情報交換をしたり、コミュニケーションツールとしての役割もある。 使い方さえ間違えなきゃ、そんなに馬鹿にしたもんでもねえぞ?」
「ふうん……面白ぇのか?」
「実際にやってみなきゃ解んねえだろうな。 面白いか面白くないかなんて、人伝に聞いても意味ねえだろ。 判断するのは自分なんだからよ」
成る程、確かにそうだ。
涼は食事を続けつつ、以前に見た真一郎のゲーム画面を思い出していた。
今日の浜茶屋は暇だ。
客引きのポイントゲッターである美耶子は病院で琢磨に付きっ切りだし、真一郎は、お婆さんの様子を見に行ってまだ帰って来ていないし、その次に控える雅は……。
「寝不足で炎天下になんか立ったら死んじゃう〜……」
と、店の中から一歩も出て来ないでいる。
それで中の事をやっているのかと思えば、ダラダラしていてちっとも役に立っていない。
「ホントに……うちの娘と来たら……!」
「利恵ちゃん、わたしも呼び込み手伝うよ」
「ダメよ。 ヒナちゃんが外に出てたら、料理が間に合わなくなっちゃうもん」
お客さんが少ないとは言え、ゼロではないのだから注文は入る。
琢磨がいればともかく、料理に不慣れな利恵達だけでは、それを捌き切れないだろう。
「俺が出ようか?」
涼がそう提案すると、即座に利恵に却下された。
「何で?」
「今以上にお客さんが来なくなりそうだから」
「……可愛い事言うね、お前」
「でしょう〜? 自信あるもん」
「真君が帰って来るまで、待つしかないね」
「それより雅よ。 まったくもう……」
いつの間にやら厨房の作業台に突っ伏し、扇風機の風を受けて眠っている雅を見て、利恵は頬をピクピクと引き攣らせた。
「今の内に別荘に戻って、パソコン叩き壊しちゃおうかしら……」
「そ、そんな事しちゃ駄目だよ利恵ちゃん! 雅ちゃん、あのパソコン大切にしてるんだから!」
金持ちの娘にしては、雅は物を大事にするタイプだ。
特に今メイン機として使っているパソコンには愛着があるらしく、新しい機種がどんどん出るというのに一向に買い換えようとはしない。
色々な部品を買い足してはいるようだが、それでも本体はそのままである。
「冗談よ。 いくらわたしでも、人の物を壊したりはしないって」
「……そうだったか?」
涼の部屋でエッチな本を見つけた時、利恵は問答無用で引き裂いた事がある。
それも何冊も……。
「あれって真のだったんだよな。 プレミア本なのにって言って、あいつ泣いてなかったか?」
「あんな物を涼の部屋に置いておくのが悪いの! 大事な物なら金庫にでもしまっとけってのよ」
「出たな、自分ルール……」
「何よ。 なんか文句ある?」
「ほら二人とも! いつまでも話してないで、仕事仕事!」
雛子に言われ、二人は今日の仕事に取り掛かる。
だが、仕事をしながらも、涼は雅の様子が気になっていた。
「一睡もしないでいるなんてな……ゲームってそんなに面白いのか?」
結局そのまま雅は起きる事も無く、今日の浜茶屋の売り上げはそこそこ……よりも、ちょっと低かった。
爽やかな風が吹くと、部屋のカーテンと共に長い髪が揺れた。
美奈は細い指で髪の乱れを整えると、テーブル上のPCに視線を移した。
「あら……この方、また私に挑むおつもりですのね?」
チャット画面には 『今日は絶対に勝つっ!』 と表示されている。
どうやら相手は、やる気満々のようである。
「いいでしょう……。 身の程を弁えないという事が、どのような結果を招くか……教えて差し上げますわっ!」
しなやかな指が目にも留まらぬ速さでキーを叩くと、アッと言う間に敵のキャラが蜂の巣にされて消え去った。
文字通りの瞬殺である。
「ですから先日も申しましたでしょ? 私に勝とうだなんて十年早くてよ……と。 ふふ」
美奈が余裕の表情を浮かべて紅茶を口に運ぶと、瞬殺されたのが余程悔しかったのか、再戦を求めるメッセージがモニターに表示された。
それを見た美奈は小さく溜息をつくと、少し目を伏せて軽く首を左右に振った。
「困った方ね。 何度やっても、結果は同じですのに……」
紅茶の入ったカップをテーブルに置き、美奈がもう一度キーを叩こうとすると、少し慌てた感じのノックの音がしてドアが開いた。
「美奈、そろそろ……またネット対戦? 早くしないと遅れるわよ?」
「あら、紫。 もう一戦するくらいの余裕ならありますでしょ? 身の程知らずの愚か者には、思い知らせておかないと」
「ダメよ! もう……そんな気持ち悪いゲームのどこが面白いのかしら」
紫は眉を顰めてモニタ画面を見遣った。
「敵を倒す爽快感は、何物にも代え難い物があってよ? 紫もやってごらんなさいな」
「わたしはパズルやボードゲームの方がいいわ。 ほら早く! 今日はプレゼンの講義もあるんだから!」
「仕方ありませんわね……敵に背を向けるのは私の趣味ではないのですけれど」
美奈は PCの電源を落すと、椅子から立ち上がった。
「そうだ、今度は真君と対戦してみようかしら? 彼なら、きっと私を満足させてくれる筈ですもの。 早速メールを打っておかないと」
「美奈ったら! 掃部関君の影響受け過ぎよっ!」
帰ったら真一郎によく言っておこう。
紫は、そう心に決めた。
「つ、強ぇぇ〜……何者だ?」
真一郎は雅のキャラが瞬きする間に倒されたのを見て、我が目を疑った。
「ね? ね〜? ハンパじゃないでしょ?」
「こりゃあ、俺でも勝てるかどうか怪しいな……」
今までこのゲームで無敗を誇る真一郎も、今の様子に少々臆している。
かなり本気でかからないと、雅の二の舞を踏む事になるだろう。
「え〜! そんな事言わないでやっつけてよぉっ! 掃部関君、アタシの師匠なんだからぁ!」
「あ……相手が落ちたぞ?」
「えぇっ!? あーっ! また勝ち逃げしたぁっ!」
雅は地団駄を踏んで悔しがるが、相手がいなくなってしまってはどうしようもない。
ゲームセンターと違って、相手を呼び止める訳にもいかないのだ。
その時、真一郎の携帯にメールが入った。
「お? 美奈さんからだ。 え〜っと……何々? 『真君に教えて頂いたゲーム、とても楽しくてよ。 今度、対戦しましょうね』 か。 おぉ〜、いいね。 美奈さん、少しは上達したかな? 早速レスを……っと」
「悔しいぃぃぃーっ! 掃部関君、練習に付き合ってよぉ!」
「仕方ない、今夜は掃部関流奥義を授けてやろう。 ちょっちコマンド入力複雑だけど、気合い入れて覚えるように」
「はい! 師匠、お願いしますっ!」
「よお! ネット対戦って、どんな感じなんだ? ちょっと俺にもやらせてくれよ」
今朝の会話で興味を持ったらしく、涼も雅の部屋へやって来た。
こうして真一郎の弟子は、どんどん増殖して行くのだろう……。