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もう一つの追憶

 それは木々の若葉が青さを増す頃の事……。

「名場ぁーっ! 死ねぇぇぇーっ!!」

「うらあぁぁーっ!」

 とある学校から程近い川原で、複数の学生が乱闘している。

 いや、よく見ると、大勢でたった一人に殴りかかっているのだが……。

「イヤだ」

 殴りかかる男達の手にはバットや角材が握られているのだが、輪の中心で殴られそうになっている男は涼しい顔でそれをヒョイヒョイとかわし、体勢を崩した相手を蹴り倒す。

 その蹴り方も本気で蹴っているのではなく、相手の尻を押し出すような感じなのだから、やられた方は屈辱だ。

 そんな真似をしていれば相手は益々頭に来るのだが、狙われている当の本人、名場と呼ばれた学生は、

「お前らな〜……いい加減にしろよ、ホント。 温厚な俺も、しまいにゃキレるぞ?」

 全く危機感が無いのか、言いながら小指で耳を掻いている。

「うるせえっ! 何が温厚だっ!」

「今までてめえに何人やられたと思ってんだ、この野郎っ!」

「んなもん、お前らが仕掛けて来るのがワリィんだろうが……ったく、面倒臭ぇ連中だな。 俺の通り名、知ってるだろ? さっさとビビって逃げろ」

 本当に面倒臭そうにそう答え、ふわぁ〜あとアクビをする。

 その態度に、相手の学生達は更に頭に血が上って来る。

「フざけんなっ!」

「何が通り名だ、このクソが! 『無敵の鬼神 名場保』 なんて、てめえのツレが勝手に流してるだけだろうが!」

「……誰がクソだ、こら」

 自分で温厚だなどと言っておきながら、そんな些細な一言で保の目付きが変わった。

 そして数分後……。

 ポンポンと制服に付いた埃を払うと、

「もう来んなよ? わざわざ痛ぇ思いする事もねえだろ」

 保はそう言い残して、ゆっくり土手を上がって行った。

 背後の川原には、累々と横たわる気絶した男達の姿が……。

「ナバホ……あんた、またやったの?」

 土手を上がり切った所で、女の子が呆れ顔で保に言った。

 スラリと伸びた背は、保と大して変わらないように見える。

「……お前は一体いつになったら俺の名前を覚えるんだ?」

「覚えてるからちゃんと呼んでるんじゃない、ナバホって」

「どこが 『ちゃんと』 だっ! 俺の名前は名場保だ! 『ナバホ』 じゃねえっ!」

「そのままじゃない。 それにそっちの方が、なんか強そうで良くない?」

「……」

 ナバホ……いや、保は嫌な顔をしながら、女の子を避けるようにして歩き出した。

「ちょっと待ちなさいよぉ! せっかく人が心配して来てあげたのに、無視すんなっ!」

 女の子は、そう抗議しながら保の後を追った。

 保の歩調は女の子には速過ぎるようで、ポニーテールの髪が歩みに合わせてユラユラ揺れる。

「いい加減、俺に付き纏うのはやめろ! このストーカー!」

「何よぉっ! そっちこそ、わたしの名前を覚えなさいよね!」

「だからストーカーと言っとるだろうが」

「名前じゃないでしょそれはっ! わたしには宇佐奈環って立派な名前があるんだから!」

「俺の名前をちゃんと言えるようになってから言え!」

 保と環は言い合いを続けながら、いつの間にかピッタリと歩調を合わせて歩いていた。

 何だかんだと言いながら、結構息は合っているようである。

 暫く言い合いを続けながら歩いた二人は、そのままの状態で学校内へと入っていた。

 どうやら保は登校前に喧嘩をしていたようだ。

「けど、段々時間が短くなって行くわね。 最短記録更新したわよ?」

「とっとと済まさねえと遅刻しちまうからな。 ったくよぉ、朝っぱらからカラまれるなんて思わなかったぜ……早起きしても何の得もねえや」

「あら、真面目」

「遅刻すると、お前がギャーギャー煩いんだろうが……」

「ギャーギャーなんて言ってないでしょ!」

 靴を履き替えながらも、まだ二人は言い合っていた。

 そしてそれは、お互いの教室の前まで続いた。

 教室前で別れ、それぞれの教室内へと入ると、

「はぁ……やっと開放されたぁ……」

 保はグッタリとして机に突っ伏した。

 そんな保の前に、一人の男子生徒が立った。

「どうした保、朝から疲れ果てて。 フルマラソンでもしたのか?」

「するか、そんなもん。 あいつだ、あいつ……」

 話し掛けてきた男子生徒に、保は机に突っ伏したまま面倒臭そうに答えた。

 精神的に疲れている時には、親しい友人との会話も面倒になる物なのだ。

「ああ、環か。 お前も大変なのに見込まれたもんだな」

「恭一の幼馴染だろ? 何とかしろよ」

「お前だってそうだろ……」

 恭一と呼ばれた男は、美浜恭一と言う。

 長身に甘いルックスで、校内の女生徒の殆どと付き合いがある。

 環、それに保とは幼稚園の頃からの友人なのだが、本人に言わせると単なるクサレ縁だそうだ。

「変なのと幼馴染にしやがって……俺は神様なんか嫌いだぁ〜っ!」

「信じてもいないクセに嫌うな。 ……ところで聞いたか?」

「何を?」

 急に真剣な顔で話し始めた恭一に、保は訊き返した。

 かなり確かな情報網を持っているらしく、恭一は毎日色々なネタを仕入れてくる。

 と言っても、大抵ロクな話しではないのだが……。

「この間揉めた三條高校の連中、お前を狙ってるらしいぞ? 昨夜、俺のダチから電話があった」

「三條って……ああ、三校か。 カンベンしてくれよ鬱陶しい……」

 ほら、やっぱり……と、保はウンザリした顔になった。

「だいいち、ありゃああいつらが悪いんだぜ? 電車の中で飲み食いするわ、通路で座るわ座席で騒ぐわ……目障りな上に迷惑な真似してやがるからよ。 おまけに爺さんが乗って来たってのに席も譲りやがらねえ。 あんなのを放置してたら俺達まで色眼鏡で見られちまうだろうが」

