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雅純情物語(後編)

「びっくりしました……」

 夕陽に映える海の見えるカフェテラス。

 デートの場所としては在り来たりだが、智仁としては健全な場所を選んだ結果なので、これは仕方の無い事だろう。

 向かい合わせに席に着き、少し喉を潤したところで、雅は改めて言った。

「御堂さんが、あの時の男の子だったなんて」

「最初に話してしまったらつまらないと思って黙っていたんですが、あまり意味はありませんでしたね」

 微笑みながらそう言うと、智仁はコーヒーを一口飲んだ。

 そんな仕草の一つ一つも絵になっている。

「本当に話しがしたかっただけなんですか?」

 それだけなら、何もわざわざお見合いの席など設けなくても、普通に会って話せばいいだけの事だ。

 一之瀬の縁者なのだから、美耶子の事も雅の事も、すぐに判るだろうに……。

「そうですね……まあ、お見合いですから、完全にそれだけという訳ではありませんが」

「でも、もしかしたら姉が来たかもしれないんですよ? それでも同じ事を言うんですか?」

「え? それは違いますよ」

 智仁はカップを置くと、意外そうな顔をして言った。

「僕は最初から雅さんとお会いしたかったんですから」

「でも、父はそんな事、一言も……」

「おかしいな……何か行き違いがあったのかもしれませんね」

 そう言えば大蔵は、この見合いをまとめるつもりは無いと言っていた。

 その為には美耶子が適任だと……。

(あのクソ親父……元々アタシが絡んでる話だったんじゃないか! どうして小細工する前に、正直に言わないかな!)

 一之瀬に頭を下げるのは嫌だし、見合いが纏まってしまうのも嫌だ。

 かと言って有耶無耶にしてしまう訳にもいかないし……という事で、目下のところ琢磨一筋になっている美耶子を使おうと考えたのだろう。

 それなら話が進む事も無いだろうし、仮に進んだとしても琢磨を排除出来るくらいに思っていたかもしれない。

(姉さんに知られたらタダじゃ済まないだろうな、これ……)

「あはは……うちの父は、意外に抜けてる所がありますからね」

 雅としては笑うしかない。

 まさか他人の前で、実の父親を貶す訳にもいくまい。

「雅さんは、お父様と仲が良いんですね」

「どうでしょう? あまり顔を合わせる事もありませんけど」

「いいえ、お父様の事を話されている雅さんの顔を見れば判ります。 本当に楽しそうだ……きっと、お父様の事がお好きなんでしょう」

 小さい頃は、ずっと寂しい思いをした。

 いつも自分の相手をしてくれるのは、美耶子か、お付の者だけだった。

 父も母も、殆ど自分を構ってはくれなかった。

 『大人の事情』 を理解出来るようになるまでは…… 『美耶子との溝』 が埋まるまでは、もしかしたら大蔵を憎んでさえいたかもしれない。

 でも、今は……。

「そうですね。 結構、好きなのかもしれません」

 考えてみれば、大蔵は頭ごなしに雅を否定した事など無かった。

 何度も怒鳴られ、叱られはしたが、それはどれも雅が筋の通らない事をしたり、言ったりした時だけだ。

 基本的には娘に甘い、優しい父なのだ……。

 そういう事を考えられるくらいには、雅も大人になった。

「良い事ですよ、そう言えるのは。 ……ところで、どうでしょう?」

「何がですか?」

「僕は雅さんの相手として、相応しいと思われますか?」

「へ? あ……」

 そうだ。

 今はお見合いの真っ最中なのだという事をすっかり忘れていた。

 決して懐かしい相手との再会を喜ぶ席ではないのだ。

「いや、どうと言われても……」

「それとも……今、何方か想いを寄せる相手がおられるとか?」

「え!?」

 いる……確かにいる。

 恩人であり、そして親友の恋人でもある人。

 恋焦がれている相手……自分と美耶子を一目で見分け、一人の人間として扱ってくれた、また別の意味でも特別な存在がいる……。

 でも……。

「雅さんのお年頃なら、恋愛の一つもされていて当然ですから」

「……どうでしょうね」

 恋愛とは言えないだろう……片想いとも違う気がする。

 上手く表現出来ないが、そういったレベルの物とは違う気さえするのだ。

「では、僕が名乗りを上げても差し支えありませんか?」

「いや、それはちょっと……」

「何か問題が?」

「いえ、問題という訳じゃないんですけど……」

 雅は、今日はずっと曖昧な答えしか返していない自分に気が付いた。

 別に智仁に嫌われたとて何ら問題は無いのだが、何故かそれは嫌なような気がしていた。

(アタシ全然変わってないんだな……。 いつもこうやって、誰かが答えを出してくれるのを待ってるんだ……)

