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雅純情物語(前編)

 とある快晴の日曜日の早朝、登内大蔵は珍しく登内家本宅にいた。

 分刻みどころか秒刻みのスケジュールに追われる事が常であり、相変わらず忙しく飛び回ってはいるのだが、今日は大事な要件を抱えて美耶子の部屋を訪ねていたのだ。

 が……。

「駄目ですね」

 美耶子は普段通りの正座を崩す事も無く、大蔵を目の前にしてニコニコしながら拒否の意思表示をした。

 と言っても、その言葉はいつものように優しく、調子も柔らかい。

 美耶子の事をよく知らない者が見たら、それは断っているようには思えないだろう。

 しかし、美耶子はこれ以上無いくらい本気で断っているのだ。

「わたしとて本意では無いのだが、色々と果たさねばならん義理もあるのだ。 解ってくれ、美耶子。 ここは一つ、この父を助けると思ってだな……」

 大蔵は美耶子の点てたお茶を一口啜ると、もう一度姿勢を正して美耶子に言った。

「お父様をお助けするのは、SPのお仕事ではないのですか?」

「そういう助けではない!」

「では神部さんにお願いしましょうか?」

 『神部』 とは、もう十年ほど大蔵の秘書していて、美耶子が小さい頃には一緒に遊んでくれたりもした女性である。

 かなり優秀な人物である事は、大学在学中に登内へスカウトされた事からも判る。

「お前は……そのノラリクラリとした会話を何とか出来んのか?」

「わたしはお母様に似たのでしょうね。 お母様とは会話が弾みますから」

「……それは遠回しに、わたしとの会話はつまらんと言っておるのか?」

「あら?  わたし、そのようなつもりはありませんよ? お父様は最近僻みっぽくなられましたねぇ。 もうお歳という証拠でしょうか?」

 美耶子は時々その可愛らしい口から、ニコニコ顔のまま相手の心臓をえぐるような言葉を発射する。

 しかしそれは、恐らく美耶子が怒り始めているサインなのだろう。

 心なしか、その笑顔も硬くなりつつあるように見える。

 それを感じたのか、大蔵は強引に話を打ち切ろうと、

「とにかく!  時間は先程伝えた通りだ。 変更は無い!」

 正座している自分の膝に乱暴に手を打ちつけ、立ち上がりながら美耶子に言い放った。

「わたしの答えも変わりませんよ? お断り致します」

「……わたしの頼みは聞けんという事か?」

「今回の件に関して言えば、そうなりますね」

「わたしの命令が聞けんと言うのか、美耶子!」

「わたしはお父様に雇われている身ではありませんから、命に従う義務はありませんね」

「父親の言う事を聞けん娘がどこにおるかっ! 子供は黙って親の言う事を聞いておれば良いのだっ!」

 どうも美耶子とは会話の波長が合わないらしく、大蔵はイライラが嵩じて、つい声を荒げてしまった。

 普段、充分に美耶子と会話しているとは言えないのだから、それは仕方の無い事なのかもしれないが……。

「まあ! そのような乱暴な物言いをなさるなんて……。 お父様は、もっとわたしの事を理解して下さっていると思っておりましたのに……見損ないました」

 世辞や愛想など、円滑な会話を成り立たせる為の、一種 『無駄』 とも思える言葉を言わない美耶子だけに、相手に対する失望や幻滅の感情は、当然ストレートに口に出す。

 それらは全て 『本心』 から出ている言葉だ。

「う……い、いや、今のは少し言い過ぎた、すまん。 しかしな美耶子、わたしの立場という物も……」

「解りませんし、解りたくもありません。 右近はいますか?」

「これに控えてございます、美耶子様」

 美耶子が一声かけると、大きな体躯に見合わぬ静かさで障子を開け、右近が姿を現した。

「お父様は、もうお引取りになられるそうです。 外までお連れしなさい」

「かしこまりました」

「こら美耶子! 話しはまだ終っておらんだろう! 右近、放さんか!」

「本日、わたしはお出かけしなければなりませんので、いつまでもお父様の世迷言にお付き合いしている暇はありません」

 美耶子は 『出かける』 という言葉を発した途端、今までの不機嫌そうな顔が一変し、とびっきりの笑顔を浮かべた。

 いつも平和な笑顔でいる美耶子だが、今の表情はそれ以上だ。

 その顔を見た大蔵の頭の中に、ある人物の名前が浮かんだ……。

「出かける? ま、まさか……あの浦崎とか言う若造と出かけるのではあるまいな!?」

 もう何度耳にしただろう…… 『浦崎琢磨』 という忌々しい名前を……。

 大蔵にとって、美耶子も雅も手放したくない大事な娘だ。

 その内の一人の心を独占している男……。

 大蔵は、ある種 『嫉妬』 にも似た気持ちを抱いているのだろう。

「お父様、お言葉に品位が欠けていらっしゃいますよ? 琢磨様は素晴らしい殿方です。 そのような表現は控えて下さいましね?」

「許さん……わたしは絶対に許さんぞ! そんな何処の馬の骨とも判らん男に、登内家の長女をいい様にされてたまるかぁーっ! ……ええい、右近! いい加減にその手を放さんかぁっ!」

「お父様! 琢磨様は浦崎流宗家の総領ですよ! そして、その腕前は超一流。 清廉潔白、眉目秀麗、文武両道と、まさに非の打ち所の無いお方です。 今のお言葉は取り消して下さい!」