 自分のした事で言われるなら仕方ないが、他人のした事で悪く言われるのは我慢ならないと保は言った。

「それにしたって派手にやり過ぎたんだよ。 連中、数を集めようとしてるらしいぞ、どうする?」

「ふ〜ん、じゃあ助けろ。 どうせ恭一は女と遊ぶ以外に用事なんてねえんだから、暇だろ?」

「……それが人に助けを求める態度か? たまには頭の一つでも下げて見せろ」

「んじゃ、い〜や。 お前に下げると頭が乳になりそうな気がする」

 プルプルと軽く手を振って、保は大きな欠伸を一つした。

 恭一は呆れた顔をして保の頭を叩いた。



 放課後、保と恭一が連れ立って校舎を後にしようとすると、

「ちょっと〜! 保、待ってよぉーっ!」

 走って来た環に呼び止められた。

「……何だよ」

 また煩いのに捕まったとでも言いたげに、保は嫌そうな顔をして振り返った。

 と言っても本当に顔を向けただけで足を止める事はせず、そのままスタスタと歩き続けている。

「何で慌てて帰ろうとしてんの?」

 構わず歩き続ける保にムっとしつつ、環は背中から話しかけた。

「今日は用事がある」

 相手が纏まって来る前に、こちらから乗り込んで先にやってしまおうと恭一との話し合いで決めていた。

 人数を集めようとしている連中を潰してしまえば、あとが楽だからだ。

「用事って?」

「用があるって事だ」

「だから! その内容を訊ねてるんでしょうに!」

「国家機密だ」

 と保が言った瞬間、環の蹴りが保の尻を捉えた。

「いてて! てめえ、何しやがるっ!」

「どうせ、また喧嘩でしょう? いつまでもそんな事してないで、少しは大人になりなさいよ」

「何を言うか。 俺は今まで喧嘩なんてした事は無い」

「……あんた、堂々と嘘ついて後ろめたくないの?」

「ん〜……まあ、確かにこいつの場合は一方的にブン殴ってるだけだからなあ。 普通、それは喧嘩とは言わんだろ」

 今まで黙って二人の遣り取りを聞いていた恭一が、笑いながら言った。

「もう……恭一が付いてて何で喧嘩なんてさせるのよ。 しっかり監視しててくれなきゃ困るじゃない」

「おいおい、俺は保のお目付け役じゃないんだぜ?」

「今日は付き合って欲しい所があったのにぃ〜……」

「一人で行け」

 制服の肘を摘んでイジイジする環を、保は腕を振り払って睨んだ。

 しかし、そんな事くらいで環が引き下がる筈も無く、

「じゃあ、三十分で終わらせてね? 待っててあげるから」

 ニコニコしながら自分の腕時計を指差した。

「人のタイムスケジュールを勝手に組むなっ!」




「あと十五分だからね〜!」

 薄暗い路地を入った先にある寂れた喫茶店。

 そこから少し離れた駐車場の一角から、先程と同じように腕時計を指し示しつつ環がニコニコ顔で言った。

 当然、その視線の先には保がいるのだが、環に突っ込みを入れるほどの暇は無い。

 何故なら、今はとても忙しいのだ。

「おい保……環の奴、本当に時間を計ってるぞ……」

「お気楽娘が〜……!」

 恭一の情報で三校の連中の溜まり場を探し出すと、保は有無を言わさず相手の連中を表に引きずり出し、大立ち回りを始めた。

 が……。

「ところで、気が付いてるか?」

「ああ。 奴ら、どんどん集まって来やがるな」

「う〜む、やはり奴らの地元はマズかったか?」

「先に気付けよ……。 ま、全部やっちまえば同じ事だ。 気合い入れろよ、恭一!」

「結局それか……」

 とは言え、こちらが段々疲れて来るのに対して、相手は元気な奴が次々に現れる。

 最初はフットワークでかわしていたものの、徐々に相手の攻撃が保と恭一に当たり始めた。

