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恵再び

 それは中学時代の、ある日の放課後の事……。

「待って下さいよーっ! 教えてくれたっていいじゃないですかぁっ!」

「しつこいぞっ! もういい加減に諦めろって!」

「はいは〜い! 皆さん、ちょ〜っと道を空けて下さいね〜!」

 教室から廊下、廊下から階段、階段からまた廊下と涼が爆走する。

 その後を真一郎が、掃除中の生徒に注意を促しつつ走って逃げる。

 更にその後方から長い髪を振り乱し、スカートの裾が跳ねるのも気にせず、小さな女の子が追いかけていた。

「あれ? なあ、あれって宇佐奈と掃部関だよな?」

「そうみたいだけど……もしかして、あの子から逃げてるのかな?」

「掃部関が女の子から逃げるって……でかい地震でも来るのか?」

 いつも女の子を追い掛け回しているような印象がある真一郎が、女の子から逃げるなんて……。

 その光景は他の生徒の目にはにわかに信じ難い物に映ったが、どうやら真一郎は本当に逃げているようだ。

「……どこかで俺様の評判が落ちたような気がする」

「空耳だ、空耳! つまんねえ事言ってねえで、とにかく走れ!」

 やがて三人は、昇降口から校庭へと出た。

 先頭を走る涼は、無駄と知りつつ、

「頼むから、もう諦めてくれよ!」

 と、一応お願いしてみた。

 が……。

「この恵ちゃんをナメてもらっちゃ困ります! どんな困難があっても、諦めないのが信条なんですから!」

 やっぱり無駄だった。

「そんな信条は捨てちゃいなさい!」

「みんな立派だって褒めてくれますぅ!」

「内容によりけりだっつーの! そもそも、人の嫌がる事をしちゃいけませんって習っただろ!」

「嫌よ嫌よも好きの内っていうのも習いました」

「知識を更新しなさい!」

 校庭に出ると、何も障害物が無くなったのを幸いに、涼と真一郎は最大加速をかけ、一気に恵を引き離しにかかった。

 さすがに二人の足に追い付ける筈も無く、恵は息切れと共に立ち止まり、校庭の真ん中で膝に手を付き、肩で息をしている。

「アディオス、恵ちゃん! いい女は引き際も肝心だぞ?」

「ハァ、ハァ……ほ、本気で逃げるなんて、ズルいですよぉ〜……」

 しかし恵の抗議は、小さくなった真一郎の後姿には届かなかった。

「……絶対に突き止めてやるぅ〜!」

 恵は拳を握り締め、固く己の心に誓うのだった……。

 そんな恵の様子を、校舎の窓から冷めた目で見つめる女生徒の一団があった。

「……あの子、まだやってるんだ?」

「いい加減しつこいね……宇佐奈には雛子がいるってのにさ」

「迫水ったっけ? ちょっと言ってやろうか?」

「そうね。 調子に乗ってるみたいだしね」

 三人が振り返ると、掃除当番の雛子が一生懸命に、他の当番の生徒と机を移動させている所だった。




 ドン! と突き飛ばされ、恵の背中は校舎の壁に打ち付けられた。

「痛! ……何するんですか! 話しがあるって言うから来たのに!」

 ザラザラしたコンクリートの感触が制服を通して恵の身体に伝わる。

 まだ掃除中の為、ゴミの集積所になっている校舎裏のこの場所には、恵達以外には誰もいない……。

「これがアタシらの話し方なんだよ!」

「アンタさぁ〜、ムカつくんだよね」

「何がですか? アタシ、別に先輩達に何かした覚えありませんけど」

 そう言った途端、恵の右頬に衝撃と痛みが走り、ジワジワと熱を帯びて行く。

「あんた、宇佐奈にちょっかい出してるだろ? いい加減目障りなんだよね、ああいうのって」

「そんなの……先輩達に関係無いでしょ……?」

「ところがあるのよね。 アタシらの友達の彼だからさぁ……」

「大人しい子だから何も言わないだけで、ホントは頭に来てるに決まってるんだよ!」

「もう宇佐奈君に付き纏うのやめなっ!」

 涼の彼女……噂では、佐伯雛子という女生徒がそうらしいと聞いた。

 恵も何度か顔を見た事がある。

 容姿端麗、品行方正、成績優秀で、涼の幼馴染だと。

 ただ、 『彼女だ』 という話については、どうしても 『らしい』 以上の情報を入手出来なかったのが、少々気になっていた。

 まだ雛子本人と話した事は無いし、涼達に訊こうにも、恵の顔を見た途端すぐに逃げられてしまうからだ。

「やっぱり、人の噂なんてアテにならないな……」

「はあ? あんた何言ってんの?」

「自分じゃ何もしないで、人を使ってこんな事させるなんて……。 佐伯って人、随分と根性が捻じ曲がった人だって事ですよっ!!」

「何だってぇっ!?」

「フざけんじゃないよっ!」

 恵の言葉に上級生三人は激昂し、代わる代わる暴行を加えた。

 喧嘩などした事の無い恵は、ただ打たれるままだ。

「何も知らないくせに、下らない事言うんじゃないよ!」

「これはアタシらが勝手にやってる事さ! あの子は関係無いっ!」

「あの子は、アンタなんかと違っていい子なんだっ!」

 恵は何も言わずに、ただ打たれていた。

 倒れ、身を丸め、ただ黙って打たれていた。

(自分達だってアタシの事、何も知らないクセに……!)