「そんな人間がこの世におるか! 人は誰でも醜い部分の一つや二つは持っておるものだっ! お前はその男に騙されておるのだ、目を覚ませ美耶子!」

 言ってしまってから、大蔵は 『はっ』 とした顔になった。

 恋をしている時、その相手を悪く言われれば誰でも当然怒る。

 それは美耶子も例外では……いや、美耶子は殊更に……。

「あ……待て、美耶子! 今のはわたしが悪かった、取り消す!」

「左近! 左近はいますかっ!」

 後悔先に立たず……。




 コンコン……と申し訳なさそうに、ドアを小さくノックすると、大蔵は部屋の主の許可を得て、そ〜っと部屋の中へと入った。

「あれ? 珍しいね、お父さんがアタシの部屋に来るなんて」

 丁度、お気に入りの曲をパソコンで編集しているところだった雅は、椅子に腰掛けたまま腰を捻り、上半身だけを大蔵の方へ向けて言った。

「うむ……まあ、色々と事情があってな……」

 あれから大蔵は右近と左近の鉄壁のガードにより、美耶子の部屋へ一歩たりとも近付けなくされてしまったのだ。

 勿論、大蔵は登内家当主として道を空けろと命じたのだが、いかな大蔵の命令とは言え、美耶子と雅直属のSPとなっている二人には通用しない。

 その辺りでは主人同様、融通が利かない二人なのである。

 おまけに……。

「これ以上わたしの邪魔をなさるなら、お父様とは親子の縁を切りますっ!」

 とまで言われてしまっては、娘に甘い大蔵の事、もう何も言う事は出来ないのである。

「で、何?」

「雅……一つ、わたしの頼みを聞いてはもらえんかな? たった一つだけで良いのだ」

 美耶子に頼んだ時よりも、はるかに低姿勢である。

 雅の部屋にはいくつも椅子が並んでいるというのに、大蔵はそれに腰掛けもせず、こそこそと雅の顔色を窺っている。

「お父さんがアタシに頼み事なんて益々珍しいね。 まあ、アタシに出来る事だったら、別に構わないわよ?」

「そうか! 引き受けてくれるか! さすがは雅……立派な娘に成長してくれて、父は嬉しいぞ」

「な、何泣いてるのよ、気持ち悪いなぁ……。 で? その頼み事って何?」

「ん? ああ……実は今日、人に会って欲しいのだ」

「今日? あ、じゃあダメ」

 プルプルと右手を左右に振りながら、雅はアッサリと大蔵の頼みを断った。

「何故だ!? たった今、頼みを聞いてくれると言ったばかりではないか!」

「アタシにだって都合があるでしょ? いきなり今日って言われても無理よ」

「そ、それはそうだが、わたしには今日しか時間が無かったのだから仕方あるまい?」

「それはお父さんの都合でしょ? それと同じよ。 アタシ、今日は出かけるんだも〜ん」

 雅は、美耶子と同じ表情を浮かべながら言った。

 もっとも、双子だから基本的には同じ顔なのだが……。

「そ……その顔! まさか、お前まで男と出かけるのではあるまいな!?」

「何よ、お前までって……ああ、姉さんも今日は出かけるって言ってたっけ」

「あ、相手は誰だっ! 返答次第では、登内家の全部隊を出動させるぞっ!」

「はあ? 何バカな事言ってるのよ……」

「なら、誰と会うのか言いなさい! それとも、わたしに言えないような相手なのかっ!」

「うるさいなぁ、もう……。 相手は宇佐奈君よ、お父さんも知ってるでしょ?」

「うさな? 宇佐奈と言うと……ああ、彼か」

 宇佐奈涼……雅を暴漢から救ってくれた男。

 そればかりか、美耶子と雅の間にあった深い溝を埋めるきっかけを作ってくれたという、いわば大蔵にとっても大恩人である。

「あの一件の後、恩にも着せず、礼も不要と言い切りおったな。 今時珍しく男気のある若者だ」

「でしょ〜? その人に会うっていうのに、何か問題ある?」

「た、確かにそれ自体に問題は無いが……今日でなくてはいかんのか? 来週では……」

「そんなのダメよ! やっとの事で利恵の目を掻い潜って、何とか約束を取り付けたんだから」

「利恵? ああ、お前の一番の親友だと言っておったあの子か。 快活で、なかなか楽しい子だな。 ああいう子を友達に持つのは良い事だ」

 じゃじゃ馬な雅を上手く乗りこなしている利恵を、大蔵は心底気に入っている。

 一度、登内の養女にという話を持ち出して、雅からどやされた事があるくらいだ。

「しかし、何だ? 掻い潜ってだの、何とか取り付けただの……穏やかではないな」

「へ? お、お父さんには関係無い事だから気にしないでね? おほほほほ。 ……あっ! もう時間無いや、早く着替えなきゃ。 お父さん、そういう訳だから、ごめんね?」

「……すまん雅、今日は諦めてくれ! メイド部隊、集合せいっ!」

 大蔵が一声叫ぶと、大勢のメイドが雅の部屋へと入って来ると同時に、一斉に雅を取り囲んだ。

 総勢、ざっと二十名といったところだろうか?

 それぞれ手に色々な物を持っているという事は、事前に打ち合わせをしてあったと思われる。

「ちょ、ちょっと、何よ!?」

「メイド部隊、早速作業にかかれ! SP部隊は雅が逃げられんように、窓と出入り口を封鎖せいっ!」

 大蔵の号令に合わせ、各部隊は迅速に行動を開始する。

 まさに、一糸乱れぬとはこの事だろう。

 メイド部隊の何名かが、大き目のパーテーションで雅を覆い隠すようにすると、他のメイド達が総がかりで雅の部屋着を剥ぎ取り、着せ替え人形よろしく雅を着替えさせにかかった。