 いい加減に生きている訳じゃない。

 でも、自分自身で出した答えに縛り付けられるのも、何となく違うような気がしている。

 いずれそうしなければいけないのだろうが、今はまだ自由でいたい……。

「すみません、普段の通りの言葉遣いでいいですか? そうしないと、思った事がすんなり出て来ない気がするんです」

「ええ、構いませんよ。 普段の雅さんを見せて下さい」

 雅は目を閉じて一度深呼吸をすると、いつもの調子で話し出した。

「アタシね、お見合いなんてするつもり全然無かったのよ。 今日だって本当は出かける予定があったのに、お父さんにどうしてもって頼まれちゃってさ。 アタシ、嫌だって断ったのに無理矢理こんな格好させられて……参っちゃうわよ」

「それは災難でしたね」

「アタシまだ十六歳よ? そんな若さで人生決められちゃったら敵わないわよ」

「ごもっともですね」

「御堂さんだって、まだ二十歳でしょ? お見合いするよりも、恋愛した方がいいんじゃないかな?」

 いつもの調子で話せた事で、自分としてはしっかりと断りの言葉を言えたつもりだった。

 しかし……。

「恋愛ならしていますよ?」

「え?」

 恋愛しているという事は好きな相手、もしくは交際している相手がいるという事だ。

 それなら智仁も雅同様、この場には義理で来ているのだろうか?

 雅はそう思ったのだが……。

「僕は雅さんに恋をしていますから」

「え? え?」

「初めて逢ったあの時から、僕は貴女に恋をしています」

「あ、あの、でも……」

「僕にとって、あれは初恋だったと思います。 おかしいでしょうか?」

「べ、別におかしいなんて事は無いけど……」

「初恋は実らない物だとよく言われますが、それは恋愛に関して未熟だという事が原因でしょう。 お互いに何をどうして良いのか解らないから、上手く事が運ばない。 互いを思い遣る事さえ、時には負担になってしまったりするから……でも、僕達はその辺も上手くやって行けると思うんです」