 そう思いながら……。




「あれ? 帰ったんじゃなかったの?」

 三人の女生徒が教室へ戻ると、ゴミ箱を抱えて教室を出ようとする雛子とカチ合った。

「や〜ねえ雛子ったら、まだカバンが置いてあるでしょ?」

「え? あ、そうか」

「いつもながらの天然なんだから」

 普段はしっかり者のくせに、こういった所でボケる。

 そんな雛子を見て三人は笑った。

「何よ、一人でゴミ捨て?」

「うん。 これで終わりだから、一人で充分だもん」

 他の当番は既に帰ってしまったようで、雛子の他には誰の姿も見えない。

 きっと言葉の通り、一人でいいからと言って帰らせたのだろう。

「よいしょ」 と、ゴミ箱を抱え直すと、雛子はヨタヨタした足取りで廊下を歩き出した。

 中身は大した量ではないのだが、身体の小さな雛子にはゴミ箱が扱い辛いようだ。

 そんな雛子の背中を見送りながら、

「あの子、強いよね……。 アタシらと、こんなに普通に話すんだもん」

 三人の内の一人が言った。

「アタシら……昔、あんないい子をイジメてたんだね」

「どうかしてたんだよ、あの頃のアタシ達」

 女生徒達は小学生の頃、喋れなくなった雛子を三人でイジメ抜いた事を思い出し、恥じ入った。

 元々大人しかった雛子はイジメの標的にされ易かったのだが、男子からのイジメに関しては涼が鉄壁のガードを敷いていた為、問題無かった。

 だが、さすがに女子に対して手を上げる訳にもいかない (そんな真似をしたら環に殺される) し、巧妙に仕組まれてしまえば、雛子が言わない限りは涼に知られる事も無かったのだ。

「雛子……宇佐奈にも言わないで、一人で頑張ってたんだよね……」

「マジ強いよ、あの子。 アタシらなんか、ハナから敵う相手じゃなかったんだ」

「でもさ……雛子が知ったら怒るかな、やっぱ」

「だろうね……。 あの子、この手の事って大嫌いだからさ」

「いいんだよ! アタシらには……こんな事しか出来ないんだから」

 罪滅ぼし……にもならないだろうけど。




「あ〜あ、こんなに汚れちゃった……」

 恵はヨロヨロと立ち上がると、パタパタと制服の汚れを払い、近くにあった水道の蛇口を捻り、顔を洗った。

「痛! ……そっか、最初に叩かれた時、切れちゃったんだな」

 そっと水をかけるようにして唇の端の血を洗い落とし、ハンカチで拭った。

 真っ白だったハンカチに、赤い染みが広がって行く……。

「涼先輩……アタシ、悪い事してますか? ここまでされる程、いけない事してますか……?」

 確かに目立つ行為ではあるだろう。

 時間があれば涼の所へ出向き、アレやコレやと質問責めにしているのだから、それを面白くないと思う向きもあろう。

「でも……でも、アタシは自分に正直なだけだもん。 涼先輩には迷惑なだけかも知れないけど、いっぱい……いっぱい知りたいんだもん……」

 恵の大きな瞳から、ポロポロと涙が溢れ出す。

 一度流れ始めた涙はやがて嗚咽を伴い、恵はその場にしゃがみ込んでしまった。

「どうしたの?」

 突然声をかけられ、恵がビクッ! として顔を上げると、そこには心配そうに恵を覗き込む雛子の顔があった。

(この人……佐伯って人だ!)

「な、何でもありません……」

 恵は慌てて涙を拭うと、すっくと立ち上がった。

 弱みなんて見せたくない……この人は、アタシの敵なんだ!

「何でもない事無いでしょ? 制服に靴の跡が付いてるよ?」

「……自分で付けたんです」

 雛子は抱えていたゴミ箱を下に置くと、立ち去ろうとする恵の腕を捕まえ、背中に付いた靴の跡を柔らかくパタパタとはたいた。

 本当に柔らかく、心の埃まで落してくれるようなはたき方……それは、まるで母親のような優しさを感じさせた。

「い、いいですよ、そんな事しなくて……」

「良くない! それに怪我もしてるみたいだし……一緒に保健室に行こう?」

 一体どういう人なんだろう……と恵は思った。

 自分を痛め付けるように命令したのはこの人の筈なのに、芝居でなく、本気で自分を心配しているようだ。

 もしかしたら違うのか……?