 その間、SP部隊はそれぞれ雅の脱出口を潰しにかかっている。

「やだってば! アタシ、今日は出かけるんだって言って……こら! 放しなさいよ!」

「ささ、雅様、御召替えを」

「ちょっと、やめなさい! アタシの命令が……いやぁー! 変なとこ触んないでよっ!」

「許せ雅……わたしには、こうするより他に道が無いのだ……!」

「右近! 左近! いないのっ!? 助けに来なさいよーっ!」

「生憎だったな、雅。 その二人なら、美耶子の傍から離れられんそうだ」

「また姉さんかぁぁーっ!」

 子供の頃からいつでもそうだ。

 マイペースな美耶子の失敗や悪戯の余波は、必ずと言って良いほど雅に押し寄せて来る。


 あの時だって……。


 それは、二人が幼稚園生の頃……。



「おかしいですね……こちらで良いと思ったのですが……」

「だから、やめようって言ったのにぃ……」

 高原の避暑地。

 都会で育った子供にとって、そこで目にする物の全てが珍しく、刺激的だ。

 ましてや日頃、何をするにも、どこへ行くにも、必ずお供の者が付いて回るような家に生まれた二人にとって、それは尚更であったろう。

「もう少し先まで行ってみましょう。 もしかしたら大きな道に出るかもしれません」

「うん……」

 普段、忙しく仕事で世界中を飛び回っている父。

 その父に連れて行かれたり、父のいない間の会社運営を任される母。

 二人には、プライベートの時間など無いに等しい。

 その結果、当然の如く、子供達と過ごす時間も奪われてしまう。

 その罪滅ぼしのつもりなのだろう、夏休みに入ってすぐ、大蔵は一家揃っての旅行に出かけた。

 と言っても、決して仕事を放り出して来た訳では無い。

 山のような案件を抱えたまま、ここに来ているのだ。

 美耶子や雅が散歩に行こうと誘っても、大蔵は部屋から出られない事が殆どだった。

 せっかく家族揃って来ているというのに、これでは普段と何も変わらない。

 そんな時、美耶子は自分の頭に浮かんだ計画を実行に移した……。

「雅、探検しましょう」

 雅が大人しく部屋で本を読んでいるところへ、美耶子がニコニコしながらやって来た。

 その顔は普段と同じに見えるが、どうも何か企んでいるようだ。

「たんけん?」

「そうです。 少し行った所に洞窟があるんです、それを見に行きましょう」

「どうくつ? でも、危ない所に行ったらいけないんだよ? ……お父さんに叱られるよ?」

「だから、みんなに内緒で行くんです」

 決して危ない事をしてはいけない、決して勝手に何処かへ行ってはいけない。

 普段厳しく言い付けられている事を、美耶子は敢えて無視した。

 美耶子にとって、それは大蔵に対するささやかな反抗だったのかもしれない。

「でも……内緒で行ったらいけないんでしょ? やめようよぉ……」

 内緒……確かに魅力的な響きではあるが、あとで叱られる事が判っている雅には、すぐに頷く事は出来なかった。

「大丈夫ですよ、お姉ちゃんが一緒なんですから、ね?」

「でもぉ……雅、いい子にしてるって、お母さんと約束したんだもん……」

「探検は楽しいですよぉ〜? 雅だって色々な物を見てみたいでしょう?」

 本の中では人跡未踏の地を旅する物語や、魔界に足を踏み入れる物語なども読んだ。

 そのどれもがワクワクするようなお話ばかりで、雅はいつか自分もそんな風に探検したいと思っていたのだ。

「さあ、一緒に冒険の旅へ出ましょう! お姉ちゃんと一緒なら、怖い物などありません!」

「う、うん……」

 雅は、その甘美な誘いに抗えなかった。


 しかしその結果は……。


「お姉ちゃん! 雅、もう帰りたいよぉ!」

「そう言われても……わたしも、どちらへいったら良いのか判らないのです……」

「お腹空いたぁ、お菓子ちょうだい」

「さっき雅が食べたのが最後の一つです。 もうありません」

「うぇぇ……足が痛いよぉ……もう歩けないもん!」

 本当は足など痛くないのだが、幼い雅が頼れるのは目の前の姉だけだ。

 いつも大抵の事が自分の思い通りになる雅は、あまり我慢という物をしない。

 今も美耶子に甘えようとして地面に座り込み、足を投げ出している。

 こうしていれば、美耶子が何とかしてくれると思っているのだろう。

(どうしましょう……。 でも、ここでわたしが泣いてはいけません! わたしは、お姉ちゃんなのですから!)