 いつの間にか、会話の主導権が智仁に移ってしまっている。

「勿論、今すぐにと言うつもりはありません。 雅さんが大学を出てからでも結構です。 社会人としての経験もしたいと仰るなら、それも認めたいと思っています」

「いや、だから……ちょっと待ってくれます?」

「ええ、僕は待ちます。 でも、出来れば僕としても三十前には身を固めたいので」

「そっちの待ってじゃなくて!」

 十八番のマシンガントークも不発のままでは、智仁に押し切られてしまいそうだ。

 雅は強引に話し始めた。

「御堂さんの気持ちは解ったけど、じゃあアタシの気持ちは? そういう事は考えないの?」

「考えていますよ? だから僕は待つと言っているんです」

「だって、今……」

「三十前には身を固めたいというだけですから、それまで雅さんには時間があります。 その間、僕とお付き合いをしながら、相互理解を深めて行きましょうという事です」

「いや……あのですね……」

 それでは何の解決にもならないではないかと雅は思った。

 だいいち、先の事など判らないと言いながら、智仁は既に心を決めている様子だ。

 雅にしてみれば、たまった物ではない。

 相手を待たせたまま自分の好きなように生きるなどという事は、雅には出来そうもない。

「人の価値観は移ろいます。 誠実さとは無関係に」

「え……?」

「そう言えば、今日は出かける予定がおありだったとか。 ……もしかしたらデートでしたか?」

「デートと言うか……まあ、相手はそうは思わないだろうけどね」

「片想い……ですか?」

「そういう事は訊かない方がいいよ? 相手によっては怒られるから」

 普段通りに話す雅を見つめながら、智仁はクスリと笑った。

「何?」

「いや……不意に、あの頃の雅さんが重なったような気がしたものですから……」

「アタシって、そんなに変わってないのかなぁ? 結構素敵なレディになったつもりなんだけど……」

「そうですね。 ……今はまだ答えが出せなくて当然でしょう」

 そう言うと、智仁はスーツの内ポケットから名刺のような物を取り出し、雅に手渡した。

「これ……」

「僕のプライベート用の携帯電話の番号です。 雅さんにだけお教えしておきますから、その気になったらかけて下さい。 番号はずっと変えずにおきますから」

「え? それって……」

 プライベート用だと言いながら、雅以外には番号を教えていないと言う。

 つまり、これは雅の為だけに用意された電話という事になる。

「そろそろ帰りましょうか。 送ります」

 雅はそのまま何も言えず、智仁の車に乗り込んだ……。



 部屋の電話が鳴ると、雅は面倒臭さそうな顔をして電話の所まで歩き、通話ボタンを押した。

 勿論それは直接かかって来た物ではなく、家の者が取り次いだ物である。

 するとそこから聞こえて来たのは……。

『おお、雅! どうだった? 上手く断れたか?』

 大蔵だ。

 ずっと気にかかっていたのだろう、今にも受話器から顔が出て来そうなほどの勢いだ。

「ねえ、会社にいなかったでしょ、今どこから?」

『ん? ああ、今はバーミングハムだ』

「何よ、今度はイギリスなの?」

『何を言っとる、アメリカだアメリカ。 アトランタの近く……って、そんな事はどうでもいい! ちゃんと断ったのかと訊いとるんだっ!』

「さあ? 気になるんだったら一之瀬さんに訊いてみれば? もしくは御堂さんに直接」

 雅は受話器を持ったままベッドに横になると、ふわぁ……と大きな欠伸を一つした。

『またお前はそういう事を言う……あ、ところで美耶子は帰っておるか?』

「知らないわよ、アタシついさっき帰って来たばっかりだもん。 姉さん、今日はデートなんでしょ? ……泊まって来るんじゃないのぉ?」

『何ーっ!? ゆ、許さん! それだけは何がどうあっても絶対に許さんからなぁっ!』

「煩いなぁ……そんな事アタシに言ったってしょうがないでしょ? ま、浦崎君は紳士だから優しくしてくれるだろうし、姉さんも安心して任せられるんじゃない?」

『な……なななななな何を任せるとっ!? わたしの目の黒い内は、そんな真似はさせんぞぉーっ!』

「あ〜もう、煩いってば! アタシ疲れてるんだから、もう切るよ?」

 そう言うと、雅は問答無用で電話を切ってしまった。

 またかかって来るといけないと考えたのか、大蔵からの電話は一切取り次がないようにと指示を出し、携帯電話の電源も切ってしまった。

「携帯電話……か」

 手の中のそれを見つめて、雅はポツリと呟いた。

「待ってる……なんて言われてもねぇ……」

 雅はベッドから降りると机の前に立ち、そこに置かれている一枚の名刺を見た。

「……」

 手に取り、もう一度じっと見てみる。

 けれど……。

「叶わないかもしれない……多分叶わないだろうけど、アタシはアタシの感じたまま、思うままに好きになった人を追いかけてみたいんだ。 だから……」

 一度……二度……。

 細かく名刺を千切ると、そのまま屑篭へと静かに落とした。

「さよなら、アタシの初恋……」

 後悔するだろうか……?

 何年後……何十年後かに今日の事を思い出して、自分を馬鹿だと思う日が来るのだろうか?

 でも、それでもいいと雅は思った。

 今は自分の信じた道を進もう。

 例え、それが勝ち目の無い物だったとしても……。

 雅が屑篭の中を見ながらそんな事を考えていると、部屋のドアをノックする音がして、顔を覗かせたのは……。

「雅、今帰りましたよ」

「あ、姉さん! も〜……姉さんのせいで、今日は大変だったんだからね!」

 雅はドアのところまでツカツカと歩いて行くと、美耶子の頬を両手で挟んで、グリグリと動かしながら言った。

 柔らかい美耶子の頬が、それに合わせてプニプニと動く。

「右近と左近を同時に使わないでよ! いざって時に困るでしょ!」

 しかし、そんな事をされているというのに、

「今日は色々な場所を廻って来たんです。 お天気にも恵まれましたし、とっても楽しかったですよ」

 と、美耶子はまったく動じる様子が無いどころか、上機嫌のままだ。

 どうやら今日一日、本当に楽しかったのだろう。

「人の話を聞きなさい!」

 今度は頬を摘んで引っ張ってみた。

「そうそう、お土産に和菓子を買って来たんです。 わたしの部屋で一緒に食べませんか? 良いお茶もありますし、きっと美味しいですよ」

 だが、やはり何の効果も無い……。

 きっと幸せの絶頂にいる時、人はどんな苦痛にも耐えられるものなのだろう。

「だからぁ! アタシの話を聞きなさいっての!」

「そんなにプリプリすると小じわが増えますよ? 一体何を怒っているのですか?」

「もういい……アタシも姉さんみたいになりたい……」

 諦めて美耶子の頬から手を放し、雅は疲れたように顔を左右に振った。

 こんな風にマイペースで生きられたら、どんなにか楽だろう……。

「なれますよ。 だって、わたし達は双子ですもの」

「……やっぱりいいや。 アタシはアタシで行く」


 アタシは、アタシのままで……。

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