 自分が考えているような人ではないのか……?

「……佐伯先輩」

「あれ? わたしの事、知ってるの?」

「知ってます。 涼先輩の幼馴染で……恋人だって……」

 それを聞いた雛子は一瞬だけ目を大きく開くと、直後に苦笑した。

 下級生まで、自分と涼をそういう関係だと思っているのかと。

 いちいち否定して歩く気は無いが、虚しい誤解は解いておかなくては……。

「幼馴染は合ってるけど、恋人じゃないよ」

「え? だって、みんな言ってましたよ?」

「りょ……宇佐奈君の恋人はね、他所の学校にいるの。 でも、その人の事を知ってるのは、わたしと掃部関君だけだから、そうやって誤解されちゃうのも無理無いかな」

「じゃあ……じゃあ、何でこんな事するんです!? アタシ、佐伯先輩に何かしましたかっ!?」

 恵は、キっと雛子を睨み付けて叫んだ。

「こんな事……って?」

「とぼけな……!」

 言いかけて、ふと恵は考えた。

 もしかしたら本当に、この人は何も知らないのかも知れない。

 さっきの女生徒達も、自分達が勝手にやっている事だと言っていた。

 なら……。

「……ごめんなさい、確認が先でした。 知らない事で他人を責めるのは、アタシの流儀に反しますから」

「はあ……。 で、確認って?」

「アタシ、ある人達にここへ呼び出されて殴られたんです。 涼先輩に付き纏うなって」

「……それを、わたしが指示したって思ったの?」

 肯く恵を見て、雛子の顔付きが変わった。

 今まではどこか優しさを含んだ表情だったのに、厳しく、そして、どことなく哀しげに……。

「違うんですか!?」

「……もしも、わたしがそんな事をしたら、宇佐奈君はわたしを絶対に許さない。 きっと一生、目も合わせてくれなくなるでしょうね」

「それが……」

「わたしは、そういう人と十四年間も幼馴染を続けてるの。  と言っても、助けてもらってばかりだけどね……」

「……」

「わたしは彼とずっと幼馴染でいたい。 隣でいつも笑っていたいの……笑っていて欲しいの。 そんな関係を壊すような事は絶対にしないよ」

 静かに言う雛子の顔を見て、恵にはすぐに判った。

 雛子は涼に好意を持っている。

(でも、それならどうして幼馴染でいたいなんて言うんだろう……)

「……信じてもらえるかな?」

「……」

「ダメ? う〜ん、困っちゃったな。 他に証明する方法なんて……」

「いえ、佐伯先輩の事は信じます……」

 涼が卑怯な真似を許さない事は、恵も知っている。

 涼に関する情報は、どんな些細な事でも収集しているのだから。

 それに、この人は嘘を吐くような人じゃない……恵は自分の直感を信じた。

「アタシ、佐伯先輩を誤解してたみたいです。 ごめんなさい……」

「あ、謝らなくていいよ! こんな状況じゃ、しょうがないもん」

 素直……この子は真っ直ぐなんだと、雛子は恵に対して好感を持った。

 強張っていた雛子の顔は、またいつもの柔らかさを取り戻し、穏やかに恵を見ている。

 それを見た恵は、

(優しい顔……こんな顔する人っているんだ……)

 と、先程とは逆に、雛子に対する好感度がMAXにまで高まった。

「アタシ、佐伯先輩のファンになっちゃいました!」

「そ、それはどうも……ねえ、それより保健室に」

「そうだ! 佐伯先輩なら、涼先輩の志望校知ってますよね?」

「え? ええ、知ってるけど……」

「教えて下さい!」

 そう訊かれて、雛子は思い出した。

『いいか? 迫水って下級生が何か訊きに来ても、絶対に何も教えるなよ? 大変な事になるからな』

 と、涼が言っていた事を……。

「……もしかして、迫水さん?」

「恵でいいですよ、アタシもヒナ先輩って呼びますから。 そんな事より、どこなんです? 涼先輩の志望校」

「そ、それは言えないの。 ごめんね」

「えぇ〜っ!? そんな意地悪しないで教えて下さいよぉ! 涼先輩も、カモ先輩も教えてくれないんですからぁ〜! ヒナ先輩だけが頼りなんですぅ〜……」

「あ、忘れてた! わたし、ゴミ捨てに来たんだ! 早く捨てて、教室に戻らなきゃ!」

「あ、待って下さいよぉ! ヒナ先輩ってばぁ!」

 恵の立ち直りの早さと、その溢れるバイタリティに、雛子はただ感心しつつ、ひたすら逃げるのみであった……。


 翌日から、恵から逃げる人数は二人から三人になった。

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