 しかし、その姉も雅と同い年。

 懸命に姉として気を張ってはいるが、不安なのは雅と同じだ。

 小さな二人にとっては険しい山も、大人にとってはどうという事も無い程度に荒れている土地。

 美耶子の言っていた洞窟も、実際は単なる小さな横穴で、こういった場所ではそれほど珍しい物でもない。

 それでも二人にとって、初めて誰も共を付けずに出かける大冒険であった。

 最初の内はただ楽しいばかりで、胸の高鳴りが更にその気持ちを大きくしていたが、疲れが増すにしたがって段々と寂しさが募り、親が恋しくなって来る。

 持って来たお菓子も食べ尽くしてしまったし、徐々に陽が傾き始めている事もあって、二人の不安は一層大きくなった。

「……あ! あそこに小さなお家がありますよ、あそこで少し休みましょう。 ほら、雅、頑張ってもう少し歩いて下さい」

 美耶子の指差す先に、小さな小屋のような建物が見える。

 ……いや、建物と呼ぶには、あまりにも粗末な出来映えである事を考えると、恐らく地元の子供が造った、自分達の隠れ家といったところだろう。

 しかし、他には家らしい物は見当たらず、 『人の匂い』 がするのはそこだけなのだ。

 二人は迷わずそこへ向かった。

「うわあ……何とも粗末な家ですねぇ……」

 壁や床は隙間だらけで、天井も骨組みにただ板を乗せてあるだけだ。

 天井という物はもっと高い場所にあるのだとばかり思っていた美耶子は、すぐに手が届きそうな位置にあるそれを見て不思議そうな顔をしている。

 空調設備などあろう筈も無く、柔らかなソファもテレビも無い。

 小さな窓にはガラスの代わりにビニールが張られていて、部屋の真ん中にはテーブルではなく、不恰好に板を打ち付けた台があるだけだ。

 二人にとって、ここは初めて見る異空間だった。

「やはり出ましょうか? ここは、あまり良い環境とは言えないようですし」

「ほんとに、もう歩けないよぉ……ひっく……疲れちゃったよぉ……」

「……仕方ありません。 誰かが迎えに来るまで、ここで待ちましょう」

 二人は椅子代わりなのだろう木の箱に腰を下ろした。

 当然、座り心地は最悪で、固い上に、何だかチクチクする……。

「お迎え? お母さん、来てくれる?」

「来るとしたらSP部隊か、メイド部隊でしょうね。 お父様方はお忙しいですから、お外にお出になる事は無いと思います」

「えぇ〜? そしたら、お父さんに言い付けられちゃうよぉ! 叱られちゃうよぉ!」

「お父さまは、わたしたちがいない事など、とうに気付いてらっしゃると思いますよ?」

 朝からこの時間まで子供達がいないのだ。

 大蔵が部屋にこもっているといっても、他の者達が騒がない筈が無い。

 もしも二人に何かあったら、責任問題になってしまうのだから当然だ。

「ふぇ? 誰にも内緒って言ったじゃない! お姉ちゃんの嘘つき!」

「内緒にしていても、いずれ秘密は露見するものです。 人の口に戸は立てられません」

 美耶子が堂々と自分の言った言葉を翻すところは、昔から変わっていないらしい。

 それも、いかにももっともらしく……。

「雅、いい子にしてたのに……いい子にしてたのにぃ!」

「大丈夫ですよ、雅。 叱られる時は、わたしも一緒ですから」

「全然大丈夫じゃないもん! 叱られるのやだぁ……うぇぇ……」

「あらあら、泣かないで下さい雅……わたしまで悲しくなってしまいます……」

「お前ら、何やってんだ!」

 怒ったような声のする方へ二人が顔を向けると、小屋の出入り口の所に男の子が二人立っていた。

 見た感じだと小学三年生か、四年生といったところだろうか?