「イテテ……久し振りの感触。 顔面にパンチもらったのなんて、何ヶ月振りだ?」

「たまには刺激になっていいだろ。 少しは頭の血の巡りも良くなるんじゃねえか? 普段使わねえんだから、保は」

「てめえに言われたかねえっ! 女の事しか入ってねえくせしやがって、偉そうに言えた義理かっ!」

 大真面目な喧嘩の最中だというのに、そんなふざけた会話が交わされている中、

「ねえ保〜、あと五分で終わる〜?」

 まったく緊張感の無い環は、相変わらずタイムキーパーをしている。

「環っ! てめえ、ちったあ状況を考えろっ!」

「いちいちリアクションするなんて、保も律儀だな」

「恭一! てめえは口よりも手を動かせっ! さっきから俺の後ろに回ってばっかじゃねえか、こらっ!」

「ほらほら、無駄な漫才で時間使ってる場合じゃないぞ〜! 残り三分しか無いんだからね〜!」

 そんな風に先程からいちいち時間を気にしている環に、相手の連中が気付かない筈も無く、

「お姉ちゃん、さっきからな〜に時間計ってんだ?」

 何人かが環にちょっかいを出し始めた。

「ん? ああ、今日はね、これが終わってからデートなの。 だから時間厳守なのさ」

「そりゃあ無理だ、あいつら今日から入院だからよ」

「よく見りゃ結構可愛いじゃん。 ……なあ、俺らが付き合ってやるよ。 軽く運動でもしようぜ」

「あと一分……保〜、雑魚相手に時間かかり過ぎ〜! 愛の力でパワーアップしろぉ!」

 環は相手を無視して保にボヤいた。

 そんな態度をとられた挙句に雑魚呼ばわりされては、相手が黙っている訳も無く、

「ザけんなっ!」

「拉致るぞ、コラ!」

 あっという間に環を取り囲み、今にも襲い掛からんという体勢になった。

 それを見た保は喧嘩の最中だという事も忘れたように、

「あ! よせ、バカ! そいつにちょっかい出すんじゃねぇ!」

 と、大慌てで環の方へ走り出そうとした。

 だが、まだ大勢残っている三校の男達に行く手を遮られてしまう。

「どうしたよ、そんなに慌てて。 ……名場、もしかして、ありゃあお前の女か?」

「丁度いいや、てめえの目の前でひん剥いてやるよ」

 保の周りを取り囲む男達は、ヘラヘラと厭らしい笑いを浮かべている。

 どうやら環を人質にでも取ろうと考えているらしい。

「やめろっ! そんな真似しようとしたら、お前ら明日の朝陽……いや、今日の夕陽すら拝めねえぞっ!」

「いつまでハッタリかましてんだ、ボケッ!」

「おい! 構わねえから、その女もヤっちまえっ!」

「馬鹿野郎っ! お前ら、俺の言う事聞けっ! そいつにだけは手ぇ出すなっ!」

 無論、保の言葉などに耳を貸す筈も無く、三校の男達は環との距離を徐々に狭めて行く。

「ごぉ、よん、さん、にぃ……」

 しかし、自分に近付いてくる男達には見向きもせず、環はひたすらカウントダウンを進める。

「俺達もか弱い女の子に手荒な真似はしたくねえんだけどさ。 ……ま、恨むなら名場を恨んでくれよ」

「全員で輪姦 (まわ) してやるぜ!」

「いち……ぜろ!」




「お母様! それで、どうなったんですか!?」

 利恵は目をキラキラとさせながら、テーブルの上に身を乗り出した。

 まるで今から散歩に連れて行ってもらえる子犬のようなはしゃぎっぷりである。

「うん、それでね……」

「おいおい環、その先も話すのか?」

 恭一が渋い顔をして、環の話を遮った。

 どうも恭一としては、あまり話して欲しくなさそうな雰囲気だ。

「あら、ここからがいいんじゃない。 で、時間になっちゃったもんで、わたしが……」