「ここは俺達の家だぞ! 勝手に入るなよな! それじゃ泥棒と同じだぞ!」

 小さい方の男の子が、ムっとした顔で雅に向かって言った。

 今まで男の子から怒鳴られた事など無い雅は、それだけで萎縮してしまっている。

「ご、ごめんなさい……」

「まあ! わたしの妹に何という事を言うのです! 無礼な言葉は赦しませんよ!」

 いや、言われているのは美耶子も一緒なのだが……。

「何が無礼だ。 お前ら 『ふほーしんにゅー』 で訴えるぞ」

 きっと覚えたての言葉なのだろう、小さい方の男の子が変な発音で言った。

「まあまあ、いいじゃないか。 鍵も無いんだし、別に入られたって困らないだろ?」

「お前は女の子には甘いんだからなぁ……」

 どうやら背の高い男の子の方が立場が上らしく、小さい男の子はそれきり黙ってしまった。

 背の高い男の子は、にこにこしながら二人に話しかけて来た。

「ねえ、君達どこから来たの?」

「それが判らなくなってしまいまして……」

「迷子か……地元の子じゃないみたいだ。 なあ、駐在さんを呼んで来ようか?」

「駐在さんはやめた方がいいな。 あの人は怖いから、そっちのチビがもっと泣くぞ?」

「み、雅はチビじゃないもん。 レディーなんだから……」

 本当はもっと大きな声で言い返したかったのだが、また怒鳴られたら嫌なので、雅は美耶子の後ろから囁くように抗議した。

「それなら、僕のお父さんがいいかな? かなり優しいと思うけど?」

「じゃあ俺が行って来るよ。 お前は、そいつらの相手でもしてろ」

 小さい男の子は表に置いてあった自転車に跨り、走り去った。

 どうやら美耶子達のような小さい子の相手は苦手らしく、ここから逃げたかったのが本音だろう。

 かなり慣れているのか、悪路にハンドルを取られる事も無く、どんどん加速している。

「一時間もすれば誰かが来てくれるよ。 それまで泣かないでお話ししようか?」

 笑顔を絶やさず、グズる雅に嫌な顔一つせず、男の子は色々な話を二人に聞かせた。

 最初は戸惑い、警戒の色を見せていた二人も、段々と男の子の話に引き込まれて行った。


 その後、SP部隊と共に帰った二人は大蔵から大目玉を貰ったのだが、雅は今日会った男の子の事が、ずっと頭から離れなかった。

 はにかんだような、少し悪戯っぽい微笑みを浮かべながら、ずっと雅に話しかけてくれていた男の子。

 それは、雅の初恋であったのかもしれない……。





「御堂智仁 (みどうともひと) です」

「と、登内雅です……」

 目の前に立つ男性を見て、着物姿の雅は何やらぽ〜っとなっている。

 長身でスマートな体型に、軽く後ろへ流すように真ん中で分けられた、艶やかでさらさらの髪。

 顔は至って普通……な筈も無く、かなり整っている。

 かと言って、にやけた優男かと言えば、スーツが綺麗な逆三角形になっているところを見ると、そうでもないようだ。

 世間一般で言う所の 『いい男』 である。

「立ったままというのも変ですから、座りましょうか」

「え? あ、はい……」

 智仁は即座に雅の後ろに廻ると、適度な間隔に椅子を引き、雅が腰を下ろすのに合わせて、静かに椅子の位置を整える。

(スムーズで無駄の無い動き……。 な、なんか、カッコいいかも……)

 登内系列のホテルのスカイラウンジで、二人は向かい合う形で席に着いた。

 一見すると、まるでお見合いをしているようにも見えるが……。

(……ハッ!? いけないいけない! アタシったら、何を見とれてるのよ!)

「月並みな質問で恐縮ですが、雅さんのご趣味は?」

 ……お見合いだ。


「心配するな、まとまらなくて良いのだ」

 ここに来るまでの車中で、大蔵は雅に笑いながら言った。

「当たり前よ! まとめられてたまるもんですか! アタシ、まだ十六なんだからね!」

 これから向かう先でお見合いをさせられると聞き、雅は大慌てで車から降りようとしたのだが、まさか高速道路で飛び降りる訳にもいかず、ムスっとしたまま足を……。

「おまけにこんな格好させられて……姉さんじゃあるまいし! あ〜苦しい……」

 組みたかったのだが、着物を着せられていてはそれも出来ないので、余計にムスっとなった。

 本人はお気に召さないようだが、どこに出しても恥ずかしくないほどに、雅は美しく飾られている。

 一応、雅も美耶子と共に様々な場所へと呼ばれる事があるので、その為に仕立てられた友禅振袖。

 桜に毬の柄の物である。

 と言っても、窮屈だからと嫌がってドレスばかりだったので、これを着た事など今回が初めてなのだが……。

「無理矢理予定を変えさせられて、無理矢理着物着せられて……アタシ何か悪い事したのかなぁ〜? 誰かに恨みでも買ってるのかなぁ〜? アタシの人権は完全に無視されてるのねぇ〜……損害賠償請求の民事訴訟でも起こしてやろうかしら」

「そう怒らんでくれ……わたしとて本意ではないのだ」

「これが怒らずにいられますか! 大体、本意じゃないなら、こんな話持って来ないでよ! せっかく今日は宇佐奈君と……」

 雅は窓の外に目を向けたまま、ブツブツと文句を言い続けている。

 それはそうだろう。

 やっと涼と二人きりで出かけられると思っていたのに、結局それを自分から断る羽目になってしまったのだから。

「姉さんも姉さんよ! 妹の幸せの為に尽くすのが姉ってもんでしょ!? なのに、自分の幸せだけを求めるなんて……赦せないわ!」

 それを言ったら、姉の幸せの為に尽くすのが妹の役目だと言い返されそうである。

 何と言っても双子なのだし……。

「わたしも美耶子の方が向いていると思ったのだがな……。 美耶子なら絶対に縁談がまとまる事は無いだろうしな」

「……アタシ、暴れてもいい?」

「頼む……なるべくなら穏便に済ませてくれんか? 相手は決して悪い人物ではないのだ」

 登内家に持ち込まれる縁談は多い。

 その殆どは、政財界でもかなり上の地位にいる者の縁者だ。

 しかし、どれも大蔵のお眼鏡に適う者では無く、全て大蔵が断っていたのだが……。

「何で今回に限って受けたりしたのよ! 迷惑だわ! 不愉快だわ! 理に適わないわ!」

「そうポンポン言うな……相手側からの断っての希望でな、仕方無かったのだ」

「マシンガントークは父親に似たんでしょうよ、アタシはがさつですからね〜だ! ……で? 相手はどこの誰なのよ。 アタシは、それすら聞かされてないんですからね!」

「御堂智仁。 御堂家の御曹子だ」

「御堂? どっかで聞いた事あるなぁ……?」

「……一之瀬の縁者だ」

 大蔵は忌々しそうな顔で言った。

 出来れば一之瀬の名を口にしたくは無いのだろう。

 何しろ登内グループ最大のライバル……と言うより、目の上のたんこぶといった感のある一之瀬コーポレーション。

 その総帥、一之瀬棗 (いちのせなつめ) は、大学時代から事ある毎に大蔵と張り合っている間柄なのだ。

 二人の妻もやはり大学の同期生なのだが、こちらは至って仲が良い。

 二人が夫の海外渡航に付いて行くのは、現地で一緒に買い物をして歩いたり、観光したりするのが主目的である。

「一之瀬の縁者?」

(……あ、そうだ! 美奈さんの従兄だ!)

 どこかで聞いた名前だと思ったら、何の事は無い。

 以前、美奈とプライベートチャットをしている時に、その名が出たのだ。

 しかしその時、別の事も話題に上がっていた……。

「お父さん、つかぬ事をお伺いしますけど……まさか、またつまんない賭けなんてしてないよね?」

「な、何の話だ?」

「だって、前にお父さん 『賭けに負けたペナルティで、一之瀬の娘に縁談を世話してやったわ』 って、楽しそうに笑ってた事あったじゃない」

「そ、そうだったか? いやぁ〜、最近歳のせいか、昔の些細な事は憶えとらんなぁ……」

「……やったな? またやったな、お前ーっ! しかも負けたなぁっ!?」

「お、お前とは何だ! それが父親に対する口の利き方かぁっ!」

「うるさい馬鹿者! お前なんか勘当だっ! 今この瞬間から、父でも娘でもないわっ! 二度と登内家の敷居を跨ぐ事は許さんから覚悟せいっ!」

「お前の言う事かーっ!」


(まったく……あのタヌキ親父はロクな事しないんだから!)