「おい利恵、いつまで話し込んでんだよ、もう行くぞ?」

 二階から降りて来た涼が、居間で話している利恵に声をかけた。

 しかし、利恵は話しが再開されるのを心待ちにしているので、涼の方には見向きもしない。

「もうちょっと待っててよぉ。 今、話しが佳境に入ったとこなんだから」

「何が佳境だ、今日は遊びに来たんじゃねえだろ? 母さんも、いい加減にしろって」

「ん〜……まあ、しょうがないわね。 利恵ちゃん、続きはまた今度ゆっくりね。 あんまり待たせると、うちの愚息がヘソ曲げちゃうから」

「また愚息って言う……」

「え〜? 美浜さんの活躍だって聞きたいのにぃ……」

「はは。 まあ、それはまた次の機会にね。 おい涼、お前可愛い彼女捕まえたな。 ボンクラ小僧にゃ勿体無いぜ」

 恭一にからかわれて、涼はムスっとした顔になる。

 この手のネタでからかわれるのが面白くないのだ。

 だが……。

「お? 何だ、その顔は。 ……そうか、どれだけ強くなったか俺に見て欲しいのか。 よし解った、表へ出ろ」

 そう言って恭一が立ち上がろうとすると、涼は両手をブンブン振りながら、

「ちっ、ち違いますよ! そんな無謀な考え持ってませんって!」

 と、怯えた顔になった。

 今でも恭一は、この辺で知らない者がいないほど名前と顔が通っている。

 道で会ったチンピラでさえ、かしこまって頭を下げて避けて行くくらいだ。

 いくら涼の腕っ節が強いといっても、まだまだ恭一の足元にも及ばない。

「冗談だよ。 じゃ、利恵ちゃん達は先に出ててくれるか?」

「は〜い。 ねえ涼、ヒナちゃんは?」

「さっきから真と外で待ってるよ。 だから早くしろって言ったんだ」

 涼達が外へ出て行くと、恭一と環は仏間に入り、仏壇の前に正座した。

 こうして二人が仏間に揃うのは、随分と久し振りの事だ。

「早いもんだな……。 涼も、もう中二か」

 ついこの間まで保に頭を小突かれていたような気がするのに……と、恭一は思った。

 しかし、確実に時は過ぎているのだ。

「恭一も老ける訳よねぇ」

「お前も同い年だろうが……しかし、やっぱり似てるよな」

「親子だもの。 でも、似なくていい所ばかり似るのよね」

 やたらと喧嘩っ早い所、ズボラな所、肝心な事には鈍い所。

 どこもかしこも似て欲しくない部分ばかりだ。

「そういうもんなんだな……。 なあ、保」

 恭一は笑って、仏壇の写真に向かって話し掛けた。

 まるで写真の当人が、その場にいるかのように……。

「しかし……さっきの話し、しない方がいいんじゃねえか?」

「楽しい思い出話じゃない」

「涼が衝撃受けるぞ? お前一人で三十人も半殺しにしたなんて聞いたら」

 あの時以来、その手の連中が保に仕掛けて来る事は一切無くなった。

『あんな恐ろしい女を手懐けてる奴は、もっととんでもなく強いに決まっている』

 という噂がどこからともなく流れ始め、 『無敵の鬼神』 の通り名が完全に定着してしまったのだ。

 ……まあ、誰が流した噂なのかは、お察しの通りである。

「半分くらいにしとくわよ」

「半分ねぇ……」

 それにしたって一人でやる数ではない。

 保が環のプロポーズを断らなかったのは、ひょっとしたらこれが原因かも知れないと恭一は思った。

「……そろそろ俺達も行こうか、墓参り」

「そうね。 それじゃダ〜リン、また向こうでね」

 仏間を出る環と恭一の背中を、写真の中の保が笑って見送っていた。

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