 思い出しただけでも腹が立つ。

 雅をここへ送り届けると、そのまま本社へ直行してしまった大蔵の顔が浮かんで、雅の表情が険しくなった。

 仕事があると言っていたが、恐らくは雅の怒りを恐れて逃げたに違いない。

「あの……雅さん?」

「何よ!」

「失礼、お気に障りましたか?」

 大蔵との遣り取りを思い返してムカムカしていた雅は、ついウッカリ智仁を怒鳴ってしまった。

 いくら意にそぐわない席だと言っても、智仁には何の罪も無い。

 雅は慌てて、

「あ! ごめんなさい、違うんです。 ちょっと嫌な事を思い出しちゃったもので……」

 と、顔を赤らめながら謝った。

「そうでしたか。 では話題を変えましょう」

「あの、その前にお訊きしたい事があるんですけど」

「やあ、これは嬉しいな。 僕に興味を持って下さったんですね? いいですよ、何でも訊いて下さい」

 ちょっと受け答えにズレがあるような気がする……。

 やはり、この人の相手は美耶子の方が向いているのではないか? と、雅は引きつった笑いを浮かべながら思った。

「今日のお話、御堂さんの方から父に申し入れられたって聞きましたけど……どうしてです?」

 雅は舌を噛みそうになりながらも、何とかつっかえずに言い切った。

 これでは、お嬢様になるのは、やはり無理そうである。

「そうですね……まず、お顔を拝見したかったのと、直接お会いしてお話しをしたかった……といったところでしょうか」

「……よく解らないんですけど?」

 自分で言うのも何だが、登内家の娘と縁談を組んでおきながら、理由がそんな事とは。

 たかがその程度の事の為に涼との約束を反故にしてしまったと思うと、先程まではいい男に見えていた智仁の事が、急に憎たらしく思えて来た。

「だいいち、アタ……わたし、御堂さんの事を知り……存じ上げませんし」

 日頃使っていない言葉を使うのは難しく、雅の言葉は徐々にボロボロになって行く。

 別に良い所を見せようとしているのではない。

 やはり初対面の相手、しかも年上に対しては、それなりの言葉を使おうとしているだけだ。

 もっとも、涼と初めて会った時には、そんな余裕も無かったが……。

「そうですか……」

「……? あの……何か?」

 雅は、智仁が急にしょんぼりしたように思えて、自分が何か気に触るような事を言ってしまったかと気になったのだが、

「いえ、何でもありません。 ……そうだ、今日は天気も良い事ですし、少し外に出ませんか?」

 智仁は急に明るい顔になって言った。

「え? ええ、それは構いませんけど……」

「良かった。 では車を回して来ますので、雅さんは正面玄関でお待ち下さい」

「あ、はい、解りました」



 大蔵は本社の会長室で、椅子に腰掛けたまま忙しなく机を指で叩いていた。

 普段はそんな事をしないので、何かあったと誰が見ても判るだろう。

「会長、そんなにお気になさるのでしたら、おやめになったら如何です?」

 大蔵の秘書である神部女史が、大蔵にお茶を淹れながら言った。

 無論、雅の見合いの事を言っているのだ。

 本来ならば今日は休日なのだから出社の義務は無いのだが、大蔵が出て来ると聞けば即座に顔を出す。

 たまにはゆっくりしろと大蔵に言われても、これを変える気は無いようだ。

「……このわたしに、棗に頭を下げろと言うのか?」

「イライラしているよりも、その方が精神衛生上良いと思います」

「ふん! そんな真似をするくらいなら、最初からこんな下らん事はせんわ!」

 淹れられたばかりのお茶を乱暴に飲もうとして、大蔵はその熱さに目を白黒させている。

「下らないだなんて……雅様にとっては重大な事なんですよ? 失礼を承知で敢えて言わせて頂きますが、少々女性を軽く見ておられませんか?」

「そんな事は無いっ! ……大事な娘を軽く見る事など、する訳が無かろう?」

「会長……私は 『女性』 と申し上げたんですよ?」

 大蔵は何か言おうとしたが、すぐにその言葉を飲み込んだ。

 そう、雅はもう 『女性』 なのだ……いつまでも小さな子供ではない。

 恋もすれば、人を愛しもする。

 結婚する事も、もう可能な年齢なのだ。

「娘達がそれを望んだら……わたしは笑顔で頷くのが正しいのか? 神部」

「私には経験の無い事ですので解りかねます。 強いて言うなら、会長のお嬢様方への信頼と、父親としての愛……その兼ね合いでの判断でしょうか」

「小難しい事をアッサリと言うな、お前は……」

「恐れ入ります」

 神部女史はにっこりと微笑みながら、軽く頭を下げた。



「あの……どこまで行くんですか?」

 雅は乗り心地の良い助手席から、智仁に声をかけた。

 一応、丁寧な言葉遣いをしてはいるが、もう既に普段の雅の口調になってしまっている。

 美耶子に成りすまして悪戯をしている時には平気なのに、どうもこういった場合には、すぐに素の状態に戻ってしまうようだ。

「何処でも。 雅さんのお好きな場所へお連れしますよ」

「アタ……わたし、あまり遠出はしたくないんですけど……」

「御心配無く。 ちゃんと今日中にお宅までお送りしますから」

「いえ、別にそういった心配をしてる訳じゃ……」

 雅は急に怖くなった。

 智仁がその気になれば、雅一人くらい思いのままにする事は可能なのだ。

 例え智仁が美奈の従兄とは言っても、男である事に変わりは無い。

 その心の内に、自分を襲おうとした男達と同じ物があったとしたら……。

 涼や真一郎、それに琢磨など、例外的な存在と一緒には出来ないのだ。

 だが、雅の警戒心とは裏腹に、智仁はそういった素振りを微塵も感じさせず、終始にこやかな笑顔を浮かべ、本心から楽しそうに雅に話しかけて来る。

「それにしても……素敵なレディーになりましたね。 いや、昔からそうだったかな?」

「え? 昔からって……?」

「まだ思い出してもらえないのか……そんなに印象が薄かったのかなぁ? 僕って、そんなに変わりましたか?」

「え……?」

 美奈の親族で会った事のある人間など、雅の記憶には無い。

 大蔵と棗の関係を考えれば、それは至極当然の事だ。

「叔父から話を聞かされた時には、正直驚きました。 まさか、あの時会ったチビちゃんが、登内さんのお嬢さんだとは思いもしませんでしたからね」

「え? え?」

「そう言えば、もう自分の事を 『雅は』 と言わなくなったんですね」

「あの……もしかして?」

「どちらだと思います?」

 智仁は、少し悪戯っぽい表情を浮かべて雅に微笑んだ。

 憶えがある……この優しい笑顔には、確かに見憶えがあった。

「少し背の高い方の……アタシにずっと話しかけてくれてた……?」

「正解です」

 素敵な青年に成長した、初恋の相手との再会。

 しかも、それがお見合いの席だ。

 雅は、もう何をどうして良いのやら、すっかり解らなくなっていた……。

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